2761. 三十日間 ~㉜十日~十七日、エサイとラファル再会
人間に近い状態で目を覚ました以降、ラファルは順調に体力をつけていた。イーアンはあれ以来、顔を見ていないが、魔導士は『今は自分のことだけ考えろ』と取り合わないので、呼んでもらうことも出来ず。
話がしたいけれど、イーアンは忙しくしているのも聞いたから、それは待つ。
リリューは『欲しいもの』を聞かれてから、懸命に考えて、とうとうバニザットに相談し(※一人で分からなかった)『思いつくまで無理するな』と助言を受け、今は大人しい。
毎日会いに来る、それが一番嬉しそうに見えるし、リリューを困らせるのも可哀相なので、その話は触れないでいる。
イーアン、リリュー、バニザット。自分を心配し、自分を守ろうとする彼らの存在に、ラファルは時々・・・不思議な感覚を持った。なぜ、俺にそうしてくれるのか。同情や憐憫は最初にあっただろうが、俺に関わったとしても何の得もない。
損得が全てとは思わないが、そこまで熱の入った感情を持つこともなく生きてきた男にとって、自分がこの世界に来た意味を、再び思い巡らせる。
出かけていた魔導士が早く戻ってきて、そのきっかけを探る機会を得る。
「ラファル。客だ」
誰が来たんだ、と居間に入ってきたバニザットの後ろを見る。いつもは昼前になど戻らない彼が、面倒そうに顎を後ろへしゃくると、のそっと・・・大抵のことは反応が薄いラファルでも、さすがに少し口が開いた。
「ライオン?」
「この野郎。どこかの動物の呼び名だろ、それ」
「ライオンが喋る」
淡々と地味に驚く男の前で唸るヨーマイテスに、魔導士が苦笑して『お前の姿が二つあると、彼は知っているのか』尋ねる。ちらっと見た碧の目はそれに気づいたようで、バニザットは頷いた。
「ラファル。お前が塔の地下で、ドルドレンに救出された時。もう一人、男がいただろう」
「いた。彼はシャンガマック・・・もう一人、やたらガタイの良い大男もいたが(※1960話参照)」
「そのガタイの良い大男が、こいつだ」
ライオンを指差されて、ラファルはじっと動物を見る。このライオンもデカいよなと(※そこで納得)受け入れ・・・ふと思い出す。
シャンガマックと一緒にいたライオン(※2200話参照)あれだ、と。
ヨーマイテスからすれば気分が悪い再会だが、ヨーマイテスの用事ではないので、くさくさするし、とっとと退出する。ほらよ、と右腕を前に出し、向かい合う男と自分の間に灰色の煙がしゅうっと挟まった。
煙の灰色はそのまま、鬣をもつ狼男に変わる。ラファルは手に持っていた煙草の火種を灰皿で潰し、大きな狼男を見上げ『お前は、エサイ』と名を思い出した。
「そうだ。ラファル。話があって来た。」
「俺と?」
「目の前にいるんだからそうだろ?あんた、反応が変だよ」
よく言われるなと頷いた真顔のラファルに、エサイは可笑しそうに首を傾げて『イーアンの仕事の手伝いだ』と言った。イーアンの名が出て、ラファルは狼男の背後の一人と一頭(※獅子)を見る。
「席を外す。終わったら呼んでくれ」
バニザットが緋色の袖を一振りして部屋を出ると、でかい獅子も一瞥して踵を返し『余計なこと喋るなよ』とエサイに注意して通路へ消えた。
「さて。久しぶりだな、ラファル。まだ話が行ってなさそうだから、俺から解説だ」
「イーアンの仕事?俺に話すことが、か」
「あんたの新しい業務、って感じだな。あんただけじゃなくて、俺とイーアンも」
ラファルは興味がないことに関しては、全くと言っていいほど探らないが・・・何となく意識が揺れる。
「地球から来た・・・?」
「そう、これがキーワードだ」
狼男は長椅子に座り、長い尻尾を横から出すと、立っている男に『とりあえず座れよ』と住人のように椅子を指差した。
*****
『あんた、反応が変だよ』―――
ラファルは小さいことを、普段は殆ど気にもかけずに過ごすが、狼男の口調が変わった印象を持った。前はもっと、猜疑心が強く、攻撃的なイメージだった。久しぶりに会ったら、態度が砕けている。
自分たちが、世界にあてがわれるであろう次の仕事。
