2766. 三十日間 ~㊲北西ギャンタリの町、接触二つ
北部アノーシクマから南下する船―――
ティヤー『北』の範囲で西方へ進路を取って進むと、大体の船は北西の大きい町がある、パニメスティー島に寄る。
町名も島名と同じパニメスティーで有名なのだが、同島には、湾続きで小山の反対へ回った先、ギャンタリという海産物の豊かな町もある。同じ島内だけれど、両町を繋ぐ湾岸がとても細く、端を渡るような道のため、別島として来島者には認識される。
ヨライデ人僧兵レムネアクは、このギャンタリの修道院址にいた。
パニメスティーには教会の支部があったが、そちらは民間の建物を借りているだけで、信者の多いパニメスティーの相談用活動所。司祭や僧侶は、ギャンタリから出張して戻る具合。ギャンタリ修道院は生活の場として使われた。
死霊の襲撃を受けた時、壊滅はギャンタリだけで、パニメスティーは特に被害がなく終わったのも、そちらは無人の時間だったから、と・・・レムネアクは思う。
夜になっても煙のサブパメントゥは現れず、いつ命を取られるのか、ふと思い出しては少し手が止まり、また別のことを考えて意識を正す、これを繰り返した日。
傷が痛むので今日は、豆と葉野菜だけ。浜に降りて魚を取るのは控えたから、満たない腹が鳴る。
雨も降りそうだし、早めに寝るかと振り向いた庵。これを見る度、朝の出来事――黒い硬質の鱗を持つダルナ ――が頭から離れずに浮かぶ。
ダルナって、種族なのか。噂に聞く龍の特徴に似ていたが、翼はあったし、やはり龍と関係ない生物とは思う。
「美しかったな。人間は、美しさも能力も突き抜けることはない。しかし異種族は、どちらも突き抜けている。羨ましい」
美しいものを見て過ごせるだけの人生なら。そんな気楽な想像が過る自分に鼻で笑う。
「いつ殺されるかも知れないのに。本当だ、俺は暢気なもんだ」
さて、と腰を上げ、早寝のために焚火を消そうと・・・ここで、人の気配に背後の道を振り返った。
夕暮れを過ぎて、二三時間は経過した頃。この時間に、町民が壊れた修道院まで上がって来たことはない。
何者かと視線を道へ固定し、気配と僅かな音に集中し待っていると、徐々にはっきりとした足音が聞こえてくる。足取りは迷う様子もなく、間違いなくここへ向かっていると分かった。俺に用以外で、ここに来る奴がいるだろうか。町民がうろつく場所でもない。
レムネアクは近くに置いてあったナイフを左手で掴むと、腰を屈めて焚火から静かに離れた。
動いても、音は大してしなかったはずだが。
「僧侶か」
木々の影に紛れてすぐ、僧侶かを確認する声が響いた。レムネアクの手がナイフを背後へ隠す。じっと様子を見ていると、声の主が坂道から現れ、焚火側まで来た。
衣服は民間人。背が高く、首元に布を巻きつけ、頭と目鼻は出ているが、下は布に隠れている。体格もそこそこ、海賊系の若い男かと思いきや、意外にもその男は―――
「ここに一人、僧侶がいると聞いたから寄った。生き残ったんだろ?俺も生き残りだ」
まだ、返事はしたくない。借りに僧侶だとしたら、この言い方、この調子、僧兵か。堂々としている印象でもざっくばらんはやらない。伏せる所はしっかり伏せて、必要なことのみ口にする質問――
「怪我でもしているのか?焚火を置いて隠れたということは」
降り始めた雨の下、男は途中で言葉を切る。そしてレムネアクの隠れる木々の方へ顔だけ向け、『僧兵だろ?』と告げた。
俺も逆の立場なら、この庵と焚火にそう判断する・・・レムネアクは静かに呼吸を整える。こんな場所で生き続けようとするのは、普通の僧侶や役職者ではない。人を頼らず、そして生き抜ける力と精神力を持っているからこうなるのだ。
「近くにいるのを、探さないでやってるんだ。話をするだけで攻撃はしない」
若い男は焚火の明かりに照らされている。硬そうな筋肉、傷がない体。あっても治った後か、とりあえず、レムネアクより状態はいい。
攻撃をしないと言って、一口両舌が僧兵だろ・・・信用する気になれないが、探されて逃げられる状態の足でもない。今日、サブパメントゥに消されるのが予定変更で、生き残りの僧兵かも知れないと諦めた。
じゃりっと音を立てた足元。靴の革が小石に食い込む。居場所を教えた音に合わせ、若い男がきちっと視線を定める。
「ん?何人だ」
木の影から顔を見せたレムネアクへの最初の質問。男は顔下半分を覆った布を下げ、自分を紹介するような態度。
レムネアクも『ヨライデ出身だ』と普通に答えて数歩前に出る。
互いの距離は5mちょっと。跳躍で逃げられるかどうかは一瞬かなと、痛む足を気づかれないよう自然体で足を浮かせ、若い男の顔をじっと見つめた。
いかにも僧兵、な顔。歯を食いしばった回数は数えきれないだろう。この若さで顎と首の筋肉が、頬骨より張り出して。
少し開けた口から覗いた歯は、奥の方に隙間が見える。こいつは修羅場潜りだと判断したレムネアクが、命運ここで尽きたりの溜息を漏らす。
ダルナ、『運を祈れ』と言ったけど、早めに終わりそうだ。そんな呟きは胸の内で落とすだけ。
