2786. 幻の大陸、現在北東沖・念の通訳者・一つ、葬る
念の声を聞き取れる。だから自分にも出来る仕事があると言うラファルに―――
気持ちは複雑な魔導士。精霊に彼を差し出すよう言われたも同じのあの日から悩んで(※2721、2762話参照)この男のために何をしてやれるか考えた。
女龍とエサイが一緒に行くなら、この二人を守りに付けるくらいしか・・・ それが思いもよらぬ方向へ。まさかラファルが自分から提案するとは。
「悩まないでくれ、バニザット。いつも話していたな。『ダメなら精霊が止める』と」
「ラファル~・・・止め方が、容赦ないこともあるぞ。やめておけと、手前で言い聞かせてくれる保証はない。仮に一触即発でお前が」
「それもないんじゃなかったか?俺が大陸に行くのも決まっているなら、よほどおかしな事さえしなければ大丈夫だろうと、俺は思うんだが」
これまでラファルにあれこれ話していた内容を返されて、魔導士は呻く。大陸に行く日だって、本心は逃れる手段を用意したいくらいなのに、何を好んでその前に出かけるか。しかも、当人が言い出した。
ラファルの、穏やかに意見を通そうとする姿勢に、イーアンもどうなるかとドキドキする。
彼が自分の意見を曲げないのを、初めて見た。そして、魔導士がとても嫌がっているのも初めて見る。
イーアンもラファルが心配だから、その日が来るまで大人しくしてほしいけれど。彼はそれを望んでいないのだ・・・ 彼は、人生に貼られたレッテルを、自分の意味を――変えようとしているみたいに。
狼男は黙ってやり取りを見守りながら、魔導士が折れるだろうと想像していた。
ラファルは終止符を見つけたんだ。それが分かる。
幻の大陸行きが予告されて、その地に立つ前に『自ら』を選ぶ。大陸に降りてから、与えられた環境と状況に左右されるのではなく、自分から歩き出している。
見守られる中で、ラファルは背の高い魔導士に近寄り、その漆黒の目に頷いた。
「な、バニザット。危ないことはしないよ。あんたに迷惑が掛かっても困るし」
「迷惑とか、そういうんじゃない。お前が心配なんだ。今まで守ってきたのも、お前の無事を願うからだ」
「分かるよ、感謝している。だから、小さいことかも知れないが・・・俺が念の愚痴を通訳できるなら、ちょっとは礼になりそうに思ってな」
イーアンはやり取りに泣きそう。ラファルがイイ人過ぎて、聞いているだけで辛くて、涙を堪える。エサイが気づいてイーアンの肩を抱き寄せ、女龍の角をよしよしし、『一緒に行くから大丈夫だ』と自分たちも付き添うことを囁いたところで、額に手を置き唸っていた魔導士が折れた。
「・・・仕方ない。お前がどうしても、と言うなら。まずは精霊に聞いて」
「あ。バニザット、ちょっと」
石橋を叩いて渡ろうとする魔導士を、イーアンが止める。青い布・・・アウマンネルが何も反応していないよと、クロークの片方を捲って青い布を指差すジェスチャーで通じた。
青い布はだんまり(※やり取り知ってる)。だから、精霊を呼び出さなくても良いのでは、のつもりで教えたら。
舌打ちして、両眉がつきそうなくらい寄った魔導士の睨みに、イーアンも少し戸惑ったが、ちらっとラファルを見て『こんなに願っているのに』と彼の肩を持つ。ラファルは女龍に微笑み『滅多にない我儘だな』と冗談で返した。
滅多にない、我儘――― 本人からそう言われた魔導士は粘るのをやめる。大きく息を吸い込んで『行くぞ』と腹を決めた。
*****
腹を決めるのはバニザットじゃないよねと、その様子に思っても、イーアンは口にはしなかった(※怒られそう)。
でも本当に・・・断腸の思いくらいの顔で、嫌々受け入れたらしき魔導士の態度は、彼がどれほどラファルを大切に思っているのか伝わった。
