2723. 旅の四百二十一日目 ~太古の海を・タムズの記憶・ビルガメスから『魔導士顛末予想』
ラファル・・・存在の固定。よく考えれば、疑問もある。
空に着いたイーアンは、ビルガメスに会いに行く前、少し一人で考えた。
バニザットの話では―――
ラファルがサブパメントゥの仕掛けで被害を起こした後に倒れ、彼は終わりかけの状況、と判断したバニザットが、精霊に彼を救う手段で『古代の海の水』の使用を尋ねた。
すると精霊は、ラファルが幻の大陸へ入る未来を予言し、『古の海が一時の足跡を持たせる』と許可した。
一時とは、効果が切れることを意味しているのだろう・・・伴侶たちが、フォラヴに水の効果を受けた時もそうだった。それはさておき、
「精霊は・・・相談がない状態だったら、ラファルを放置したのかしら」
バニザットの呼び出しで『海の水使用による維持』を許したわけで、バニザットが呼ばなかったら?ラファルは消えていたということ?
消えても、消えなくても、同じ? ―――いや、違うとイーアンは顔に手を当てて、考え巡らせる。
「私が向かったんだもの。私はラファルの危機を知らないで、ドルドレンに『三人はいた方が良い』と意見を聞いたから急いだのよ。もし、バニザットが精霊と接触していなかったとしても、私がラファルの状況を知ったら、やはり彼の処置を確認する流れになったはず」
そう考えると、『必然により、ラファルは壊れかけている』と判断する。
彼の役目が、サブパメントゥの道具を終えて、次の段階に移行するということか。そもそもサブパメントゥの狂気に晒された始まりは、彼に・・・世界と旅路に必要だったのか。
残酷だと、改めて思った。
「バニザットは、ラファルの意見を聞いてから水を使う、と言った。ラファルは使うかしら?もし、彼がイヤだと言ったら、それはそれで、世界の大河に注ぐ小さな支流が消える程度のことなの?
私は・・・人間淘汰の話をラファルに、この状態でするべきなの・・・?」
意識を戻した彼に、彼が人間淘汰の逃げ先を開ける一人であると、伝えるのは。イーアンは遣り切れなくて目を閉じる。ラファルなら『やる』と言うだろう。人を殺すために連れてこられた自分が、人を逃がす役目に転向するのだもの。翻弄されている運命に、彼は怒らない。
「ラファルの性格を知っていて・・・彼なの?」
考えれば考えるほど苦しい。鍵となった彼の続きは?魔導士はそれを話していなかった。もしもラファルが、それで役目を終える羽目になったら、私たちも彼を道具として使っただけになるだろう。
胸が痛くて仕方ないイーアンは、ぎゅっと胸の上から押さえて、ふーっと重い息を吐いた。
少し離れたところで待っていたビルガメスが、女龍の辛さと悲しみを感じながら、ゆっくりと彼女の側に進む。
ビルガメスの龍気に気づき、振り向いたイーアンを、男龍は腕を伸ばして引き寄せ、片腕に座らせた。悲しさいっぱいの顔で見上げたイーアンは『太古の海に』と言いかけて、一度黙る。黙った理由も伝わるのでビルガメスが『悩んでいる』と促した。
「はい」
「お前は俺が近くにいても気づかない。そんな時は、心が捕らわれている」
「はい」
「少し前のことを思い出す。お前が中間の地から、一人の男を連れて来た」
バサンダのことだと、イーアンは視線を逸らす。ビルガメスには同じに映るようで、『感傷的ですか?』と聞き返した。大きな男龍は静かに話を続ける。
「お前には人間の心と感覚が宿り、消える気配がない。取る行動は常に似ている」
「ラファルは。今、私が考えている人は、人間ではないのです。彼は、生きているか死んでいるかも分からない状態で、サブパメントゥの道具としてだけ呼ばれ、そしてそれで、先日倒れました・・・彼は、私と同じ世界から来て」
「ふーむ。ドルドレンの馬車歌だな?なるほど」
合点がいった男龍は遮り、イーアンの角をちょっと押して上を向かせると、鳶色の瞳に『その場合は、感傷的とは言わない』と教える。意味が通じたイーアンは、つまり業務だと理解して、また気持ちが沈んだ。まだ、感傷的な方が良いような気がする。
「イーアン。その者は、お前と同じ世界から運ばれ、この世界でサブパメントゥの道具となり、今は倒れて、と言う。それは、存在が失われかけている、そうか?」
「そうです。生死が分からない状態の彼なので、表現が難しいです」
「存在が失われる寸前。お前が見つけたのか」
「いいえ。その・・・仲間の一人が」
濁したイーアンは、魔導士のことを伝えるのは良くない気がして、また俯く。ビルガメスは何となく見通しており、『太古の海を頼るのは、お前の判断か』と質問を変える。
女龍が少し頷くと、乗せられた腕がビルガメスの顔の高さに上がり、『違うな?』と目を見て否定された。
「太古の海に頼ろうと思ったのは、私です。違いません」
「いや・・・どうかな。仮にお前が思いついたとして、その男を思う様子から、あの水の使用に抵抗がないとは思えん」
嫌な感じの見透かされ方は、言いたくないことまで引っ張り出される気がして、イーアンは唸った。それから『精霊です』と、許可した精霊がいると答えた。魔導士が挟まっているところは伏せる。が。
「精霊。お前も精霊の声に従って、ここへ来たのか。どうも俺にはすっぽ抜けて聴こえるなぁ。イーアン、サブパメントゥの影響を受けたラファルが倒れて、お前が慌て、精霊が『太古の海』を使う経緯が不自然だぞ・・・・・
