2828. ルオロフの状況、人型と魔物・シャンガマック故郷入り・双頭の龍として・地下の国で
地震と津波の報告、高波に襲われるアマウィコロィア・チョリア島で、ルオロフも船を下りた。
クフムに口酸っぱく『絶対に外へ出るな』と注意し、剣を取ったルオロフは、叫び声と混乱の聞こえる方へ走る。すぐに、不安定な足取りで進む大きな人型が視界に入った。建物の脇から出て来たが、その周囲に人はいない。
既に増えているのかと、見つけた一体を切り捨てて、ルオロフは周囲を見回す。
確か、この島のサブパメントゥが使う井戸は、トゥが潰した話だったが・・・ 発生場所を誰か知らないか、他にもいないかを聞こうと、離れた場所にいる人の元へ走った。
「あっちに魔物が出ている。あんたも来て」
端の方にいた一人が、走ってくるルオロフの赤毛を見るなり、先を指差して場所を示す。
ルオロフに『一緒に行ってくれ』と大声で頼んだ男性は『魔物がいるんだ』ともう一度言い、さっと片手で手招きして駆け出した。
人型の情報を聞こうと思ったルオロフだが、走る男性に並び、まずは魔物を倒すべく、騒ぎが大きくなる波止場の反対側へ急ぐ。
「魔物は多いのですか?」
「今、俺と仲間で避難指示を回したところだが、一体と聞いた。あちこちの岸辺から上がってる報告で、こっちもさっき出て」
「最初の魔物はどれくらい前です?」
「十分か二十分前に報せが来たが、それより前かも知れない。一番近くの報告だから、他でも、もう」
彼は魔物情報だけを話すので、人型の出現は知らなそう。建物の脇から現れた人型動力は、誰も飲み込んでいない『元』だった。
では、聞こえていた騒ぎは、人型ではなかったのか?犠牲は出ていないのか・・・前方に岸辺と人だかりが見え、退治に入る前に『人型の化け物は出ていないか』を急いで訊いた。
「俺は見ていない。仲間が倒した」
言葉を切って『誰かの家族だった』と苦し気に続けた男に、ルオロフは先ほど倒した『元』から派生した人型と理解する。そして協力を申し出た。
「倒すに辛い相手です。『赤毛の男』を呼ぶよう、皆さんに伝えて下さい。私も人を斬りたくないが、身内同士では辛すぎるでしょう」
「・・・でも、あんたにだけさせるのも」
ここまで話して、二人は足を止める。騒ぎの現場、桟橋には上がったばかりの魔物がいる。その姿にルオロフは嫌悪しかない。これまでの魔物も残酷で醜悪だったが。
「あれは、ショーワ―」
「名前を言わないで!」
愕然として、誰かの名前を言いかけたのを、ルオロフは横で止めた。
人型も残酷だが、この魔物も精神を抉る。死体の顔を引き伸ばした頭は、悶絶で死んだ瞬間の歪みを残し、頭は家一軒ほどの大きさ。首のない魚のような格好で、頭が人間の顔だけ、扁平な胴は鰭を幾つも生やし、鱗のない皮膚はぬるぬるした液体に包まれ、腐臭を放つ。
名を呼ぶなと注意したルオロフは、知り合いの名を口にして心が壊れることを防ぐ。
あれは魔物で、知り合いではないことを・・・時間がないから止めるしか出来ないが、さっと遮られた男は振り返って、理解した表情で辛そうに頷いた。
巨大な頭に引き伸ばされた顔は、騒ぐ人々にずるずると体を引きずって近づき、大きな鰭を叩きつける。顎が外れた口を開けて、不ぞろいに並ぶ歯が顎から前に飛び出ると、攻撃の剣や斧を歯に引っかけてはじき返した。
体から落ちるぬめりの臭いは強く、目や肌が痛むほどの刺激臭。ぬめりは足元を滑らせ、武器ははじかれ、応戦する人々は近づくに近づけず苦戦を強いられる。小舟ほどの大きさがある鰭の下に倒れた足が見えた。
知り合いの巨大な顔が魔物となって、仲間だった人々を襲う、それだけでも彼らは心に辛い。
『私が倒します』と叫んだルオロフに、騒ぐその場が振り返る。それと同時、ルオロフの体は魔物の頭の真上に飛び、幾筋も血管を浮かばせた魔物の額を、彼の宝剣が切り裂いていた。
*****
「バニザット、行け」 「でも」
獅子は息子を送り出す。側にはフェルルフィヨバル。獅子と騎士を乗せたダルナはハイザンジェル北東部で二人を下ろし、獅子に『あとは頼んだ』と任されて了解する。
「ヨーマイテス」
