2827. 旅の四百五十九日目 ~序幕・ドルドレン待機と『ちいさな奇妙』・死霊の長、『原初の悪』、人型・バサンダの面、九つ
※今回は7000文字以上あります。お時間のある時にでもどうぞ。
明くる朝―――
イヌァエル・テレンにいるドルドレンも、決戦の序幕と感じる。明け方に来たニヌルタが話してくれたこと(※2818話参照)。
すぐに降りるわけにいかない理由、事情、見越した状況。参戦が遅れるのはドルドレンに歯痒くもどかしいが、言われて尤もの内容に頷いた。
「待っていてくれ。必ず、俺も剣を抜くから」
穏やかな朝の空に、地上にいる仲間へ約束を呟く。ザハージャングが幻の大陸を固定する・・・その時から、サブパメントゥは光をものともしない体に変わり、そして、空を狙う。
ザハージャングが空への梯子を作るらしいが、『動きを封じられた双頭の龍』はサブパメントゥに想定外だろう。
ここで龍族がサブパメントゥを完膚なきまで叩き潰し、一網打尽にしてしまう、殲滅する因縁の終わりまで運べるかどうか。それは、女龍イーアンに掛かっている。ただ、そう簡単に行く話ではないことくらい、男龍も分かっているのだ。
決戦中にザハージャングが地上へ降り、人間が移動して、『大陸の虜』となってしまった双頭龍に驚いて、サブパメントゥがわらわらと集まってきたとしても―― 都合良く全員まとめて片付けるなど、あり得ない。
だから、せめて。
サブパメントゥに使われる道具の一つとして存在する『勇者』は、ザハージャングが固定されてから出かけろと、ニヌルタは言った。
どうせ、その日で片付かない。だが、因縁の龍と絡まずに地上へ降りる機会を利用するべき。彼はそう教え、自分もそれが良いと思った。
「イーアン・・・俺には分からないことだらけだ。君もよく、そう言う。知らないことが多過ぎる、翻弄される、と君は毎回困っている。俺も、勇者の実感は旅の途中まで薄かったが、最近はじわじわと感じる出来事が増えた。それを食らう度、俺に知らされていない事実は如何に多いかと考えてしまう。
責任を負う立場にいながら、知ることを許されない・・・いや、違うな。許されない以前の問題だ。放ったらかされ、一歩ずつ、どう動くかを試されているような」
全ての行動を見張られている。どれが正しく何が間違いなのかもわからないまま。望まずに足を踏み入れたうっかりさえ、お前が選んだ行為と指を突き立てられるのか。
イーアンはいつもその状態に、戸惑い、抗い、泣いて、全力で責任を務めていた。勇者の俺も、それを求められている。
「君は、俺を信じ続ける。イーアンが信じてくれると思えば、誰に疑われても怖くはない」
だが。一緒に、魔物の王を倒す道に立とう。そう思って進んで来たが、ニヌルタの話ではそれは叶わなさそうだった。
「君には君の。俺には俺の・・・敵がいるんだな。俺たちが背負った運命を果たすために」
ドルドレンは暁の空に喋り終えて、少し黙り、川辺に沿って歩いた。ティグラスは珍しく朝から出かけており、一人の時間を物思いに耽る。
どうして。勇者とザハージャングが、サブパメントゥの道具になったのだろう―――
漠然とした疑問は、答えを知らされることなく悶々と燻る。
どんな原因があったのか。何に起因したことなのか。勇者が裏切り者と設定された事実の始まりを、情報などないなりに、ドルドレンはぼんやりと想像を巡らせて歩く。
ドルドレンの想像が辿り着くことはない、奇想天外な始まりがあった。それを彼が知るのは、銀色のトゥが『勇者』に話してくれる日は、まだまだ先で・・・・・
それともう一つ、ドルドレンは関係ないことが気になる。草を踏み、ゆっくりと進む足取りは止まることなく、呟きが漏れる。
「ニヌルタとイーアンが、イングをここへ連れて来て、ビルガメスと初めて会ったそうだが・・・ニヌルタの言い方をそのまま受け取ると、なぜだろう?と思ったあれは。彼はまぁ、そうかもしれない。ニヌルタは、あまり空を離れないから。
しかし解せないのは、ビルガメスは確か、イングに会ったことがあるはずなのだ(※2238話参照)。ニヌルタが少し話してくれた内容では、イーアンも忘れているような印象だが、それも変である。押し付けられた問題に、泣いて嫌がるほどの出来事だった。それをあっさり忘れるだろうか?