行くぞと決心した魔導士は、ラファル自体に結界を掛け、大陸の映像を消して屋外へ出ると、小屋と島丸ごと結界に入れて、深夜の空へラファルを連れる。イーアンはエサイの背中を抱えて浮上。ついてこいと緑の風に命じられ、四人はティヤー北東へ向かった。
近づくとすぐ分かる、大きな陸地。島ばかりが点々と集まるティヤーで、大陸と呼ばれるあの大地が隙間に入れるはずもなく、ティヤーの外周を動いている。
真っ暗な夜。月明りはこの北東に見えず、魔法の映像で観た通り、雲の分厚い天井は雨を蓄えて重く垂れこめていた。生温い風にわずかな気温差が混じり、潮は不安定な波にぶつかり合う。光のない黒い海と大きく視界を占める陸地。
イーアンは随分前にタンクラッドと見た、テイワグナ開始時の、あの崖を思い出す。ここの一部だったんだろうと、広い広い大地を空から見渡した。映像の風景とまた違う雰囲気を感じるが、魔導士曰く『地形も一定しない』可能性がある以上、目の前にある地形を覚える意味はない。
今こうして見ている姿も、変化するのだろう。
でも、出くわす風景の幾つかはバニザットがあたりを付けたように、同じ特徴を備える。いざその場所に立つ時、前情報ありは頼もしい。下手に手を出さずに済む・・・・・
エサイを抱えたままそんなことを考えていると、空中で停止している緑の風に透けるラファルが『あれか』と一方に顔を向ける。
同じ方を見たイーアンは夜目が利かなくて分からないが、エサイはすぐに見つけた。
「いた。いるじゃん、あっちだよ」 「見えません」
あれあれ、と狼の鉤爪が示す方に目を凝らすが、見えやしないし気配もないし。イーアンは『私向きではない』と呟く。エサイの表現では、『白っぽくて長い寄生虫みたいな』尾の引きで、頭が『ガムと言われたら、噛むだけ噛んだガムみたい』らしい。
魔法で遠目から見た人魂状と違う。ラファルは最初から、ガムみたいに見えていたようだけど、再現は円さが印象にあった。現物は『噛み終わったガムとサナダムシ状の合体』と聞き、そんなものに振り回されるのかとイーアンは寂しい。
「どこの誰か知りませんが、碌でもない影響を及ぼすなら止めないといけません。ガムサナダムシのせいで混乱が増えるなんて」
『サナダムシ?』振り向いた狼男の鼻がゴンと顔に当たり、イーアンは呻く。ゴメンとエサイが笑ったら、『ふざけてる場合か!』と魔導士に一喝食らい、二人は黙った。緊張感の薄い二人に、ラファルも可笑しそうではあったが・・・こちらは真面目。
風状態の魔導士に、ラファルは伝え始める。彼の耳が拾う、紛れ込んだ戸惑いの思いを。
「そのまま、話すぞ。『空だ、俺は死んだのか。でもあの量で死ぬはずはない。俺が倒れたなら、その前に吸った他の人間が倒れているはずだ。部屋に漏れていたか。思い出せない。思い出せない』・・・ここまでだ」
「意味は分かるか?」
「大体な、見当がつくが正確じゃない。いろんな場面が浮かぶ。ガス充満の部屋で大量殺人・・・ああ、ガスって知らないか。あとで教える。最後の方は記憶や意識が擦り切れた具合かもな」
風の魔導士は、ラファルの報告に何を思うか。風は移動をイーアンに伝え、黒々とした大陸に近寄らないよう、大周りで先へ飛んだ。
近寄れない境目など見えなくても、魔導士は大陸から2~3㎞ほど距離を置いているので、この距離感が警戒されない、とイーアンも覚える。危険ならアウマンネルが教えてくれるだろうが、危険に触れないのが大事。
ぐるーっと大陸を片側に見ながら進んだ、適当なところで風は停まり、イーアンも近くで浮上。
大陸は本当に暗くて見えにくい。エサイも『宙に浮けばあれは見えるけど』と、大陸そのものはボカシがかって判別不可らしい。
