2729. 『魔導士製・海の水』使用・『呼び声』の錠・女龍の夜の魔物退治・旅の四百二十二日目 ~船の朝報告
※少し長くて6700文字あります。お時間のある時にでも。
最初の頃の姿――― 素の彼に戻ったラファルが、寝台に横たわり、目を開けて答えた。
薄茶色の目と、枕に垂れた白っぽい金髪。頬の大きな傷跡、首に見えるタトゥー。
その首は、彼自身によって切られ開いたまま、カラッカラの黒い傷跡で・・・(※2163、2164話参照) イーアンの目に涙がこみ上げる。でも、サッと下を向いて堪えた。
メーウィック姿の、一分前。彼の目は緑色だった。
姿を変えてからも目の色だけは、ラファルの元の色、薄茶の瞳でいたが。さっき薄目を開けた時には緑色の・・・あれはメ―ウィックの目の色かもしれない。
『仮の姿』が、ラファルから離れ始めていたのを理解する。今を以て、彼は次のステージへ促された。
再び彼を前にし、イーアンは嬉しかった。この続きが、予想を超える怖さかもしれないのに、たった今は、また彼の姿に会えたことを心が喜んでいる。
ラファルは真上に掛かる魔法陣を挟んで、上から覗き込む魔導士と話しており、イーアンに気づかない。イーアンは黙っていたし、魔導士もイーアンに振らない。
急ぎで必要なことを伝える魔導士は、ラファルが理解したかを確認した。この間、一分に満たず。
「今から始める」
バニザットの嗄れ声が告げ、イーアンが少し頭を上げた。角は魔法陣の光を撥ねて白く輝くが、ラファルの目に映る前に、彼は瞼を閉じて『頼んだ』の一言と共に、また意識が消えた。
きらっと動いた角の光を目端に捉えた魔導士が、イーアンを振り向く。イーアンは椅子から立った状態で、魔導士を見て『帰るよ』と挨拶し、背中を向けた。
いつもと違う女龍の態度だが、バニザットも今は止めない。緊急で行わなければならない、『海の水』の実行。バタンと音を立てて閉じた扉から視線をラファルに戻し、魔導士は両手を広げた。
「お前を、人間状態に持ち込む」
結界が一度切られ、すぐに新しい大きな結界が島ごと包み込む。
精霊の光を帯びる球体、大型結界の内側に、さらに結界が幾つも重なり、バニザットは隣の部屋に向けた手を傾け、弱毒化した『海の水』を引き寄せる。
ラファルの上に張られた魔法陣は、中心から開く花弁のように分かれ、真ん中に金色の砂の渦が動き出す。
八重の花弁の中央に小さな壺を降ろすと、壺はくらくらと揺れながら浮上。
魔導士の低い嗄れた声は、途切れない詠唱で精霊へ語り掛け、呪文は部屋を巡る。
男龍の作った壺から栓が外れ、壺から水が上がって全て空中に抜けた後、壺は金色の光に解けて魔法陣の渦に混ざった。それを待っていたように、魔導士の広げた腕が下に下がる。
空中に螺旋を描いていた水は、魔法陣の中心にある砂の渦に向かって落ち、その下のラファルが金色の光の中に取り込まれた。
魔導士の詠唱は終わることなく、全部が片付くまで続けられ、変化してゆくラファルの様子は漆黒の目に焼き付けられる。
―――それでか、と理解したバニザットは、精霊ナシャウニットが許諾したことを以て、ラファルがギリギリまで引き延ばされていたのを知った。
ラファルを包んでいた変化が終わり、環を描く砂の渦が徐々に散り始め、完了を告げる。
魔法陣を畳み、魔導士の手がラファルに触れると、彼は大きく息を吐いて、眠りに就いた。これまで眠っていたわけではなかった男は、寝息を立てて表情も穏やか。
魔導士も椅子に座り、その顔を覗き込んだ。肩の荷が一つ下りた、一時。
「サブパメントゥの『言伝』を使う奴に、掴まれていたんだな」
分からないなりに結界で進行を止める状態を維持していたが、やっておいて良かったと心底思う。
彼の上に掛かる布を持ち上げ、僧衣の合わせを開いて確かめる。
彼の首にもこめかみにも、今や傷はない。変化と共に消えた傷は普通の皮膚。
ラファルが『宝鈴の塔』でやられた大きな穴はと、腹を見ると、あの大穴は失せ、その代わりにサブパメントゥの焦げた模様が焼き印として残っていた。
「海の水が・・・あれを焼き切ったか」