イーアンは記憶力が良い。あまりにも毎日いろいろと起こるから、忘れることもあるだろうが、それにしても彼女は良く覚えている方だ。そのイーアンが、『番い』の問題で一悶着あったイングとビルガメスの顔合わせを忘れているとは信じられない。
いや、それを言ったらビルガメスもだ。あれほど偉大な存在が、些細なことかもしれないが、大事な女龍への対処を、さっぱり忘れているとは。まるで、『無かったこと』のように」
何か、おかしなことが起きているのでは。
勇者は眉を顰め、呟いていた口を閉じる。歩く足はそのまま、奇妙な話に嫌な予感を感じ続けた。
いつでも、ちょっとした違和感に気づくのは、ドルドレンの役目。まさか龍族まで巻き込む、大きな影響力が働きかけたとまでは・・・思わない。
ドルドレンの呟きを拾う者は、安全な龍族の空イヌァエル・テレンに、誰もいない。後々、見えてくるにしても―――
*****
ティヤーの海は大荒れどころではなかった。
イーアンが戻った時間は暗かったが、高波と津波の区別が難しいくらい、大きな波があちこちを襲って、夜の島々は混乱に陥っていた。
朝が来る前にすべきこと。考えるより早く体が動く。イーアンは波の高い夜の不穏を目に入れてすぐ、現在地から近い順に波を消して掛かった。
龍に身を変え、暴風をものともしない白い体躯が黒い空に躍り出るなり、島に被さりかけた波は霧散する。
大きな波は上から見ても桁外れの影と飛沫があり、その列に沿って白い龍は波を消し、後続の波を宙に噴き上げ、口を開けた顔を回して広範囲を消し去った。
ただ、消し続けることが後の自然に良いかどうかも、イーアンは考える。そんなことを言っている場合ではないと言われそうだが、テイワグナ地震の時も気にした。消すには限度を考えないといけない。闇雲に消しては、海を始めとした生態系も何もあったものではない。人々の暮らしにも、もちろん影響する。地形も変わる。長い目で見たら・・・・・
白く輝く巨体の龍は暴風になびく鬣を揺すり、襲い掛かる波を選んでは消し、状態と時間を大雑把に把握して次へ向かい、湾を抱える島や入り江が複雑な島の溢れる水も消す。
一つずつ対処というほど細かくもない。波の勢いは早いし、量もとんでもない水量が溢れ返る。船に連絡する暇はないが、環境を考える時間はある。イーアン龍は波の走りを気にしつつ、陸地を襲わんと立ち上がる恐怖の津波を消滅させて回った。
この時、魔物の姿を見た気がした。しかし気配も少なかったし、どこかで待機させられた魔物がこれから徐々に出てくるのかと考え、波の対処を先にする。
イーアンの読みは正しく、始まった決戦ではあれ、魔物の出番は引っ張られて朝が来るまで、その動きは殆んど目に入らなかった。
ただ、アイエラダハッド決戦時のようなじわじわと来る緩さではなく・・・ティヤーは、突発的な打撃ではと予感が告げる。
これまでの決戦と、違う。イーアンはここに、魔物の王よりも『原初の悪』をなぜか強く感じ、彼と一戦交える気すらしていた。
それと。まだティヤーでの治癒場頼みは終わっていないことも、気になり続ける。
*****
最初の波に乗せろ―― 死霊の長は、言われたとおりに行った。だが手駒を丸ごと送り出すには少々気になり、最初は様子見。
『全部出さなかったと責められても困るが、目的は魔物を瞬発で倒される終わりではないだろう』
死霊によって数だけは増加したものの、魔物自体が強くない、と死霊の長も思う。
対人間なら問題ないが、人間以外の敵がそこかしこに現れるのも分かっていて、無駄に注ぎ込んではあっという間に決着がつきそうで、待機させた魔物を連発する波に放り出すのも愚策だろうと、状況に応じることにした。
『勝手なことをしているのかもしれない。アソーネメシーの意向をもう少し聞いても良かったな。魔物を増やすと言っていたのだから、簡単に終わるのは望んでいなさそうだが。どういうつもりでいたのやら』
咎められる前に確認をしようかと、死霊の長は筋肉むき出しの両腕を胸の前で組み、嵐なりかけの暴風に佇む。
ティヤーの南に焦点を当てた魔物襲撃・・・北部は放っておき南部に集中させるのは、ヨライデから近いだけの理由だと思うが、それにしたって少々範囲が広い。
地震の揺れ・初回の津波の条件に沿って、命令に従った死霊の長は、既に数時間経過している状況で何も言われないので、この調子で良いのかと首を傾げる。
アソーネメシーは不本意な者に対して、我慢しない。
咎めの時は、もう警告を超えている時でもある。死霊の長は極力、アソーネメシーに不満を抱かせないよう考えつつ、魔物を放ち続けた。
