2728. イングと異界の精霊の『お断り』状況・エサイへの用心・苛立つ魔導士、ラファルの今
イングが『まとめた』祈りを、聞いては判断し、覚えていないほどの祈りに答え続けたイーアンは、イングから『今日は戻れ』と打ち切られた。時間は、日も暮れた夜の始まり。
「はい」
あっさり頷く女龍は疲労しており、イングに『明日もある』と聞いて了解する。
自分が応じる湖の舞台横に続々と集まる鳥たちを、イーアンの代わりにイングが対応していた。明日はあの数だと覚悟したら、イングがちらっと見て『昨日一昨日分はまだ残っている』と教え、覚悟を上塗り。
「全員許可するのか」
膝に手をつき、ぐったりを態度に出すイーアンに、今日の様子からダルナは質問した。顔を上げた女龍は『断る相手が居ませんでした』と、受け入れるに無理がなかったことを先に伝える。
「全員許可したい、ですが。仮にそうも行かない内容を聞けば、それは応じないですよ。多分ですが」
「今のところは全員通過だな」
そうですね、とイーアンは相槌を打ち、差し出されたダルナの片腕に座らせてもらう。
「イーアン。お前に」
「はい?」
「いや、何でもない」
座った女龍に言いかけて、ダルナは止める。何かなと見上げた女龍は見るからに疲れており、イングは明日話そうと思い直した。
女龍にも気疲れはある。それは体力に関係ないから、イングも『判断が鈍るといけない』と労い、船へ連れて行った。
女龍を送った後、青紫のダルナは自分の仲間内を訪れ、状況を確認する。今日もと知って頷いた。
『お前たちに助けられたら、そうなるな』
『姿を見せるよう、この世界の精霊に指示されている(※2675話前半参照)。今は見せない方が良い気もする』
昨日も同じことを言ったな、と異界の精霊同士がちょっと苦笑し、イングも長いドラゴンの首を掻いた。
『イーアンに伝えて、この世の精霊に判断を求めても』
立場が下、な訳でもないけれど―― この世界の精霊がまずは基礎、とそれは暗黙の了解。イングは『早めに相談しよう』と答え、今日は言える雰囲気ではなかったのを伏せた。
イングにとって、イーアンは自分が従いたい相手。主を悩ませる気にはなれない。回復したら・・・明日でも言ってみるか、と仲間に挨拶して塒に戻った。
異界の精霊たちは、姿を見せて魔物退治するようになったため、『告知』後は、自分たちにも直に祈りや頼みが来る。
そこにいるから頼む感覚、の人々。
異界の精霊は『自分たちは違う』とどこでも断るが、その場所では理解されても、多種多様な姿もあって、毎回異なる場所に出現するから、人間側は覚えていない。
だから四六時中、誰かしらに引き留められるは、違うと分かれば『伝えてほしい』と言われるはで、それも断ると非常にがっかりされる。これはこれで人間にとって良くないだろうと、異界の精霊は感じる。
要は、『手っ取り早く直接頼んだつもり→でも違ったから、それなら伝えてと頼んだ→これも断られて、見捨てられたと思い込む』印象。
イングとしては、その時点でその人間は無しだなと(※切り捨て)思うが・・・・・
確かに、自分が鳥から受け取る伝言を聞いている中にも『この前、龍と似た相手に伝えた。でも聞いてもらえなかった』の訴えもあり、それは初っ端で省く。もはや文句の範囲だと、イングは祈りの質を疑問に感じる。
異界の精霊が、この繰り返しで悪く取られそうな懸念もある。
イーアンに、この世の精霊の意見を聞くよう・・・ ただ、イーアンがまた疲れると思うと。イングは寝床の大きな遺跡の影で、彼女の気苦労を心配した。
