2807. 祝福の雨の報告 ~夜、面工房・翌日、警護団にて
「ニーファも・・・この世界に残れるのですね。彼の家族も仲間も」
「テイワグナ人の多くが残る可能性が高い。よその国は連れて行かれるだろうが」
テイワグナ・カロッカンの町の夜―――
夜に訪れた騎士を出迎えた面師バサンダは、急ぎの報告に胸を撫で下ろす。
ニーファは、工房先の親戚宅に寝泊まりしており、バサンダが工房に籠っているため、夕食後はニーファも長居せずに引き上げている時間。
制作に没頭するバサンダも、誰かの訪問に応じるなどは難しいのだが、この夜は勘が告げて手を止め、工房から店へ移動したら、扉前に立った褐色の騎士と鉢合わせた。
来たばかりと分かる彼の足の止め方に、バサンダは扉を開けてすぐに用を伺い・・・ この奇跡の報告は、扉口での挨拶代わりだった。
「自分たちだけ残って喜んではいけないと思いますが、正直、ホッとします。この世界でまだ、私たちはやらねばならないことを続けられる。許可が出ていたのですね」
バサンダは、ニーファと同じ目を持っている自分に安心した日を思い出す(※1424話参照)。
和やかな夕食の宿で、総長たちの会話を聞きながら『面師』としての自分を重ねたのだ。今も、これからも、この世界に残った人間として、真贋を見分ける目を据えて、選ばれた続きをしっかりと握りしめて良い、そう告げられた気分だった。
褐色の騎士も神妙な顔で頷き『国民のほとんどと思しき人数が残るとなると』と、一旦言葉を止めて星瞬く空を見上げる。
「テイワグナ・・・この国の誰もが『存続する人間』に選ばれたと受け止めて言い過ぎではない」
何故この国だったかなんて、精霊の意図は知る由ない。ただ、選ばれたのは事実であり、こうなると知らなかった龍のイーアン、妖精のフォラヴが祝福をしたのは、まさに奇跡と言えるだろうと呟いた。
控えめに喜んでいる面師を暗がりで見つめ、シャンガマックは一呼吸置いてから、言い難い余分も話しておく。小さな溜息を吐いた騎士に、バサンダも気づいた。
「どうしましたか」
「確かに奇跡的で、喜ばしいとは思う。だが、これもまた苦難の続きであることを、俺は奇跡の報告と共にしなければ。魔物が終わったとはいえ、サブパメントゥの襲来はある。彼らは古から存在する種族で、人間と腐れ縁だ。魔物と違って、回避が非常に難しい」
「サブパメントゥは、私が初めて頼ったあの日。あなたのお父さんもそうでは」
そうだと頷いたシャンガマックの表情は硬く、バサンダは緊張する。性質の良いサブパメントゥもいるが、人間を襲うだけのサブパメントゥもいると伝えた騎士に、どのような被害を受けるのか、例えを聞かせてもらったバサンダも相当な危険を感じた。
「集団ですか」
「テイワグナではすでに被害が出ている。警護団のバイラさんは、出没地域と被害報告をまとめている(※2731話参照)。サブパメントゥ襲撃は、過去にも大々的にあって、壮絶だったとも聞いている。この辺はなかったのか・・・ 俺が巡った地域では、村が一つ潰滅するなども、度々あったようだが」
良いサブパメントゥもいるけれど、判別するには現れてみないと分からない。つまり、出くわしたら一か八か。出くわした時にはもう遅い、そんな場合も少なくはないと忠告され、面師は唸った。
「襲撃は、必ず増えるのですか?今はまだ・・・噂も聞こえてこないけれど」
「ティヤーでは動きが増えている。人間淘汰で大勢が地上からいなくなった後、サブパメントゥも勢いを増すと思う。そうすると」
「生き残っているテイワグナに集中する可能性。そういう意味ですね?」
喜んだ側から危険を知ったバサンダは何とも言えない。シャンガマックも気まずく、淡い茶色の髪をちょっと掻いて謝った。
