2796. 龍面から『続く世界』を
魔法陣にかざした龍の面は、自分が作った雰囲気も失せ、精霊が及んだ顔(※2213話参照)。
額にある小さな明かりは、アシァクの力と聞いた。ザッカリアが使う時、混合種の精霊アシァクの力と、もう一人の混合種(※『龍の雲』)の飛行能力をもたらすようだが。
「彼はこれを使う機会もなかったか」
龍の面を使った話は聞いていない。もしもの時に備えた面は、彼の龍ソスルコが呼べなかった時、また力が足りない際の補助だったが、ザッカリアが魔導士に託した時に伝えたのは、『これを使った時間を知るのはバニザットだけ』の言葉で、空へ上がる時に用いた・・・変化前の面を示している。
「アイエラダハッドから持ち出して、アシァクの範囲でもないだろうに。俺の手に渡っても、仮面は残っている。これはお前の留守中に、俺が頼れということだ」
面の所有者はザッカリア。預かったバニザットは、面を通してザッカリアの声なき声を問う。俺に何を教えるつもりだ、ザッカリア・・・ これまで一度も思い出すことはなかったのに。
「今、なんだな。お前が口を開くのは。龍の目ザッカリア。古の魂が残す足跡に、お前の予言で行先を導け」
かざした面に独り言ちていた、命令じみた話しかけをやめ、魔導士は面を手から浮き上がらせる。ふーっと浮かぶ水色の面は、金色の魔法陣から50㎝の高さで止まり、ゆっくと右回りに動いて輝き、顔を上に向けて静かに回転しながら、裏面から少しずつ雫を落とし始めた。
魔法陣の金色の線に、雫が飛び込む。触れる前にそれは広がり、薄い膜を円盤状にしてどんどん重なって行く。何をする気かと見ていると、魔法陣に映し出された幻の大陸上、数十枚の透ける円盤の重なりが積み上がった。
その様子、空へ届く如く―――
少し胸が疼く魔導士。面と魔法陣の合間を埋めた円盤の重なりの続きは、魔導士の野望を無視するように違う展開へ変わる。突如、面がクラッと揺れて魔導士の元へぴょいと落ち、受け止めた手に落ち着くや、『上から覗き見てみよ』と声で告げた。眉を上げた魔導士は『上?』と円盤の最上部に視線を走らせる。
魔導士の背の方が高いので、一歩前に出た。顎のあたりに最上層の円盤あり。この位置からだと下の魔法陣が透けて見えるだけだが、覗き込めと言われて首を真上に持って行くと、目に映るのは想像しなかった世界だった。
「これはどこだ」
パッと背を逸らして、円盤数を正確に押さえる。円盤は30枚。真横から見ても変わりはなく、真上から覗き込むとどこかの景色が映る。
どこだ?と目を凝らす景色には、人の住む町や自然の風景が幾つも見えるので、各円盤にそれらが一つずつ移されているのだろうと見当をつける。しかし、どこのものかは分かりにくい。不意にイーアンたちの世界か?と思ったが、彼らに聞いた内容とも違う気がし、バニザットは垂れる髪をかき上げた片手をそのまま、少し考えこんだ。
統一性のない、人々の町・・・ 人間がいるし、家とも分かる建物があるから、人間の住む世界だろうと思った矢先、人間と思っていた相手が違うことに気づいた。
「何だ?顔が。体もか」
枠しかない。中身がない人間の枠が歩いている。子供と思しき小さい姿も、比べて大人の大きさを持つ姿も、誰も彼もが、枠だけ。側面は人間のようで、前と後ろはない。菓子の抜型のように不自然なそれらは、命を持っているように振る舞うが。
「声もないのか。動いている音はするが、声も。待てよ、なら、畑や家畜はあるのか」
不可解な状態のそれらは人間とは違うと分かり、生命に必要な食料はどうしているのかと呟くと、数枚下の円盤が上がって、バニザットの答えを見せる。
畑ではない。家畜でもない。抜型を支えるものは、ないのだ。しかしこの円盤を見て理解したのは、逆の質問が必要だったこと。この抜型状の存在は、何がなくなったかを聞いた方が正しい。
「こいつらは・・・意思や記憶が存在していない。動いているだけの、抜け殻が詰まった世界か」
ここで、もう片手に持っていた龍面が熱を持ったので視線を移す。面は何も言わないが、気づいたことから解釈するよう促していると感じ、魔導士は面をの伝えたいことを理解した。
「そうか。ザッカリア。お前は今、『人間が連れて行かれる先』を俺に見せているんだな?アシァクや混合種の精霊とは関係なく、お前としてこの面を通し、俺に教える」
ほわっと額の光が増して、それは返事のように思えた。人はこんなところに連れて行かれて・・・この抜型と共生するのか。それとも『取り込まれる』など、融合的な目的なのか。見たところ、町の統一性のなさも、掻き集めのような印象がある。
どこからか掻き集めてきた吹き溜まりの世界で、自然の風景は現実味が濃い。生きた体を持つ者たちがここへ入った時、一から畑を起こし、家畜を育てて、やり直す?