触れてみるが、焦げた跡ではあれ、肉体の傷と状態が違うため、治癒していると見て良い。周囲が引き攣れているけれど、それも痛そうではない。
ずっと彼に食い込んでいた『錠前』の錠が、外れた―――
「そうか。あの腹の穴は。そうだよな、お前はこの世界に来た時点で、肉体ではなかったし、質が違う体で過ごしていたから、穴は傷跡ではなく・・・あれ自体が、サブパメントゥの契約状態でもあったか。お前を差し出した気狂いは全員死んだだろうが、思い出しても腹立たしい。
だが今のお前は、それも取れて。この焼き印、サブパメントゥの模様だと思うが、怪しく滲むものはない」
ふーっと大きく息を吐き出し、あとでリリューに聞いてみるかと安堵した魔導士は、精霊に感謝の祈りを呟く。だが、この後もあるのは忘れていない。
ラファルが動けるかも確かめる必要がある。後遺症や、拒絶反応が出るのか、又は副作用のように彼の負担があるのか。魔法で補うのは勿論だが、適用の範囲を超えると手が出せない。
「無事で。無事であれ、ラファル。お前をな、普通の人間の幸せに導いてやりたいんだ、俺は」
僧衣の前を戻し、魔導士は彼の体に布をまた掛ける。リリューは、イーアンが帰ったと分かればもうじき来るだろう・・・喜ぶはずだから、先に釘を刺さないと。まだ分からないぞ、と言っておかないといけない。
ちらっと見た眠る男に、魔導士は少し笑った。
「何はともあれ。お前を守りたいやつが、ここにいる。前の世界より、こっちのがマシだと、いつかお前自身の口から聞けるよう、頑張らんとな」
次は、あの大陸だが――― 次から次へと、重荷が途絶えやしない。にせよ、今だけは、ラファルが『サブパメントゥの道具』を切り抜けたことを喜んだ。
*****
バシンと返った反動に、紺と白の鎧の体は、壁に叩きつけられた。瞬間で、何が起きたか理解する。
顔を歪め、太く長い尻尾で地面を打つ。八つ当たりの打撃に地面が抉れ、苛つくサブパメントゥは真っ暗な天井を睨みつける。
「外れる?・・・俺以外の何が、そんなこと可能にするんだ。俺がうっかり外したのは、あの時の(※2389話参照)」
言いかけて唇を噛み、思いっきり息を吐き出す。怒りがこみ上げて筋骨隆々の腕が震えるが、『呼び声』は感情を抑えつけた。
俺の技を外した一件。勇者にミレイオのことを・・・思い出しても、分かっているのは自分が口走った失敗だけ。なぜ俺は教えたのかと、今ですら腹立たしい。ラファルも外されたとは、何が起きた。
「確かめるか」
あちこちで、コルステインが駆けずり回ると聞く。
どうも『燻り』を狙っているようだが、『燻り』はコルステインより散るのは早い。『燻り』に勇者を任せたが、まだ勇者を絡めたとは聞かないから、コルステインの邪魔で手こずっているのか。
あいつが逃げ回っている以上、どこでコルステインと鉢合わせるか分からないが仕方ない。
「二度も。俺の技を外されてはな。偶然にしても無い話だ」
紺と白の大男は、長い尾を不機嫌に振ってまた地面を打つ。崩れた地面を跨いで、黒く潰れた闇に溶け込んだ。
ラファルを結界で覆うあの場所。死にぞこないの魔法使いと、リリューがいる小屋へ―――
*****
雨が降り出した夜。船に戻る手前で、イーアンは魔物を退治していた。
魔物は港から上がり、側の集落を攻撃しており、数を数えるには不向きな魔物の形状で、スライム型と言おうか。伸びて広がり呑みこみ続ける濡れた体が、港から先にぺたぺたと貼り付いていた。
雨の反射は姿を不明瞭にし、暗い中で薄く伸びる体の一部が水なのか魔物なのか、全く見分けがつかない。臭いは強烈で腐敗臭が宙まで上がる。この臭いもここまで強いと危険ではと危ぶみ、イーアンは体を龍に変えて、魔物限定、端から端まで消し続けた。
思ったより魔物は遠くまで広がっており、消えると同時に臭いも消滅するので、それを頼りに臭いが一切しなくなるまで続けたところ、集落の一番外れまで行って完了。
イーアンが人の姿に戻ると、下から声がかかり、イーアンは人々の元へ下りた。
被害者は、港で魔物に乗られた死者が二名。行方が知れずの報告は十名。避難が早かったようで、負傷者はいなかったが、行方不明者がまだ出るかもしれないと、男の人が話した。