*****
『王冠』を出したイングによって、イーアンは仕事が終わって一分後に、船の甲板を歩いていた。
トゥに挨拶したすぐ、トゥから『魔物の質がどんどん変化している』情報を貰い、胸に留めて、まずは食堂へ。皆は夕食中で、食堂の扉が開き、ミレイオが迎える。
でもイーアンには、まだ用が残っていて、食事は遠慮した。探すだけ探さないと・・・どこにいるか分からないホーミット、彼が連れているエサイに伝えなければ。そして、ラファルの様子も確かめに行きたい。
ミレイオたちがいる食堂で少しゆっくりしたいけれど、イーアンは『緊要でもう一度出かけます』と断り、水を一杯飲ませてもらってから再び夜空へ出た。
「今日の報告は明日にでも。それにしても、トゥからの報せは不穏です。彼が私にわざわざ伝えたということは、事態が追い立てられ始めたような。魔物の質・・・タンクラッドにも詳しく聞いてみましょう」
少し前から、彼は魔物退治に出て戻ってくると、必ずそれを気がかりとして話していた。
減ったと思えば多いこともあり、魔物だと思うが死霊じみた形もあるし。だが『死霊憑きの魔物』として見分けていた条件と異なる印象、など。タンクラッドの視点は鋭いので、意見を聞きたい。
大きく息を吐き出し、イーアンは海に突き出した低い岬に降り、曇り空の夜の下、ホーミットを呼ぶ。こうやって呼んで、聞こえるだろうか。どこに居るか分からない仲間は、念じて呼び出すしか方法がないため、ホーミット関連のダルナにも届くよう、龍気を広げて呼び続けた。
少しして風向きが変わり、暗い草むらの影から、ぬっと獅子が現れる。
「ホーミット」
「俺に用か、ダルナに用か、はっきりしろよ」
「あなたに用事ですが、聞こえるか心配だったから」
獅子は近づきながら、面倒気に首を振って『キーニティ、戻っていい』と空中に命じる。キーニティが来てたんだ、とイーアンが宙を見渡すと、きらっと星とは違う光が一回だけ目に映り、消えた。
「用は」
シャンガマックに会っていたのか、それとも大仕事中だったのか。いつにもまして機嫌斜めの獅子に、イーアンは『エサイのことです』と単刀直入に伝える。
「エサイがどうした」
「彼を守っていて下さい」
「守る?これまで何にもなかったぞ。こいつをどうにかする奴なんかいない」
とは言ったものの、獅子はじっと女龍を見て『話せ』と事情を引っ張り出す。
イーアンも伴侶からの伝言―― 馬車歌の抜粋 ――しか教えることは出来ないが、『私とエサイとラファルが』とその理由を伝え、ラファルが今危険な状況にあると話したら、獅子は右腕を持ち上げて、フン、と鼻を鳴らした。右腕には、狼の面が手甲のようについている。
「他には?ドルドレンは何て言っていた」
「これだけです。きっと全部を説明するには時間が要るのでしょう」
「・・・ラファルは」
「まだです。私もこれから様子を見に行きます」
獅子は顔を逸らし、『エサイについて問題はない』と言い残すと、暗い影に溶けていなくなる。
エサイの普段の居場所は、ホーミットの腕。彼が狼男として出てくるのは、ホーミットが呼んだ時だし、大丈夫だと思う。イーアンは翼を出して、次に魔導士の元へ飛ぶ。
「でも。ラファルですら、あのバニザットと一緒で、今の状態に陥ったのだから。ホーミットの腕にいるからと、エサイは安心とも決めつけられないし」
それを言ったら私だって・・・ 女龍を傷を負わせるなんて、土台、無理だけど。
イーアンは苦い表情で夜空を飛ぶ。無理なんだけれど、とさほど前ではない記憶を思う。傷は無理でも、龍気を抑え込む相手はいる。『原初の悪』が指示すれば、本来は龍にも手出しできないはずの下っ端ですら、私を捕らえるのだ(※2638話参照)。