「ぬか喜びさせて、すまない」
「いいえ。単純に助かったと思い込んだのが、早計でした。まだまだ知らない危険があるのですよね。でも。でもね、シャンガマック」
バサンダは息をスッと吸い込む。生き残った民が恐れに見舞われるか、それとも別世界へ旅立って不安に陥るか、どちらにせよ―――
「人間に課題がある。辿り着く理解はそこに在ると思いました。私たちは平和な時であれば、人間が一番賢いと思って過ごしている。一つ足場が崩れたら、どれほど脆く弱々しい生き物かを知ります。世界はこの弱い人間たちが存在できるように、大きな愛と精霊の補助で回っていて、それを思い出さないといけない」
「バサンダ」
「だから。私がサブパメントゥの手にかかって殺されるとしても、最期の瞬間まで・・・ 守ってくれるこの世界を・・・再び人間が平和を迎えるその日に向けて、私は伝えようと思います」
「おお、あなたは」
シャンガマックの片腕が伸ばされ、面師の背中に回って抱き寄せる。『あなたは強い』と胸打たれて褒めた騎士を抱き返す面師も、『シャンガマックたちが戦う理由を自分も見た気持ちです』と答え、体を離した。
「あなた方はずっと。今、私が感じたような思いと共に戦い続けていたんですね」
「そうだ。常に、俺たち全員がそう答える」
「・・・シャンガマック。テイワグナ人は、きっと理解してくれます。私は奇跡の報告をニーファにも話します。喜ばしいだけではない、危険についても。でもニーファもまた私と同じように、気づき、意志を固め、挑むでしょう。大いなる世界のために、人間として出来ることを伝えねばと闘志を奮い立たせるはずです」
夜の中に立つ二人は、店の扉を開けた戸口で静かに会話しているが、熱は籠る。シャンガマックは感動して目を強く閉じ、パッと開けて頷いた。
「頼む。俺の言葉を、誤解のないよう伝えてほしい。またすぐに様子を見に来るが、明日は警護団にも伝えるつもりだ」
「任せて下さい。ニーファに話し、ニーファから親戚や友達、家族に伝わり、彼らからまた繋がりを辿って『奇跡と自覚する義務』は広がるでしょう」
壮絶な運命を乗り越えた面師の構え方は違う。騎士は彼に敬意をもって頭を下げ、この夜はここで終わりとする。また、と挨拶して別れ、夜の山道を戻りながら山林でダルナを呼び、ダルナと共に寝床へ戻った。
「明日は、館長とバイラさんに言おう」
「『聞く耳のある人間が選ばれた』という意味だろうな」
フェルルフィヨバルの返事は、シャンガマックに染み渡る。テイワグナ人の性質だからこそ。彼らが残る方に選ばれた理由を・・・何となく感じた。
*****
夜間に訪れた獅子と話したシャンガマックは、明日、館長から粘土板を受け取る相談に行くことに決まった。それから、警護団にも祝福の雨について話すつもりであることを獅子に打ち明け、獅子に何か言われるかなと思ったのだが、珍しく反対されなかった。
『残る奴らが、サブパメントゥに撹乱された時代を振り返るには、早い方が良い』と助言めいた獅子に、シャンガマックは考えた。つまり・・・バイラさんに、サブパメントゥ襲来の歴史を参考に、と言えば良いのか。そう考えていると、獅子と目が合って頷かれ、騎士は笑った。
「有難う」
「礼を言われることじゃないだろ」
でも有難う、と獅子の鬣を撫でる騎士に、ヨーマイテスは満足。仲の良い親子は『奇跡』と『祝福の雨』により、ほとんど残されると分かったテイワグナ国民が、果たしてどれくらい無事でいられるかも話し合った。
そもそも、淘汰の流れで連れて行かれる展開に視点を置けば、彼らテイワグナの民は置き去りである。どちらを向いても暗い未来だけれど、これもバサンダが言ったように『自覚する義務の一つ』と思うしかない。