男の人は集落出身の警備隊で、休みで泊まっていたらしく、『倒そうと思ったが相手が悪いと感じたから集落の人を避難させた』と共通語で言い、イーアンはその判断を褒めた。あれは人の力では難しい・・・が、もしも避難先にも来たらその時はどうなったかと思う。
避難先の集合所で話を聞いていた女龍は、『海神の女が助けてくれた』と分かった人々に、お祈りとお願いを今度は伝えられる。自分は龍に因んでいて、と前提から始まり、『告知』に従う声を訴える。
思わぬ展開だったが、イーアンはそれを全部聞いてから・・・『私一人が決められないが、助けたいと思う』と前と同じように答えて、尾の鱗をいくつか渡し、船に戻った。
*****
そして、翌朝。アネィヨーハンでぐっすり眠ったイーアンは、いつもより少し遅く起きる。扉を叩かれて目が覚め、返事をして扉を開けると、この前の逆でルオロフが笑顔をくれた。これとほぼ同時、イーアンの部屋の窓がカツンと音を立てて振り向き、青紫のダルナ発見(※待ってた)。
ルオロフが少し固まり、イーアンは彼に『あとで行きます』と扉を一度閉め、窓の側へ行って丸窓を開ける。
「イング。もうですか。今、支度をしますので」
「先に、話がある」
「話?はい・・・急ぎ?」
急ぎだろうなとは思うが、一応聞く。イングは女龍の疲れ抜けきらない顔を見つめ、少し言い難そうに昨晩の話を伝えた。思ったとおり、イーアンはちょっと戸惑ってから『すぐに何とかします』と引き受ける。
「お前を急がせたくはないが、耳に入れておきたかった」
「もちろんです。ええと、では着替えてからミレイオたちに挨拶して、そうしたらすぐ、私はティエメンカダに会いに行きますので・・・話が終わり次第、またあなたを呼びます」
「悪いな」
いいえ、と笑顔のイーアンは、それでは後でと手を振り、イングも消える。窓を閉め、大忙しだ・・・と天井を仰いだ顔の目を瞑る。が、休んでいる暇はない。
「ラファルも・・・もう、きっと。バニザットから何も連絡がない、それは完了したんだろうから。無事で。私は今すべきことを一つずつ、済ませなければ」
まずは食堂でちょっと朝食貰って、口に詰め込もうと、イーアンはタンクトップに青い布を引っ掛けて、食堂へ向かう。
魔物退治で実感した、おかしな変化の魔物もだけれど、集落の人々の祈りも気になる。居合わせた警備隊が通訳をしてくれたから、そこまで内容はずれていないと思うけれど、どうも引っかかる言い方が多かった・・・ 時間を巻き戻せば、イングから聞いた『訴えに合わない内容』も被る。
「魔物もあんな妙なのが増えて、民も焦っているから、お願いする中身がちょっと変な感じになっているのかも。でも、少し考えたいな」
肩の重荷に悩むイーアンが食堂へ入ると、入るなり待ち構えていたミレイオに腕を掴まれ『食べなさい』と叱られた。
食べますと驚くと、ミレイオは笑って『少しで良いから、ちょっと座ってよ』と女龍を椅子へ連れて行って両肩を押さえ、座らせ、皆も食べ始めたばかりの食卓で、イーアンの分を取り分けて前に並べた。
「全部食べない内は行かせないわよ。腹、減らないんだろうけどさ」
「減りません。でも食べたいとは思います」
「急いでるの知ってるわ。だけどあんたはいつも抱えすぎる。食べながら話して」
守ってくれるミレイオの言葉にイーアンは感謝する。はい、と頷いて、皿に寄せてもらった主食と卵をまずは口に運ぶ。咀嚼しながら、ふと『宿はどうしたのか』と聞いてみた。
「宿はさ、思ったより建物の被害が来てるらしいの。据付棚が剥がれたから、壁も傷んじゃって。
『古い宿で、壁板の張り替えまでは客を宿泊させるのも心配』って言ってたし、宿はやめたのよ。でも私たちが今すぐ移動する先はないから、馬車と馬は預けてある。馬の世話と馬車の預け代があれば、少しお金になるじゃない?」
民営のお手伝いのつもりで、馬車と馬の預け賃は支払いながら、寝泊まりは船、とミレイオに教えてもらいイーアンは頷く。自分が飛び回っている間、地域の人たちと関わって支えようと動く仲間に感謝する。
「で。あんたはどうしたの?飛び飛びでしか聞いてないから、流れで話して」
