2815. イヌァエル・テレンより応援を・ニヌルタと『原初の悪』
「ニヌルタ」
「どうした」
「俺の持たせた小石が困ったもんだ」
その一言にフフッと笑ったニヌルタが、夜風に吹かれて首を傾げながら、ビルガメスの家に入る。壁のない柱に寄りかかり、仕方なさそうな笑みを浮かべて続きを促す。大きな男龍も横に来て、ふーむと苦笑し、澄んだ紺色の空を見つめた。
「ニヌルタが取りに行くのはどうだ?」
「誰から?」
ビルガメスが回す役目に、ニヌルタも見当は付く。彼がイーアンに小石を渡してやった経緯も聞いているが、放置している状態で奪われるとも思えなかった。とは言え、やりそうな者はいるだろうに、この懸念がなかったわけでもない。
「『その手』からだ。小石を持つのは、イーアンを慕うダルナだが、イーアンはまだ知らない」
そう答えたビルガメスは、現時点のダルナの状況と居場所の特徴を、聴こえたままニヌルタに話した。
「ビルガメス。イーアンが知らないのに、俺に間へ入れと言うのか。お前はいつもイーアンの難題に真っ先に降りたがるのに」
「皮肉か。タムズみたいなことを」
タムズの名が出て二人で笑い(※タムズは嫌味と)、十本角の頭に手を置いた白赤の男龍は、首を横に振りながら『それは確かに困ったもんだ』と友達の金色の目を見た。困ったというわりに愉快そうな顔で、ビルガメスは少し微笑んだ。
「お前が怒りだすかと思ったが」
「・・・いや。怒らない。『原初の悪』とイーアンが初めて接触した時は、うっかり呆れた。だが、その後に続く状態を知ると、初対面すら仕組まれた出だしに思う。小石を持たせたのはこちらで、その小石を彼女に従うダルナが守り、『原初の悪』が彼をとなると、もう・・・俺の解釈で合っているとしか」
ニヌルタも首を突っ込む気はなかったものの、短期間で『原初の悪』が事ある毎、イーアンにちょっかいを出すのは、こうなるべき必然と判断する。
イーアンと彼は、世界の渦に於いて―― 統一の日まで ――これを続けるだろう。
そうなると龍族も当然の如く、関わることになるのだ。女龍が翻弄されて黙っている龍族ではないのを、世界は認めている。
ビルガメスもそこに着目しており、更に『原初の悪』が最終的にはこの世界から『女龍を出す』気ではないかと考える。これは早い段階から予測していた(※2129話最後参照)。
「彼女が、あちこちでちっぽけな仕事に振舞わされているというのに」
苦笑して呟いたニヌルタに、ビルガメスも遠慮なく笑って同意する。そのとおりだ、と大きな男龍の金の目が友達に向き、ニヌルタは彼の視線を受け止めて頷いた。
「いいだろう。俺が行く。アオファとミンティンを連れるぞ」
「『原初の悪』が俺を呼ぶなら、俺も降りるが」
「ビルガメスが出てくると調子に乗るだろう」
だから今回を回したビルガメスに理解を示し、微笑みに肯定を見て、ニヌルタは空に呟く。
「この前は、死霊を消したんだったな。二度もお前が続けて降りたら、今度はお前を翻弄したがるだろう。始祖の龍の子として生き続けている男龍は、イヌァエル・テレンでお前だけ」
「母に恨みでもあるのかも知れんな。母は自由だったから」
二人で目を見合わせ、また大笑いする(※始祖の龍のイメージ=好き勝手)。大方、『原初の悪』の痛いところでも突いたんだろう・・・とビルガメスは冗談で話を終え、ニヌルタは彼の肩に手を置いた。
「さて。これから行くが。お前はどうやって中間の地の情報を得たんだ。それだけ聞いておきたい。イーアン経由じゃないのに、なぜダルナが捕らわれたことを知った」
「おお、ニヌルタ。お前は知らないのか?お前ほど、過去も未来も知る男龍はいないのに」
「ルガルバンダじゃあるまいし、時の流れを直に視るのはあいつだけで」
