2825. ロデュフォルデン ~山の精霊サミヘニ宛、空の一族『空の子』守番
ロデュフォルデンを開けますか―――――
二重の湖から聞こえた声。驚くイーアンを急かすように、始祖の龍の鱗が光を増す。
100mほど下には、鏡のような湖が二枚。円板状に間隔を取って上下に並び、囲む山々を映す二枚の湖は急に大きく波打った。
「やっぱりロデュ」
下へ降り始めたイーアンが言い終わるよりも早く。波打った水面は縁へ水を寄せて広がり、中心にポカっと開いた穴がイーアンを吸い込んだ。
*****
わッと叫んだかどうか。
抵抗の間もなく、吸い込まれるも一瞬で、慌てて体を捻ったそこは青草生える湖の畔だった。さっと上を見ると、水面は閉じたのか、夜が見えない。昼の空しかない天蓋。
「ロデュフォルデン・・・龍気が満ちている」
入った途端、体を満たした空の息に思わず深呼吸し、どこから差し込んでいるのか見当つかない、日の光に照らされる青草の地面に降りる。空には太陽がないが、丁度、流れ雲に隠されたような明度で違和感はない。
聖なる場所=治癒場は、白い棒が示す光では9か所しかなかった(※302話参照)。
ここまで四ヵ国、どこも二つずつあったから、最後のヨライデは治癒場が一つということになる。
10か所ある情報なので、残りの一つは見えないどこか・・・もしや、ここ?と過ったが、その可能性が低いのも同時に思った。
龍気は人間の肉体を治すが、そもそも人間が来る場所ではない―― 人間は、ロデュフォルデンの目的にはないのだもの。
ロデュフォルデンは、龍族のためにイヌァエル・テレンの龍気を蓄える。なぜ治癒場と繋がりがあるのかと言えば。ビルガメスに相談した最初の会話を思い出す・・・
『治癒場の話もそう。天に人は来れないとファドゥは言いました。でも治癒場と呼ばれる地上の場所から、空へ上がる話があり、空で過ごして癒したと民話で残っているのを見つけました(※514話参照)』あの日の時点では、治癒場から上がった先=ロデュフォルデン、だった。二つは別。
治癒場から上がる・・・ それが本当であれば、手前に治癒場があると捉えて良いのか。
ビルガメスは精霊に直に聞いて『ロデュフォルデン』の風景を私に教えた(※632話参照)。その時、確か彼は、『イーアンを導く者が教える』と情報を加えたので、てっきりタンクラッドだと思っていたら。 ん?あれ?導く仲間って言わなかった?でも現実に教えて下さったのは、ヴィメテカで・・・・・
ここまで考えて、イーアンは、ヴィメテカも仲間と言えなくはないけれど、と額を押さえる。確かに、まぁ。こじつければそうかもしれないが。彼は私と同じタトゥーを胸に持ち、私を友達と認めたし(※他こまごまと仲良い自覚あり)。
精霊がそう言ったわけだから、平たく考えてみると、ヴィメテカでも良いのか(※精霊は大まか)。
ビルガメスが教えてくれたロデュフォルデン情報。地名も、彼が直に精霊から聞いている。
―――『そこは中間の地の、谷が包む大きな泉の近く。お前と共に歩む仲間がそこを知る・・・
お前が近くへ行けば、きっと龍気を感じる。中間の地にあるはずの龍気の溜まりを、これまで俺たちが感じられなかったのは、何か理由があるんだ。理由があって閉ざされているなら、空と繋がるように解放しろ。
そこは昔、誰か中間の地の者が、入り込んだこともあると聞いた。それがお前の話していた、民話のことかも知れない』―――(※632話参照)
ドルドレンがタンクラッドに相談した、地上の民話の始まり(※642話~643話参照)。私もその民話から、治癒場を通過してロデュフォルデンへ行くと思い、ビルガメスに尋ね、ビルガメスが精霊に聞いて『谷に囲まれた泉』と地形や特徴のヒントを得た。
