2764. 三十日間 ~㉟僧兵レムネアクと黒いダルナ
北西の修道院址で、朝っぱらから魔物を倒した僧兵が、軽傷を手当てに掛かる。今日は武器を先に持って行くべきだったとぼやいても遅い。打ち身と切り傷で、切り傷は左腿の膝上辺り。
「ここが腫れて悪化されても困る」
足はやめろと文句を言いながら、沸かした湯に布を浸してあっつい内に切り傷に当て、火傷ギリギリの処置を繰り返す。昨日、水を汲んでおいて良かったと心底思う。傷は浅いが消毒が甘ければ、足がやられる。
「魔物が相手だからな。何を入れられてるか分かったもんじゃない」
祈りも併せて、消毒に励む僧兵は、魔物に切られて汚れた箇所が徐々にきれいになってゆくのを確認し、少しホッとする。
「毒がなくて何よりだ。他の人も大怪我していたようだが、毒がないならまだ」
ふーっと一安心し、やたら臭くて汚れた魔物に舌打ち。
凄まじい悪臭を放ち、人間の体が見えている半透明のエビみたいのが浜に出た。前脚が鎌のようで、後ろに続く十本近い脚は移動用。頭と背中に入った人間の体が揺れて動くのが見え、町の人間はその時点で戦意喪失も多かっただろう。
「血の気の多い海賊がいるから、何とかなるけど。あれ、知り合いが入ってたっぽい人は、魔物相手に泣いて走ってた」
魔物に何を思うでもないが、悪趣味具合に頭を振る。まさか自分の知り合いが、魔物に入った姿を見るとは思いもしないだろう。
「じいさんの家まで、浜から遠いし・・・ま、大丈夫だと思うが。とりあえず道具は返却したし。俺も退治に参加したし。浜は臭くて大変でも、魔物がいるよりはマシ」
何度か湯に浸した布で清潔にした傷をしげしげ眺め、痛みも通常の範囲とし、僧兵は吹いた布を洗って絞ると、それで傷を縛った。
道具は、やはり老人に返すことにした。返しに行ったら下る道の先が騒がしく、魔物が出たと聞こえたので、老人の家先に道具を置いてから参戦。浜に上がった二十匹そこらの魔物を町民と倒した。
応戦中、どこからか風変わりな歌が聴こえ、生温い風が吹いて、左右の浜にも出てきた魔物が急に消えた。誰かが『変わった精霊が倒したのかも』と話していたが、姿は見えないまま。
自分たちの持ち分も丁度終わったところだったので、魔物退治後は他人と話すことなく引き上げた。
黒い魔物対抗道具を使った人もいた。一人だったが、驚く勢いで岩石が現れたと思いきや、それも瞬く間に消え去り、カラッカラになった海藻みたいな小さい魔物の死骸と、崩壊した道具の欠片が後に残った。
使うとああなるのかと目を瞠ったものの、一度使えば終わる品。ここぞという時、使う判断を考えさせられる。じいさんは、自分の命を守るために使うだろうか。
「サブパメントゥ・・・来なくなったな。対抗道具がもう、ここにないことをサブパメントゥが知ったら、俺を殺すかも。もう一回命乞いしてみるか」
恐ろしいけれど、嫌いになれない容姿の持ち主なので、縁があったらまた会いたいと僧兵は思う。
取りようによっては気楽なものだが、彼にとって美は大事な要素なのもあり、煙いサブパメントゥは目の保養だった。
それに、頭痛と体調不良に悩まされたにしろ、黒い材料から『雷を弾くもの』は、ほぼ出来上がった。正確な表現では、『雷を通さない・反応しない』もの。
「満足するかは、見せてみないとだな」
腹が鳴ったので、焚火から離れて野生の豆を取りに行く。勝手に野生化した豆は、何度か続けて降った雨で増量したから、豆だけはたくさん食べられる。
傷む足に負担をかけないようゆっくり歩いて、食べる分だけ豆のさやを千切って取り、退治後の食事を簡素な豆で満たそうと、焚火を振り向いたら。
「うっ」
「魔物、って言うなよ?言ったら死ぬぞ」
向かい合った真ん前、焚火と自分の間に、黒い鳥のような羽を持つ大きな・・・龍に似た生き物が立っていた。羽かと思ったが、先端が尖り煌めく様子は、鱗と分かる。長い尾も、ガラスのような輝きの蛇腹も、醜悪な魔物とは似ても似つかない。こんな・・・やばい状況だが、これも美しいと思ってしまう僧兵。それを読み取って訝しむ、黒い相手。
「俺が、『美しい』?」
「ほ、褒めてます。え?頭の中、あなたも読めるんですか」
「あなたも、ね。なるほど。サブパメントゥのやり取りで」
「違うんですよね?その、俺は。あの。もしかして、動力」
「怖がってるわりには自分から喋る奴だな。動力は壊してやるよ」
「ダメですよ!ダメ、やめて下さい!あれは」
「じゃ。今すぐお前の意識が消える方にするか」
ピタッと黙った僧兵は、青天の霹靂へ対処を考える。これは誰なんだ、目的は動力じゃないのか、俺の意識を消す利点は?