埒の空かない話に時間はかけず、獅子は息子を眠らせ、夜は明ける。
午前の粘土板探しはヨーマイテスが引き受けてくれたので、シャンガマックは報告のために、早速、首都ウム・デヤガに出発した。
*****
警護団裏に降りたシャンガマックが以前と同じように門の前まで行くと、たくさんいる警護団の一人が彼を覚えており、すぐに話しかけてくれる。
挨拶そこそこ、バイラは出張に出たと聞き、シャンガマックはちょっと困った。それもそうか、四六時中居るわけでもない。
「何か伝えておきますか?今日はまだ戻れないので」
「そうか。彼が仕事で出ているなら・・・行先を部外者が知るのも良くない。うーん。手紙を書くか」
派手な服の褐色の騎士は、門の前で話しているだけで目立つ。警護団員は道行く人がちらちらと見ている外国人を気にし、『少し中に入ってもらって』と促し、シャンガマックも敷地に入った。
「お時間はありますか?あれば、中で手紙を書いても」
「そうだな。急に来てすまないが、それでは紙と書くものを」
手持ちの紙は資料ばかりだし、炭棒しか持っていないので、手紙を畳んで炭の字が汚れたり、読みにくさに誤解が生じては困る。
警護団員は了解して彼を玄関ホールへ連れて行き、出入りの多い玄関脇の引っ込んだ隙間、背凭れのない椅子を用意して、側の机に紙とインクを出してくれた。
シャンガマックが書き始めると、彼らは背中を向けてくれ、几帳面な態度に騎士はフフッと笑う。肩越しに顔を少し傾けた団員が『何か』と可笑しそうに尋ね、シャンガマックは笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「いや・・・手紙を気遣ってもらって有難う」
「当然ですよ」
「あなた方にも、そんなに遠い未来ではないが、この内容を伝えることになるのだが・・・バイラさんへまず」
テイワグナの言葉でさらさらと手紙を書きながら呟く騎士の、気になる言葉。背中を向けて立つ団員二人は顔を見合わせて、何のことだろう?と興味を持つ。好奇心旺盛なテイワグナ人は、騎士が静かにペンを走らせる音に集中しながら、うずうず(※聞きたい)。
「よし」
自分の名を最後に書いたシャンガマックは、ペンを置く。インクが乾くまで畳まずに待つ。のだが、ちらっと見た団員の動きに頭を上げ、彼らの目つきに笑った。
「どうしたんだ。手紙が気になっているのか」
「バイラ宛ですから、そんなことはないのですが」
「顔に書いてある。あなた方も知るだろうと俺が言ったからだな?」
図星で、へへっと照れ笑いする二人の正直者に、シャンガマックも笑った。でも、笑える内容ではない。どうしようかな、と騎士が笑顔を引っ込めた顔に、団員の若い方が慌てて『無理に聞こうと思わない』と止める。
二人はシャンガマックよりも年下で、一人は入団したばかりのような若さ。好奇心も強そうだが、個人的な手紙の内容を知ろうとはしていないと謝る彼に、シャンガマックは微笑んだ。
「謝らないで良い。あなたたちを見ていると・・・精霊が選んだ理由が伝わるだけに、胸が少し苦しい」
こちらも正直者の男・シャンガマック。言わないつもりがぽろぽろと出てくるので、言葉の端々に引っかかる団員は、また何か天変地異でもあるのかと互いを見て緊張した。
手紙はインクの乾き待ち。広げたまま置いてある。バイラさんに教えてからと思ったシャンガマックだが、不安にさせてしまった様子から、誤魔化すのも難しくて手紙をそっと手に取ると、咳払い一つして『手紙は書いたが』と苦笑した。
手紙と騎士を交互に見る二人の若い警護団員に、椅子に掛けたまま騎士は静かに話し出す。