「そうじゃない。知識について言っている。小石だ。イヌァエル・テレンに流れ込む、持つ者の心」
「小石。あれに?そんな連絡手段が備わっていたか?そんなものはないはずだぞ。ザハージャングの檻の欠片、それだけだ。無限龍気の通路でしかない」
この返答に、ビルガメスは少し考える。だが自分にはイヌァエル・テレンの龍気を伝い、小石経由のダルナの心が流れ込んだ事実あり。
ニヌルタが知らないだけではないかと思いきや、眉根を寄せたニヌルタに『以前、イーアンが持っていた小石にそんなことはなかっただろう』と指摘され、それもそうかと思い直した(※普段は興味ないから)。
「ふーむ。となると、ダルナの力か」
「その線もあり得るだろう。ダルナは異界の精霊だ。それと知らず共鳴した可能性もある。四六時中、イーアンといるそうだし、何が馴染んだか分からない」
ニヌルタの意見に若干表情を曇らせたビルガメスだが、ニヌルタは額を掻いて『とりあえず、ダルナと小石を取り戻す』と伝え、イーアンは先に捕まえるとした。
「早めに捕まえろ(※イーアン)。あれは騒ぐと、時間が掛かる」
「俺が相手で騒がない、ビルガメス。イーアンは俺が苦手なんだ」
なぜ、と問い返した男龍に笑い、ニヌルタは浮上する。ミンティンとアオファを空中で呼び、見上げているビルガメスに手を振って。
「俺が彼女を好きだと伝えた日(※1010話参照)から、遠慮がちだ」
「お前だけじゃないだろう、そんなの」
どこまでも冗談めかすニヌルタは、やって来た二頭の龍と一緒に笑いながら夜空へ上がり、残ったビルガメスは自分が一番イーアンを好きだと思っているので不満が募った。
*****
どうでも良い不満を募らせるビルガメスはさておき。
多頭龍と青い龍を率いて中間の地へ出たニヌルタは、ミンティンに事情を伝え、ミンティン了解。まずはイーアンを探すことにし・・・呆気なく捕まえた。
青い龍が女龍を辿り、あっという間に口に咥えて持ってくる。何ですか、どうしたのと騒いでいた女龍は、雲をかき分けた夜の上空、輝く男龍と多頭龍を見て目を丸くした。
「あらやだ。ニヌルタではありませんか。私忙し」
「やだ?何を言ってるんだ。お前のために来てやったのに」
忙しい、と最後まで言わせてもらえず遮られた女龍は、本当に焦っている。やだと言われ、ニヌルタは少し機嫌が悪くなったが、『イーアンはダルナか小石の心配をしている』と見透かし、無駄な挨拶を省いて尋ねた。
「小石はどこだ」
「え。小石」
「分かりやすいな。失くしただろう」
「あの、いえ、失くしたというか」
「龍は嘘をつかないが、お前もつかない。失くしたんじゃなければ、どうなんだ」
困惑が気の毒なくらい顔に出るイーアンは、しどろもどろでミンティンを見たり、青い布を見たり(※助けを求める)。この反応だとダルナのことは知らないので、ニヌルタは教えた。
「小石は、失くしたんだ。イーアン。分かるな?お前に預けた小石は、ダルナと共にある」
「何ですって」
ハッと目を見開いた女龍は、思わずニヌルタの言葉に近寄り、失くしたことを肯定する態度にニヌルタは少し笑った。笑っている場合ではないのだが、イーアンは隠しておきたかった事情を暴露された上、ダルナが持っていると聞き、取り乱す勢いで焦るのが・・・思ったとおりの反応で可笑しくて。
「ニヌルタ、笑っていますけれどね!」
「怒るな。ダルナはまだ無事だろう」
「無事・・・って。イ、イングはどうしているのですか。どこに居るのかあなたは分かって」
「落ち着くんだ、イーアン。これからお前と共に、彼の居場所へ向かう」
「はい」
粘土板集め中だったイーアンだが、ニヌルタが小石とイングの居場所を知り、これから迎えに行くとなれば、最優先事項。良い返事をしたイーアンに頷き、ニヌルタはミンティンから女龍を引き取る。片腕に乗せて、自分を見上げた必死な顔に『お前は喋るなよ』と先に忠告した。