焦った僧兵を見下ろす、大きな黒い相手の目は水色と炎の赤が螺旋を描く。吸い込まれそうな不思議な怪しさと、硬質で整った風変わりな美しさに、やっぱり見惚れる。
「暢気だな」
呆れた相手の声が降って来て、ハッと我に返った顔が笑われた。黒い相手は長い首を少し傾け、怯えているんだか称賛しているんだか分からない人間に、『冗談はここまで』と呟く。
「名前を言え」
「レムネアク」
「嘘じゃなさそうだな」
「本名です。苗字は」
「名前だけで良い」
「お前は殺人鬼じゃないんだな」
はたと、会話が止まる。黒い相手には自分が僧兵だとバレている。少し考えて、僧兵は『殺人は数えていませんが、多かったです』と答え、でも殺人鬼ではないかも知れない、とも言った。
「この国の人間と顔つきが違う。外国人だから、気にしないで殺せそうだよな」
「・・・相手が何人でも。民間担当じゃないので」
「殺人が仕事だろ。民間人が山のように死んだのは」
「俺の仕事は―― いろいろ知っていそうだし、あなたに隠すこともないか。俺は『デネアティン・サーラ内の殺し』が仕事でした」
「同じ宗教の、ってことか」
「はい。派閥があり、邪魔な役職者とか僧兵とかです。立場的に手が出しにくい面倒者担当でした。武器も使いますが・・・言い難いな。俺は『料理番』なので、毒殺が通常の手段で」
「レムネアクの顔は一度見たら、覚えられるだろう。目立つ顔で、同じ宗教の連中を殺し続けられるもんか」
「直接行かないことも多かったです。毒を回す、届ける方法は幾らでも。俺も自分が外国人で目立つのは承知ですし、顔をあちこち出すほど安心してません。武器は訓練した範囲でしか使えないので、得意なのは食材です」
「得意とか・・・お前さ。ホントに、普通言わなそうなことをベラベラ話すね」
「隠したって、読みそうじゃないですか。頭の中に話しかけたんだから」
ここまで正直に言うかなと失笑する黒い相手は、『そうかもな』と認め、殺人業でもこいつは職場内であることも印象に刷り込まれる。
「じゃ。俺の目的を言うか。レムネアク。お前がサブパメントゥに使われて作った代物は、放置できない。だからあれを取り上げるか、壊すつもりでいる」
「え?取り上げ・・・あの、その。あれを取られてしまうと、俺はサブパメントゥに殺され」
言いかけて、レムネアクの視線が横に流れる。誰を見る訳でもなく、心の疚しさにこの時、戸惑った。殺人鬼ではないが殺人を生業にしたと正直に伝え、続きで自分は殺されたくないと伝えるのは不利か。
掠めた戸惑いだが、黒い相手はじっと反応を待っており、僧兵は唾を飲み込んで視線を戻す。
「何でもないです」
「ふーん。覚悟か」
「いや、そうでもないですが」
「人殺しは悪いこと、と。それは思ったわけだ。自分が助かりたいのも後ろめたく思ってそうだ。俺に言えば、逆に始末されるとか」
「図星ですね」
「やたら正直だな、お前」
変な人間に笑うダルナは、首をちょっと鉤爪で掻くと『俺の種族はダルナ』とそれは教えてやる。ダルナ?繰り返した僧兵を見下ろし、誰かに似てるなとスヴァウティヤッシュは思うが、脱線せずに話は整える。
「今更、だ。今更教えてやっても意味はないだろう。だが、豆知識も悪くない。お前が老人に貰った道具、龍の皮が使われていたな」
「知ってるんですか?」
「聞け。龍の皮はサブパメントゥ除けにもってこいだ。神殿の伝説にはそういうの、ないんだな」
「ないですね。でも、それ本当ですか・・・だから、あのサブパメントゥは怒って」
「そういうことだ。さて、龍の皮が入ったあれはどこだ」
知っていて、スヴァウティヤッシュはとぼけながら尋ねる。僧兵は後ろの下る道を振り返らず、間を開けてから『もうないです』と返事をした。
「実は、老人に戻したわけじゃなく?」
「・・・何で知ってて聞くんですか。ないのは本当でしょ」
「あっさり暴露するのも、性格なんだろうな。悪いやつに思えなくなってきた」
「悪さはしましたから、悪いやつでしょう」
「老人の家に貰いに行ったらどうだ。人殺しなら、それらしく。俺がこれから庵を消して、サブパメントゥにお前は殺される条件も整うし。老人相手ならお前も簡単に」
「要らないです。あれは俺のものじゃないです」
「龍の皮なんて、そうないだろ。じゃ、他の人間から」
「何を言わせたいんですか。俺は、俺のものじゃない物は求めません。それでいいじゃないですか」
緊張感なんてとっくに追いやったらしき僧兵は、黒いダルナを睨んでいた。その目つきに、スヴァウティヤッシュはゆっくり頷いて『そう』と短く答える。
「何を作っていたか、質問を変えるけどな。話すか?」
「どうせサブパメントゥが戻ってきたら、俺は死ぬ。他言無用の約束もしていない。雷を避けるための」
