2752. 三十日間 ~㉓別行動:要看過・九日目の面師、最初の面・人に非ずの配布対象外・タニーガヌウィーイの祈り
ハイザンジェルの秘密を知ったシャンガマックは、その夜、会いに来た父にこの話をした。
フェルルフィヨバルが側で休む、熱帯の森の泉。
白灰のダルナが巨大石像に見える、彫刻入りの可愛い宮殿で寝泊まりする騎士は、大きな柱に寄りかかって、白亜のタイルの上に敷かれた薄地の絨毯に寝転ぶ獅子に、自分が受けた衝撃を伝える。
構図は緊張感のない贅沢な休日そのものでも、シャンガマックの心境は反対で、知った以上は落ち着きもしない。
フェルルフィヨバルに『過去だ』と諭されてはいたが、その呪いの持続を受け入れるには難しく、黙って聞いていた獅子は、息子に『お前に要望がありそうだ』と報告の裏を指摘した。褐色の騎士がピタッと止まって、寝転がった仰向けの獅子を見つめる。
「ティヤーの民は『淘汰』に晒されている。もしかして、ハイザンジェルみたいな呪いを受けたところもあるのでは、と思うと。意図的に遮られた影響で、人々の心や意識が、他の種族から遠ざかった可能性も気になるよ。
ファニバスクワンは、こうした事実を俺に教えるために、仕事を与えたわけではないと思うが、これからちょっと目的を増やして、ハイザンジェルのような犠牲を受けた地域が他の国にもないか、率先して調べては」
「調べて、解放したい、と聞こえるぞ」
サクッと止めた獅子は、金茶色の鬣をばさっと傾け、仰向けから横向きになり、片腕を開いてシャンガマックに来るよう態度で示す。柱に寄りかかっていたシャンガマックは、獅子の側に行き、その腕の内に寝転んで、獅子の大きな腕に包まれた。
「解放は、仕事じゃないだろ」
低い声が確認する。一緒に聞いた説明だから、この確認は息子の意識用。小さい溜息をつき、『そうだよ』とは答えるが、シャンガマックの気持ちは遣り切れない。
「人を陥れる算段が、延々と続いていたとな。お前はそう思うのか」
「他にどう捉えるんだ、ヨーマイテス」
「そうだとして、お前を悩ませているのは、持ち前の正義感だけでもなさそうだ」
「ヨーマイテスは何を・・・あ。もしや」
温かい獅子の鬣と腕の中から、漆黒の瞳が見上げる。碧の宝石はわずかな夜の明るさに暗く煌めいて、遠くから諭すように見つめ返し、『解放の理由が、既に喧嘩を売っている』と分かりやすく教えた。
「喧嘩を売る・・・『原初の悪』に?」
「お前は気付いた。何が発端にあるのかを理解した。そして現時点で、世界の流れと渦の動きに裁かれる人間を救おうと、解放を望むなら。それは『原初の悪』に限らず、世界に喧嘩を売っているのと同じだ」
「でも、魔物退治をしたり、イーアンたちが民を救うために奔走するのは、喧嘩を売っている行為ではないだろう?世界を守るために選ばれている俺たちは、咎められないはずだ。俺だって知ったからに」
「お前と俺が、どんな立場か」
獅子はここまで言う気もなかったが、遮った一言で息子の声が詰まったので、それ以上は伝えない。うぐ、と唸って目を逸らした息子の頭を、大きな肉球で撫でてやる。
「バニザット。俺もまた、お前の話を聞く限りでしかない。お前の見解は、ほどなく正解に近いと俺も思うが、そうあればあるほど、下手に手は出せないのも覚えておくべきだ。予測で動くことに、問題の焦点を置くのではなく。ファニバスクワンがお前に『対処しろ』と命じていないなら、尚のこと・・・ 」
言い返せないシャンガマックを撫でながら、獅子は『明日は面師の家に行くんだろ』と話を変える。
自分たちは刑を背負う身であり、またも衝動に駆られた自分を、シャンガマックは恥ながら・・・しかし、罠に人間が掛かった―― 仕組まれたと思しき ――事実に胸を傷めながら、明日の予定を伝えた。
*****
翌朝は早く出発し、褐色の騎士はカロッカンの町へ向かう。
昨日の一件で、悶々とした晴れない思いが腹の底まで重くしており、シャンガマックの出だしは無口。ダルナも喋りかけない気遣いで、ちょんちょんと瞬間移動で到着すると、無言で送り出した。
