2814. 小石消失・囚われのダルナ・七つの封じの『卵』・イング視点『原初の悪』の欲するところ
小石は?――― お祈り箱を覗き込んで、しゃがんだ膝を伸ばし、イーアンは夕方の森を見渡す。
「イング・・・毎日、来てるのよね?私と彼しか、魔法を通過できないはずだし」
ざわっと胸の内側が嫌な感じを覚える。イーアンはお祈り箱をもう一度見て、損傷・位置移動・変化がないことを確認した。それに、動いていない・・・・・ お祈りは?そこも少し気になったが、もしかすると祈る声がなくなっただけかもしれない。
「小石・・・ どこ?」
小石、小石、と女龍は周囲をうろついて地面を見渡す。草が茂る湖の畔、どこかにコロンと落ちてしまった可能性も、一応考慮する。そんなのありえないと、解っていても。小石の龍気は、女龍の私が分からなくなるような弱さではない。あれは流れ出続けるのだ。その辺に落ちていたら、一発で気づくだろうに。
「動揺してる。私ったら」
うろついた足を止め、イーアンは額に手を当てて深呼吸すると、夕方の明るさに変わった空を見上げた。湖の上だけくり抜いたように黄色がかる空が広がり、周囲の森は上部の葉を陽光に煌めかせ、湖には木々の影が落ちる。
誰かが盗った? そんなこと、考えなかった。
私とイングだけが魔法を通過できるように設定した。命じなければ効力は切れず、龍気さえあれば続くのだ。疑ってはいないが、言葉通り、含みはゼロとして『小石が消えた可能性』はイングしかない。
お祈り箱だけ置いて、イングが小石をどうしたのか。考えたくないけれど、イーアンは前向きに幾つものケースを想像した。傾く日に照らされる女龍は、お祈り箱を前にじっと立ち尽くし、イングが小石を持ち出す理由や状況の様々を思ってから、大きく息を吐き、頭を一振り。
「イングに訊けば良いだけですよ。イングを呼んで、何か知っているかを」
彼は、絶対に裏切らない。それは信じている。だからこそ、彼が小石に触れる事情を考えると、考えるほどに怖くなった。イングは何かから小石を守ろうとした線が、この状況では一番強い。この状況―― 決戦前。
ごくっと唾を呑みこみ、イーアンは龍気を広げる。イングを呼び続け、少し休み、また呼んで・・・いよいよおかしいと眉根を寄せた。来ないなんて、今までなかった。これだけ呼んで、イングが現れないことは一度だって。
「イング。あなたまで、まさか誰かに捕まってしまったのか」
この『誰か』が嫌な予感しかしない。あいつくらいだと直線的に決めこみそうな意識を一生懸命振り払って、イーアンは湖から飛び立つ。
お祈り箱は、イーアンがかけた魔法の掛かったまま。ただ、いつから小石がなくなったのか、龍気が足りないから魔法も微弱ではあった。イングの魔法も薄れている感じがしたが、お祈り箱を持ち出しては、もし入れ替わりでイングが戻った時、怪しく思うかもと触らずにおいた。
「イング、イング。どこですか。イング」
何度も何度も、空を駆け巡るイーアンは彼を呼ぶ。飛行中に始祖の龍の鱗が光り出し、近くに粘土板があると気づいて、焦る気持ちを抑え、イーアンは地上へ滑空。人のいそうな島だが、粘土板のある遺跡は島の外れで、細い光が上がる砂浜へ走り、粘土板を回収して急いで浮上した。
「飛び回っていれば、そうか。粘土板は反応する。うー・・・集めないといけないのに。こんな時に小石がなくなるなんて」
粘土板集めを急がねばいけないのだけど、バサンダに話にも行ったし、戻れば小石は無いしで、今日は全然、目標数を集めていない。イングと小石は淘汰に直接関わらないので、イーアンは気持ちを切り替えて粘土板探しを急ぐことにした。
気になって仕方ないが、イングは強い。ダルナの中で最強と、イングも他のダルナも認めている。彼が押さえつけられるなんて、まずありえない。この世界の種族に影響しない特性もあり、魔法の出所も違う以上、条件は余所者だから不利とはいえ、強さはいい勝負なのだ。と、イーアンは信じる。