「もういい」
スヴァウティヤッシュは彼を遮り、黙った男を見下ろしたまま『お前は悪いやつじゃない』と言っておく。
「あれは俺が引き取る。庵は残してやる。寝起きはそこだろう」
「・・・俺の死体が転がるのもそこですよ」
「運に祈れ、レムネアク」
黒いダルナは会話を切り上げ、ゆらっと浮上して庵に移動する。庵の垂れ幕がふわーっと浮き、中から作っていた黒い材料の道具と・・・その殻が出て、大きなダルナの手に納まった。ダルナは振り返らず、午前の空に溶け込んで消えた。
レムネアクは豆のさやを焚火に運び、湯を流して、新しい水を沸かし直す間・・・運命の分かれ道、その足音を感じていた。
サブパメントゥが知ったら、自分は消される。庵の垂れ幕がずれて、隙間から何もなくなった机が見えた。
「まぁ。うまく行けば、何かまた生き延びる縁でもあるだろう」
諦めは悪いんだよなと気を取り直し、最後の時間まで、殺される瞬間まで自分らしく過ごすことにする。
今更、か。ダルナの言葉が頭に木霊した。
今更、じいさんを殺して奪うなんて考えない。今から、他の誰かを殺して取ろうとも思わない。龍の皮が入っているなんて知らなくても、魔物資源活用機構の製品だったから、興味があって、欲しかっただけで。
茹で上がった豆を皿に取ろうとし、着いた膝が傷がズキッと痛む。
「殺すつもりなら、魔物退治なんかしないって」
傷んだ足を鬱陶し気に一瞥して、レムネアクは茹でた豆を食べ始めた。
空は雲が厚みを増しており、風が少しずつ冷えていた。雨が来るのを感じながら、いつ煙が漂うか、それも覚悟する午前―――
*****
「これはイーアン行きだな」
スヴァウティヤッシュは取り上げた黒っぽいのを浮遊させながら、預け先を考えていた。忙しそうで悪いけれど、彼女に渡すのが一番に思う。
「ま。荷物にはならないだろ。レムネアクが作らされていた流れの始終も、俺は知っているんだし。説明した上で渡したら、イーアンの役に立ちそうだ」
ということで、『燻り』が作らせていた、雷を遮断し影響を受けないための道具と、材料の殻は、午前の内に女龍に渡る。
女龍はこれを引き取り、事情を細かく聞いてから、何かを考えついたのか。スヴァウティヤッシュに『煙のサブパメントゥをその僧兵に近づけないで』と頼んだ。
イーアンの頼みの理由を、ダルナは最初、分からなかったが・・・レムネアクが開発に関わっていたことや、魔物退治をすること、老人に道具を返したこと、僧兵業で殺人を繰り返した罪を自覚していることも話したので、その辺が理由かなとは思った。
要は、興味が湧いたのか、と―――
「ちょっとやることありますから、用が済んだら、その男に会ってみようと思います。もう一回確認しますけれど、『煙のサブパメントゥ』は、操って作らせてはいたものの、仕組みを知っているとかではないのですよね?」
「知らないだろうね。僧兵を自動操縦って感じだ。躊躇いや慎重さの妨げを取っ払って、僧兵の技術と知識を遠慮なく垂れ流させた、そんなところかな。だから分かっているのは僧兵自身」
頷いたイーアンは、それなら良いのですと呟いてお礼を言い、くれぐれも、煙のサブパメントゥを近づけないよう念を押す。
「私が僧兵に会うのも、気づかれたくないです」
「いいよ。簡単だ。でさ・・・これは前情報で、本当になるか分からないんだけど。今日あたり、人型が一度に各地出没」
「何ですって」
「他のサブパメントゥが、煙の奴と接触してそう話していた。多分、今日。もしくは明日か。この前、どこかで試運転もあったようだ。俺はそっち行ってないから、犠牲は出ていたと思う」
「・・・了解しました。今日、気を張っておきます。スヴァウティヤッシュ、まそらたちにも」
「いつものことだ。大丈夫」
矢継ぎ早の会話を終えて、黒いダルナは『じゃあね』と空中に消え、イーアンは受け取った道具を手に、『僧兵』と一言呟いた今は、お祈りを聞く時間なので・・・夜に探しに行く。
こんなものを用意する僧兵が、まだいる可能性。
碌すっぽ、材料も工具もない状況で抽出と接着、熱調整まで。サバイバルで、科学の応用によって生き残れるタイプ。
「たまにいるのよ。こういう奴が。他にもいるのか、開発に関わっていたなら似たような同僚を知っているはず。聞き出しておかないと、徒党を組まれたらまた厄介が増える」
クフムは使えるのが知識と技術だけで、体力も腕力もなかったから楽だったけど、と舌打ちする女龍(※クフムは弱い)。
「野望系で、知識も体力も運動能力も高い徒党なんて、危なっかしい以外ないですよ」
狂信的な集団だとそういうのあるんだよなー・・・ イーアンはドルドレンの忠告を思い出しながら、とりあえず『お祈り』に戻った。
お読み頂き有難うございます。




