2819. 獅子の夜・ナシャウニット返答・精霊のトラより勇者候補へ・粘土板完了まで
☆前回までの流れ
夕方にお祈り箱から「小石』が消えたと知ったイーアンは、イングを呼び出すも応じず心配しました。イングは『原初の悪』に囚われており、それを教えたニヌルタと共に救い出し、空でビルガメスにも報告。イングは初めての空に上がり、龍族の縄張りを観察していたものの、地上で地震と聞き忙しく退出。
今回は、獅子の話から始まります。
夜中の地上にイーアンとイングが戻り、津波の被害が起きた各地を見てから、まだ魔物がいないと知ったイーアンは、粘土板集めに切り替えた。
イングに卵の殻をまた戻し、くれぐれも気を付けるよう頼んで離れ、女龍は真夜中のティヤーを粘土板回収で飛び回る―――
同じ頃、獅子も粘土板回収でヨライデを走る。イーアンより発見に手間取るが、獅子は狭間空間の活用と、長い年月を遺跡巡りに費やした経験で順調にこなしていた。
「フェルルフィヨバルでも、いりゃあな・・・もう少し早く済みそうなもんだ」
だがあのダルナは息子の護衛につけているので、息子第一のヨーマイテスは、彼を休ませるほうを選ぶ。テイワグナ沿岸にもティヤーの地震による波の影響は出たようだが、息子が眠る山脈沿いの奥地には揺れもいかない。
「休んでおけ、バニザット。もうじき決戦だ。俺たちも出るかはいざ知らず」
呟いて、次の地へ走る獅子。生き物の姿の消えた地上―― ヨライデからも生物が引いているので、世界中の生き物が身を潜めたんだろうと察する。アイエラダハッドで人間が動物の影も見えないと不安がっていたのを聞いた。ヨライデでも異変に気付いた人間たちが気にし出している。
動物が引いたのは精霊の仕業だろうが、人間淘汰に合わせてのことであれば、生き物が戻ってくるのかどうか。
「三度目は、無言で影響の余波を告げる。死霊もあれもこれも、こっちがどう手を打てば良いとも教えず」
少しは伝えろと思うものの、精霊にそう言えるはずもない。獅子もまた、翻弄の心地悪さを感じながら、決戦の出だしに急ぐ。
テイワグナでは人々を守るどんぐりを撒いて走り回った。アイエラダハッドでは、決戦開始に合わせて水底から出された。ティヤーでは、どう火蓋切る時を迎えるのか。
敵が魔物以外に増え、サブパメントゥは三度目の旅路でも襲う。そこに加えて人も生き物もごっそり消える世界は、『思う存分、暴れろ』と言われているような気がした。
*****
「ナシャウニットに尋ねる」
『魂の足跡を付ける魔導士バニザット。問いの急はないだろうに』
「・・・急を要した。アスクンス・タイネレを通過する異界の念を、俺とラファルは捉える。止めるべきか、見過ごすべきかを知りたい」
『捉えるも捉えないもお前たちの自由。置いて見過ごすならいずれ消える』
「消えるとは如何にしてか」
『吹き溜まりに火が打たれる如く。日を待てないなら消すが良い』
「返答に感謝する。死霊の器とは何かも知りたい」
『同じこと。火の粉が落ち、燃え広がり灰を増やす。灰は風に吹かれて終わるだろう』
動物のような顔を動かさずに答え続けた大地の精霊は、金色の砂に解けて散り、魔導士の尋ねた二つの質問に答えて消えた。
魔導士も魔法陣を閉じ、乾いた風の匂いが残る部屋に佇んで、精霊の意図を考える。
・・・放置していい、思ったとおり、『念』はそうしたものか。
あれらもまた、こちらで片づけられる機会に乗じて、他所から引っ張り込まれたと思える。
淘汰で人間が連れられる前の時期、幻の大陸から出てくる『危険思想の念』が、こちらの世界の危険思想を持つ誰かに乗り移る。外部の世界から来る知恵は、残存の知恵よりも手強いが、残留する期間が短いと見越してだったか。
外部の記憶を実行に移すも、時間がない。例え、行なったところで大した影響もない。なぜなら他の人間がいなくなるから。つまり、『念』をとっつけた人間は、この世界に置き去りにされる前提だ。
「祝福された人間たちとは逆に、悪夢の種を植え付けられた人間も残る。なるほどな。この世界らしいやり方と言えなくもない。