「イング、無事で。あなたの無事を祈るなんて、失礼かもしれないけど」
粘土板を集めるだけ集めて、それから・・・異界の精霊たちは、減った魔物を見張っていてくれるので、他のダルナを呼ぶのも気が引けて、イーアンはイングのことは自分で何とかしようと決めた。他のダルナがイングの行き先を知っているとは思い難いものある。彼らは横の繋がりがない、単独行動が普通。
「イング」
小石も、勿論だが。あの忠誠を誓うイングが、小石のために何に巻き込まれたかと思うと、イーアンは粘土板集めも気が散って大変だった。
*****
『粘るなぁ』
口から火花が零れ、黒い泉の内側でアイエラダハッドの曇天を見上げる仕草。紺色のフードが背中に垂れた顔は、その角は、色が違うだけで女龍のように見える。
ふー、と大袈裟な息を吐いた精霊は、大きな卵の側に来て、ぼんやり透ける青紫の殻に手をついた。中から冷え切った眼差しを向けるドラゴンに、揶揄う具合で顔を近寄せフフッと鼻で笑う。
『こんなの、俺を相手にいつまでもつと思ってるんだ』
『いつまでも、だ』
『なるほどな。確かに龍に似ているところがある。お前も、あの女龍も、やけに意固地な』
精霊の言葉が終わる前にゴンッと中から衝撃が伝い、精霊は手を放す。可笑しそうに頭を傾げた青鈍色の顔は、瞬き一つしないドラゴンに『気が短いのも飼い主似だ』と呟いて、殻の表面を爪で弾いた。
『お前も名乗らないな。名前はあるだろう?サブパメントゥみたいに、名乗るとマズいのか?』
弾いた殻に人差し指を突き立て、精霊はドラゴンと会話を試みる。
―――通りすがりで捕まえて来たものの。
捕えた途端、あっという間に卵に入った異界の精霊を、アイエラダハッドの古巣に持ち帰った。睨みもせず、訴えもせず、余計な行動は取らない。
こいつが女龍に従うのは知っていたが、龍でもない異界の精霊が龍気を帯びている・・・事情でも裏にありそうだと思ったが、話にならないまま―――
『名は何だ。ダルナ。この世界で精霊が質問するのは二度までだ。親切心で教えてやる』
『俺の名に拘るなと答えておこう。問いには応じた』
これだよと、『原初の悪』は苦笑する。変なところで腹が据わって、頭も悪かない。それに加えて、思考も読めない。記憶を遡ることも遮断する。持ち前の力を戻した異界の精霊が、こうも面倒臭いとは思わなかった。
殻も・・・この卵が、実に手強い。古来の精霊相手にびくともしない存在など、そうそうあるもんじゃない。
『おい。ダルナ。俺は気が長くない。ちょっと喋ろうとしただけで、これはないだろう・・・ もう大きいんだから卵から出て来いよ』
揶揄い気味にコンコンと卵をノックし、『原初の悪』は出て来いと命じる。青紫のドラゴンが長い首をゆっくり傾かせ、『知らないのか』と呟いた。
『なにが』
『俺たちは、決めた者以外に従わない』
『ああ~・・・面倒くせえやつだな、全く。従わないのは勝手だが、俺を怒らせてでも出ないつもりか?お前の従う誰かの足を引っ張るくらい、想像つかんのか』
『つかないな。その未来は現実じゃない』
『ダルナ。調子に乗るな。イーアンはお前程度の相手に躓くくらい、未熟だ』
『俺の主は、誰が相手でも守ると決めたら命を懸けるが、俺は主にそれをさせないだろう』
『鬱陶しい』
けッと吐き捨て、精霊は顔を背ける。言い合いするのも疲れる、この鬱陶しい忠誠心。巨大な卵に守られたダルナを一瞥し、暫く拉致するかと決めた。捕らえたからには、この時点でもう掻き回している。
異界の精霊を消すのは俺の範囲ではないし、喋る気もしない以上、拉致が適当。龍気を帯びる異界の精霊、その裏が女龍の違反であれば面白いと思ったが、すぐに答えが出ないなら、引っ掻き回しがてら・・・
『ダルナ。お前は俺の縄張りで休んでいていい。早めにまた会えると良いな』
