2806. 夜 ~魔導士の女龍・ラファルの刺青と粘土板
小屋に戻ってすぐ、イーアンに呼ばれて出かけ、連れて戻って部屋に入るなり獅子。
獅子は口に咥えた厚い革袋を床に降ろすと『バニザットと俺の分だ』と前脚で魔導士に袋を押しやった。袋は丸く歪み、そこそこ集めてきたと見て分かった。
「明後日には終わらせる」
予定を教えた獅子は、女龍の手にある布の袋をじーっと見る。自分の袋より大きいが、中身は同じくらいと判断。目が合って視線を外した女龍に、獅子が思ったのは一つ。
「お前はどこまで終わったんだ?」
「・・・・・ 」
「テイワグナの館長とやらが持つ分は、明日息子が引き取ってくる。他は」
「テイワグナは・・・ 大体」
歯切れ悪い女龍を魔導士は無視して魔法陣を立ち上げ、獅子は女龍に一歩寄って『話せ』と命じる。
息子可愛さ、息子に無駄な労力を掛けさせたくない圧力がビシビシ伝わるイーアンは、顔を背けて『ティヤーがありますので』と濁したが、今度は『ティヤーはどれくらい進んだ』と聞かれて唸った。
「よせ。こいつはこいつで、やっとかんとならん仕事があるんだ。何でもこいつだけに任せるな」
唸る女龍の肩を持つように魔導士が止め、意外な発言に獅子も女龍も、彼を見る。魔導士は、呪文を軽く繰り返して右手をくるっと回して魔法陣を完成させると、二人の運んだ袋をひょいひょいと引き取り、不服な碧の目に首を傾げた。
「のぼせ上った頭じゃ、理解も追い付かんだろうが。イーアンもお前のところの若造同様、背負った責任で飛び回ってるくらい覚えておけ」
「おい。いつからそいつの脇役になり下がった。ズィーリーじゃないぞ?」
「お前と違って、俺はまともだ。若造に入り浸る毛玉と比べるのもアホらしい」
ぐわッと口を開けた獅子に、魔導士が指を鳴らして固定する。イーアンは凝視。バニザットのご意見尤も(※私も仕事ある)だが、獅子と少々ヒートアップとは。
牙を丸見えにした動けない獅子が睨み、魔導士はその鼻面に顔を寄せて『分担を言い出したのは、お前のはず』と嗄れ声で囁くと固定を解いた。
「死にぞこないが」
「黙ってろ、毛玉」
苛立つ獅子はくさくさして帰りかけたが、イーアンに呼び止められて振り向く。冷たい視線を投げられ、イーアンは眉根を寄せるものの、思い出したことを尋ねた。
「以前、あなたが連れて行って下さった、孤島の僧院」
「・・・何の話だ」
「あの僧院のような『檻』はあると思いますか?」
女龍はティヤーの小さな島の『檻』遺跡を、メ―ウィックの僧院(※2670話参照)と重ね、獅子はピンと来たらしく『ないとは思わない』と返事をし、その後を続けることなく、さっさと影に入って消えた。
「帰っちゃった」
「構わん。どうせあいつに粘土板の意味は分からない。お前は残れ」
「・・・バニザット。今日、もしかしたらだけど。泊ることになってもいい?種類を分けたいのと、どういう状況で可能性があるのかを教えてあげたいから。馬車の民に渡す時、知らないと困るもの」
魔法陣の横に並んだ女龍を肩越しに見下ろし、魔導士はちょっと頷く。ミレイオにでも連絡しておけと呟くと、イーアンは頷いてそそくさ腰袋の連絡珠を取り出し、連絡開始。
・・・こいつも可愛いんだよなと、老人目線の魔導士は思う。ズィーリーとは反対の性質だが、民を思う気持ちは何にも変わらないと、イーアンの一挙一動を見て思う。
ズィーリーは自分から動かず、頼まれたら何でも引き受けようとした。イーアンは頼まれる前に思いつくことを何でも抱え込む。選ぶ行動は違っても、心は同じ位置にある。
二代目の女龍は、納得できない相手でもなければ、誰に泣きつかれても同じ視点を持とうとした。