又聞きの内容を説明する狼男をぼんやりと眺め、ラファルは彼がなぜ前と違って、こんなに・・・生き生きしているのか少し気になった。
最後に別れた日(※2165話参照)。狼男のままでは嫌そうだった彼は、今はあのライオンに連れられて満足しているんだろうか。
先ほど感じていた、不鮮明な自問自答の続き―― 自分がこの世界に来た意味 ――を、狼男と会話しながら、感覚で手繰る。
「聞いてる?」
「聞いている」
「なんか答えないと」
話を聞いていそうに見えないとぼやかれ、ラファルは椅子の横の机を指差し『吸っていいか』と喫煙の許可を問う。勝手に吸えよと困った顔をしたエサイに、そうだなとちょっと笑って煙草に手を伸ばすと、エサイから思わぬ質問を受けた。
「あんた、笑うんだな」
「・・・変か」
「いや、俺はあんたが笑うところを見た記憶がないから」
そうだったかなと興味なさそうに返事をしながら、火打石とナイフを使って箱に立てかけた煙草の先に火花を落とし、反対を口に咥えて吸い込む。一連の動作が素早く正確で、エサイはそれも『ライターなくてももう大丈夫そうだ』と茶化す。
「ライター?ああ、そうだな」
懐かしいなと少し笑う横顔に、エサイが話しかけようとして、ラファルは思い出したことを呟いた。
「イーアンが龍の爪で、煙草に火をつけてくれた(※2164話参照)。ライターは要らないが、またあんな風に火をつけたい」
「火?イーアンが?」
「俺が・・・まぁ。少し話し込んだ時、彼女が気を遣って、こう・・・片手を白い龍の爪に変えてな。何でも切れるから加減が難しい話だったが、火打石が切れなくて良かったと」
思い出し笑いするラファルに、エサイも想像してクスッと笑う。イーアンは優しいからねと答えた狼男に、ラファルの薄茶色の目が留まり、『エサイもイーアンが気に入ってる』と言った。狼男は軽く相手の視線を流して顔を窓へ向け、『別に』と即答する。
「俺と似てるから話が通じやすい。あっちは最強、俺は狼男だけど」
「そうか」
「雑談で来たわけじゃない。俺の連絡はその頭に届いたな?」
「俺とエサイとイーアンの三人。地球から来た俺たちが、別の世界と繋がる大陸に行くと、橋渡しみたいになる内容。合ってるか?」
「すごい端折られてるけど、要点は押さえてる」
俺はもっと喋ったよなと疑り深そうな狼の目に、ラファルは煙を口から零しながら灰皿に灰を落とし『喋っていた』と認める。
「この世界の人間が、片づけられるか、逃げ道があるか。避難する方に決定したら、幻の大陸に俺たちが出かけると開く、と。また俺は『鍵の役目』だな」
「・・・あんた、今は」
サブパメントゥの痛みに縛られていたラファルの『鍵』を、エサイは同情ではなく確認する。
今も、そうなのか。魔導士は何も言っていなかったので、会話の流れで尋ねると、ラファルは『外せたようだ』と簡潔に教えた。
「もう、サブパメントゥの操りはないってことか」
「そうらしい。少し前に、いろいろあった。俺に課せられた『鍵』の質が変わったのかもな」
どのみち、『鍵』扱い―――
そう聞こえるが、ラファルは常に諦めが板についた男で、抵抗もしなければ嫌がりもしない。何があっても、『そうか』と受け入れる男は、続く仕事・・・幻の大陸を開く鍵として向かうことも、『そうか』で終わらせる。
エサイは、彼がなぜこの世界に呼ばれたのか、何となくわかる気がした。
「ラファル。帰る前に余計な話をもう一つ、序でにしておく」
「何だ」
「あんたがここに呼ばれたのは、その悠然と物事を受ける『自分』に終止符を打つためかもな」
「・・・終止符って?」
「俺の話になるが、俺はこの姿、二度目の狼男を自分で選んだんだ。もう一人、ビーファライって、いただろ?あいつは赤の他人で生まれ変わることを選んで、狼男をやめた。今、イーアンたちと一緒に動いている人間が、そうだ」
「ビーファライ。彼はイーアンと一緒に?生まれ変わって、とは」
「関心出て来たか。掻い摘むけど、俺もあいつも『この先どうしたい』か、精霊に判断を訊かれた。元の人間には戻れない。条件は、狼男と別の姿、それか、全く違う人間として生まれ変わるか」
