2782. 東の治癒場 ~初、白い筒のみ・タムズからの予言
朝の海を見渡した男龍が、『あの島?』と止まった空中から指差したので、イーアンは首肯し、遺跡は山の下にあることを教えた。
「雲の切れ間から見える、小さいけれどあの辺り。あれが治癒場の目印です」
「ふむ。そうだね、精霊の守る治癒場か。龍の友達と聞いていたが、ここまでとは」
タムズは唇に指を当てて真下の遺跡をじっと見つめ、『本当に何があるやら』と面白そうに呟く。龍と距離を置く精霊が多いのに、始祖の龍と友達だった精霊は、龍に好意を持つ中でも相当だと女龍に教えた。
「そう思いますか」
「思うよ。ファニバスクワンと同じ立場なんだってね。その立ち位置にいて、龍のためにここまでするなんて。余程だと思う」
「ティエメンカダは、何が何でも始祖の龍の思い出を守ります。とっても大好きで愛しています。今もそれは薄れることがありません」
沢山思い出話をして下さったとイーアンが微笑むと、タムズも微笑み頷いて『それじゃ私たちも頑張らないと』と前向きな発言。期待が湧いたイーアンの表情にちょっと頷くと、銀がかる赤銅の肌を陽光に煌めかせた男龍は、女龍と共に島へまず降り、白い遺跡を目の前に立つ。
「うーん、そうか。これはビルガメスではなくて良かった。私が来て正解かもな」
龍族二人が砂浜に立つと、白い遺跡を隠すように生える木々から鳥が飛び立ち、隙間から動物の影が逃げた。タムズはそれを目端に『壊されるのを感じたのだろう』とイーアンに言う。
「これまで、動物たちが逃げる姿を見たことはなかったですね」
「遺跡の在ったところが、動物の生息と異なったからだ。そして精霊も絡んでいたし、逃がして救っていたのかもしれない」
ふと、イーアンはテイワグナを思い出す。そうだった・・・白い遺跡を吹っ飛ばす準備で、動物じゃないけれど、ちっこい精霊を守るために私は必死だったっけと。
だがここは、逃げようがない。島は比較的大きいにせよ、タムズと私の龍気をまともに当てたらどこまで消えずに済むか。生き物の命を取らないようには出来るけれど、住処の島が壊れてしまうので、これは避けたい。当然、マハレと治癒場も守らねば。
「イーアン。また君は一人で不安の妄想に入って」
端的に注意される指摘が正確で、イーアンは目を伏せる(※不安妄想)。タムズは女龍の背中を撫でて『行おう』と早速行動を促した。守れるの?と目で問う鳶色の瞳を見つめ、小さく頷く男龍。
「君の思う守ると、私の思う守るは少し違うだろう」
「やっぱり」
「だが私を他の男龍と同じに考えないでほしい(※差別要)。私はいつでも君たちに理解の心を開いていたはずだ」
「そのとおりです。だけど、私の思う守る意味は、治癒場も島も安全で」
「そんなこと分かっている。そしてそれがいかに難しいかも。だが、この遺跡は振動しているが、今までとやや違うらしい。だから私と君が気遣うなら、この島も壊れないかも知れない」
キョトンとして見上げる女龍に、タムズは続けて話す。感じていることも、この様子から分かることも。それはイーアンが全く感じなかったことで、遺跡の振動は龍を呼んでいるだけだと知る。
「私を呼んだのでしょうか」
「そうかもね。始祖の龍の想いは、信じられないくらい強い。ビルガメスの家を壊す力を未だに持っているそうだし」
鱗一枚で屋根が壊れたの笑っていたタムズは、思い出し笑いしながら首を傾げ、『これで私が気に入らないことをしたら、始祖の龍からどんな仕打ちが来るやら』冗談では済まないよと困った顔を向けた。イーアンも少なからず、それが本当になりそうな気がする。だからねと、タムズは遺跡から少し離れて浮かび、横に並んだイーアンに反対側へ回るよう指示した。
「君と私の龍気で挟むけれど、勢いは要らないよ。振動自体は『空に戻ろうとする』理由ではなさそうだから、丁寧に変換させて空へ上げてみよう。前に同じことをしたのを覚えている?」