暗がりに消えかけた父に呼びかけるシャンガマックは、振り向いた碧の瞳に次の言葉を掛けられず、小さく頷いて闇に溶けた獅子を見送るしか出来なかった。側に佇むフェルルフィヨバルに『時間がない』と促され、シャンガマックは唾を飲み込む。
すぐそこ・・・ 降りた場所から1㎞程度しかない先に、故郷がある―――
「フェルルフィヨバル。俺は、やっぱり」
「行きなさい。家族の反応を恐れているのだろう。そして、お前自身の罪悪感と」
「そのとおりだ。どちらも嫌だ。もう一つ付け足すなら、覚悟出来ていなかったと思われる行為だ。不名誉だし、自分から求めるなんてどうかしている」
白灰のダルナを遮ったシャンガマックは、ここまで無理やりに等しい状態で連れて来られて、戸惑いが拭えずに抵抗した。静かなダルナは、山の輪郭を縁取り始めた曙の線に、少し視線を向ける。
「夜が明ける前に。私はここで待つ」
取り合ってくれないダルナの返事は、シャンガマックに絶望的な恥を突きつけ、騎士は呻いた。
「俺は望んでいない・・・ ヨーマイテスやあなたが言う意味は、分かっているけれど」
「それを置いて、己の心に勝てない方を正しいと思うか」
「う」
「選ぶのはお前次第だろう。私はここで待つが、時間の制限がある。ヨーマイテスは付き添ったが、彼もまたしなければならないことを優先した。恥をかくのも、決意して命を捧げるのも、目的が揺るがないものであれば同じだと思えないのか」
「それは」
フェルルフィヨバルは騎士にそれ以上言わず、行って来いと目で向こうを示す。
静かな朝に、青白く細い煙が上る・・・村。朝食の準備が始まった、穏やかで平和な煙突の煙は、褐色の騎士に懐かしさより、戸惑いを感じさせる。
ふーっと大きく息を吐き出し、肩を落としたシャンガマックも抵抗を無駄と諦め、仕方なし・・・故郷の村へ歩き始めた。子供の頃、駆け回っていた幸せな思い出の風景を、錘を引きずるようにのろのろと進む。
「大顎の剣」
呟いた唇が乾き切っていて、舌で舐める。その舌も唾液が引いたように粘り、喉も絞られているみたいに感じた。心底、自分が嫌がっていると分かるのに、目的のためには行かねばならない。
大顎の剣をもう一度、戻せないだろうか――― そんな必要が本当に?一度は自分で頼んで焼いてもらったものを(※1996話参照)、舌の根も乾かぬ内にと思われかねない短期間で、逆のことを頼む羽目になるとは。
まだ、一年も経っていない。ほんの数ヶ月で、あの決意は何だった?と呆れられるのを想像しては、恥ずかしさと抵抗で足が止まりかける。
だが、行かねばいけない、それも心のどこかで分かっている。ついこの前、フェルルフィヨバルが先見の明で伝えた時から、そうなるのではと思い始めた(※2801話参照)。
「俺は、魔力はあるようだが、魔法が。ナシャウニットの加護を失ってから、あれほどの大きさの魔法は使えない。共に動くヨーマイテスがいてくれることで、心配などなかったけれど。
本当に俺が単独になったら、どこまで粘れるか。俺自身が分かっていない。いや、分かろうとしていなかったのか。父とは一心同体くらいの気持ちで構えていることは、甘えの延長かもしれない」
剣を持てと、ダルナはやんわり助言した。ヨーマイテスもそれを認め、自分一人が反対した。ミレイオを切った呪いの行為を軽んじるみたいで嫌だと言ったら、『その言葉の奥で自分を守っていないか』とフェルルフィヨバルは見抜く。
ただ単に、手放した覚悟を疑われるのが嫌なのでは?と遠回しに聞かれ、図星の痛みが胸を貫いた。
だけど、ミレイオを切った過ちへの怖れと対処は嘘ではない。
全てが自分の都合ように言われ、そんなことはないと断言したが・・・結局、ヨーマイテスにも説得されてここまで来てしまった。
乾いた大地、朝の静かな風に乗る土と木の葉の匂いは、郷愁を誘うが。肩越しに振り返ると遠く佇む、異界の精霊の淡い白が目に入った。
―――『恥をかくのも、決意して命を捧げるのも、目的が揺るがないものであれば同じだと思えないのか』
彼の言葉に打ちのめされた自分がいる。命を捧げるなら勇ましいが、恥をかくのは嫌だと拒否する。しかし目的は同じとなれば、拒否は妥当か?