シャンガマックの声は良く通る。玄関口は出入りも多くて話し声が飛び交うが、褐色の騎士の声は滑るように合間を縫い、若い団員二人の背後で足を止める者が一人、二人。それは少しずつ増える。
「それでは、私たちが」
「そうだな・・・確定でも確約でもないことは、忘れないでほしい。その可能性が高いとだけ。俺が心配しているのは、魔物ではない種族が襲うことだ。その時、また誰もが剣を抜かねばならない」
「テイワグナ人以外は、もういなくなるんですか?この国の」
「魔物の最終戦が終わった日。雨を浴びた者以外は、いなくなる・・・かもな」
控えめに伝えたつもり――― もうじき、世界が変わることを。
精霊の意図により、多くの人間がいなくなるが、テイワグナの民が残るだろうこと。それはあの日、祝福の雨を受けたからであり、残る可能性が出てきたから、自分たちと行動を共にしたバイラに話そうと思ったこと。
そして地上に残った人々も、脅威に立ち向かう恐れがあるため、事前に手を打てたら幾分か違う。そのために知識を増やしてほしいとか・・・そんな話をした―――
シャンガマックは、彼らを信じていた。どこの国でも、盗人もいれば、破落戸だっている。犯罪は多い国だと聞いてもいる。
だけど、テイワグナ人は信心深く、よそのどこより精霊信仰が強い。警護団にいる多くの人たちは犯罪を取り締まる側で、精霊への忠誠に似た心の持ち方も一際に思った。
この話で、『精霊はなぜそんなにひどいことを』と誰かが叫ぶ想像は付かない。
シャンガマックの漆黒の瞳には、若い二人の背後に集まった何十人といる団員が映る。彼らは途中から来客に耳を傾けており、口を挟むことなく顔に不安を浮かべていたが、シャンガマックと団員二人の会話が止まると、一人が挙手した。そちらを見た騎士に、同じ年くらいの男が前に出る。
「あの雨は、龍の声と共に降りました」
そうだな、と頷いた騎士に、彼は向かい合って先を続けた。
「私たちは助かった。魔物からあなた方が守ってくれ、私たちも戦い、魔物が終わった。それでもまだ、試練は続く。そうなんですか」
「可能性だが、在る」
「精霊が私たちを導いて下さいます。このテイワグナに足をつけて踏ん張れと、選んでもらったなら、私たちは戦う」
シャンガマックの頬が緩む。やっぱりな、と心が温かくなった。別の一人が前に出て『魔物資源活用機構の武器も防具もあります』と言った。横の男は『ギールッフで生産量が上がっている』と添え、他の者が『スランダハイから弓も届いている』と言う。
「終わった魔物の材料がなくなっても、他国から運びこまれる材料で、魔物対抗の装備を作っています。魔物が出る国へ輸出していますが、このテイワグナでもまた配れたら」
「そうしてくれ。俺が機構に話しておく」
胸熱くなる褐色の騎士は、彼らの頼もしい言葉を遮って力強く頷いた。警護団員の集まりは、再び襲う恐怖を前に覚悟を固め、精霊の加護を仰ぐ。こんなに信仰心の厚い人々を、精霊も信じていないわけがないと、シャンガマックは嬉しかった。
わーッと熱気が沸く玄関ホール。バイラに書いた手紙のインクは乾いており、気づいたシャンガマックはちょっと笑って手紙を畳む。その仕草に、側で立っていた若い警護団員がそっと手を伸ばしたので、騎士も彼に預けた。
「もう。知れ渡ってしまったが」
失笑する騎士に笑い返した団員は『でも渡します』と頷く。シャンガマックは彼らに送り出される門で振り返り、『くれぐれも誤解が生まれないよう、他言には注意を払ってほしい』と頼み、皆がそれを約束した。
次は史実資料館へ。警護団員大勢に見送られて、シャンガマックは館長に会いに行く。粘土板を全て渡してもらうために。
お読み頂き有難うございます。