皆が待っているので、ミレイオはイーアンに促す。イーアンは、一昨日からの行動を・・・ラファルについても隠すことなく、掻い摘んで報告した。
【一昨日】
セルアン島でお昼をご馳走になったところまで―― アマウィコロィア・チョリア一帯の沿岸警備隊に、鱗を配った ――は、オーリンたちが話していたので省く。
船に戻ってシャンガマックに、絵と海藻を持たせて、彼が出発。
その後イーアンも、ドルドレンから聞いた『人間避難先』を調べに出かけ(※イーアンの城『書庫』は伏せる)半日調べたが、成果はなかった。
【昨日】
明け方に戻ると、ドルドレンから次の情報が入り、『イーアン、ラファル、エサイ』の三者が人間の避難先に関与すると聞いた。
これに間髪入れず、次はラファルの危機を魔導士に告げられ、『古代の海の水』を使うと決定・・・ だが、ラファルの意識が戻らない内は実行しない、と魔導士が決めた(※太古の海の水を取りに、イヌァエル・テレンへ行ったのは伏せる)ので、準備のみ。
会話中、『告知』の祈りを聞く時間になり、イングに手伝ってもらいながら夜まで祈りを聞いて、それに返事をした。
夜は、エサイについてホーミット・ラファルについて魔導士、それぞれ管理する人に『避難先関与の可能性』を伝え、この帰りに魔物退治をして、退治先の集落で祈りを聞いて、夜更けに戻って。
【今日】『ここに居ます』とイーアンは結ぶ。
動き回る女龍と知っているが、あまりにも休んでいない様子で、呆気に取られる皆さんが何か言おうと口を開きかけたすぐ、イーアンは片手を前に出して、『これからお祈りを聞くので、もう出かけます』と意見を止めた。
ルオロフの顔が歪む。自分のせいにしていそうな若者に、イーアンは笑って『そんな顔しないの』と止めた。
「ですがイーアン、ろくに眠ってもいないのでは」
「そういう立場なんですよ。女龍って」
すみませんと顔を拭うルオロフに、『お前のせいじゃないから』とオーリンが慰め、タンクラッドも気の毒そうにイーアンを見る。でも違う事をすかさず質問。
「退治した魔物はどうだ」
「はい。腐敗臭が強くて」
頷く親方は『魔物製品の普及で倒せる相手か、難しい』と思っていたことを話した。
「お前に限らずだが、各自に取るべき行動があるだろう。魔物製品で、警備隊の攻撃力防御力が上がった話は届くから、それは何よりだが」
「つまりタンクラッドが言いたいのは。異界の精霊ですか」
「お前と話すと早い」
ティヤーは戦闘の場に、海が絶対外せない。島は多様ではあるが、どこも平たく広がる条件はなく、逃げ場が本当に少ないのだ。
タンクラッドは、人間淘汰の手前の話で『とりあえず守る』方向で貫くため、魔物が取り留めない変化で困難に拍車がかるため、異界の精霊を配置できないか考えた。
本来は旅の仲間ではない、ダルナや異界の精霊相手・・・何でも頼るのを避けていた親方だが、異界の精霊と協力して戦うようになってから、彼らの協力体制に、こちらの頼みを入れてもらえないかと思い始めた。
「無理は言わんが、ここまで協力してもらってるとな。効率を考えちまう」
分からないでもないとイーアンは頷くが、まずはティエメンカダ。異界の精霊どうこうより早く、彼らの問題を解決せねば。ここでは言わないけれど。
親方の話を聞いたイーアンは、皿にあった朝食の最後を口に入れ、お茶を飲んで席を立つ。
誰もラファルについては質問しない・・・それはともかく。エサイについても、彼が獅子といるのは分かっているから、エサイも特に心配している様子は無し。
タンクラッドには即答が難しいので『あとで考えましょう』とかわした。親方は微妙そうに小首を傾げたが、そうかと呟いて茶を飲み、追いかけず。
「行ってまいります。何かあったら、ミレイオ。呼んで下さい」
「そうね。今のところはサブパメントゥの動きもないけど。いつ何があるやら」
微笑んだイーアンは、哀しそうなルオロフにまたちょっと笑うと『じゃあね』と手を振り、食堂を後にする。
オーリンとクフムは顔を見合わせ・・・『龍境船の話は急ぎではないから今度』と、目で了解し合った。
お読み頂き有難うございます。