油断はできない。迂闊に連れられた失態を、肝に銘じる。
少しずつ湿り気が増える雲の密度。雨が来る温度。風が吹き始めたら、雲が流れて雨が降るだろう。
「バニザット。バニザット、聞こえる?」
雨の近づく空気を感じながら、イーアンは魔導士に呼びかけ、一分もしない内に側に緑色の風が吹き抜けた。風が旋回し、イーアンも向きを変える。もう目隠しの要不要はないらしい。風は女龍を後に付け、小屋へ案内した。
*****
砂浜に降りた風が布へ、布は男に変わり、イーアンが横に降りる。『どう?』開口一番の質問に、魔導士は軽く横に首を振る。そうか、と項垂れた女龍に『とりあえず入れ』と中に招いた。
「お前の用事は」
「バニザットも聞こえていたと思うけど、数日前に『告知』があって」
「ああ。あれか。龍だから、お前も何かで駆り出されているわけだ」
察しが良いけれど・・・人の淘汰に関しては、さっぱりした応じ方で、イーアンはちょっと面食らう。人助けを大事にしている一面がある魔導士の、この返事は違和感だった。
今は、この話ではないとばかり――― 魔導士はラファルの部屋の扉を開けて、続いて入ったイーアンは扉を閉める。と同時、サブパメントゥの気配で窓を見ると、向こうにリリューを感じた。
心配だろうなと胸中を思う。それはすぐリリューに伝わり、『待ってる』と一言、リリューは女龍に任せていなくなった。
「ずっと、ああだ」
魔導士が寝台の横に一人掛けを引っ張り、イーアンに指差す。『うん』とリリューの心境が分かるイーアンは答え、革の一人掛けに座らせてもらう。魔導士は、ラファルの頭の近くの椅子に座り、彼の上に広がる魔法陣をトンと突いて回し、変わる記号の光を読んで、また女龍に視線を戻した。
「一度だけ。目が開いた」
ハッとしてイーアンがラファルを見る。何も変わっていないけれど・・・目を凝らす横顔に、バニザットは『俺も理由は知らんままだ』と溜息を吐き、目が開いて話しかけたがすぐに閉じた、と僅かな時間だったことも教える。
希望があるのかないのか。彼の状態は深刻化していくのだろうか。不安が募るイーアンに、何か飲むかと空中から茶を出す魔導士は、それを渡してから話を変える。
「お前も、朝。俺に用があったんじゃないのか?」
話さずに終わってしまった、『十番目の馬車歌』の示唆。
イーアンは、一口お茶を飲んで頷き、『あのね』と人間淘汰及び人が移動する可能性、それに関わる異世界転生・転移者の話を伝えた。
*****
「馬車歌か」
「いつも馬車歌は、何でだろうと思うくらい情報が」
「なんでだかな。俺もあいつらに関わったことがない」
あいつら=馬車の民。イーアンはちらっと魔導士を見るが、魔導士はそっぽを向いている。彼の時代、勇者はギデオンで、散々だったから・・・仕方ないかと思うけれど。
嫌い過ぎて『袈裟まで憎い』の諺状態は、秘密が詰まった馬車歌を無視させ、これだけ頭の良いバニザットが情報に使わないのを、イーアンは勿体なく思う。
ふと、イーアンは、ドルドレンがサブパメントゥに襲われた日を思い出した(※2681話参照)。
過去の二人・勇者の記憶が流れ込んだドルドレンの話を、もしもバニザットに教えたら。彼は少しでもギデオンを理解するだろうか、と。
ギデオンが、初代勇者の影響でサブパメントゥの言うことに従うしかない恐れに在ったと知ったら・・・ ここでイーアンの鳶色の目を、魔導士の眼光が貫く。