「話って?」
一応、会話は試みる。ナイフは腰に当てた手に握るが、見えないように背後に添えておく。ただ、こんなの。
「武器は前に出すもんだ」
見破られているので、レムネアクは左手をだらっと垂れ『武器を見えるように持つと思うか』と返して、ナイフを鞘に戻して見せ、話をするよう、もう一回促した。若い男はヨライデ人に体ごと向き合い、仲間収集だと言った。
「仲間?僧兵を集める気か」
「僧侶を集めて何になる。次の世界に行くのは、強く利口な不屈さが良い。あんたは生き残った」
「次の世界って・・・神話の」
「そうだ」
本気で信じている奴がいることに、レムネアクは黙る。
まぁ、ヨライデも神話伝説民話お伽噺に困らない国だから、この手の話を信じる人間に何とも思わないが、デネアティン・サーラ神話については秘匿が多過ぎて人工的な印象だけに、何か違う意味を含んでいる気がし、神話性は低く感じた。
「それで、勧誘の声を掛けたのは何人目だ」
レムネアクの目は、質問と共に若い男より後ろを見る。誰がついて来ている感じもない。疑る視線を追った男は『二人目だ』と教え、首を道へ傾けた。
誰がいるわけでもないのに、もう一人いるような仕草。訝しむレムネアクを鼻で笑って、若い男が肩越し、親指で後ろを示す。
「『付き添い』は、下で待たせている。一緒に行かないか。こんなところで何週間過ごしているのか知らないが、誰かを待っているんでもないだろう。行先と目的がないなら、この転機に動くべきだ」
「ん・・・いや。俺の自由は、ちょっと複雑でね。動きが取れない。俺は管理されている」
レムネアクが『管理』と言ったのは、サブパメントゥがいつ来るか分からないから。
だが相手はそう捉えず、ハッとして眉を上げ、忙しなく視線を左右に走らせると『一人じゃないんだな』と急に警戒した。緊張が男の筋肉を伝うのを見て、レムネアクもマズい返答だったかと気づく。
「管理と言ったな。司祭か神官が生き残ってるのか」
「そいつらじゃない。言えない」
「ヨライデ人、お前は俺との会話を」
「話さない。他言しない」
「いや・・・どうだか」
風向きが代わる。レムネアクが少し動くと、若い男が一歩大股で近づく。
素手でも強そうだが、レムネアクより背が高く体の厚みもあり、腰帯に木の枝を挟んでいるところを見ると、その辺で手に入るものを武器に使う僧兵、と解釈。木の枝の余計な出っ張りがない。先端の尖りも太い動脈一本分の幅は確保している。こういう系統のやつは、何でも武器に変える。
「攻撃はしないんだよな?」
まず、前言を確認。
「そのつもりだったな」
一口両舌のまま。ほらな、と僅かに笑ったレムネアクはバッと駆け出す。
最初に手に触れた茂みを千切って、追う音を肩越しに振り返り、真後ろに伸ばされた手の平を茂みで突き上げる。ビッと鈍く振動が伝い、血が飛んだ。
これで動きの遅れた間合いを背中で感じ取るレムネアクは、痛む足を意識しながら浜へ降りる崖へ回り、地面を蹴ったと同時、ぼんっと前から―― 前は海なのに ――腹に太い棒がぶち込まれて反対へ吹っ飛ぶ。
先回りした若い僧兵の膝が、レムネアクの浮いた体の腹目掛けて打ち、レムネアクは地面に転がった。
じゃっと音立てて、濡れた地面を滑る体。足も速いやつ・・・この蹴り、どんな威力だと、悶絶する痛みで体を丸める。近づいて来た若い男は、左手から血を垂らしているが、茂みの小枝で手の平を切っても何てことなさそう。万事休すか―――
膝を食らった腹を二つ折りにして、レムネアクはどうにか息を整えるものの。若い僧兵の片足が真上で影を作る。その靴の裏が、自分の頭に位置を定め、踏み砕かれる覚悟を決めた。
「これで死ぬ程度の弱さなら、要らない」
若い男の怒りを含んだ声が落ちた。ふっと空気が圧され、足の裏がレムネアクの頭に思いっきり踏み込まれる瞬間、真っ白な光と共に体が軽くなった。小雨が降る黒い夜に、弾けた白。
驚いたレムネアクはパッと目を開け、息を呑んだ。傷みを感じる間もなく踏まれて死んだかと思った。しかし目を開けたそこに、若い男の姿はなく・・・小雨を煌めかせ、静かな淡く白い光が浮かぶ。
「あ・・・あ・・・え」
「どっちだ」
距離のある焚火は消えており、白い光以外は明るさのない崖っぷち。その白さは淡いのに、本体は判別つかない眩さ。雨は、宝石の点描のように輪郭を縁取る。
喋った何者かは『どっちだ』と尋ね、レムネアクは転がった地面で若い男を探そうと左右を見る。若い男は突き飛ばされたように、かなり離れて倒れていた。
「どっちが、サブパメントゥとつるんだ?」
レムネアクと、若い男。白い光は二人の内のどちらだと尋ね、レムネアクも、自分とあの男のこと、と質問を理解したけれど。
これをもう一人。別の誰かがが遠目に見ているのは、両者が気づく状況ではなく、無視される。些細なことだがこの無視が、後々に厄介なもつれを生じさせる。
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