この意味を理解したイーアンは、やっぱりあいつだと表情が険しくなる。ニヌルタは女龍の頭を撫でて『怒るな。そして喋るな』ともう一度言ってやり、次に質問した。
「『原初の悪』の沼をお前は知っているか?凍り付く黒い沼を」
「黒い泉なら」
沼の表現でも近い濁り方ですがと、一方へ―― 北の国 ――に顔を向けた女龍頷き、男龍は『では黒い泉だ』と場所を定めた。
*****
ミンティンとニヌルタとアオファに付き添われ、イーアンはあっという間にアイエラダハッドのあの場所へ到着する(※2096~2097話参照)。
山脈を過ぎ、島と島の合間に氷が浮かぶ海を抜け、冷たい風の吹く空で、植物の育たない殺風景なすり鉢は、空中から受ける龍族の発光に照らされて、凍る地面がギラギラ光った。
威嚇のような、その照り返し。危険を感じさせるあの雰囲気は変わらず、イーアンは息を吸い込む。
「ここの主は、不在に思います」
「呼び出すだけだ」
ニヌルタは金色の瞳を向け、『俺が話す』と短く伝え、真下の黒い泉を狙いに定めた。アオファは彼に合わせて呼応し、ミンティンは見守る。多頭龍の呼応で、男龍の体はどんどん白く輝きを増し、白熱のニヌルタは爆発寸前の星等しく、龍気を膨れ上がらせた。
腕に座るイーアンは自分が無事と分かっていても、この強烈な量と勢いに毎回驚き、ドキドキする。話し合うとか挑発ではななく、これは宣戦布告ではと、若干心配になった一瞬―――
ニヌルタの太い首がぐらッと前後に揺れ、金色の瞳が真っ白に変わる。カーッと輪郭すら失う輝きが弾け、遅れて大地を叩く衝撃が鳴り響いた。やっぱりこうなる!と目を瞑ったイーアンだが、その耳は即、あの声を拾う。
『龍族か。俺の世界によくこんなことをしでかしたもんだ』
あ、と声を上げかけたイーアンの口をニヌルタの手が押さえ、ニヌルタは白い龍気の渦のど真ん中、相手に応じる。
「俺たちの持ち物を返してもらうぞ。『原初の悪』」
『ああ?お前らの持ち物?あれはそういう存在だったか?しかしなぁ、龍族。わざわざ空の天辺から降りてまで、俺の世界を土くれに変える呼び鈴は、さすがに目を瞑ってやれないぞ』
「この程度で抉れる世界など持っていないだろう。ここはたかが、切れ端。違うのか」
『おお・・・なかなか。最初の龍の末裔だけある。未熟な女龍に比べて、お前は俺と対等に渡り合おうとする、その意味を理解しているな』
「女龍を侮辱すると、誰が相手でも許さない。やめておけ」
『ハハハハ!まただ!どうしてそう』
笑い出した声の続きは、ニヌルタによって消される。一瞬より早く、ニヌルタの勢いが爆発を引き起こし、直下の地と周囲の海が宙に砕け散る。イーアン、ガン見。アオファはまだ呼応を続けており、ミンティンはイーアンのいる真横に付く。
『龍族。物を返すとやら、用はそれだけだったよな?』
苛ついた低い声が、落ちて行く岩や水をくぐって届き、顔色一つ変えないニヌルタは答えた。
「そうだ。お前の侮辱も、俺の用事に入っていない」
『ふー・・・なんて強引な、破壊の種族だ。こっちが黙っていてやってるのを』
黙っていてやってる―― ん?とイーアンは眉根を寄せ、ニヌルタの腕に捉まる手が少し強くなる。その動きに気づいてニヌルタは彼女の膝をポンと叩き、重なった視線で『黙する』ことを再度命じた。
「龍気は、俺たちの物だ。それを保護した者もまた、龍の管理。彼女と龍族の許可あってこそ、龍気を所持している」
ニヌルタの返答でイーアンは固まる。もしや、イングが小石を持ってはいけないの?―――
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