あっという間に到着した、伝統文化の町。朝陽が照らす金色の山の斜面は美しく、薄い霧を透かして遠い山々が奥に並ぶ風景は、道を下りてくる僅かな時間で騎士の心を癒す。
「自然が尊いと、いつでも思うが。人の心は自然で癒すものだと、実感するな」
ふー・・・ 行き所のない疲れた心を吐き出して、少し回復したシャンガマックは、面師の店の扉を叩く。通りはいつものように、誰に会うこともない。時期が来ると賑わう話で、今が閑散期で良かったと、静かな朝に微笑んでいると、人影が中に見えて扉が開いた。
「おはようございます」
「おはよう、ニーファ。どうだ?」
小柄なニーファは、来客を通して一緒に工房へ行く。朝が早くても問題ないのは、彼らも職人だから。もう食事も終わったらしく、ニーファが言うに『バサンダは漲ってる』ようだった。
「喋らないので、内容が分からないですけれど、元気ではあります」
「食べているんだな?眠っていそうにない印象だったが」
「そうですね・・・でもとりあえず、食べる時間はがつがつと食らいつく具合です。大丈夫だと」
話しながら工房の左から水場へ入り、水場など生活の部屋が並ぶ片側と、工房を分ける廊下を歩き、工房が覗ける廊下の窓の前で止まる。
「ふむ・・・元気そう、と言えば。確かに」
大きな窓ではないし、バサンダの居場所によっては見えない死角もありそうだが、彼の背中が動いているのは見える。シャンガマックも一安心し、きっと彼もあの日以来、気を付けているのではと、ニーファに振り向いた。
「どうしますか?今日、話すんですよね?」
ニーファは中断させたくなさそうに、工房の人物に視線を動かし、シャンガマックもうーんと唸る。確かに熱中しているので、これを邪魔するのは嫌だなと頭を掻いた。
「水を一口分、預かるのはどうでしょうか?」
「そうだな・・・それで、食事の際にでも飲ませてもらうか」
『私は手を付けませんので』と勝手に味見したりしないことを宣言するニーファにちょっと笑った、その時。カタッと後ろで音がして二人は工房を見た。バサンダと目が合い、ハッとする。
「バサンダ・・・顔が」
「はい。あれは伝統面ですよ」
シャンガマックは一瞬驚いたが、あ、そうか、とすぐ納得。『面をつけて作業している』ので、すごい顔つき(※人間ではない)。いや、びっくりした、忘れていたと、少し笑いかけたところで、ニーファの微笑んでいた表情が素に戻る。
「あれ?違うや」
素の一声で、へ?とまた後ろを向いた騎士は、朝陽の逆光にこちらを向いた面師の顔が、面を付けたように見えているだけの人間の顔だと気づいて魂消た。
「何だ、あれ。バサンダの顔が」
「宿ったのか。バサンダ、大丈夫ですか!」
宿った、と慌てたニーファは、工房の窓から大声を掛け、すぐに並びの扉へ行き、押し開ける。鍵はかけていないので扉はぎぃっと音を立てて押され、ニーファが初老の面師に『バサンダ』ともう一度叫ぶと、面師はゆっくりそちらを向いて『はい』と答えた。
廊下の窓からこれを見ていたシャンガマックは、バサンダが返事をした途端、顔つきが戻ったのを見て目を丸くする。
「本当にそんなことが・・・あるんだな」
目を瞬いて驚きで口が開く。一秒前のバサンダは、固い大きな木製の面を付けた顔だったのだ。色鮮やかなあの面は、逆光で暗かったけれど、絶対に面だった。それが解けるように消えた普通の顔。
魔法だ龍だサブパメントゥだと、あちこちひっきりなしでも、普通の人間に生じた出来事としては驚きの対象。
シャンガマックは、工房の中でこちらを指差すニーファと、話をぼんやり聞いて頷く面師を呆然と待った。
ニーファがバサンダの手を握って、年寄を誘導するようにゆっくり歩かせながら工房を連れ出した後。
シャンガマックと水場へ戻り、まずはバサンダを腰掛けさせて、それから客人にも椅子を勧め、シャンガマックは初老の面師の顔をまじまじ見ながら、彼の横に掛けた。四角い机の長辺にバサンダ、短辺にシャンガマック、バサンダと向かい合う椅子にニーファ。
