2808. 旅の四百五十七日目 ~別行動:①館長と粘土板の交渉を
一人、徒歩で史実資料館を訪れたシャンガマックは、精霊の衣服(※正確には違うけれど)が目立つ模様であることを忘れており、時々、行き交う人に二度見されながら到着。
この衣服で年がら年中、通しているのもあって今更気にもしていない。何だか人目が気になるなぁと思いつつ、資料館の敷地に入ると、不意に後ろから館長に名を呼ばれて振り向いた。
「シャンガマック!」
「外にいたんですか。館長、おはようござ」
「君ったら、ねぇ!どこから歩いてたの?早く中へ入ろう」
「どこからって?」
笑う館長が小走りに来て、シャンガマックの腕を押し資料館へ急がせる。
館長も出かけていたらしき格好で、大きな鞄を二つ肩から下げる姿。館長に押されつつ、通り側が騒がしく感じて肩越しに見ると、数人の女性が見えた。あれ・・・?もしやと、シャンガマックが口を開くより早く、館長は彼を館内へ引っ張り、扉を閉めた。
「君は、カッコいいんだからさ!これだって目立って仕方ない服だし、ちょっとは気にした方が良いよ」
「俺が目立つ?歩いていただけで」
最近の状況は自分がどうとか、それどころじゃないので、言われて騎士はポカンとする。
この顔にこの服じゃ目立って仕方ない!と館長に笑われ、やっと理解。顔はさておき(※自覚)服は確かに目立っていたかもと、服の裾を引っ張る騎士の無頓着に苦笑する館長は、『君がここで働いてくれたら、客が増えそう』と冗談ともつかないことを言っていた。
「女性が何人かいたのを見た?彼女たちは、君の後ろをついて来てたんだよ。世界の危機を救うのに、女性の相手なんてする暇はないだろうに」
「あー・・・はい。世界の危機ではなくても、そうですね」
おかしな始まり方で緊張も抜け、シャンガマックも笑い出す。二人で笑い合って一息入り、『館長はどこかに出ていたのか』を尋ねると、彼は扉向こうに視線を動かし『郷土資料館へ開館前に行った』と教えてくれた。
「郷土資料館ですか。何かが」
「君に渡した粘土板が、郷土資料館にも置いてあったと思ってさ。気になって連絡したら、あると言うから」
冗談の時間は、あっという間に引き締まる。粘土板の一言で、シャンガマックは館長の鞄に目をやり『あるんです?』とすぐに食いついた。漆黒の目に真剣さを見た館長は頷いて、鞄をポンと叩く。
「次に君に会う時はいつと思いきや。借りてきたばかりで会うとはね。君が来たのは、私に用だろ?粘土板について、分かったことがあるのか?」
「はい。それもですが・・・そこにある粘土板は何枚ですか」
探るように呟いた騎士の視線は、年季の入った黄茶色の鞄から、館長の顔に上がる。館長は暗い廊下を指差して『まずは、資料室へ行こう』と誘った。
*****
館長だけが粘土板を持っている、と思い込んでいたことに、ちょっと恥ずかしくなる。郷土資料館は遺物管理が主だから、あちらにあったとしても当然なのに。
そう思うと、個人的に持っている人もいておかしくない―― 個人の所有まで手は出せないが、気づいたシャンガマックは資料室に通されながら、イーアンに伝えておこうと考える。
それに、個人から譲ってもらうのも難しいのであれば、勿論―――
「貸し出してもらったから、返却するけれど」
鞄のカブセを上げた館長は、中から白い箱を取り出して借りた期間を伝え、シャンガマックは眉根を寄せた。博物館の所有では、返さないといけない・・・ どうしようかなと、頭を掻く騎士の戸惑いは目に見えて分かりやすく、館長は騎士の困った顔に首を傾げる。
「どうした」
「はい。あの。粘土板のことなんですが」
言い出しにくそうなシャンガマックに椅子を勧め、館長も机を挟んで向かい合う椅子に腰かける。机の上には、白い箱から出した粘土板がきちっと並ぶ板。固定された粘土板の板は、綿を挟んで三枚あり、一枚の板に粘土板が5枚置かれ、板二つは5枚ずつ、最後の板は4枚だった。
目の前に、14枚の粘土板。口ごもって言葉を探すシャンガマックは、館長がこの前集めた粘土板は、残りどれくらいあるかを先に聞く。館長は背後の棚に乗せた金属の箱を取り、借りた箱から少し離してそれを置き、中から回収した粘土板を出した。彼の持つ分は、6枚。
―――つまり、ここに20枚の粘土板があるのだ。
館長曰く、シャンガマックに預けた5枚と、自分が持つ6枚は恐らく同時期のもので、借りてきた粘土板はもっと古い時代に作られた可能性があると言う。
時代検証は、郷土資料館ではすでに調査済で、テイワグナ沖に沈んだ島と同じ時代を推定されていた。
どこを以て判断するのか分からないが、テイワグナ沖に運ばれていた遺物と見つかったこと、もう一つにこの粘土板とされている壁面彫刻があることが理由、と館長は話した。
じっと耳を傾けて、机に置かれた粘土板を見つめる騎士に、館長は静かに尋ねる。
「シャンガマック。預けた粘土板を今、持っているのかい」
さっと目を上げた騎士は、小さく首を横に振って答え、館長は彼の返事を待つ。褐色の騎士は息を吸い込むと、話を伝える覚悟を決めた。
言えば、欲しがっていると思われるだろう・・・ 譲ってもらえなくても、館長から奪うなんて出来ないが、博物館にあるのを俺の先祖の魔導士は把握していると、父に聞いたばかり。
