2725. 僧兵、残兵 ~①ある、地下墓所
※人物の行動・思いが何度も交錯します。ちょっと読みにくいかも知れません。『―――』で回想の始終を区切っています。
それと、少々気持ち悪い内容があるかもしれません。表現に気を付けましたが、解体の話が出ます。苦手な方はお気をつけ下さい。
イーアンが、イングの魔法を通し、ティヤーの民の『青い色・龍』への祈りにお返事を続けた、この日。その朝に時間を巻き戻す・・・・・
ティヤー東部。ヨライデが見える島の一つ―――
壊れた神殿とその敷地内にある修道院の庭で、僧侶が花を摘む。
神殿は大破して屋根が落ち、壁が倒れたままで、半壊した修道院は辛うじて人が住める空間が残る。神殿が吹っ飛ばされ、飛んだ瓦礫を受けた修道院の半分が崩れたが、奥は無事だった。
修道院裏には墓所があり、修道院の地下から入れる。神殿が壊された日、そこから死霊が出続けていた。
僧侶は片腕に抱えた花を数え、立ち上がる。僧衣は洗っておらず汚れているが、気にならない。どうせ汚れ続けるから。
汚れた僧衣の襟から覗く首は、大きな傷跡を持ち、彼の痩せた手の甲も引き攣れた皮膚が目立つ。顔の半分に大きな痣。少し歪んだ状態で回復した顔に、痣はシミになって残った。
年齢は20代前半から半ば。背丈は170㎝そこそこ。一般的なティヤー人の特徴である鼻の高さと、眉の太さ、黒い髪に茶色の皮膚。肩幅があるけれど、痩せていて大きくは見えない。髪の毛はひっつめで一本に束ねられ、頭部の傷跡には毛が生えないため、側頭部の傷があるところは、束ねた髪が不自然な分け目を作る。
節くれだった指は震えが収まらない。これは慣れた。癖になったようで、ずっと指は震え続けているし、疲れが溜まると頬が引き攣って口が開くのも、自然な反応として受け入れている。
「この指じゃもう、銃は撃てないな」
修道院に戻った僧侶は、震え続ける右手を見つめて呟き、冷たい石の台に花の束を置くと、玄関続き、応対窓の部屋に入って適当な袋を一枚用意し、それに花を入れた。
花束というには葉っぱも多い、微妙な花束だが、これを受け取る相手は気にすることもない。芋を入れていた土付きの袋に花をまとめて、僧侶は暗い石の廊下を歩く。
手で運ぶと、両手とも震えているためよく落とすから、袋に入れるようになった。この袋も使い捨てになるため、毎回袋が減るのは気にしている。
「そろそろ・・・食料を取りに行かないと」
石の床を歩く音に混じって、ひもじい呟き一言。
食べない限度。一度に食べる量の制限。訓練してきた体は筋肉が落ち、自分の体がどこまで耐えるか、毎日様子を見て管理しているが、体力が減る一方の生活状態が続いて終わりが見えないため、もうじき限界を感じていた。
「『まだ』なんだよな。俺が死ぬ前に、間に合わせる連中でもない。ラサンは取引していたようだが、俺はただ鉢合わせただけ。口を利いたのは今回が初めてだ。ラサンは逃げたんだろうな。美味い取引で、独り占めして逃げる男には思えなかったけれど」
どこかで、ラサンも聞いただろう。人間が消え去る内容の告知。
―――総本山テルセ地区が陥没した日。その知らせ以降、デネアティン・サーラ(※宗教名)は窮地に陥った。何者が敵に回ったか、各地の神殿や修道院を襲撃したのは死霊で、続々と入る報告は毎日止まなかった。
死霊使いの司祭が、狙われたか殺されたかの話は知っている。
ただその司祭のせいで、死霊が暴れまわったかのか知れないまま。死霊か魔物か、とにかくつい最近までそれらの襲撃が連続し、今は引いた。
追い打ちをかけるように、単独行動中の僧兵の死亡届も被った(※2586話参照)。