全ての表情を微笑に隠し、放っておくと自滅しかねない優しさと耐久力は、誰でも真似できるものではなかった。相談もしない、弱音も吐かない、載せられ続ける何もかもに、一切抗うことをせず責任を取ろうとしたズィーリー。
イーアンも、龍気が枯れるまで全力を出す。
補充する余裕がない時、目の前の事態に命を捧ぐ勢いで限界に挑む姿を見た。猛々しく怒号の声を上げ、爆発を連発して大地を切り裂く龍の力を操るのに、小さな相手にすら惜し気なく身を差し出すこいつは、不器用で真っ直ぐ。自己を得た魔物を守った時は、印象に残った(※2158話参照)。
ズィーリーと違って文句も言うし、泣くし怒るし笑うし、喜ぶと抱き着くし。感情の塊みたいな性格だが根本は同じ・・・ この二人から思うのは、始祖の龍もきっとそういう女だったのだろうと。
「一人で何でもかんでも背負う女は・・・見ててやらんと(※僧侶庇護欲)」
「なんか言った?終わったよ」
うっかり呟いた魔導士は、振り向かれて顔を逸らす。終わったならこっちに立てと、視線で立ち位置を教え、イーアンも魔法陣の指定席へ移動。
「獅子に質問していたが、気になった『檻』があったのか」
獅子が放置した半端な返答が気になり、斜向かいに動いた女龍に訊く。女龍は言おうかどうか少し迷ったが、メ―ウィックの孤島僧院も併せて『牙に見える遺跡』の様子を話し、魔導士は見当をつけた。
「先に言っとくが、俺も『檻』は詳しくない。三度目の旅路であれこれ出てくるから関わったものの」
「昔から在っても、興味がないと」
「目的と興味、だな。まぁ、ただ俺が教えてやれるのは、サブパメントゥで守られているなら、精霊の幻と似た仕掛けくらいは作るだろうってことくらいだ。とはいえ・・・大陸絡みに関わるサブパメントゥとなれば、どいつでも良い話じゃない」
「コルステインみたいな立ち場?私利私欲がないとか、ちゃんと精霊の言葉を聴くとか」
そう捉えるのが無難だ、と魔導士は意見を終え、金色の円盤に目を戻し『手をそこに』と女龍に指示。言われた魔法陣の金色の枠にイーアンが手を置くと、現在の粘土板の残りがパパパパパと上に弾けた。
「視認すると違うだろ。テイワグナは残り、首都だけだ。お前はテイワグナを完了させたな」
「良かった・・・ティヤーはまだまだ」
ティヤーは今日、一ヶ所行っただけ。僻地は、テイワグナ完了を届けてからにしようと思っていた。ホーミットたちの分を見て、早く分類した方が良さそうで今夜は分けるけれど。
昨日は、ハイザンジェル10枚、テイワグナ28枚、ティヤー僻地分6枚。
今日はテイワグナ分だけで21枚、ティヤーはピンレーレーの小島で3枚。テイワグナ後半は、一ヶ所に付き枚数が少なかったために早く終わった。
ティヤーの地図上に出ている数は100近い。
魔導士が言うに『100もない。80そこら』だそうだが、散らされているから効率良く回らないと時間を食う。抜けがないように確認しながら・・・と思っていたところで、魔導士は新しい地図を紙に変え、イーアンに渡した。
「未回収だけの方が、見やすい」
律義な魔導士はティヤーだけの地図を持たせると魔法陣を消し、次に粘土板仕分けを伝える。
床に汚れ用の敷布を広げ、女龍はそこに袋をあけて粘土板を並べ、魔導士は先に受け取った、仕分け済みの粘土板を敷布の外側に置いた。
「新たな袋が必要なら出す」
「うん」
胡坐をかいて腕組みし、並べた粘土板に背中を丸めたイーアンは、それぞれをじっくり見つめ、向きが違うとちょいちょい直し、同じと感じるものから少しずつ分けてゆく。
分ける側で魔導士も突っ立って見ていたが、足音に気付いて扉を開けた。廊下の奥にラファルが見え、彼が手を軽く振り、魔導士も通路に出る。
