2751. 三十日間 ~㉒別行動:シャンガマックと母国『お伽噺』の裏側・五ヶ所の祠
意外なのか。意外ではないのか―――――
ダルナに連れて行ってもらった山脈から、シャンガマックは『向こうがハイザンジェル』と教えられた方を見て、うっすら淡い青に霞む、稜線の途切れる隙間に目を細めた。
「あれかな。とても遠い。ここもハイザンジェルの一部なんて信じられないよ」
ハハハと笑いながら左右を見渡す褐色の騎士の目には、行けども行けども雪山しかない。境目を決めた人は何かしら印でも付けただろうか・・・全部に線を引くなど、土台無理だと思える広い山脈。
「俺が仲間と国を出て、馬車で国境を越えたのは、山脈終わりも良いところか、切れ端の先のような」
「低い山に道を造るものだろう。道は人里とそう離れない」
少し振り向いたフェルルフィヨバルの目が可笑しそうで、シャンガマックは笑って頷く。『以前、父と山脈まで入ったことがある』とそれも話す。テイワグナの初め頃で、父と出会って間もない頃だ・・・と説明から入る。
「ハイザンジェルに向かい合う山で、リーヤンカイと呼ばれる山がある。そこが魔物の始まりだ。ハイザンジェルの魔物が終わった後で、俺たちは次に魔物が出た国テイワグナへ移動したんだが、リーヤンカイで問題が起きた。
問題自体は龍族が解決したんだけれど・・・偶然にも、そこに『たくさんの人影があった』と報告を受けて、俺と父はその人たちを見に行った。しかし何の手も打てず、そこを去ったんだ(※1144話参照)」
もう、気持ちは落ち着いているけれど。久しぶりにこの話をして、シャンガマックはここで黙り込み、ハイザンジェルの薄青い影を見つめた。なぜ、何の手も打てなかったのかまで、話すことなく。
あそこには、前総長とチェスティミール副総長がいた。攫われた人々も。
氷漬けとは違う状態だが、体はとっくに凍傷でやられていた。それ以上の崩壊が進まなかったのは、魔物の門が下に在ったからと・・・聞いた。
「シャンガマック」
名を呼ばれて、騎士は前を向き『なんだ』と返事。ダルナも前を見たまま、『心が伝わる』と遠回しな表現で、シャンガマックの思いを読んだことを伝える。
うん、と頷き、騎士はまた少し考えて黙り、『俺には疑問があって』と話しを変えた。実際には、変えたわけではなく流れなのだけど。
「聞こう。目的地は近いが、焦ることもない」
「そうか・・・ずっと不思議だったことがある。俺の母国は、精霊信仰も薄ければ、他の種族も殆ど知らない。俺は精霊を信じる部族で育ったから、日常も精霊があってこそと思っていたし、友達のフォラヴは『妖精の血を引く』と自分から言っていたけれど。
フォラヴはちょっと変わった経緯だから、彼の話は置いておくが、とにかく妖精や精霊を信じるのは、俺と彼くらいだった気がする。魔物なんて、お伽噺だ・・・ でも、一歩外へ出てみたら違うじゃないか。テイワグナもアイエラダハッドもティヤーも、精霊がいるのは周知の事実だった」
「ふむ。シャンガマックは、魔物退治以前、外国に動いたことはあったか?」
「あるよ。アイエラダハッドへ行った。だけどその時は特に気にならなかった。目的は遺跡だったし」
「だが、魔物退治で旅に出たら」
「四六時中、精霊も妖精も龍も身近だ。ハイザンジェルでは、イーアンが龍に乗った日、初めて誰もが龍を信じたのに」
「つまり。なぜ孤立していたかが疑問」
ポンポン進む会話に、そう、と頷いたシャンガマックは、ゆっくり顔を向けたダルナに『これからその答えを見るだろう』と告げられた。
驚き、どうして?どこで?何で?とダルナに問い質す間に、ダルナは急に降下し(※答えない)山脈の谷間に突っ込む。直下に似たその勢い、聳え立つ山の間、凍る川の上を擦れるギリギリで飛ぶ。
シャンガマックは、ダルナと自分を包む結界付きで、寒くはないが。直に風を受けたら大変な速さで、巨体のダルナは騎士を乗せて曲折も速度を落とさず飛ぶ。
何が何だか。質問どころではなくて、安全と分かっていても緊張するシャンガマックは、岩に擦れそうな幅の隙間や、行き止まりから上に抜ける屈曲にひやひやしながら―― そうして5分ほど。
なぜ、瞬間移動でもなく、上空からでもなく、こんな入り方を・・・・・
到着したのは、山三つに囲まれた隙にある、谷の脇。
水は流れておらず、谷は狭い。谷は山中を潜って出た上にあり、ここだけで完結しているよう。前後にせいぜい数百m伸びているが、半径3m程度の幅はここだけで、伸びる切れ目の幅たるや、両側の崖に挟まれ、人一人通るのも厳しそう。
ダルナは下へ降りず宙に浮いた状態で見下ろし、そこに雪被る小さな小さな祠があった。