その全てが『銃暴発の事故死』とされ、これも僧兵の遺体と武器回収を海賊連中が行ったため、事実は不明。俺が使った銃は問題なかったが・・・暴発事故の連続は、これまで一度もなかった。
死霊の襲撃は、今も続いているのかもしれない。ただ、もう情報を受け取る術すら失ったデネアティン・サーラで、聞こえてくるものはない。その状態で、『告知』は空に響いた。
人間が片づけられる、という。色だ何だ、大いなる存在にどうとか。ティヤーは終わりに追い詰められている気がした―――
「今更、生き延びる意味を聞かれても悩むかな。むざむざ死ぬ気はない、というだけで生きている。ラサンは国外逃亡でも果たしたか、それとも本気で信じていた『神話』に一足先に行ったのか、どっちだろう」
カーンソウリー島南で消息が消えた、僧兵ラサン。銃を生み出した彼を、知らない僧兵はいない。
もう一つの噂で、サブパメントゥという闇の住人とつるんでいたことも。
蒸した空気をくぐって階段を下り、地下の通路に入ると、空気は乾いている。この奥に一枚の壁を境にした墓所。なぜ空気の湿度がこうも違うのか、毎回不思議に思う。
壁の裏は広い空間で、正方形の敷石の床に太い柱が部屋の四方と間に立って天井を支え、部屋には蓋がない棺桶が並び、その中に死者の骨が待つ。
―――死霊が襲った日。ここにある骨が動かされるわけではなく、宿っていたものだけが動いた。きっとそういうことだった、と解釈している。
一番大きな死霊と魔物の合いの子みたいなやつが、最初に現れた。神殿の向こうの海から影が近づいて、三階建ての神殿の半分ほどの背があるそいつは、引っこ抜いた木で神殿を叩き壊し、柱と壁をあっという間に崩して屋根が落ちた。逃げ出した仲間がその場で死んだ。
修道院にいた僧侶の内、戦える僧兵が対応に回ったが、全く歯が立たない。銃で倒したと思った側から起き上がって、散らばった体をくっつけて動き出す相手に、何をすれば良かったか。どんなに考えても、未だに答えは出ない。
俺の頭を鷲掴みにしてぶん投げた死霊は・・・銃も小枝のように曲げていたのを最後に見た―――
骨の横たわる棺桶に、持ってきた花を一輪ずつ置いて回る。
仲間の骨ではなく、元から墓所に入っていた地域住民の骨。実際は骨だけではなくて、乾燥した皮や、腐らず残った脂も貼りついている。
花を置くのは、ただの時間潰しでしかない。僧侶らしい行動は見せかけで板についているが、この続き、僧侶らしくない行為で袋が使い物にならなくなる。
骨についた、崩れていない皮の下に、薄っすらと滲む色の違い。
僧侶は目星をつけた死者のそれに手を伸ばし、何度か叩いて骨ごと折る。袋に、不着物付きの骨を入れた。
―――俺の他に、生き残った仲間がいたのか知らない。俺は生き延びたと気づき、這いずって修道院に戻った。知恵の動力を隠さなければいけないと思った行為だが、そこにサブパメントゥがいた。
どこが顔かも分からない曖昧な異形の種族は、部屋に入った死にかけの僧侶に『お前はこれを使えるか』と頭の中に声を掛けた。
俺は作り方はしらない。でも、扱い方は知っている。応用も知識の範囲ならある。
さっと脳裏を掠めた自分の生き残る選択肢を、サブパメントゥは笑った。
『応用か。こっちの用事向きだな。また来る。お前はこれを誰にも渡すな』
用事はそれだけだった。傷の痛みと出血で震える体を抱え、俺は何を理解出来ていたのか。命は取られないと感じて頷き、サブパメントゥが棚の影に溶けて消えた。
この後、俺はその場で倒れて・・・眠った後、明け方の外にまた出て行き、表にあった仲間の死体がなくなっていることを知った。
何が起きたとも知らず、ただ、それからは自分の命を繋ぐことだけを考えて、今日も生きている。
