2785. 魔導士提供、予想大陸疑似体験② 彷徨う念・ラファルの意志
外界から流れ入った、誰かの念―――
眉を顰める女龍に、魔導士は映像ついで『面倒そうな念』も映してやった。
「あれが見えるか。何者かの念だ」
あれ、と緋色の袖が振られた空に、うっすらと人魂のように尾を引いた色あり。色は不安定で、空中に溶け込んではまた現れ、現れても輪郭が曖昧、色も薄く、よろよろと宙を千鳥足で歩く酔っ払いのよう。
あんなものが飛んでいるの?と怪訝が口を衝いたイーアンだが、気配やらそれと認識できるものがないのも気づく。
「バニザット、念って分かりにくいもの?今、これが魔法だから?」
「ああ~・・・それか。これは魔法でも分かる範囲だが、お前は分からないか、鈍いんじゃなくて」
いちいち鈍さに繋げるなと怒る女龍を狼男が往なし、人魂もどきが消えた宙に目を向けて『俺も分からないよ』と魔導士に伝える。ラファルは、ポカンとした感じで消えるそれを見送ったが、意外なことに。
「さっきの、嚙み終わったガムみたいなのか?俺には声が聞こえたが、違うのか」
「え」 「何」
女龍と狼男が驚き、魔導士も少なからず驚く。ラファルには話し声が聞こえていたらしく、なんか言ってるなぁと思ったそうで、魔導士は『聞き取れたか?』と言葉を尋ねた。ラファルは頷いて『こっちの世界に来ると、大体通じるよな』と、彼らしく気にしない。
「ラファル。俺も聞こえたが理解できない音だった。俺に分かるのは、あれが人間の心や思念の塊、それだけだ。雑音は言葉とも思えんのに、お前は話していると言う」
「バニザットに通じない言葉なんて、俺が聞こえたとしても怪しいもんだ」
控えめで消極的、余計なことを言わない男が言うのをやめようとしたので、慌てた三人は、なんて言ってた?何を聞いた?と話すようせっつく。
「大したことじゃなくても、話して下さい」
「役に立ちそうもないけどな。イーアン、そんなに身を乗り出すほどじゃ」
「いいから、何です?」
詰め寄るイーアンに、ラファルも『話すよ』と両手を胸の高さに上げ、彼女に落ち着くよう言い、エサイとバニザットの顔を見る。
「『ここはどこだ』、『死んだわけじゃないだろうな』・・・そんな感じだ」
「何ですって」 「死んだ?」 「ラファル、他には」
一歩前に出た三人に囲まれ、ラファルも少し理解。俺が思っているより重要なのか(※気にしてない)。ここへ来たばかりの時の自分と、少し似ている感じだとは思ったが。
「他に聞こえたのは、消えかける声くらいだ。『どこどこに居たはずが』と聞こえたが、地名かどうか。それは聞き取れなかった」
ラファルの拾った声は、この世界に放り込まれた直後の心境と近い。それはイーアンもエサイも同じ。
二人は顔を見合わせ、次にラファルを見て『同じじゃないか』と呟いた。魔導士はここで一人、先にピンとくる。
「ああ、なるほど。エサイとイーアン、ラファル。お前らは同じ世界から来たんだよな?」
「そうだよ。さっきのやつもそうってこと?」
イーアンが答え、魔導士はラファルに人差し指を向けた。わずかに首を傾げたラファルを見つめ、『今は、お前だけが人間』と彼が聴き取れた条件を推測。
「人間?俺はでも、近い状態と言っていなかったか?肉体にはなったようだが」
疑問を尋ねたラファルはよく分からなさそうで、『それは大まかな区別かも』と魔導士は精霊のありがちな分け方を教える。
「少々曖昧な状態でもな。この二人と比べたら、ラファルは人間だ。それも、違う世界の出身で、生きた体を持つ」
「じゃ、もしかすると。この世界でも人間なら、あの声が聞こえたり、理解出来たりする?」
ふと口を挟んだイーアンが、ラファルじゃなくても思念が近くに来たら聞こえるのかと問う。
