2805. 立ち入り禁止島で・魔導士と精霊のトラ
あれが立ち入り禁止の場所、と局長の指の動きにつられて振り返ったイーアンは固まる。粘土板は細い光を一本、空に向けて放っており、どう見ても不自然。
「お前の腰の袋も、さっきから尋常じゃない光り方だ。それとあれは関係あるんだろ?」
ハッとして腰を見たイーアンの目に、燦々と輝く太陽の如き光量が飛び込む。始祖の龍の鱗は遠慮しない。
「これ。これは。ええと」
「無理に聞こうと思わないが、とりあえずここは」
「立ち入り禁止」
そうだと頷く局長を見上げ、イーアンは唸りながらも・・・『でも。これもお導きか』と思い直した。
ここで局長が私を見つけたのも、彼が私たちへの理解を伝えたのも、祝福をしようと思ったわけではなく感謝から祝福が自然に行われたことも思えば。
落胆と取るか試練と取るかは、局長任せ。どう言いつくろうことも出来ない『これから起こること』を少し教えた。
日が暮れゆく速度は瞬く間。斜陽は水平に近く変わり、空はバラのような赤さを渡す。耳を傾けていた局長は、空の移りを気にしつつ、『じゃ、一先ず向こうへ』と項垂れる女龍の背を押し、歩き出した。
「俺と一緒なら禁止でも問題ない。ウィハニの女が降り立って責められることなんかないが、一応な。で?人間がほとんど消える回避に、祈りも何もあったもんじゃなかったわけか」
「はい」
「でもイーアンもそれを知ったのは最近。それで、こうして動き回ってるんだな」
「はい」
「どこまでも、人間上がりな感じだよ」
見上げた女龍に微笑んだ髭面の海の男は、『そして祝福された俺は、連れて行かれずにティヤーに残ると』と拳で厚い胸を叩いた。ちょっと自慢気に見える彼の癖・・・久しぶりに見たなと思うイーアンは、無理していそうな局長に切ない気持ちで『そうなるでしょう』と答える。
崖に開いた岩穴を潜った先はでこぼこした硬い地面で、砂で表面を覆われ、群生しない雑草がそこかしこに緑を散らす。光の出ている所で足を止め、凹凸の傾斜に溜まる砂だまりに膝をついて、イーアンが砂を両手で払うと粘土板が現れた。露出した粘土板をつまむと光は消え、腰袋の鱗も光が静まり、ここは濃い橙と茜色の夕暮れに戻る。
「そのちっぽけな土くれに、人間の無事の旅が」
「私も、実際に何が起きるか分かりませんし、ついて行くことも適いません。だけど、大昔にティヤーを愛した・・・私と同じ立場の龍は、いつか来る恐れのために、人間を守りたくてこれを用意したと思います。だからきっと、きっと大丈夫と私も信じて」
「ウィハニの女、なんだな。彼女が最初のウィハニ」
「そうですね。ティヤーの海を守る精霊のお友達でもありました。空からティヤーに来ては、気に入った島を歩いたり、そこに思い出を残したりして、遊んだり楽しんだと聞いています」
イーアンの微笑む顔を見つめ、打ち明け話に壮大な浪漫を受け取るハクラマン・タニーラニは感動する。
「すごい話を聞いたもんだ。俺たちの海を、ウィハニがそんな風に。彼女も人間上がりだったとか、そうか?」
「私は、自分以外を知らないのです。多分そうだと思いますけれど、あまりにも昔で記録があるわけでもないし」
素直に教えてくれたイーアンに、局長は『一生の宝になる逸話』と心から礼を言った。粘土板を腰袋に入れた女龍に、今度は局長が立ち入り禁止の理由を話す。
「この場所の禁止理由も、とりあえず教えとくか。これだけのために来てさっさと帰るなら、意味もないかもしれないが」
「・・・理由は何だったのですか?見た所、危険そうな感じはしません」
「船が近づくと波が荒れる。そっちに古代の名残みたいのあっただろ?遠くから見ると、その崖の穴が口に見えて、手前の遺跡の石が牙みたいに見える。さしずめ、粘土板があった場所は『喉の奥』って理解だ」
飲み込まれるように見えるから、呑まれた先に呪いがあると思われていた。
でも、とイーアンは穴を振り返る。振り返った足を進めて遺跡へ戻り、『牙には遠い、ほとんど埋もれた石の基部にそう見えるのは不思議だ』と話すと、局長は『海から見ると、突き出ている』と教えた。
「これが?今も、探さないと砂に隠れてしまうくらいですよ」