でも。古いティヤーの民話を軸に、アイエラダハッドとティヤー境目の予想から離れがたかった私たちは、その後、度々舞い込み続けた情報に、かの地の候補は『ティヤーの先・アイエラダハッド火山帯の海』が妥当とし、きっとその先にロデュフォルデンがあるのでは?と考えたのだが。
「全然、違う」
ざーっと記憶を遡って、女龍は呟く。
「ここはヨライデですよ。国境では、もうヨライデ」
『火山帯の海のどこかにある治癒場を通過して、ロデュフォルデン』も想像したけれど、関係なさそう。センダラが火山に突っ込めと私に命じた日(※2488~2491話参照)、渦巻いた海の底に現れた絵は見たから、もしやと期待したものの。
「混乱しますね。これが『先走りの思い込みによる、真実への邪魔』か」
想像していた期間が長すぎて、たった今入り込んだロデュフォルデンと、その他の候補地との溝に意識が向いてしまう。しょっちゅう、男龍に注意されること―― 早過ぎる情報と思い込みの狭さを実感。
草地は柔らかく暖かく、呼吸するたびに気道も肺も広がるような開放感を感じる、龍気の満ちるロデュフォルデンとして疑うことは何もない。
「・・・ロデュフォルデン。間違いなく、そう。そして治癒場でもない。事実はこれだけなのよね」
誰かの声がした後でも、誰にも会わずに一人歩く。イーアンを少し放っておいてくれるような数分に、イーアンも特に焦らなかった。分からない尽くしで疑問が溢れたのも最初だけ、私は今、探し続けた地上の龍気が溜まる場所にいるんだと切り替えてからは、不思議な場所を五感で味わう。
始祖の龍の鱗も光り続ける。たまに思うのだが、鱗一枚ですら命を持つ印象が。
イーアンは腰袋から取り出した大きな鱗を片手に、『始祖の龍。見て下さい。ロデュフォルデンです』『あなたがここを造りましたか?』『初めて訪れて幸せです』と話しかけ、鱗にもよく見えるよう傾けたり、一緒に来れた喜びを共有。
鱗は、他で力強く輝いていた光よりも穏やかで、イーアンの手や胴体を照らすほどの明るさではあれ、その光はきつくなかった。それがまたイーアンに、始祖の龍も喜んでいると思わせて、女龍は笑顔のまま歩き続ける。
「嬉しそう」
「ええ・・・ 」
横から聞こえた誰かの声に、イーアンは顔を向けずに微笑んだまま答えた。
「あなたは三回目の女龍」
「はい。イーアンと申します」
「その手にあるのは、初代の」
「そうです。一枚だけ、私は運良く手に入れました」
「彼女も喜んでいますよ」
声との会話に、イーアンが不自然を思わないのは、すぐそこにいると分かるから。姿は見えないが、いる。そしてこの声の主は始祖の龍を知っているので、何も心配はなかった。来たからには話してもらえると、心のどこかで知っていた。
その予感は正しく、次の会話で声は尋ねた。
「今から使いますか?」
*****
姿の見えない声の主は、イーアンが『ここを使う』ために来たと捉えていて、イーアンは足を止め空を見上げ、首を横に振り、『治癒場の一件により、ここに居ると聞いたあなたに会いに来た、目的はあなたと話すことだった』と答えた。
声の返答は少し遅れ、それがロデュフォルデンを開けたことへの後悔かどうか、イーアンはそんな気がしたけれど、声の答えはまた別のことだった。
治癒場と自分に何か関連があるのか?を声は確認し、女龍が人間淘汰の話を教えると、声は『それは私から別の精霊に頼んでも良いか』と許可を求めた。自分はここを動かず離れず、だから協力はするが、他の精霊に話を通すと言う。
「もちろんです。相談に来たので、協力して頂けるならどのような形でも感謝します」