死霊の長を、遠くから見ている『原初の悪』は小刻みに首を揺らし、鼻で笑う。
「お前はこっちが指示しなくても、粗方、押さえているな」
最初のやつ(※死霊の長一番手)はダメな奴だったが、とちょっと思い出し笑いして、考えながら魔物を裁く死霊の長に任せる。
「魔物がいなくなればそれはそれだ。俺に関係も無けりゃ、お前にも関係ない。俺が手を貸してやってるのは、単純に女龍と遊んでやるだけのため。
俺を相手、小憎たらしい引っ叩き方しやがったからな・・・空から兄弟まで連れて来て、やることか。龍族も躾が必要だ。俺は気が短いと、何度か言ってやった気がするがなぁ。いつ番狂わせが入るか、こっちも賭け勝負。俺が『その手』と呼ばれる力で遊んでやろう。
魔物も情けないしな。オリチェルザムはせいぜい浸っているだろうが、それも次の最終でどんでん返し予定だ。俺の筋書きで、道化にしてやるだけのこと」
魔物退治で世界が平和になりましたと?それだけで済む世界なら、それこそ他所で退屈しのぎにやればいい・・・ ハハハと乾いた笑い声を立て、『原初の悪』は気怠そうに首を回す。
「死霊、『女』は追い回すなよ。それだけ守っているなら、お前の魔物の扱いも態度も文句なしだ」
冗談めかして呟いて、アソーネメシーは暗闇の空間に捩れて消えた。
*****
同じ頃、地下の住人も反応はしていた。様々ではあるが。
『燻り』は人型動力の疑い以降(※2774話参照)、たまにしか姿を見せなくなったが、他のサブパメントゥは動き出した。
元は『燻り』が、黒い精霊(※『原初の悪』)に予告されていた地震と津波だが、他のサブパメントゥにも伝えていたので、『燻り』の不在など構わない。
『好きに動け。棒切れも入っているんだし』
いつまで使えるか知らんが、と馬鹿にしながら人型動力を外へ出す。あの夜に回収した、人間を取り込んだ人型を先に放ち、紛れ込ませる役を、動力組み込み人型に与える。
『気が紛れていいだろ。四つ足が追加で増えた』
『四つ足は北を襲うのか。魔物は南にいる噂だ』
『関係ない。どこでも一緒だ。人間が減るなら』
四つ足動力を北に放す計画で、人型動力は南中心。魔物と同時に襲うのは効率が高く、あちこちで『旅の仲間』が人間入り動力を殺す回数が増えるのも良い。不安な人間ほど、サブパメントゥは息をするのと変わらないくらい簡単に操れる。
『呼び声が、ザハージャングをおびき寄せる。そうなれば、昼だろうが何だろうが遠慮することもない。減らした人間に取って代わるのは、もうすぐだな』
創世の屈辱を晴らす機会が手の届く位置に来たこと。身震いして喜ぶサブパメントゥの会話は、地上の振動に消される。地震は絶え間なく、大型の地震以降も揺れは続き、地下道を抜けた人型動力が外へ散る。
倒壊物が多く、揺れる地面に足取り覚束ない人型だが、なぜか倒れない。
裏切りを着せられかけた『燻り』が苦肉の策で思いついた、長持ちは足取りの強化にも役立っていた。『燻り』は説明することなく、嫌そうに力を使ったので、これはまずまず使えそうだと他のサブパメントゥも受け入れた。この成果はすぐに出る。
サブパメントゥたちの期待は通じ・・・人型動力は足場の悪い道を進み続け、混乱の人々を取り込んで増やす。
北部では、四つ足が同じことを人間に行い、形が四つ足の違いだけで、やはり民はサブパメントゥの操る『動力』の犠牲にされた。
だけど、長続きもしない。人型、四つ足型のことではなく、仕掛けた側が。
人型動力は勝手に動くので、放ったらかされている間の被害は続くが、サブパメントゥはそれを見ることが出来なかった。
少なくとも、半数近くは―――
ティヤー南部、中心寄りの東。銀色の双頭が、あの歌と共に降りて来たから。
『やっと通じたな。ザハージャング。こっちだ』
炎に包まれた海岸線が沈む島の奥で、紺と白の鎧に似たサブパメントゥは、連なる木々の影から空を見上げて満足気に頷く。
炎上する黒緋の空を背景に、金属の刃の如き銀の巨体は、二本の首を揺らし・・・大きな目が見開く両翼を広げ、サブパメントゥが続々と集まってくる丘の上に浮かんだ。
*****
バサンダは、女龍の来訪の午後からまた工房へ籠り、制作を続けた。
それはこれまでと変わらない集中の時間だったが、そう思っていたのはニーファで、バサンダ当人は違った。これまでよりも更に、命を削る勢いで彼はのめり込む。