「でもそう見えるんだ。あっちとそっち、両側に柱みたいにな。人の肩までの高さがある柱が突き出ている風に・・・ 俺も小舟で来たが、波が返してどうなるかと懸念した。お前がいると思ったから、今なら特別に通れる気がして上陸した」
そうだったんだー・・・イーアンは改めて、粘土板のあった方を振り向く。何の変哲もない夕焼け受ける島の風景に、危険をはらむ想像が出来ないが、局長も腹を決めてきたと知ったら。
「私は遺跡に詳しくありません。それに、ここはほぼ埋もれて、特徴も分かりにくいですけれど、仲間が見たら『どの種族の遺跡』か、それくらいは分かるかも知れませんね」
龍じゃないのかと聞かれ、イーアンは首を傾げ『違うような』とそう思わない返事をしたが、解らないのは本当なので話はここで終わった。
遺跡は侵入者を遠ざけ、ずっとこの場所を守っていた――― それだけは確かで、シャンガマック辺りに聞いてみることにし、イーアンと局長は島を離れる。
「まだ、ティヤーを巡るんだろう?俺が手伝うのも出来そうだぞ」
「嬉しいけれど、あなたに迷惑を掛けたくないです。私の名が出るだけで、あなたまで」
「俺はそんなことを気にしない。部下が製品を使わない選択を許可し、イーアンたちの行為を拒否しても、俺は俺だ」
ニコッと笑ったイーアンは、砂浜に乗り上げた小舟に局長を乗せ、龍の腕に変えて舳先を海へ引く。そんなことしなくて良い、と言われるが、微笑んだままのイーアンは翼を広げてゆっくり風を打ち、舳先を掴んだ白い龍の腕を煌めかせて、一緒に海へ滑り出す。
6翼を動かして船を導くイーアンに、ハクラマン・タニーラニの胸は満ちる。
ウィハニの女が、たった一人の男のために舟を引いてくれるとは。自分が最初に会った時の態度を、今は傲慢に感じた。
自分なりに尊敬しているつもりだったけれど、イーアンは『私に命令してはいけない』と言い渡した。悪かったと謝ったが、今思えばまだ理解は足りていなかった気もする。
続いた様々な出来事の決定打は、アピャーランシザー島のサーン農家の一件で、総長が奇跡を起こした日。あの日、精霊の力を使うにあたり、彼の部下(※シャンガマック)は『精霊のことも考えるように』と進言し、目から鱗の印象が残った。
上手く言葉にならない――― 白い龍の鱗に覆われた鋭い白い鉤爪が、気遣って掴む、使い込んだボロイ舟の舳先。波の間をウィハニの女と進む、この時間。
彼女も・・・彼女の範囲で、心を伝えてくれているだけだ。
伝えたい時、彼女の伝え方で。それを人間のこっちが『そこまでするな』と言っては要求になるのも理解できるようになった。
「有難う」
沈む夕日の逆光に影を作る女龍へ、静かな礼を呟く。振り向かない穏やかな横顔に感謝した。
「何かあれば。俺に出来ることはやる。言ってくれ」
「はい・・・ お願いすることもあるでしょう。地震が、この地震が激しくなったらその時は」
満ち潮の波音に会話が消え、イーアンの翼が少し大きく動いて風を起こし、小舟はアリータック側まで移動する。視界に入ったところで、局長は『もうここからは』と言いかけたが黙り、笑顔の崩れないイーアンは『もうちょっと』と繋ぎ、アリータックの人目につかない浜近くへ連れて行った。
「また。私も会いに来ます」
「待ってる」
舳先から龍の手が離れ、一層笑みを深めた女龍を逆光の最後の光が縁取る。壮大な空を背負う女の懐深い笑みに、ハクラマン・タニーラニの首は深く垂れ、これを挨拶とした。
夕暮れに消える白い流れ星を見送って、局長は波の音と風以外が聞こえないことを思う。
打ち明け話で『イーアンも知らなかった』そんな類の秘密もあるのかと知り、女龍に気遣わせそうで言うに言えなかった。
「魚が消えたんだ、イーアン。鳥がいなくなっただけじゃなく。そこら辺を歩くカニも、船に付いた貝も、何もかも。急に消えちまった。
お前はさっき、夕空に呟いた。『地震が激しくなったら』と。それがティヤーの、人間の消える合図か?・・・もうすぐだから、生き物も消えたのか?」
始まってから、数時間ごとに感じる地震。
生き物の気配が消えた島。飼育している動物は見ても、野生の動物がどこにもいない。
生き残ることになった局長は、残り何日―― もしかすると明日かも知れない、大きな変化を前にすべきことを考え・・・ アリータックの弓工房へ向かった。