俺は諦めても、先祖は気遣いなど無駄と一蹴して、呆気なく奪う気がする。もしくは、イーアンが来るか。イーアンは話し合いを望むだろうけれど、返せる保証がないのは同じ。彼らが来るよりは、俺がどうにかするべきだ。
言い難い、でも言わないといけない。面を上げたシャンガマックは、真向いでじっと見ている館長に『この粘土板は』と話し始めた。
預かった日から探し始め、使い道も考察しながら他の国でも見つけたこと。
自分たちとは異なるきっかけで、仲間も粘土板を探していること。
現時点で分かっている粘土板の使い道は、館長が主観と教えてくれたことと近く・・・異界で使う物であり、そしてこれから使用されるだろう、ということ。
館長は微動だにせず、小刻みに頷きながら一分足らずの報告を聞き、『うん』と声に出して話を止める。
「その言い方だと、ここにあるのも求めている。そうかね?」
「はい。事情は・・・言うのもあれだけど」
「話せることなら話してくれ。私は探求者で研究者だ。だから好奇心も人一倍強い。とは言え、口が軽いわけではないよ。他言無用らしいのは、君を見ていれば分かる。教えてくれないか」
「そう・・・ですね」
歯切れ悪い返事を低い声で落とした騎士は、館長から目を逸らして小さな溜息を吐いた。最初の頃を思い出す。
ヨーマイテスが、館長を脅して自分を連れて行った時、あの時の館長の取り乱し方が脳裏に過った(※1122話参照)。彼は、大きな存在が遺跡を壊すことに怒ったのだ。今も、この粘土板を引き取りたい・そして、使って戻せないと言ったら、どう受け取るだろうか。
館長と付き合いが生まれて、こちらへの理解も深くなってくれたけれど、心配は残る。
数十秒ではあったが、黙っていた騎士の心の忙しなさを見守る館長は、彼が話してくれるのを待ち、咳払いと一緒に視線を戻した彼を促した。
「私への心配なら不要だ。期待を裏切るような真似はしないよ」
「はい。館長、あなたは俺を弟子と呼びました。破門はされたくありませんが、今から話すことであなたを怒らせたら」
「怒らない、と言ったつもりだ。私が感情的になると思わなくて良いよ」
「・・・借りたいんじゃないのです。貰いたいんです。これから、世界中の人間が連れて行かれる。ただ一部の人々を除き、別の世界へ連れて行かれる予想がされています」
「なんだって?まさか、それが民話に残る『異界』じゃ」
「そうだと思います。人間は、移動した先・・・異界を彷徨うのではと、そこまでは調べたのですが、この世界に戻れる可能性も消せません。それには、この粘土板が必要だと分かりました。使う以上は、返却の保障は出来ないでしょう」
唖然とする館長は瞬きを何度か繰り返し、真っ直ぐな眼差しを向けた騎士に、呆けたように頷いた。
「私たちが・・・ 異界を通過するための道具、と」
「館長。訂正します。テイワグナの民は、ほとんどがこの世界に残るはず。まだ確定ではないですが、傾向としてあります」
「君は。シャンガマック。途方もない道にいると、いつも思っていたが。出会った時から、君はまるで聖職者のようだと、感じてもいたけれど」
荒くなる息を何度も唾を呑んで落ち着かせ、館長は額に脂汗を浮かす。滲んだ汗が小さな光を撥ね、大きく深呼吸すると、頷いた。
「そんな凄まじいことに関わっているのか。弟子どころか、私が導かれているよ」
思わぬ一言に驚くも、シャンガマックは硬くなった表情を少し崩して微笑み、いいえと、首を横に振った。館長は目をぐっと瞑り、額の汗を片手で拭うと目を開いて、粘土板を見た。
「テイワグナ人は残るのか。理由は」
「祝福の雨を、受けましたか。館長」
「魔物が終わった日の雨か?もちろんだ。私も護衛も、旅の帰り道だし」
今度はシャンガマックが頷き返し、『それなら、残るでしょう』と太鼓判のように伝える。
「確定じゃないんだろ?その傾向がある、と君は言ったし」
「今のところ断定はできませんが、残る確率が高いんです。残るに値する条件を受けている時点で」
「祝福の雨・・・か。そうだな。あの日は、誰もが外へ出て歓喜の雨に打たれたんだ」
館長はそう言って、椅子の背に寄りかかり、腹の上に両手を載せる。じっと粘土板を見てから、騎士の顔に視線を戻し『じゃあさ』と提案。
「私と一緒に、郷土資料館へ行こう。時間がないなら、次回でも良い。あっちの館長にこれを譲ってくれと一緒に頼むんだ」
「館長」
「もちろん、彼にも話すことになるよ。でもあの人も口は堅いし、度胸がない人じゃない。責任感も強いし、テイワグナ人が残されると知ったら、戻れる家を守る心意気で、粘土板を譲渡してくれるかもしれない」
「おお・・・あなた方は。やはり、尊い人たちだ」
信じてくれたこともそうだが、ここでもテイワグナ人の精神に触れて、シャンガマックの目に感動の涙が浮かぶ。真っ黒な瞳が潤んで、声が少し震えた騎士に微笑んだ館長が、机の上の粘土板を箱に戻し始めた。
「時間は?もし今、まだ時間があるなら今でもいいよ」
「・・・館長は、都合が」
「世界の危機がいつ来るか分からないんだろう?古代の遺物が、未来の橋になる瞬間だ。先延ばしになんかしない。君に『檻』を託した時だって、私はそうしたじゃないか」
涙が頬を落ちるシャンガマックは、顎を引いて『はい』と声を絞り出す。袖で涙を拭い、顔を向けて、力強い笑顔の館長に『行きます』と答えた。
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