「シャンガマックですよ、バサンダ」
すぐ横にいるのに視線を合わせないバサンダは、何度か緩慢な瞬きの後で、『ほら、シャンガマックです!』と指差された左に顔を向け、ようやく視線が重なる。シャンガマックとしては、大丈夫か?の心配しかないが、バサンダは騎士を数秒捉えてから『あ、おはようございます』と正気に戻った。
挨拶した途端、バサンダの表情に普段の雰囲気が現れ、シャンガマックは苦笑して頭を振る。
「こんなことになるなんて。祈祷師が同じような状態になるのは知っているが、職人もあるとは」
びっくりしたよとバサンダの肩を叩き、バサンダは少し理解が追い付かない笑い方をしたが、ニーファに『あなたは宿っていた』と顔を指差されて、両眉を上げた。
「そうでしたか。そうか、夜中に面を外したんです。外しても作れると思って」
外しても作れると思った―― そう言って、バサンダは椅子を立つ。え?と二人が見上げると、『持ってきます』と彼は微笑み・・・数十秒後、ニーファが倒れかけた。
「嘘だ!こんな早く終わるなんて!」
背凭れに体を捻って否定するニーファは、冗談抜きで本気で受け入れられない。シャンガマックは、その様子が子供の駄々みたいでちょっと笑いかけたが、咳払いしたバサンダに止められて、嫌がる態度のニーファを放って置き、話を聞いた。
「じゃ。これで、完成。最初の一つなんだな?」
「はい。絵を見て下さい。これは白の面です。水を表す、ウースリコゼ・オケアーニャ」
「絵には、『海鳥の白』とあったな」
「そうです。だけど鳥よりも魚に似せています」
「どことなく、魚のような印象があるな。この目の縁とか、嘴が窄まって、鱗のような線も」
バサンダはシャンガマックに面を触らせて、シャンガマックは『自分が触ってもいいのか』と緊張する。最初に触っちゃいけないとか、そういうのはないのかを聞くと、『別にない』と言われた。
だが、特別なのは伝わる。大変に美しい面で、内側の滑らかさもさることながら、表面の穏やかな曲線は、鱗の線すら彫られているようにはとても見えない。鱗の縁は、並ぶ隣に段差で繋がっていて、丁寧な塗装は・・・と、ここで気づく。
「塗りたてではなさそうだが、塗装は乾いているのか?」
「乾いています。最後はこの羽の部分です」
全体の色は、半透明の厚みを感じる白い色が基調。水色、紺色、青と薄緑、薄黄、金色と銀の点は、全て塗料の盛りが残り、嘴の付け根に柔らかな羽毛が付き、その羽毛は面を縁取る。羽毛だとしか思えないが、バサンダは、気づかない騎士にクスッと笑って『これは羽毛に似せた樹皮』と教えた。
「これが?樹皮だって?」
「ニーファに集めてもらいました。薄く削いで、崩れないよう柔軟さを保つ油と溶剤に浸し、丁度良い弾力を出すまで繰り返すと」
「羽毛だぞ、これは。どう言われたって羽毛だ」
信じようとせず、食い入るように面に顔を近づける騎士は、バサンダに笑われる。本当ですよと笑いながら―― 嬉しい疑いに満足する面師は、『これで進めます』と言い切った。
サッと顔を上げたシャンガマックに、しっかり頷いたバサンダの微笑は力強い。
「シャンガマック。あの水を飲ませて下さい。私はここから二ヶ月以内に約束を果たす」
ポカンとする騎士の手から、そっと白い面を引き取った初老の面師は、艶やかな面の額を撫でて『ティヤーに捧ぐ』と呟いた。
*****
ヂクチホスの水を飲ませ、『こんなこと奇跡だって、ありえない』と最後まで受け入れないニーファを工房から出し、シャンガマックがバサンダに『また数日後』と手を振った頃。
量産した道具を配りに回る親方は、北のタニーガヌウィーイに今日も会って話をしていた。話している間も、道具はタジャンセ出入国管理局と警備隊が船を出して配布。
「配布中で魔物に遭遇して使っちまったら、良い宣伝だな」
皮肉を呟いて鼻で笑う局長に、タンクラッドも苦笑して『それはそれだ』と一人一つの限定であるのを認める。