「それはどうか。念、なのは俺も分かる。だが念は、触れるまでは『中身』が分からない。この世界の人間がアレを見ても、言葉まで聞こえるとは限らないぞ。あの念が人間に入り込んで初めて理解するのかもしれない」
ここまで聞いて、エサイはイーアンにちょっと顔を向け、イーアンも視線を狼男に動かす。薄々、そっちではないかと思っていたが。
ラサン?・・・二人の思うことは同じで、魔導士も『いたよな、その状態のやつが』と呟いた。
なぜ人の肉体を持ったからと言って自分に聞こえたのだろうと、ラファルは不思議そうだったが、その答えはここで得られない。答えが出るのは、この先。そして、彼もイーアンたちもそこまで考えなかったが、彼だけの役割が定まったのもこの瞬間だった。
「ガムみたいな念だよな」
ガムって何だと尋ねる魔導士に、イーアンが『噛み続けるためだけにある食品』と簡潔に伝え、怪訝そうな魔導士を無視して『ラファルが感じ取ったのは声だけか』を確かめる。ラファルは少し考えて首を横に振った。
「いや。何かいるのは分かった。だがバニザット、これ自体本物じゃないだろう?」
「魔法の一部だ。でも念の飛ぶ様子は再現している。俺が実際に見たのを映したから、魔法より濃い。ラファルが感じ取るのは変ではない」
「うーん。バニザットとは違うものだろうが、少しあんたと似ているんだ。気を悪くしたら謝る。バニザットは本体がないと聞いていても、信じにくいほどしっかり存在がある。あっちは消えかけだが」
「お前の言いたいことは、俺も念だと」
そう、と魔導士に頷いたラファルは『悪い意味じゃない』と肩を竦め、魔導士は気にするなとそれを流す。女龍と狼男は、まだ飲み込めていない様子。
「俺の存在が『念の最高』だとする。それどころで足らんがな。同じ類で、あれは最低ってことだ」
バニザットらしいなと少し笑うラファルに、イーアンも同感。エサイも同感。あれと同じ類であることを認めるだけ、ラファルに甘いのも伝わる。同じことを他者が口にしたら怒るだろう。
とりあえず魔導士は『本体がない存在』なので、大きく分けたら系統はあれと一緒。
気配もない相手に対して感じ取るのは、魔導士に近い要素があるから。
ラファルが感じ取った理由は、ラファルが異世界出身で、今は人間の体だから。
イーアンが分からないのは、あれがただの念で気配も何もないし、イーアンは人間ではないため、通じる部分が消えたから。
エサイも然りで、エサイは一度死んでいる上に、狼男は特殊な存在位置におり、女龍同じくあれと通じる要素がない。
「ラサンの時は、なんか変だなって思ったのにね」
ぼそっと一言落としたエサイに、イーアンは彼を見上げ『ラサン自体を見て気づいたか、それはなかったよね?』と思い出して伝え、エサイも考え込む。
「私たち結局、あの男の話している内容から、異世界要素を見つけませんでした?」
「そう、かも。そうだな。君は最初、すぐ殺そうとしたし。俺が止めたからやめたけど(※2533話参照)」
「関係ないこと言わないでよ」
狼男と女龍は馴染みが早いため、話し始めると長引く。魔導士は相性の良さそうなこいつら(※似た者同士)にちょいちょい手を振って話を止め、脱線した話を戻す。
「念の話だぞ。ラサンもそれにやられたんだろうが、今はラサンの話じゃない。第二第三のラサンが出てくる懸念を話している」
すっと息を吸い込んで、イーアンは頷いた。あんなのが、似た感覚の誰かに引き寄せられて憑りついたら。それこそラサンの後釜になりかねない。危険思想の僧兵はまだいると、レムネアクが話していた。
エサイも鬣に覆われる首を掻いて、宙に眇める。ラサンが誰かを知らないラファルは、魔導士に煙草を一本くれと頼んで一吸いし、ふー・・・と紫煙を上らせて、煙草を咥えた口で、魔導士に静かに聞いた。