「そんなこと・・・分かっている。分かっているんだ、フェルルフィヨバル」
胸に溜まった息を吐き出し、思いっきり息を吸い込んだシャンガマックは髪を振り上げ、故郷の入り口の前で立ち止まった。変わらない木の柵、彫刻された左右の大柱。家畜小屋から聞こえる早起きの動物の声。各家から立ち上る、朝一番の煙。
「覚悟。覚悟だ、バニザット。大顎の剣を・・・ うう、言いたくない」
目を瞑り、頭をぶんぶん振って最後の最後で動かない騎士は、入り口近くを通りがかった親戚に見つけられて名を呼ばれ、びっくりした後―― 否が応でも長老の家へ行った。
*****
ルオロフが魔物を斬り、恥を忍んだシャンガマックがハイザンジェルで一族と話す頃―――
揺れが続くティヤーの地面に、わらわらと濃い影を伝って現れたサブパメントゥの集団は、やってきた『味方』の存在にざわめきだっていた。
一番前に立つ『呼び声』は、二つ首の龍の登場に口端を吊り上げ、逸る気持ちを押さえ、高揚を味わう。今日がその日。この時をどれほど待ち続けたか。
―――昨日、ザハージャングが応じた瞬間を思い出す。
混乱の兆し(※決戦)が見えてきているというのに、いつまで経っても言うことを聞かないこいつに、いい加減分からせるため・・・跨っていた人間を落としてやった。
昨日に限って付いてきたか、今までもいたのか知らんが、あの嫌な剣を思い出させる男(※2754話参照)を落とした途端、ザハージャングは首一本を下に向け『夜明けにここで始める』と言った―――
『待っていたぞ。降りるんだ』
影の内から、筋肉質な片腕を振って、浮かぶ相手に合図する。夜明け近く、炎上する背景。その明るさに耐えにくい仲間は、少しずつ影に後退しているが、ザハージャングと共通の確認をしさえすれば。
『早くしろ』
乱暴に手招きした『呼び声』が、ザハージャングはこちらに折れたと頭から信じ込んで、背中を向けた一瞬。
*****
―――『俺の我慢じゃない。あっちの我慢だ。痺れを切らして、急変する時が来る。執念深いやつだけに毎日長引いているが、あいつは待てても、状況が逼迫するとそうもいかないだろ?(※2793話参照)』
そう、トゥが教えたことは実現した。痺れを切らしたサブパメントゥは、トゥに跨るタンクラッドを見つけて攻撃し、タンクラッドは地面に落ちた。
・・・のだが、こうなることを打ち合わせ済みだったため、タンクラッドは落ちたと同時、トゥの尾にポンと弾かれて姿を透かし、尾の先に巻かれ落下未然。トゥはサブパメントゥに会う場所を伝え、この時は移動。
移動先で『タンクラッドへの攻撃は、許せるものではない』と我慢したトゥの気持ちを聞き、タンクラッドは『夜明けにそれを晴らせ』と応援した。そして夜明け前、目論見と鬱憤を彼が果たした、先ほど。
「トゥ、地下は今頃どうなっている」
「んん・・・?さあな」
言う気もなさそうにトゥは主の質問を流し、タンクラッドは仕方なさそうに小さな溜息を吐く。朝焼けの差す、トゥの姿を模した彫刻のある遺跡で、一人と一頭は結果が出るまで暇を潰す。
「終わったら、決戦の」
「そのつもりだ。心配するな。ここに来る前に片付けた魔物は、次まで少しかかるだろう」
「そんなこと言えるのか?いつ来るともしれんのに」
「タンクラッド。俺がお前に嘘を言ったことはあったか、その前に俺が嘘を言うとでも思うのか」
思ってないよと面倒で顔を逸らす剣職人を負かし、トゥは軽く笑って『もう少しだ』と呟いた。
「もう少し・・・だ。中の騒ぎが収まったら、スヴァウティヤッシュに確認して参戦だ」
銀色の頭が二つ、首の根元に跨る主に近寄り、剣職人を宥める。大きな翼はあの直後に広がっただけで今は畳まれ、トゥの静かな余裕はいつもの状態に戻っていた。
タンクラッドは返事をしなかったが、トゥが怒ったように見えた瞬間を思い出し、あれは彼が耐えかねて怒ったのではなく、因縁を断ち切る意志の片鱗が見えたのだろうと思った。
主の理解が筒抜けのトゥは、一度前を向いてからまた振り向いて『お前は付き合いやすい男だ』と、細やかに褒める。どうも、と答えたタンクラッドは少し間を置いて鼻で笑い、首を横に振った。
「いつになったら・・・お前は俺の考えを読まないことを覚えるんだ?」
主の嫌味に銀のダルナは笑い『いつだろうな』と適当に答える。茜差す朝焼けの雲の下、主とダルナは穏やかだったが――
地下の国サブパメントゥの奥は、戦争に似た状況が繰り広げられ、それも終わりに近づいていた。
「俺と違うな。まぁね、でも。これでずいぶん減っただろう」
黒いダルナはサブパメントゥの反対側で呟く。ごつごつした岩に腰かけて腕組みし、思考に流れ込む映像を見ていた。その横でダルナに寄りかかっているコルステインが『頭で。言う。する』と・・・すっかり仲良くなった姿勢で、ダルナの角を突いた。
スヴァウティヤッシュがちょっと笑って、間近のコルステインに教えてやる。コルステインも、地下の国で起きる出来事の多くを把握するので状態は理解しているが、スヴァウティヤッシュの思うことは何でも知っておきたかったので、聞けて満足した。
『さ。俺たちもそろそろ行くか。トゥに捕まらない位置にいた残党が、他所にいる』
『うん』
黒いダルナの動きに合わせ、コルステインも立ち上がる。次は放置中の『燻り』を使いに行く。
まずは、表で待っているトゥに教えてやらなければと、ダルナとコルステインは地下の国を上がった。遥か昔から残党が犇めいていた地帯の、壊滅的な結果を伝えに。
お読み頂き有難うございます。