背けた顔を戻した精霊が、パンと手の平で卵を叩く。イングは視線を逸らさず黙っているだけ。水色と炎の赤が揺れ動く瞳は、遠のく精霊の背中を眺める。立ち去った相手が小さくなったところで、下の暗がりから急に伸びた古木と共に消えるまでを、目に焼きつけた。
暗闇の中に、泥のような血溜まりが浮いている。
一人残されたここは、床らしい床もなく、冷たく、上を見ると黒い水面の波が縞を作っていた。泥のようにまとまった血溜まりは、夜の始まるアイエラダハッドの水中に泡さながらぷかぷかと彷徨い、イングの卵の回りを浮遊する。
イングは、イーアンを思う。
自分の喉の奥に、イーアンが大切にする小石がある。あの精霊が湖に近づいた時、小石は喉に入れた。何を狙ったかと思いきや、手はこの身に伸び、俺は『一封じの卵』でかわし・・・ここに残されるとは。
イーアンは気付かないだろう。例え気づいても精霊の世界なら、龍の彼女は勝手に入れないはず。
俺を道具に、イーアンが惑わされないことを願うが、そんな願いが通じないのも分かる。彼女がここへ来るためには、あの精霊と交渉必須。交渉は確実に彼女を悩ませる内容。
『イーアン。お前が俺を見捨てられないのが、嬉しいような、残念なような』
馴染んだ期間に、イングは少々しんみりする。彼女は俺を助けるために、損を選ぶことくらい見当がつく。アイエラダハッド決戦で、ダルナを守りながら地面に落ちた女龍の力尽きた顔は、頭から離れない。
・・・卵の殻は、自分が指定した相手以外は壊せない。最強のダルナ・イングだけが使える、『七つの封じ』の一つで、以前の世界から引っ張り込んだ、土産のようなもの。
『この世界でも、有効だったな。俺の存在と紐づいている封じの力だから、使えると思ったが。イーアンでなければこれは取れない』
あの精霊じゃなければ、こんな技は使わなかった。咄嗟の対応でこれを使って免れたのは確かだが。青紫のダルナは尖った爪で首を掻く。
『罰の一つ、反省の一つ。この強力な技は、両刃の剣。最も強力なダルナとして、自らを律するために与えられた封じの一つだ。イーアンにせめて、これを話していたら違ったか』
混沌の精霊。名前を持たず、呼び名で存在し続ける者は、大概がどの世界でも似たような位にいる。
あれはこの世界の中心に近い精霊だと、イングは感じていた。中心を創る一人かもしれない。あの動きは、嫌な思い出だが『過去の俺』と似ているのもあり、普通の訴えで手を打つのは危険であり、難しくもある。
狙いが、イーアンに定められていることも・・・ イングは考える。顔を似せた精霊、角の捻じれも同じ。あの意味は。彼女の状況を乱そうとする理由は。
ダルナの視点で先まで見透かせば、あの精霊が求めているものは、直接関わった短いこの時間でも伝わるが、『あの存在だからこその無意味』に設定されているため、これを理屈で考えるのは無駄だろうと感じた。
『世界をひっくり返す気か。続きも広がりも関係なく。イーアンと・・・彼女と同等に立つ何者か、強力な者を使って。この世界を混沌そのものにするために。支配でもなく、満足でもなく、ただその存在の成すままに』
イーアンに説明しても混乱させるだけだなと思う。
ドラゴンの自分がそうであったように。その役割を押し付けられた存在は、価値観や善悪、多くの種族を取り締まる掟を、思う存分はみ出しても問われない。
だが、イーアンは理解できなくても、彼女の同族は承諾しているかもしれない。同族は彼女を大切に扱うが、相手があの精霊で俺が使われる状況、彼女のためにどう動くのか。
イングは沼底から静かに揺れる水面を見上げ、遠い空にいる龍族に・・・イーアンの無事を願う。
その空、彼が願った先では―――
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