ピタッと定まった視線に、イーアンは飲みかけた茶を止める。魔導士の鋭い目が睨み、頭の中を読んでいたと分かった。魔導士は『バカ言うな』と低い声を出す。
「バカって」
「ドルドレンがギデオンの記憶を知ったから?そんなもので、俺が奴の本音に同情すると思うか?お前は、俺たちが『勇者』をバカだアホだと口にするだけで済ませてやってる温情を理解していない。お前こそ理解しろ」
「怒ったの」
「怒らないでいられる方が驚く。ズィーリーとヘルレンドフに、今のお前の考えは決して通用しないぞ。サブパメントゥにいい奴が居るのは知ったが、それは極最近だ。人間淘汰の話そこそこ、俺が何を思ったか言ってやろう。
俺たちの時代は、とっくに『淘汰』を食らっている。あの時はそれに等しかった。どれだけの人間が死んだと思ってんだ。サブパメントゥと魔物に引っ切り無しに殺され続けるんだ。座る暇もありゃしない」
「ごめん。怒らせる気では」
「お前らが生温い、とはずっと思っていたが、今も生温さは熱を増さない。旅の意味が違うのは分かるにせよ」
「バニザット。ごめん!」
イラっとしたイーアンが、やけくそのように謝って遮る。
ここまで憎々し気に吐き捨てられると、私は伝えていないと・・・そっちが勝手に読んだんだろ?と撥ね返したくなった。目を眇めた魔導士は舌打ちし、嫌味は止まる。イーアンは目を逸らして『今。ラファルの状態を知ることは出来るか』と話しを変え、短く尋ねた。
「この男に肉体らしいものがないくらい、お前も分かるだろうが」
「だから聞いてんだよ」
口調が荒くなった女龍は、魔導士を見ない。とっとと聞いて、ラファルに何ができる訳でもない自分は、ここを離れるだけ。
・・・心配ではあっても側に居る意味が自分にない、とイーアンは空でビルガメスに『そのものはそうなるべき』と言われて思った。
魔導士は彼女の苛ついた横顔を一瞥してから、少し解説。
「原因がこれ以上厄介を起こさないよう、この魔法陣がある。『言伝』の出戻りが、ラファルの倒れた原因だと、見当つくのはそこ止まりだ。破壊されないよう、刺激する毒を止めている。ただ、これで十分かどうかは」
「毒?」
「言ってみれば、『毒』って言い方だ。特定の毒があるわけじゃない。サブパメントゥの柵を寄せ付けない魔法で押さえて、ラファルの内側に」
ここで、魔導士が喋りかけていた口を閉じた。漆黒の目は、寝台の男の顔を見つめる。イーアンもラファルを見ながら聞いていたので、目を見開いた。
メ―ウィックの姿の男は、薄く瞼を開けており、紫色の唇が動いている。息を吸いたいように、ゆっくりゆっくり、隙間を開けては閉じることを数回。ハッとしたイーアンより早く、魔導士が椅子を立ち、魔法陣に手を当てて喋りかける。
「ラファル、俺だ。バニザットだ。お前を守る方法がある。聞こえるか」
瞬きしない瞼の下でも、緑色の目が静かに右―― 魔導士が立つ方 ――へ動くのが分かった。イーアンも思わず椅子から立ち上がり、魔法陣に影響しないよう気を付けながら見守る。
魔導士はもう一度、魔法陣越しに『守る方法があるんだ。使うか?お前に一か八かだ』叫ぶように大きな声ではっきりと告げた、その後。メ―ウィックの姿は消える。一瞬、二人は驚いたが、メ―ウィックが透き通った続きは、傷跡だらけの男が残り、目を開けた。
「安全か?」
ラファルの声で、ラファルの顔が、息も絶え絶え・・・ イーアンはこの意味を『人々の安全』と感じ、バニザットは勿論、理解している。
「安全だろうな」
いつもの返事をいつもの調子で、魔法陣に手を置いた魔導士が答えると、ラファルは微笑んだ。
「なら、頼む」
お読み頂き有難うございます。