テイワグナの海で二重仕立ての白い筒を対処した(※1651話参照)。あれかなと思ったイーアンが頷くと、タムズは島に金色の瞳を向け、『ここは精霊の力がとても強い』と呟く。
「真下にある部分が少し気がかりではあるが・・・静かだし、筒の質は『二重筒』と決めて良いと思う」
まだ白い筒が現れていない段階で話をしているので、タムズは経験から予想。
イーアンはちょっと思い付き、マハレに治癒場を守る力を強めてもらった方が良いか、それもタムズに相談した。タムズは『精霊ではない彼でも、出来るなら』と促す。
「守ってもらっていた方が良いかもね。どんな効力があるか知れないけれど、少しは違う気もする」
ということでイーアンは山頂の草原へ急ぎ、マハレを呼び出して状況を伝えた。驚くマハレは空を見上げ、雲の間に見える白い星のような光に『龍族』と頷いた。
「はい。男龍が来て下さっています。壊れない方向で努力しますが、マハレがもし強化できるなら」
「私は強化できないです。こうなるとティエメンカダに来てもらった方が良い」
え、とイーアンが戸惑う。マハレは、うん、と頷いて『ティエメンカダ』と繰り返し・・・イーアンがタムズにこれを話し、マハレが大精霊を呼んでいる間にアオファを空から降ろす。
大精霊はすぐに来てくれて、空に浮かぶ多頭龍と龍族のただならぬ龍気を感じながら、イーアンに話を聞き了解した。
「壊さないと言うのか」
「言いません。頑張りますが」
「イーアンは正直だ。仕方ない。あれは?昔の龍の・・・子供か?」
あれ=タムズ。子とは違いますが、始祖の龍が生んだ卵の子孫ですよと、イーアンが答えると、海から見上げる大精霊は『友の子たちなら分かるだろう』と思いやりを信じた。
これで、休むことなくいそいそと準備開始。
ティエメンカダは遺跡のずっと上に在る治癒場を中心に、精霊の祝福を渡す。マハレや生き物は治癒場の建物へ移動。
柔らかな青と水色の波が宙を滑り、白い遺跡以外を満遍なく水の世界に包み込んだところで、イーアンは空へ上がり、タムズに報告。微笑んだ彼は『本当に龍に好意的だ』と大精霊を褒め・・・龍族二人は位置についた。
下にある遺跡は見えないが、砂浜の一部だけ水の世界が途切れた、そこがそう。
女龍と男龍は向かい合い、横にアオファ。アオファの龍気で呼応し、タムズが龍気を膨らませると、白い遺跡が小刻みに震え始め、淡く細かな粒子の白に包まれてゆく。
間を置いてからイーアンも龍気膨張。ゆっくりゆっくり刺激しないように溜め込んで、頭の中に聞こえた『乗せて』の指示で、流す龍気。
薄っすら、膜を張って立ち上がる筒が形を成し、タムズの送る龍気が白色を強める内側、イーアンの龍気が馴染んで溜まってゆく。
物質置換を使うタムズが、密度に偏りがない状態へ龍気を導き、筒は目に見えて変化した。試験管の中に、煙が満ちるような見た目。一番下―― 遺跡のある砂浜は真っ白で、イーアンは遺跡が溶け込んでいるように感じた。
これでどうなるか。筒の外のどこにも漏れていないのは分かる。
静かに静かに、筒の中を揺れながら空へ移動する、さながら上がる川の如き龍気は、数分もすると、すーっと薄れ出した。もう少しだよと頭に響くタムズの声に頷き、瞬き少な目、イーアンはじっと変化を見守る。
下方から薄れる白さは、徐々に高い位置もそうなり、二人の龍族が浮かぶ位置を過ぎ、終いには筒そのものが青空色へ馴染んだ。とても穏やかな変化で、音も風もなく完了した。呆気ないくらい、やんわりと。
向かい合っていた赤銅色の男龍が側へ来て、消えた筒の行き先を見上げて口端を上げる。
「上手く出来たかな」
「遺跡はもうないのですね」
二人は顔を見合って、確認に降りる。島はティエメンカダの祝福に包まれているが、タムズには関係ない。どちらかと言うと、精霊が龍の気を嫌がるのだが、離れた海に浮かぶ大精霊は動かず、二人の動きを黙認する。