「祠」
精霊の気配がある。ここにいる・・・? 今、自分たちを守っている結界をどうするか、シャンガマックは考える。ダルナは『そのままで良いはずだ』と維持を促す。
「精霊がいるわけじゃない。私たちが来たから、呪いが強まったのだろう」
ここまで強く感じたのはなかったな、とシャンガマックは目を瞬くが、それより。
「フェルルフィヨバル。先ほどから、あなたが知っているように思うんだが」
「私が知る訳もない。ただ、『拾う言葉と見える風景』を併せると」
声を潜めた騎士の質問に、静かに答えるダルナは最後まで喋り切らず。ダルナが口を閉じた理由は、祠の前に現れた、人の姿をした光。
シャンガマックは目を瞠り、ダルナもそれを見つめる。騎士に喋らないようにだけ、短く注意し、二人は人の姿の光が動き出すのを見守る。
等身大の光は、小さい木製の祠から浮かんだ。
『原初の悪』と受け取る気配は全く違うので、ここは絡んでいない気がする。サブパメントゥの柄も、目視の範囲にはない。『原初の悪』によって翻弄された人間たちの名残り、とは思い難い。ここは山脈のど真ん中で、人里は遥か遠く、道すらないのだ。
昨日もそうだった。ただ、同じ山脈の一部でも近くに細い路があり、山に入る誰かが通い路にした印象で、ひっそりと隠すように祠を建てたのかと思った。
特に違和感もなく『火山被害の影響から、こんな奥地にしたのかも』と思って終わったが、今日のここは? 人間なんて、一回だって、足を踏み入れたことのない場所にしか見えない。
どこも人によって崩されていない、天然の状態を昔から保つ山脈の合間で、ポツンと木製の祠がある。
眼下で動く、人の姿の光は、シャンガマックたちに気づいているのかどうか、こちらへの反応はない。
なぜ――― シャンガマックの疑問は増える一方。
ここは、精霊の祠だろうが、なぜフェルルフィヨバルはここに連れて来たのか。
『原初の悪』の影響が齎す、土地の精霊の呪い、人の営みの崩壊と狂いの名残を調べているのに、ここは別ではないのか。
それにこの、光の何者かは精霊でもない。確かに精霊の気配が祠からは感じ取れるのに、光の姿は・・・と、思った時。『まだ、だ』と声が聴こえた。
びくっとしたシャンガマックに、ちらっとダルナの視線が飛ぶ。喋るなと目で止められた気がして、頷く。
光の人は、山脈の谷に差し込む僅かな自然光よりは明るく、祠の周囲を一周して足を止め、頭だけを一方に向ける。その方向はハイザンジェル。
『来たと思ったのに。まだ待たないといけない。私の代わりは、いつ、この道を歩くのか。ああ、長い。長くて、もう。精霊よ、許して下さい。お許しを。私は疲れた』
何の話か、シャンガマックは身を乗り出す。はっきりとした声は、近距離で喋っているように聞こえるが、声が途中で途切れる。聞き漏らさないよう、ダルナの背中から少し頭を下に向けて、次の言葉を待つと、人の姿の光は祠の小さな扉に片手を置いた。もう入っちゃうのかと、シャンガマックは焦ったが、光はそこで止まり、溜息を落とすように肩を揺らした。
『たった少しのことだったでしょう?それなのに、私に代わる者が来ない内は、ここに縛り付けるなんて。私が知恵を止めた、良いことをしたと、思っては頂けないのでしょうか。ああ、なんて悲しい』
知恵? シャンガマックが不思議に思う一言が出た。もう少し内容をと、片耳を傾けたところで、光の姿は急に祠に吸い込まれて消えてしまった。
「あ」
思わず驚いて声を上げ、慌てて口を閉じる。フェルルフィヨバルは『大丈夫だ』と教えて、ゆっくり浮上。もう用がないのかとシャンガマックが尋ねると、ダルナは『確認した』と穏やかに言った。
「今のは?何だったのか、俺にはさっぱり」
思い出しても、知恵とか代わりとか、縛り付けるとか、ピンとこない。ダルナは大きな頭を乗り手に向け『もう一ヶ所行こうか』と斜め前方に視線を流し、シャンガマックは了解する。ダルナは騎士に答えを探らせる気で、騎士をハイザンジェルの北へ連れて行く。
山脈伝いでアイエラダハッドの間へ移動し、ここでも同じようなものをシャンガマックは見る。
一体これはと、最初の祠に繋げて考える。二ヶ所目も、似たような祠とやはり人の姿を模る光がうろついた。喋っている中身も近い。知恵が、罰が重い、まだ誰も来ていない。そして、『ほんの少しのことじゃないか』と言う。
そこに辿り着くまでも似ていて、やはりフェルルフィヨバルは、面倒臭い道のりを通過して到着し・・・・・
『もう一ヶ所ある』と言われて、シャンガマックはここまで来たら、あと何か所あろうが全部回ると意気込んだ。