イーアンがお礼を言うと、声の主は『早くそうします』と引き受け、これには治癒場近くにいる地霊が適任らしかった。
「地霊ですが、範囲を広く持つ精霊です。山の精霊サミヘニは、大地の精霊ナシャウニットの関係ですから、龍が頼むことを快く受けるはず。心配要りません。治癒場に入る人間を見守る」
「有難うございます。仮に治癒場に入る人間たちが、揉めたり争いを始めるようであれば、それも制して頂けますか」
「問題ありません。治癒場では動きを封じられるでしょう」
動きを封じられる・・・ 空を見上げていた顔を下げ、イーアンはキトラに聞いた『人形』の話を思い出した。ここでもそうなるのか。どこの治癒場もそうなら、と思うと心配は薄れる。
とにかく、ヨライデ治癒場の位置は確認出来ないにしても頼むことは叶ったので、イーアンは頭をちょっと掻いて・・・辺りを見回し、誰もいない穏やかな風景を見納めにする。もっと詳しく知りたいのは山々だが、今日を始まりとしてまた来るだろう。今は、ここでゆっくりしている場合ではない。
ずっと知りたかった、ずっと求めていた謎の一つが、自分を包む場所として目の前にある。現実に手に入れたも同じ状況で、イーアンの優先順位は『決戦』から動かない。
「また、来ます。改めて」
離れ難いのを押さえてそう伝えると、風が吹いた。イーアンの黒い髪をざっと吹き上げ、顔にかかった髪に一瞬、目を閉じた続き。瞼を上げたそこに、不思議な生き物を見た。声の主、とすぐ分かる。
「あなたが。私と話していたお方?」
「そうです。私は空の一族。空の子」
「もう・・・私、帰ろうと思っていたのに。お姿を見たら帰りにくくなるじゃありませんか」
見たら、聞きたくなることが溢れ出す。今ぁ?と困った顔の女龍に、不思議な姿の生き物が笑った。その笑い方、その目の色は、イーアンが大切で愛する子に結び付く。
「ザッカリアみたい」
「ザッカリア。そうですね」
「ああ。あなたも彼と同じ種族。まさか地上にいるとは」
「いいえ。地上にいません。私はここの守番ですが、地上ではないから」
面食らうイーアン。別れ際に、足を引き留めることが多過ぎる。複雑な心境を浮かばせる顔に、細い龍に似た帯のような、透ける青色の相手は側に来た。
「もう少し、私と話しましょう。女龍」
「名前で呼んで下さい。イーアンですよ。でも私は、あなたの話を聞きたいけれど・・・時間がなくて」
「時間が止まっています。ここなら話をしても、変わりません」
「止まる」
「そう。地上ではないから。時間の影響はありませんよ。イヌァエル・テレンは時間がすこしありますね」
不思議と謎一杯で、それを知っている相手が話をしようと持ち掛けて来て、イーアンが頑張って抗い断ろうにも、時間は関係ないとまで言われたら。
女龍は大きく息を吸い込み、大きく吐き出し、向かい合う相手の、明るい輝くような大きな目を見つめ、『はい』と一言、その場に腰を下ろした。これもタイミング、と腹を決める。決戦前だけど。
相手も満足そうに、女龍の近くにとぐろを巻き、手足のない帯状の体が渦巻いた中心に首を出した。角や背びれを持つ長い胴体は透けており、龍に似て龍とは異なる大気の具現みたいな空の一族に、イーアンはザッカリアを重ねる。
相手は名乗ろうとしてやめ、『あなたが発音できない』のを理由に、空の子と呼ぶよう女龍に頼んだ。
「では、話しましょう。せっかく来て下さったのだから。ロデュフォルデンの約束を・・・それと、あなたはいろいろと質問がありそうだから、それも」
「全部を話して下さるのですか?空の子」
「私は答えられないことを言いません。答える以上、それだけが私の伝えられる限度です」