*****
この夕方。朝から『念』の掃除で動き回っていた魔導士は、ラファルを小屋に戻してから再び出かけ、精霊ポルトカリフティグを探した。
馬車の民の誰に、粘土板を渡すのか。ドルドレンがこの時期に地上から席を外しているということは、彼が受け取る役ではないと判断したからだが。
「ラファルに持たせるのも気が進まん。イーアンとエサイは候補にもならんが」
彼ら三人が、人間を別の世界へ送り出す扉を開く。
開けたらお役御免で戻るようだが、その時にラファルが馬車の民に粘土板を持たせるのは、何だか胸騒ぎがしてならず、もしやラファルも巻き添えかと最悪を想像したら、その可能性がある以上、回避させたくなった。
「『三人は一緒に行かない。戻ってくる』、そう明言されてはいない。そう解釈できるってだけでは安全じゃない」
ぶつぶつ不安を零し、魔導士は精霊ポルトカリフティグの動きを辿って、砂浜まで森が広がる島へ降りた。
ポルトカリフティグの痕跡など、相手が精霊だけに魔法陣でも出てこない。だがそこは魔導士で、自分の精霊の魔力と馴染ませ、目的の精霊を呼び出すに近い形で後を追った・・・ 呼び出す気はなかった。赴いて話しを、と考えていたから。
「すぐに移動しちまうからな。この辺りで止まっていてくれれば良いが」
気配もない、移動する精霊。昔、二度目の旅路で会ったこともある。三度目はアイエラダハッドから出てドルドレンと行動を共にするようだが、今は―――
『大地の魔法使い。私を探したか』
「おお、いたか。ポルトカリフティグ。そのとおりだ。尋ねたいことがある」
不意に現れた大きなトラ。橙色が強く、夕方の光に馴染む体色は、更に強く輝いて存在感を増す。その目の緑色は、北の国の森林のように深い。面と向かったのは久しぶりで、魔導士は現れたトラの精霊に敬意を表して一歩下がった。
『お前も魂の足跡をつける者。魂の川すら、お前は不要。人を越えたバニザットよ。何を聞きたい』
「粘土板というものがある。馬車の民が持ち、渡る世界を行き来する道具。この世界を出て、いつか戻る人間たちのために、俺はこれを集めている。集めた粘土板を、誰に渡すかを知りたい。適役と思ったドルドレンは不在だ」
知っていそうではあれ、『勇者』の不在も口にする。トラは穏やかで、少し瞼を下げて、それから空を見上げた。
『そのようだ。いつまで彼は戻らないのか、私も気にしている』
虎の表情が寂し気に見え、魔導士は少し黙って待った。数秒の沈黙の続き、向かい合う相手に顔を戻したトラは『粘土板。道具とは何か』ともう一度尋ね、知らない様子から魔導士は実物を見せた。
「これがそうだ。イーアンが今、詳しい使い道を探している。この・・・刻まれたものが女龍の守りだと」
『馬車の民が持つというのか。これを道標に使うと』
「そうらしい。確定ではないが、女龍は理解している。自分たちの記号だと彼女は言った。だから・・・ 来たる日に馬車の民へ持たせるつもりで集めているんだが」
幻の大陸へ行く、馬車の民。先導することも、この精霊は当然知っているだろう。そう思って余計は言わずに言葉を切った魔導士を、トラも了解して小さく頷き返した。
『ティヤーの太陽の手綱は、この役目を引き受けるには傷つき過ぎた。テイワグナの太陽の家族から選ぼう。待ちなさい』
「待って・・・間に合うと思うが、俺は誰に渡す」
『バニザット。お前ほどの力があれば、私の呼びかけを瞬きより早く聞き取る。待ちなさい』
二度、同じことを言わせたと気づいて、バニザットは分かったと答えて話を閉じ、トラは夕日の粒子に解けて消えた。
「テイワグナの、馬車の民か。ティヤーは傷つき過ぎて、アイエラダハッドとハイザンジェル、ヨライデは・・・ 詮索するもんでもないな。一先ず、ラファルは回避だ。これで良しとしよう」
精霊が約束したからには、ラファルに持たせることはない。先に馬車の民が持っていれば、下手に接触したラファルが移動に引きずり込まれたり、巻き添えで別世界に流されたりなどの危険はなくなった。
一つ肩の荷が下り、魔導士も小屋へ戻る。
夕暮れを跨いだすぐ、女龍に呼ばれ、女龍に続いて獅子が現れ・・・ 少々、意外な夜が訪れた。
お読み頂き有難うございます。