こうして、日が暮れるまでに回ったのは全部で五ヶ所もあり、共通の文句を聞く。
茜色の日が、空を染め始めた時間。
ようやく・・・察したシャンガマックは、暫し一人で考え込んでいた。ダルナは何も言わず、騎士に考えさせる。首の根元に跨る騎士が、思いっきり息を吐き出したのを合図に『分かったか』と振り返ると、漆黒の瞳と目が合った。
「分かった」
「話してくれ」
「もしかして、あの人たちはハイザンジェルへの情報を途絶えさせたのではないか」
「そのとおりだ」
ゾワッとしたシャンガマックは、目を瞑る。これまで、何度も思ったのだ。
イーアンの知恵を披露された時も、ディアンタ僧院の知恵の話も、ヨーマイテスが連れて行ってくれた遺跡の壁画の内容も、アイエラダハッドで彼に教えてもらった『知恵の時代』についても(※1844話参照)。
しかし、魔法の発達を選ばれて、知恵は封じられるものであったと、体験を通して理解した『呪われた町(※2197話参照)』から、ティヤーの孤島僧院『メ―ウィックの書(※2656話参照)』の内容で、閉ざされて良かったとも、本心で安堵した。
なのだけど。なんて皮肉なと、事情の走りに気づけば、そう感じてしまう。
ハイザンジェルへは、意図的に閉ざされる状況が整ったのだ。
企てたのは誰だったか。計画の首謀者は分からないけれど、五ヶ所の祠に共通するのは、関係者の人間が未だに呪いに閉じ込められており、彼らの行為が精霊に許される事ではなかったこと。
『自分たちは知恵を封じた』と異口同音で嘆いていたが、封じたのは知恵だけではなかったと思える。
どんな手を使ったか知らないが、知恵はおろか、他の種族の存在もないものとして、ハイザンジェルを閉じたのだ。
この影響の大きさは、到底、人間に動かせる力の範囲を超えている。
だが、彼らはこれを行ったとして閉じ込められた。閉じ込めたから終わり、とは思い難いので・・・この初っ端、ほぼ関係を持たないくらいの薄さで、『原初の悪』ありきなのではないかと考えた。
閉ざす呪いを使った精霊は、地霊なのだろうか。何かの形で、人間に裏切られたか。もしくは、利用されたか。
「何の証拠もない。俺の推測で喋っているが、そういうことだったのか?」
「シャンガマック。私が真実を知っている訳ではない、と初めに言った。だが、私に見え、私に聞こえた過去の一場面は、小さな国が出来る前のこと。
人は住み始めていたが、現在とは異なる国だった。ハイザンジェルの呼び名はいつの時代からか、それもお前が知っているなら合わせて考慮すると良い。
その国へ入る境を跨ぐと、幾つもの記憶が散った。私たちが回った五ヶ所は、線で繋ぐと」
「ああ!そうだ!囲んでいるじゃないか」
道なき道。そこを道としたのは、紛れもなく精霊の手伝いがあってこそだろう、とそれも見当がついた。
山脈のど真ん中に置かれた祠で、人の姿の光はそこを『道』と言っていたのだ。道なんてどこにもないのに、変なことをと思ったが。
もしやそこを道に誂えた精霊がいて、ハイザンジェルを封じる祠の役目を後から知ったために、約束が違うと怒ったのかもしれない。
可能性があるだけに唸るシャンガマック。フェルルフィヨバルは、少し助言する。
「過去なんだ。シャンガマック。未来を見据えた何者かの、いたずらか、それとも邪魔か。どちらにせよ、今はすでに過去のこと」
「そうだね・・・でも。何者か、とは『原初の悪』だろう?勇者がハイザンジェルから生まれると知っていたのか。女龍がハイザンジェルに降りると知っていた・・・知っていそうで」
「過去だ。今は」
違うことを調べていたはずなのに、思いもよらず、『母国ではお伽噺の謎』が解けた日―――
フェルルフィヨバルが、五ヶ所全てに面倒な行き方を選んだのは、かつてそこを歩いた足跡を辿ることで、『交代』の条件を言い渡された罪人が現れるからだった。
フェルルフィヨバルだからこなしたが、この唯一の交代条件は、まず行われないと分かるだけに・・・精霊が、絶対に許さない罪の対象だったとも理解した。
それほどの怒りを煽ったということは、その精霊もまた多くの犠牲を出さざるを得ない立場に置かれたのだろうと思うと、シャンガマックは気の毒でならなかった。
お読み頂き有難うございます。
最初から読まれていると覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが、ハイザンジェルは山脈に囲まれた小国です。
東の一部に大きな川があり、唯一、山脈の途切れにあたります。イメージだと山脈の囲い方は『C』に近い感じで、今日シャンガマックが連れて行ってもらった祠は、点々と国を包囲するように在ります。