分かりやすいなと頷くイーアン。話したくなければ話さないし、知らないことは無論、答えがない。あっさりとした返事には適切な範囲が定められている。
「イーアンは、ここに入ってすぐ、たくさんの疑問を持っていたように思います」
「そのとおりです。先に疑問だけ伝えましょうね。ロデュフォルデンの話の方が大事ですが。私がこれまでに知っていたロデュフォルデンとは・・・・・ 」
原っぱに座った自分と同じ丈のとぐろを巻いた空の子に、イーアンは『想像とロデュフォルデン』を話し始めた。
―――そもそも、ロデュフォルデンの名称すら、精霊と交信する男龍(※ビルガメス)に聞かねば知る由なく、この風変わりな地を探し始めた経緯は、『空と繋がる地上』の記録、人間の民話から始まったこと。
想像を重ねるだけで考察まで至らない。参考にする証拠もない。頼りない情報だけが細い糸のように繋ぎ続けた、謎めく場所。
これだけに没頭する時間はない旅路で、すっかり忘れた頃、思い出させるように情報は与えられた。各地で、ロデュフォルデンらしき印象の話や伝説に触れるのだが、壊れた壺を組み立てるより難しく、断片的な情報は無いより良いにせよ、何が明らかになるでもなく、ただ持っているだけに過ぎなかった。
そうした中で自分たちが、ロデュフォルデンの候補と場所を定めたのは。
経緯からティヤーとアイエラダハッドの海の境目にある、壮大な自然現象が民話の地ではと思い始めた。
自然現象もさることながら、そこでイーアンが『水を噴き上げた』行為により海底の絵が見え、精霊の絵だと仲間に言われ、これがロデュフォルデンに近い、もしくは入り口ではと誰もが思った。
また、ティヤーの創世時代から残る霊の話で、ロデュフォルデンらしき場所と行き来する船を龍と紐づけていたり(※2604話参照)、バサンダにも『龍境船』伝説を聞いたり、遥か昔に沈んだ大きな島が、北はアイエラダハッド火山帯辺りまで延びていたなど、裏付けと思える情報もあったから疑いは薄れていた。
空の子につらつらと話したイーアンは、男龍の返答内容も教え、囲む高い山々をくるっと指を回して示し、『まさしくこの風景ですが』と見回す。
「海の火山帯が、滝を落とす具合で海水を引き込む様子。自然現象でも起きるとなったら、その先にこうした場所が在ると民話でも書いてあったし、海が候補地と思っていました。違ったけれど」
話しを終え、うん、と頷く女龍。空の子も頷く(?)。
「ここに、人間が紛れ込んだことはあります。ですが、民話とは違うでしょう」
「紛れ込んだことがある?そうなのですか?民話とは違う、と仰いますと、海の火山から引っ張り込まれる楽園は」
「別です。そして、創世時代の霊が何を話したか分かりませんが、イーアンが龍境船と呼んだ船は、人間のために存在するわけではないです」
「えー・・・と(※困惑)」
「はい。では、質問に答えるのは後にして、ロデュフォルデンの話にしましょう。聞く内に、質問するまでもなかったと思うはずです」
サクッと切り替えた空の子に、残念感をイーアンは味わう(※答え聞きたくなる)。その残念そうな表情に、空の子の細面が可笑しそうに歪み、少しだけ話してくれた。
「龍境船を動かすのは、私たち空の一族です。龍ではない。そして、人の願いを聞くために空から降りることはないです。もしもそう見える行為であったというなら、それこそ・・・初代の龍が一枚噛んだのでしょう。彼女は人間が好きだったから」
一枚噛んだ始祖の龍、と言われ、イーアンは然もありなんと思った。それか、そこか、と頷いて・・・『ではロデュフォルデン』に、話は移された。
お読み頂き有難うございます。