砂浜に降りる前から気づいたが・・・イーアンは砂地を踏んで、タムズを振り向いた。銀色の翼を畳んだ男龍も小首を傾げて『大丈夫だと思うけれど』と一言。
「なぜ、在るんでしょう?」
「さて、なぜかな」
フフッと笑った男龍も不思議そうで、イーアンもつられて少し笑ったものの、対処前と変わらず佇む白い遺跡に困惑する。効かない、なんてないはず。タムズが対処してくれて、龍気も空へ上がったのに。
もう問題なさそうだけどね、と遺跡へ近寄ったタムズの金色の瞳が、じっとそこを見つめた。イーアンも遺跡の入り口まで行き、柱に手を置いて変わったところがなさそうな様子を気にしつつ、中を覗く。
「どうかね」
「入ってみないと分からないです」
ちょっと入ってみますねと、タムズを待たせ、イーアンは小走りで遺跡の部屋へ進み、変化を理解した。思い出は、もう無い。イーアンが入っても何も反応しなかった。もぬけの殻となった建物だけが残ったのかと思ったが・・・ここで、イーアンの腰袋にある鱗がちょっと光る。
被せを失くした腰袋から鱗を出し、始祖の龍の鱗を手に持つと、壁にぼんやり虹色の明かりが灯った。
あ、と驚くイーアン。壁の一部が丸く明かりを持ち、壁に近寄ると輪郭線の曖昧な映像が出る。それは、始祖の龍とティエメンカダの昔・・・これだけは残したんだと分かって嬉しくなった。もう、ティエメンカダも入れるのかもしれない。
淡くぼんやりした映像は、音もないし判別もしづらいが、壁に映し出された遥か昔の楽しかった思い出は動き、ティエメンカダと笑って話す始祖の龍に、少し涙が出た。なんて優しい人なんだろうと、イーアンは遺跡を出る。部屋を離れると映像も消えたので、鱗を持つ者が見られるのも分かった。
タムズに話せるところだけ―― 中は空っぽで、精霊が入れるようになったと ――教えると、彼はいつもなら詳しく聞きたがるのに『そう』と微笑んで終わる。
「始祖の龍が、大精霊を入れるようにしたのか。それもいいだろう」
「ここはもう、ただの建物ということでしょうか」
「そうだね。普通の、石造りの建造物。龍気もない」
私の対処は正しかったと自信ありげに頷くタムズに、イーアンは深々頭を下げて感謝し、タムズはこれにて空へ戻る。のだが、広げた翼をそのままに振り向くと、女龍に一つ教えた。
「あの大陸が動き出して、人間が連れられる方向を世界は選んだ。残される人間の行方は君たちがどうにかするのだろうが、問題があるとすれば、人間が殆どいなくなる中間の地に、魔物が蔓延ることよりも、サブパメントゥが乗じることだ。
魔物の王とドルドレンが対戦する前に、サブパメントゥがイヌァエル・テレンに仕掛けてくることも考えられる。人間が激減しサブパメントゥが排他されないとなれば、有利な状況が整うからだ。
イーアン。君はすぐに抱え込んで悩むから、あまり言うのも良くないが、頭の片隅に置いてほしい。仮に同時だとしたら、君はイヌァエル・テレンを守るんだよ」
「はい」
急な話にびっくりしながら、つい、はいと答えたが。イーアンはすぐ、その時は勇者と魔物の王の対決を自分が補佐出来ない、と気づいて口を押えた。
タムズは頷いて『またビルガメスからも言われると思うから』と結び、イーアンの肩を一撫でして空へ戻って行った。空へ消えてゆく多頭龍と男龍を見送り、受けた予告で複雑な気持ちになった。
はたと、ティエメンカダが待っているのを思い出して、イーアンは精霊に報告する。
ティエメンカダはとても喜び、一緒に入ろうと遺跡へ誘う。イーアンも少しの間ティエメンカダに付き合って、古い友情に胸を温めたが、タムズの予告はずっと頭から離れなかった。
そして、肝心の治癒場――― 始祖の龍が教えてくれた、人間を守るために出来ることを、イーアンは用意し始める。
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