どんな計らいか、精霊の導く先など分かりもしないが・・・ しかし見れば見るほど、危惧するものが目に留まる。
よく見れば、家々は箱だけの中身なし。抜型の存在と同様に外側しかない、掘っ立て小屋の状態である。支えになる精霊や龍などを想起する印や痕跡もない。
逃した『念』の入った者たちも、ここへ来る。
懸念だらけの次の場所で、奪い合う未来が想像できる。
ここが通過点ならまだしも・・・ここが到着点なら。
開拓は労働がつきものだが、意味も分からず連れてこられた先で、その日から食料もなく水もどこにあるか分からず、寝床もなければ排泄する場所も体を洗える場所もないまま、意識を切り替えまともに対応し、不屈の精神を発揮して、苦難を乗り越え生き残る者は、どれくらいいるか。
多くは、そうはならない。その日暮らしの人間がどうなるか、僧侶時代に腐るほど見てきた。
「到着の場所か?ここは通過するだけか?」
手に面を持ったまま呟くと、層の下から別の円盤が上がって最上層に代わる。新しい円盤に見えるそれもまた、荒れ果て人っ子一人いない世界。魔導士はじっくりこれを見つめ、嫌な予感から『他にもあるか?』と先へ流す。
すると、層は入れ替わり、真ん中近くの円盤が一番上に来る。この円盤には、空っぽの住まいが点々と間隔をあけて続く風景で、水辺や果実の木がどこにでも見られたが、不安は家らしくない住まい。人間ではない種族に使われていた気がした。住人は近くにいない。
「淘汰とは言葉上のことで、死を突きつけられなかった分だけマシと言えなくもないが。だが、こんな世界のどれかに留まるとなると、死より酷いかもしれん。魔物とサブパメントゥに襲われる今の世界も過酷だが、少なくとも住み慣れた景色と、精神を保つささやかな環境はある。動かされた先の世界が一時避難先なら・・・移動で寄るのか、割り当てられた人数が置いて行かれるのか」
不穏しかない印象に、魔導士も唸る。質問と捉えた龍面は、新たな円盤で返事を見せた。
何枚もの円盤が忙しなく動き出し、上がっては一秒も絶たずに代わる様子を繰り返し、『民は定着せずに移動する』と理解したバニザットの前で、動いていた円盤がぴたりと止まった。それは、この世界―― 今、生きているここ ――を映す。
「戻る。民は戻るんだな?」
連れられた民の大移動、終着点は巡り巡って出発した世界へ。
戻れる術はあるのか。
大移動が全体的なものなのか、最後まで残った強運の持ち主だけのものなのか、どちらにせよ、渡り歩いて辿り着くまで、長期間を支える何かが存在していると勘が告げる。目印、導き、きっかけ、何かしらが。
精霊が同行する気がしない。人間だけの旅路であれば、いつかは戻ってくるための示唆があるのでは。
魔導士の問いに、すーっと違う円盤が上がってきて、馬車の民が先頭を行く光景が見えた。彼らが術?有り得ると言えば有り得る・・・そう思いきや、一番上に次の円盤が出る。
「これか。馬車のやつらが持っているのか」
こうして、魔導士も違う方向から『粘土板』と繋る―――