「あー・・・っと。こっちがいいか。俺も昨日、狼煙で知らせておいたから、行けばすぐ話は付くと思うんだ。今日はもう結構持参しているんだろ?西はこっちで回してやるから置いていけ」
「すまんな。西の・・・あんたの続きは、どこで話して渡せばいい?数も大体で良いから、多めに分かると」
「多分、こっちな。この域で広く見えても住んでる数は、せいぜい4万人だ」
「この範囲で?島はいくつあるんだ。かなり広いが」
見ていた地図から離れ、『小さい島はそこまで住んでいない』と、タニーガヌウィーイは人口要覧の帳簿を棚から出して開き、その範囲の記録を探す。『あんまり変わってない。半年目途で更新するんだ』と大まかに記録しているらしき発言。
「魔物の犠牲者は増えてるし、もう4万もないかもな。3万5000で足りるだろ」
「・・・そうか」
さくっと言う局長に、複雑なタンクラッドは多くを返さないで了解する。彼らは人の生死に拘らないわけではないが、受け入れるのが早いのだ。だからと言って、情が薄いのでもないし、哀しくないこともない。
かける言葉が難しい話題なので長引かせず、タンクラッドはこれから行く東に渡す目安も確認し、海運局を出た。
「北から南へ。順々に降りて行くにしても、南北に長く広がるティヤーだ。真ん中あたりも、話を繋いでもらって動くべきだな」
ティヤー全体の人口は、タニーガヌウィーイは分からないらしく、『適当に推測する』だけ。いい加減にも感じるが、そもそもティヤーは神殿があったため、彼ら信者の人数は含まれず、きっぱり分かれているのだ。
言われてみればそうかと気づいたが、『信者には渡さない』などタンクラッドには出来ない。『告知』の祈りも、信者たちが入っているかどうか・・・それは頭を擡げたが、人間である以上は、渡す渡さないの差別をしたくない。
信者が、仮に――― 受け取った道具を、魔物相手ではなく使う可能性も、考えた。
信者に信用がないだけで、もしかしたら、海賊側の人間だってイカレた奴が道具を悪用するかもしれない。『そこは使い切りで良かった』と思えた。
「ギールッフの飛び道具を思い出すな。彼らは慎重だった」
まとまりがないティヤーだから。分裂した上に、主導権を握っていた神殿を嫌う海賊は、信者の現在の人数も、当然知らない。
宗教は崩壊したとはいえ、村や町にはまだ信者がいるし、彼らにどう手渡すのか、タンクラッドはうっかりしていたこの問題に少し頭が痛かった。
―――『信者の人口?知らねぇ。あんなやつらにも、道具をくれてやる気か?』
タニーガヌウィーイの呆れた言い方で、タンクラッドは『思い出しただけだ』と直接の返事をかわした。下手に答えたら、彼ら海賊の力を借りられないと判断して。
局長は、昨日タンクラッドに会った時、いろいろと噂を褒めた後で、『告知』もちゃんと祈っていると胸を張った。
誰に祈っているのかと思いきや『イーアン』だった。ただの追っかけではなく(※そう思える)理由に『俺は名前に空がある』らしく、それは本名で普段は人に言わないとか。
空と言えば龍で、いつ死んでも龍を慕うだろうと、それは伝えているよと話した。
きっと聞き入れたはずとタンクラッドが答えると、『俺に龍の空気が絡んだから、そうだろうな』と彼は満足そうに目を細めた。
祈った後、脳天と足元の両方から白く暖かい帯が絡んで、それは空の息だとすぐに気づき、以降、ずっと祈っているらしい。一度で良いのに、自発的な祈り。
繰り返しで同一人物が祈っている場合もある、とタンクラッドは知り、イーアンに教えてやらねばと思った(※毎日大変)。
「タンクラッド。人間を助ける道具を配ると、お前もどんどん情に引き込まれているようだな」
銀色のトゥが、イングの待つ湖の島手前で、主の心境を言葉に換える。
「俺も人間だ。そんなもんだ」
湖の島に降りた剣職人は、次に用意する数を青紫のダルナに告げて、それをまた『王冠』と共に運ぶ。
一人でも多く、一日でも長く、生きている時間が延びるように―――
お読み頂き有難うございます。