「すごい選択肢だな」
「だろ?その場で答えるんだ。俺とビーファライはそれぞれ違う答えを出した。俺は今、あの獅子の腕についている『道具の姿』か、この『狼男』だ。で、ビーファライは、名前も何も丸ごと変わった別人で、記憶だけが残っている『若造』」
エサイの話は強烈で、何がなのか分からなくてもラファルに響く。自分の終止符?その続き・・・この世界で与えられ、続きが全く違う、と聞いて。
「俺がそういった事態に出くわして、身の振り方を選ぶと、エサイは」
「そう思う。幻の大陸は、その機会を与えそうだ」
「狼男の、何かしらの力?」
「いや、関係なし。俺の個人的意見だ。体験に倣う、勘みたいなもんだ」
勘と言われ、頷いたラファルは煙草にもう一度火をつけて、少し長く吸い込んでから、首の横に片手を当てると、『ここに』と狼男を見た。
「おっきく切り口を作ったんだ。それと、ここも」
首に続けてこめかみに人差し指を置き、このナイフで・・・と煙草を挟んだ指で机のナイフを示す。
「ラファルは忘れているかもしれんが、俺は覚えている。あんたは、自殺を試した(※2165話参照)」
目が合って、『そうだったな』とラファル。じっと見つめる狼男は、彼の言わんとする次を待ち、ラファルは間を置いて、納得した顔つきに変わった。
「死ねない体は、あの後、切り口を開けっぱなしにしただけだった。それから俺は、魔導士と精霊の許可で、別人の姿で過ごした。幻より精巧な魔法だから、現物みたいな気がしたよ。・・・それも終わった。ついこの前、サブパメントゥの打撃で倒れて」
「倒れた?」
尋ね返した怪訝そうなエサイに、ラファルは軽く頷いて『終わりかけた』とあっさり答える。
「だが、魔導士が俺をまた救った。イーアンも手伝ってくれたと聞いた。俺はまた・・・以前の自分の姿に戻った。傷も消えて、あの腹の穴も消えた。サブパメントゥの縛りも解けて、ここに居る」
あまりにも抑揚がないので、エサイはこの男の精神状態に面食らう。元からこういう性格だと思っていたが、自分のことでさえ他人事のよう。なんて返事をしたらいいか、ただ頷いた。
「今の俺は、魔導士の魔法のおかげで、人間に近いらしい。痛みも、暑さ寒さも感じる。空腹も、喉の渇きもあるし、体に取り込めば便所も行く。風呂に入らないと脂臭くなるし。味も分かるよ。煙草も酒も、こんな濃かったっけな、って」
「そう・・・つまり、あんたは準備が整った、と言いたいわけだ。俺がさっき勘で話した『終止符』じみた出来事を何度も繰り返してピンと来なかったのが、やっと存在の変化した今こそ」
「狼男に言われると、説得力があるな」
肩を竦めたラファルに、エサイも『今更人間になろうと思わない』と合わせて、腰を上げる。
「すぐじゃないだろうけど。お呼びが掛かったら、出かける時だ」
「分かった」
「・・・ラファル、ホットドッグは食べるか?」
「ホットドッグ?」
「何でもない」
狼の顔がちょっと可笑しそうに歪み、灰色の毛が覆う背中を向ける。終わった、と扉のない通路に向けて声を上げるエサイに、向こうからデカいライオンがのっそり来て、挨拶もなく狼は煙に変わって消えた。
魔導士も部屋に入り、簡単な挨拶を交わして、皆が出て行くと、ラファルはまた煙草に火をつける。
「ホットドッグ・・・あれか、細長いパンに腸詰めが入った」
食べないことはないなと独り言を落とし、今度イーアンが来たら聞いてみようと思った。彼女なら作るというかもしれない。ゆっくり深呼吸し、表の光が入る窓の部屋へ行くと、日陰から見える明るい海を眺める。
ラファルはここから暫く―― 誰から押し付けられるわけでもなく、自らが選ぶ日が来る『選択肢』について、考え続ける。
この世界に来て、地下に繋がれた苦痛の日々で、思ったこと(※1957話参照)が徐々に強く脳に繰り返されていた。
麻痺してばかりの人生だった。
次は、何も我慢しない。
それを選択する日が来るのかもしれない。ラファルの心境に、少しずつ変化が起きる。
お読み頂き有難うございます。