「どうした。煙草でも切れたか」
「いや。今はリリューがいなくて」
「分かった、結界を」
「バニザット。忙しいのは分かってるが・・・イーアンがいるだろ?」
リリューがいないから報告に来たかと思えば、ラファルは薄茶の瞳を魔導士の背後に向けて、イーアンに会いたそうな尋ね方。魔導士が、まぁいるなと認めると、ラファルは『俺も何か』と言い出した。
「手伝えることがあるかもしれない」
「またお前は・・・そんなこと気にするな」
「役に立たないかも知れない前提だが」
「そうは言ってない、ラファル。休んでいろ、今日も『念』を探して動いた。充分だ」
積極的に役立ちたいと願うのを止めるのも違う、とは分かるものの、魔導士は彼にあまり荷を増やしたくない。精霊ポルトカリフティグの約束も話そうとした矢先、困った魔導士は背後の部屋に視線を流す。
「イーアンは居るが、彼女しか出来ない仕事をしている」
「ああ、じゃ俺は無理か」
「・・・側に行って見てるか?」
妥協でもないけれど。手伝おうと言いに来てがっかりする顔に後ろめたさ。粘土板は隠すことでもない。魔導士が一歩譲り、ラファルは彼の優しさに少し笑って『すまないな』と頷いた。
*****
ラファルの態度が変わった。部屋に入った二人を見たイーアンは、パッと笑顔に変わり、ラファルも微笑んで側へ進んで挨拶し、手を伸ばして女龍の角を撫でる。
座る女龍の角を撫でる姿が、動物を撫でるみたいに見える魔導士だが、実際そんな可愛がり方で、話しかけながら何度も角を撫でるラファルに、女龍もニコニコしていた。
触れるようになっただけで、ラファルの壁が一枚外れたのか。サブパメントゥの枷が消えて、人の体を手に入れた転換期に何を思うのか。無気力だった男に、心が浮かぶ表情が増え・・・ 良い変化を魔導士は見守る。
「これで人間を導くのか。イーアンには、記号の意味が分かるんだな」
「はい。手前にあるのは少し厄介な感じで、ラファルの足元にあるのはもっと」
「水害みたいに見えるよな」
「はい?」
笑顔のイーアンが固まり、ラファルは頬を掻いて『この模様というかな。記号?水を示す文化もあった』と足元に集められた粘土板に視線を落とす。
魔導士もぴくッとして彼を見つめ、驚いているイーアンと目が合った。
ラファルが水と言った粘土板は新しく分けた群れで、イーアンは魔導士に話していない。漆黒の瞳が『そうなのか』と目で問い、イーアンは瞬きして『そう』の戸惑いを伝えた。ラファルはしゃがみこんで足元の粘土板に手を伸ばし、触れる前に許可を求め、イーアンは了承。
「大丈夫です。触っても」
「良かった。ほら・・・この角度の連続、水が押し流すふうに見えないか」
「見えます。ラファルは、どこの文化のことを」
「俺のタトゥーにあるんだ」
はたと会話が止まり、同じ高さにあるイーアンの顔を見たラファルが頷き、瞬きした女龍に、見せてもいいと言った。
「イーアンなら物知りだから、知っていそうだ。南米の」
チュニックの腹を少したくし上げ、肋骨下をラファルは見せる。目を真ん丸にしたイーアンは『この壁画を知っています』と脇腹を覗き込んで、腹筋の影を帯びる刺青に描かれた古代文明の絵に驚く。
「この辺、あるだろ?その記号と似たのがないか?」
「ありますね。水、水害なのですか」
「好きで入れたタトゥーだし、大まかでも意味は調べてる。これは水で押し流す神話の一つだ。粘土板が南米の文明と近いわけじゃなくても、古代文明はどことなく似ている要素があると思うんだ」
「そう・・・ですね・・・ 」
口に手を当て、ラファルのお腹に顔を寄せてしげしげ眺めるイーアンに、ラファルはちょっと笑って『背中に続きが』と教えてやる。