近くの民家の畑から、作物を貰う。盗んで面倒を起こす気はないから、畑脇にまとめられた間引きを貰えないか交渉して受け取る。
払えるものがない上に、酷い怪我を負った僧侶の見た目は、怖れと不安を与えたようで、度々来る予想もされたことから『次からそこに出しておく』と接触を拒否されながらも、食料を受け取る憐憫を得た。
あれから、数週間。さすがに無料で作物を提供し続けるにも、民家が躊躇う時間が流れている―――
地下墓所に花を置き終わり、回収した死者の一部を持って、僧侶は階下に戻った。
地下は暗く、明かりを灯すと温度が変わるので、『作業』は階上で行うことにしている。死者の僅かな脂をナイフで削り取る。
この地域は、埋葬前に樹脂を遺体に塗り付ける。ヨライデの影響らしいが、全身に塗る他、目鼻口、肛門からも樹脂を詰め込んで、息を吹き返さないようにする目的。それから虫害や動物に食われるのを防ぐため、専用に加工した死に装束で包む。
この処置の後で、ヨライデでは水葬するらしく、水葬の期間を経て再び陸で乾かす。体は腐らず壊れず、骨に近くなった状態で、骨ではないまま長持ちする噂だ。
「そんな面倒なことしなくても。この地下で充分、長持ちしてる」
骨に染みついたのも使えないことはないので、袋の上から叩いて潰す。こうすると無駄がない。これらは燃料。生木を乾かすより、使うにずっと早い。袋は一回一回、打てば穴が開くからダメになるけれど。
花が咲いていた、かつて花壇だった土の外れに、作物の芽が出ているのを見るが、『食えるまで、俺が持つかどうか』と失笑する。
貰った根菜の根を埋めて、成長を待つしか出来ない。あとは、海へ出て何か取ってくる。僧侶の体は回復しており、後遺症はあるものの、神殿のすぐ下の海へ笊を持って向かう。
僧服を脱ぎ、腰から膝下までの下着一枚で海に入り、海藻や貝を集めて浜に戻る。この辺のカニは小さく、食った気がしないので見つけても放っておく。量重視で、海藻が圧倒的に多い。笊に乗せ、次に濡れた体を拭く。
下着を外して絞り、体は僧服で拭く。下着を外すのはこの短い時間で、あまり無防備な状態を好まない習慣。服一枚でも。
朝は昼になり、昼は早々と夕方へ移行する。雨雲が寄せる空を見て、雨の匂いと風の温度で、もうすぐ大雨が来ると予想した。
土が雨粒で抉られないよう、花壇の上に雨を緩和するため、海藻と貝を手に持ち換え、笊を芽の上にかけ、修道院の台所に行く。海藻と貝はすぐに火を通さないといけないのに、何度も手が震えて落とすのを拾う。
あっという間に、夕暮れの燃えるような光を覆う雲が立ち込め、台所の窓から雨が一粒入り込んだ。木の窓を閉め、火打石で木屑に火をつけて燭台へ移す間に、外は轟音の雨に変わる。
早く戻れて良かったなと独り言を呟いて、竈に火を熾そうと、薪置き場を振り返ったそこに。あ、と出しかけた足が止まる。異形の種族が、壁の暗闇から体の前側だけ浮かせて見ていた。
『まだ生きてそうか。動力は?』
*****
ティヤー南東――― 森林奥。
地下道に馬の蹄の音が響く。考えてみれば、馬にしては軽い音だが、蹄が打つ石の床から上がる音に、普通の馬との差は感じない。何度か聞いているので、一応『馬』だとは思う。
地下道へ続く部屋の前。通路の角に立ち、馬が来るのを待つ数分。角は地上からの明かりが少し差し込むから、自分は明るいここにいたいが。
『こっちへ来い』
そうも行かない。
人間の声と全然違う音が、言葉を作り出しているように毎回思う。聞こえているような、頭に喋りかけられているような。
呼ばれたら行くだけで、そもそも、この場所に待っていたのも、命令に従っているから・・・細く落ちる光から離れ、地下道に傾斜する通路を進んだ。