そいつらは残った後、自滅の一途を辿る、と。ラファル・・・お前の意見は、なかなか良い線行ってるじゃないか。精霊の説明そのものだ」
放っておけば、自然消滅。それを待つ前に害を止めることも許される。それは、俺とラファルだけが背負った仕事。
―――『念』の声を聞き、見分ける目を持たされて、なぜラファルにそんな荷を、と思ったが。
『呼び込まれし問う者・ラファルは、時が満ちるまで閉ざされない。足を止めもしない。ラファルの体と休息の域は、魂の足跡をつける魔導士バニザットに許可する(※2163話参照)』
あの日、ナシャウニットが告げた『時が満ちるまで閉ざされず、足を止めない』の意味が分かる。サブパメントゥの枷を外した彼は、時がいつか満ちる時まで、今度は残った『念』を相手に歩き続けるのだろう。
僅かな希望の光が差し込む。魔導士は、ラファルもまた無意味に呼ばれたわけではない男と、少し感じられた。
「さて。感傷に浸ってる場合じゃないな。毛玉(※獅子)が来たら、ヨライデで作っている死霊の入れ物の説明をしてやらないとな。若造に振り回されて、余計な手出しをしかねん」
若造(※シャンガマック)が見つけたらしき、ヨライデの死霊の入れ物について、『念』もあるのに何だかんだと獅子はぼやいていた。ナシャウニットは、動けるものが動けばいいと教え、それが俺とラファルであることを確認出来た以上、毛玉も少しは落ち着くだろう。
「あとは、粘土板だ。幻の大陸が動き出したのは間違いない。収集を急げよ、イーアン」
*****
魔導士が、夜中の部屋で残りの粘土板の数を魔法陣に映し、イーアンと獅子が集めに急ぐ様子を見守る時間。
遠く離れた乾いた大地、延々と広がる荒れ地に沿う高い崖の連なり、その下に橙色のトラは立った。
『テイワグナか。初めて来た』
アイエラダハッドから動かなかったポルトカリフティグは、ドルドレンについてティヤーに出たのが外への一歩。テイワグナも初。ゆっくりした動作で左右上下を見回し・・・黒い濡れた鼻でふんふんと砂のにおいを嗅ぐ(※普通のトラと変わらない)。
『馬車の家族がここに。まずは会って、話を』
呟いた口は、閉じる前に半開きで止まり、トラの目が崖の根元に沿う先を見た。一分ほど待って、先に動いた黒い小さな影に親しみを感じる。こちらを見つけた影も少し躊躇ったようだが、その者は馬に乗って慎重に近づいてきた。
「あなたは。精霊か」
精霊の明るさに照らされ、馬の足を止めた者の驚いた一声は静か。目を丸くし、馬を少し精霊に近づけて、橙色の太陽を思わせる大きな動物に問いかけた。
精霊から目を逸らさず、馬を下りて手綱を片手にまた話しかける。その顔に恐れはなく、期待に高揚する心を抑えつけているよう。
「精霊・・・だな?なんて明るいんだ。まるで太陽が降りたみたいに。俺は、テイワグナの太陽の家族、ジャス―ル・アガラジャンという(※991~993話参照)」
『太陽の家族。ジャス―ル』
「あなたは・・・どこから来たんだ?寝付けなくて気になって来たら、精霊がいるなんて。テイワグナに何かを報せに来たの?」
『ジャス―ル。お前が良いか』
「へ?」
『宜しい。太陽の家族ジャス―ル。私は精霊ポルトカリフティグ。馬車の家族を守り、勇者ドルドレンと共にある』
ドルドレンの名を聞いた若者は、見る見るうちに目が丸くなり『ドルドレン?彼を知ってるのか?』と手綱を離してトラに一歩近寄る。精霊への畏怖はありそうだが、恐れはしない正直な性格を見抜いて、トラは話を続けた。
ここへ来た用事、これから何があるか。なぜ、どうしての理由は触れず、人間はこの世界から消えること。導きに太陽の民が使命されていること。
ジャス―ルは、突如聞かされる、降って湧いた恐ろしい話に困惑したが、何度か顔を手で擦って事態を考えたらしく、話し終えた精霊に確認した。
「俺が。俺の家族が、人間を別の世界に導いて、戻ってくる。そう?」
『戻れるかどうか。精霊が呼べば戻る。その日がいつとは知れない』