「その『念』というのは、あると厄介そうだな。どう片付けるんだ?」
この一言に、魔導士は振り向いて固まる。
俺が、片づける手伝いをしても・・・ 咥え煙草でそう言ったラファルは、長くなった金髪をごつごつした手でかき上げて、煙に目を細めながら『ちょっとは仕事しないと』と冗談とも思えないことを呟いた。
*****
俺が選択肢を持つなら、今度は。あの日もそれが過った(※2761話参照)。麻痺した人生と別れて、我慢を棄てる。
どこまでも存在を感じなかった自分は、いつからそうだったのか。
今更それを探る気はない。過去を探るくらいなら、置かれた未来の選択肢を考える。
あの日、エサイが俺に教えた『終止符』は、今、ちらついている気がする―――
「ラファル、お前」
魔導士が言葉を選んで話しかけようとしたのを、ラファルの片手が少し動いて止める。イーアンとエサイも彼が何を考えたのか、話してくれるのをじっと待つ。魔法の映像の中に立ち、ラファルの薄茶の瞳が本物ではない空を見つめた。
「なぁ。バニザット。ここではその念とやら、見られないんだな」
「そうだな。大陸近くまで行けば、飛びだすのも見かけるが」
「じゃあ、あれだ。俺をそこへ連れて行ってくれないか」
「お前は何を考えている。やつらの声を聞いて俺に教える役目か。まだ大陸に呼ばれてもいないのに、近づいてどうにかなっちまったら」
「近づくって言っても、そう接近できないんだろう?」
「ラファル、思い付きなんてお前らしくない」
魔導士はやんわりだが、急に行動を仄めかすラファルを抑える。いつもどおり、やる気のなさそうな視線の男は、視線は見慣れた無気力さでも、少し微笑んで『絶対ダメならやめるが』と意思を通したい旨を話した。
「俺もここに来て、世話になりっ放しだ。魔法だ何だ、とんでもない力も使えないし。でも、思いついたがこれならまぁ。少しは役に立ちそうじゃないか」
バニザットにも聞こえてないなら、俺に有利だろと・・・冗談めかすラファルに、魔導士は辛そうな顔を向け『お前はまだ何に狙われているか、全体が把握できない以上はやめておけ』と率直に抵抗する。イーアンは、魔導士が嫌がっているのを感じて、少し驚く。ラファルを守り続けて情が湧いたとか、その程度ではないのが伝わる。
対してラファルは、性格通りのさらっとした具合で、心配する魔導士の肩をポンと叩いた。
「ずっと有難く思っているんだ、バニザット。この世界に来てから、意味も分からず誰かの地雷にしかなれなかった俺も、体が人間に代わったらどうやらまともな仕事がありそうだ。あんたが一緒にいて、怖がるものなんか俺にはないよ・・・バニザットの手伝いにちょっとは」
「そんな風に思うな、ラファル!俺はやりたくもない世話はしない。お前を精霊に預かった日から、俺なりに」
「ハハ。そうだな。押し付けられて大変だった始まりだ。それでも良くしてくれた。礼がしたいんだ、あんたがくれる金で買った酒じゃ、きまりも悪いし」
胸が。詰まる。イーアンも、エサイも、魔導士も――― ラファルがどう生きてきたかを知っているイーアンは、涙が滲む。エサイも自分を重ねて、薄幸の男の心境を理解した。
魔導士にとって、ラファルは救いたい相手。何も望まない男から聞いた初の望みが、危険に手を伸ばすなんて、受け入れられるわけもない。
ラファルはこれを理解しているのか、していないのか・・・・・
微笑んだ悲し気な表情が消えると、金髪の頭を掻きながらはっきりと低い声で、魔導士に頼んだ。
「俺は傷めつけられるのは慣れてるんだ。良ければ、念が出る近くまで、俺と出かけてくれ」
その顔は静かであれ、全く動じない強さを滲ませていた。
お読み頂き有難うございます。