興味津々で男の背中の刺青を見せてもらう女龍に、魔導士は眉根を寄せるが(※けしからんと)、彼らの世界に共通する何かであり、また、思いがけず出てきたラファルの知識に続きを待つ。
説明するラファルは、いつものようにぼそぼそと低い声で聞き取りにくいが、楽しんでいる口調で、相槌を打ったり質問する女龍に丁寧に教え、イーアンも自分が知る範囲で確認しては、ラファルが嬉しそうに頷き、数分後に女龍は元の位置に腰を下ろす(※身を乗り出して観察していた)。
「ラファルの刺青の内容を教えて頂いて、私は心強いです」
「役に立ちそうか?でも、粘土板とは違うよな?」
感動した女龍に満足したラファルだが、また別だろうとも分かっており、女龍も肯定するが『ラファルが仰るように、古い文明は似通うものがあります』と粘土板に向き直る。
「この記号。元は絵です。絵は私が思うに、南米とは反対側の文化ですが、やはり水を表しているものです。正確に覚えていない分、迂闊なことは言えませんが」
「それもそうだ。解明するのが目的じゃないしな。これを使う、とイーアンは言うし」
「そのとおりです。使うためにあり、使い道を確認したらそれで良し、って感じですよ」
龍も水に関わるしな、とラファルが顎に指を掛けて、片手に持っていた『水害』の一枚を戻す。こっちのは閉ざされているか?と並びの粘土板の集まりを尋ね、彼を見たイーアンは面白そうに微笑んだ。
「当たっている?」
「当たっています。では、ラファルはこれ・・・何か近いものを思いつきますか」
これ、と女龍が引っ張り寄せた粘土板は、今日手に入れた二枚で、ラファルは目を細め『どうかな』と呟く。
「表現が変かも知れないが、『鉄槌』の印象だ」
穏やかではない、ラファルの表現。二人の会話を聞いていた魔導士が首を少し傾げ、イーアンは笑顔を引っ込めて『近い』と頷いた。
「危険に対して、大きな一撃を与える意味でしょう」
「イーアン。意味が何となく分かる程度じゃ、手伝いもすぐ終わりそうだけど」
役立てそうな運びに、ラファルが思っていたことを口にし、イーアンはニコッと笑った。
「仕分け以外にも、知りたいことはあります。遭遇する出来事それぞれの率や、偏り。
・・・粘土板は、使いたい時に使えるわけではないかもしれません。勝手に力を出してくれるかもしれないし。でも、どんな場面だと生じるのか、前情報が幾つかあるだけで、持つ人たちの気持ちも違うと思います。私の使う技だから、『全部が憶測の空しさ』にはならないとも考えます」
ラファルが口を開きかけたところで、パンと両手を打った魔導士が二人を振り向かせる。
「よし。ラファルは俺と魔法陣だ。粘土板の時代を探る。イーアン、取っ掛かりだけ手伝え。お前が命じるなら、粘土板の時代差が出るかもしれん」
何を思いついたか、魔導士は率先する。イーアンには引き続き、粘土板の持つ可能性を調べさせ、その間、ラファルを助手に魔導士は使用率を探る。
粘土板が使用された時、毎度違う道を通ったなら―――
イーアンの言うことに一理ありと認めた魔導士は、目的を絞って魔法陣を作り、ラファルの意見を聞きながら粘土板の背景を辿り始めた。
*****
夜は瞬く間に過ぎる。途中、魔導士が休憩を与え、その時に『馬車の民を守る精霊から』と―― ラファルが粘土板を渡すのではなく ――精霊が指定した人物に渡すことが決まった、と教えた。
「馬車の民の、誰かに?」
イーアンが、ドルドレンではないのを確認すると、魔導士は彼女に『テイワグナの馬車の民から選ぶそうだ』と答え・・・ イーアンの脳裏に、あの若者の姿が浮かぶ。
「ジャス―ル」
何となく。勇者候補で出会った彼が、もしやその役目ではと思った。
お読み頂き有難うございます。