「ああ・・・終わりが見えないなんて、恐ろしいことだ。でも、そうか。不安がないなんて言わないよ、だけど精霊が決めたなら努力しよう」
戸惑いが拭えないわけでもないのに、ジャス―ルは引き受けた。彼からこの話を家族や仲間にしなければならないし、押し付けに近い大役を括りつけられたわりに、彼は潔い。
これがドルドレンだったら、とポルトカリフティグは勇者を重ねる。
彼も同じように即決するだろう。だがこの若者と異なる反応も想像できる・・・ドルドレンは、私を安心させるために微笑むはずだと、ポルトカリフティグは大切な勇者が一つ上と心で認めた(※大事)。
だがジャス―ルの態度は、好ましい以外にない。
精霊のトラは馬車の民の若者に、次に起こることを教え、彼はそれもしっかりと頷いた。粘土板を携えた、魂の魔導士が来ることを。
*****
粘土板回収完了まで、あと―――
夜のティヤーを飛び回るイーアンは、自分が近寄ると光を発する粘土板・遠慮なく光る始祖の龍の鱗も気にしながら、地上に降りると走って粘土板を取りに行き、広いところだと滑空して浚うように粘土板を集める。
もう私を見た人もいるだろうと諦めているが、今は民に憎まれていることを気にしていられない。こうしている内に・・・人型動力が動き始めるタイミングではと、その恐れもある。
鳴りを潜めたサブパメントゥの、思い付きや気紛れに似た人型動力。僧兵レムネアクと、イングと私で手を打った『人型対抗用の人型』を用意したにもかかわらず、あれ一回きりで不気味な沈黙を続けている。
でも、時期を見ているとしたら。
人を追い詰め、私たち旅の仲間が、人型に捕まった民を殺す場面を作り出すには、決戦に乗るのが一番、効果が上がるだろう。
地震は起き、津波も起きた。波は高いままで、また地震があると思う。決戦に流れ込むこの出だし、人型動力が地上に放される気もする。
夜中の空に狼煙の煙が散る。風に乗る狼煙は各地で上げられ、民が緊急事態を意識している。
エウスキ・ゴリスカに呼ばれる前、ちらっと見た狼煙の意味も思うが、魔物や地震への危険だったのか。確かめる時間もないし、このまま決戦が始まると思っていた方が良い事態に、更に人々はいつ連れて行かれるとも分からない。
「粘土板。一つでも多く!いつかこの世界に返ってくるために。一つでも多くの道しるべを」
白く光の尾を引いて、ティヤーの回収が済んだらシャンガマック親子の担当分も手伝おうと、ティヤーの夜空を走り抜ける。
こうして・・・飛び回った成果は、夜明けが来る頃に90枚の粘土板を袋に入れるに至る。
夜明けの薄白い青い空、その時間だけが唯一目立たなかったのでは、とイーアンは最後の遺跡で空を振り返った。自分の白い光と、この時間の空は相性が良い。とはいえ、狼煙は夜中もずっと上がっていたし、波は大きいし、普段とは違う緊張の始まりで多くの人が起きていたから、私を見た人は少なくなかっただろう。
龍気もかなり使ったが、イヌァエル・テレンにいたことで回復したのは助かった。なんて忙しい一日だったか。
―――朝はエウスキ・ゴリスカに呼ばれ、戻ってから粘土板集め。昼下がり過ぎにバサンダに話しに行き、夕方は紛失した小石の焦りを抱えてまた粘土板集め。
途中でニヌルタと一緒にイングを救出。夜の始まりはイヌァエル・テレンで、イング同伴の男龍相談。そして、地震。そこからは地上で粘土板を回収に急いで、夜が明けた―――
「夜通し集めて。全部で・・・90枚近くあるはず。ばら撒かれるように分けられていたから、本当に駆けずり回った感じ。地図ももう・・・大丈夫だよね。うん、大丈夫。魔導士に見せて、確認してもらおう」
姿を見られる心配で、出だし鈍ったのも始めだけ。そんな躊躇は邪魔と決めたら、遠慮など吹き飛んだ。もしまだ悩んでいたら、今夜中にも集めきれなかったと思うと、『吹っ切れるのも必要』と頷く。
イーアンは布の袋をたわませて、夜明けの空を魔導士の小屋へ飛んだ。
お読み頂き有難うございます。