この状態であっても、大陸が起こしている振動だけは、分かる。波がおかしい揺れ方に見えるのは、動いているから。少しして、一部の波が大きくゆったりと曲線を膨らませた。地震かなと真下に目を取られたイーアンに、エサイも水面を見て『大きかったんじゃないか』と答える。
と同時に、横のラファルが『出てきたな』と落ち着いた口調で、念を見つけた。
あれだと顎を向けた方に、今度はイーアンも見つける。先ほどより近い。ぐにゃぐにゃ動く不定形の薄白いものが進む後ろに、紐状の尾がついている。粒子や弱い光体のような状態か。
「これも似てる。驚いている。だけど・・・ええとな、伝えるぞ。『何もない。何も見えない。全員死んだはず。あれから何時間経ったのか。私も死んだのか。死んでいるみたいな毎日だった。全員、まとめて殺したのに。私はどこに居る。思い出せない、どうして』・・・うん、終わったな。こっちは女のような印象だ」
「ラファル。連続で二つ、お前は通訳した。偶々二つ出てきた場面に居合わせたが、次もすぐとは限らない。俺が記録をかけておくからもう戻るか」
魔導士は二回の実験で引き揚げようと言い、ラファルは少し考えたが頷いた。
「バニザットが記録を掛けるっていうのは?魔法でバニザットの代わりに記録するものの設置、といっているのか?」
「そんなところだ。俺が直に見ていなくても、遠隔は利く」
便利だなとちょっと笑ったラファルに、風は『収穫ありだ』と短く労い、イーアンたちに戻ると伝えた。大陸に背を向け、ひゅっと離れたすぐ、ラファルは斜め前方を見て『あっちにいないか』とまた見つける。
「大陸から出た念ですか?」
横に並んだイーアンがすぐ尋ね、ラファルは『分からないが、いそうな気がして』と正直に答えた。風は彼を抱えて、ラファルの気づいた方へ飛び・・・かなりの距離で、一つの島に着く。
中くらいの島は、人口もそこそこありそうだが、町の明かりから外れた海岸線の一ヶ所で、廃墟の影があるところは、他から孤立していた。
イーアンは、この『廃墟』があれだと勘づく。気づいたのは狼男も同じで、修道院か神殿じゃないのかと、じっと下を見る。
小さな小さな・・・焚火が一つ。ラファルはこれが何かを全く知らないし、興味もない。が、ここに念がいると言い、『念は人間と混ざったかも』とも伝えた。
―――念が途切れ、違う誰かの声が混じる。違う誰かはラファルに分からない言葉を使い、ラファルが分かるのは念の言葉だけ。
詳しく、素早く、これを聞いた魔導士は、ラファルをイーアンに預ける。イーアンの龍の片腕にラファルが引き取られ、エサイが冗談で『男二人抱えるのか』と言いかけた側から、廃墟目掛けた突風が吹き抜けた。
イーアンたちの目に映っていた、点のような焚火明かりが消える。
音もなく、静かに。イーアンの白い龍の腕に手を置いたラファルは、『念が終わった』と呟き、その意味を女龍も狼男も理解する。
「消失したのでしょうか。それとも」
「いや、片づけた」
イーアンの問いに答えたのは、上がった緑色の風。ひゅっとイーアンの髪を揺らした風は、翻って緋色の布、もう一度翻って男の姿に変わると廃墟を見下ろし、眉を少し動かした。今は、説明しない様子。
「今日はここまでだ。魔法をかけてから戻る」
魔導士が呪文を唱え始め、空に銀色の薄氷が渡る。
この光景、最初の頃に封じられたな(※1553話参照)と思い出す女龍が眺めている間に、魔法の録画セットは完了。呪文を唱え終えて両腕を下げた魔導士は、男二人を両腕に抱える女龍に『俺の島へ』とその方向に頭を傾け、四人は真夜中の空を戻る。
小屋についてラファルを労った魔導士だが、イーアンとエサイが帰りの挨拶をしかけたところで止めた。
「まだ、眠る時間じゃない。片付けた念の話をしておく」
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