イーアンには『明後日九つめの面を作る』と言ったが、バサンダは彼女が帰ってから、一分一秒を惜しむ勢いで作業を続ける。中一日挟んだこの朝、青い面―― 八個目の面を仕上げ、ニーファの朝食に気づくことなく九個目の面に取り掛かった。
休憩無しで続けるバサンダは、昨日、シャンガマックが精霊の水を置いて行ったことも知らない。今朝の朝食に気づかないだけでなく、昨晩も、昨日の朝の食事も放っている。
彼を包む空間は時間を早め、実のところ一週間ほど何も口にしない状態で、面師は木を削り、整え、形を組み、接着の間に塗料を作り、塗布して飾り・・・ この間、瞬きですら別のことを考えない。
乗り移る古の面の力に染まるバサンダは、倒れる手前の震えや力の抜け方を感じているが、動きを止める気はなかった。例え自分の意識が飛んで、体の力が失せても、カロッカンの面に宿る大きな力が私を突き動かすだろうと感じていたから。
私が躯になったとしても、面の力は私の魂を繋いで、死にながら面を作らせてくれるはず。イーアンの伝言は紙に書いた。
一心不乱、没頭、心血注ぐ、その言葉たちが軽く吹き飛ぶ入魂の時間を、バサンダは命と引き換えに追い続ける。
女龍が無理をするなと言っていたのも、すっかり、疾うに忘れて。
・・・気になったニーファが工房の扉を開けなかったら、バサンダは十二個の面を作り終える前に命を失っていた。十二の面を作り終えても、女龍に託された言葉を、彼の口から面の引き受け人に伝えることは出来なかった。
ニーファはこの日の午後、精霊の水も食事も摂らないまま頑張る友達を心配し、悪いと思いつつ工房に入り、彼を見て止めた。
バサンダの顔はとり憑かれた時の木製の面を浮かばせて、作業し続ける手元は震えていても正確に動いていたけれど、彼の首に紫色の細かい血管が浮いているのを見て仰天した。
山間とは言え、工房の窓も締め切った蒸す温度に、手袋と長袖を着けたバサンダは汗もかかない。首元だけは肌が露出しているので、汗染みのない衣服を追ったニーファの視線が、彼の襟元に止まって気づいた。
いけません、バサンダ、作業を止めて!ニーファは彼の手を掴んだり体を押さえはしなかったが、作業台の前に回り込んで、木製面の幻に叫び、何度も大声で注意をしてようやく、バサンダの手が動きを止めるや、ぐらりと揺れた面師に急いで背中へ回って支えた。
「こんなになるまで!イーアンは、ダメだと言ったでしょう!バサンダ、バサンダ!しっかり!」
あなたが死んだら誰が肩代わりするんです、誰も出来ないんですよと、叱咤するニーファの注意は怒鳴り声に変わり、工房の床に座り込んだ姿勢で、ニーファは声が嗄れるまで・・・反応しないバサンダに怒った。泣きそうな気持ちを懸命に押しやって、怒って怒鳴って、気づいてくれと頼み、これを繰り返して、バサンダの頭部から幻が消える。
木製の面の幻。それが消えても、バサンダは顔に面をつけていた。本物の面を装着した状態で、更に彼に宿った魂が幻を乗せていたと知り、バサンダだけが別世界にいたのをニーファはここで気付く。紐をほどいて木の面を頭から外して脇へ置き、ニーファは目を開けない倒れた男をぎゅっと抱き締めた。
「私のお祖父さんは、私の家族になったあなたを死出の路へ運びたいと思わないでしょう」
絞り出すような声で呟いた小柄なニーファは、バサンダを引きずる形で工房から出し、廊下続きの客間へ運ぶ。彼を寝かせてから、精霊の水を持って戻り、動かない面師の唇を少し開けて、匙に落とした水を流しこむ。
「バサンダ。無茶をし過ぎます」
少しずつ匙の水を口に流して、回復を見守る。一口で目を開いた初回と違い、バサンダが目を開けたのは実に三十分も後だった。
目を開けたバサンダに喜び、抱きしめて泣き、『ニーファ』と名を呼ばれた途端、怒りが沸いて怒り出し、ニーファがしつこく説教するのを、倒れたまま聞き続けるバサンダは・・・友達が一頻り怒って落ち着いたところで謝り、そして、見た夢を話す。
「心配させて本当に悪かったです。許して下さい、ニーファ。でも決して、無駄だけではなかったんですよ。私が見た夢を話します。人間が連れて行かれた後、十二の面が揃う砂浜で話す人の夢でした」
お読み頂き有難うございます。
今回のドルドレンの気づきのような事は、忘れた頃にふと出てくるので、出来るだけ繋がりが見えるようにしたいと思います。分かりにくいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。
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