そう言えば、前に『古代の海の水』で相談した折、昔それを使った人間のメ―ウィックと、入れ知恵した魔法使いの話を思い出すな。それか?」
確信していそうな男龍の流暢な口調に、苦虫のイーアンはちらっと見て目を逸らす。ビルガメスは、当たったとばかりに頷いて『噂だが、その魔法使いは精霊に通じると聞く』無難だなと、話を変えた。
「しかし、使う気で来たのは分かったが、心境が複雑そうだ、イーアン」
「はい。決して軽くはないです」
「イーアン。俺が先に言ったことを撤回しよう。以前、お前が連れて来た男と、ラファルという男の状況は大きく違う。
前回は精霊絡みで異時空に絡んだ男だったが、今回は精霊に直接指示されている男だ。その男は、流れに乗ることになるだろう」
流れに乗る・・・要は、あの海の水を使う方向。イーアンの瞼が半分下がり、小さな溜息を洩らし、ビルガメスは女龍の角を撫でた。
「お前は水を取りに来た。俺に許可を得ようとした。だが、俺は関係ない。事情を聞けば、ドルドレンの馬車歌とやら『中間の地の予告』が出ている。予告の人間が、太古の水の許可を下された以上、使うだけだ」
イーアンは痞える胸に手を当てて項垂れる。
「確かに私は、ここへ水を求めました。でも、考えるほどに苦しく酷い内容に思えて、迷いが」
「それは。お前の気持ちでしかない」
ざっくり断ち落とされ、女龍は黙る。ビルガメスが冷たいわけはないが、この会話は冷え切って息苦しい。
ビルガメスはそんな女龍を見つめ、『一緒に行くか』と向きを変えた。
ゆったりと太古の海へ移動し始めて間もなく、反対から男龍の気が近づいてきて、ビルガメスはそちらを見た。翼を広げた男龍―― タムズが側へ来て『イーアン』と呼びかける。
「君がいると分かって、ドルドレンが話を」
ドルドレンと一緒にいたらしきタムズは呼びに来たようだが、女龍の沈鬱な顔に加え、ビルガメスも表情を変えないため、何かあったかと、彼に事情を話すよう目で求めた。
ビルガメスは少し女龍に気遣い、掻い摘んでタムズにも話した。タムズは黙って聞き、それから思い出す。
「ラファル。彼だな?ミンティンとドルドレンが、彼を連れていた(※1963話参照)」
*****
ラファル。あの日、ドルドレンが助けてほしい、と頼んだ人物。
話を聞いて、それを思い出したタムズは、然もありなんと頷き、瞬きして見つめる女龍に『ドルドレンから聞いていない?』と尋ねた。イーアンは記憶を探って『聞いたかも』と小声。
「うん。聞いていると思う。助けを求められた私は、『男龍が彼に処置したら彼は消えるだろう』と伝えた。ドルドレンは驚いてやめたんだ」
「そんなことがあったか」
ビルガメスが意外そうで、タムズは『私も詳しくは知らない』と肩を竦めて、でも、と話しを今に繋げる。
「あの彼は、存在が不安定だった。命はないが、居ないわけでもない。彼が受けた使命は過酷だったようだね。サブパメントゥの道具で、これまでも過ごしていたと聞くと、人間の弱い心で耐えられる気がしない」
褒めているのか何なのか。他人事をさらっと伝える男龍に、イーアンは嫌そうに目を瞑るが、タムズは苦笑して『彼は並大抵の条件ではないよ』と、褒めたつもりであることを上塗り。それでもイーアンは顔を逸らしているので、ビルガメスがタムズに続けるよう言った。
「何かお前が思うことは」
「私はドルドレンの馬車歌が、どうも引っかかっていたから。ビルガメスにも話したが」
キラッと光った金色の瞳。ビルガメスも顔色を変えず『ふむ』と含むものに同意する。
アスクンス・タイネレへ向けられた、異世界からの来訪者たちの話。その一人が、存在を消しかけており、確かなものにする段階へ示唆が出た。男龍には、そう聞こえる。
「イーアン。君の心の内側は荒れていそうだ。でも悪く思うと損かもね」
「悪く思わない理由がありません」
「これから、それを見るかもしれないよ。前を見なさい。君が悩んでいる間に、彼の状態が手に負えなくなったら、海の水でどこを留めることになるか」
もやッとした一言に、女龍の目が開く。『どこを留める』・・・まるで、昆虫標本みたいな表現で、例えは酷いが、本当にその意味では。
進行中の、消滅までの秒読み。ボロボロ状態の進行は停止していないなら、海の水を使う位置で、彼の状態が―――
ハッとしたイーアンに、タムズは理解したと見て『急いだ方が良いよ』と、目的地の方へ首を傾けた。
*****
ビルガメスとタムズが付き添い、イーアンはこの後、太古の海の水を汲む。タムズが作った入れ物は、両手ですっぽり包める小さな壺で、水もほんの僅か。量は関係ないと言われ、イーアンは二人にお礼を言って戻った。
「ドルドレンには、また来ると言っておけ」
「そうするつもりだったよ」
イーアンはドルドレンに会いたかったかもしれないが、口にしなかった。今すべきことに集中し、女龍は空に消え、見送った二人の男龍も海を離れる。温かな風を手で撫でるように飛ぶ二人は、少しの間、会話がなくそれぞれ思うことに浸ったが、ビルガメスが独り言で喋り始めた。
「確か。空に来たがっていた男がいたな」
「うん?」
タムズの反応を見ず、大きな美しい男龍は受ける風に顔を向けたまま、『龍図の話で結界壁に包んだままだが(※1812話参照)。その男がどう動くかも、これで見定めるような気がする』と呟く。
「ラファル。彼の安否のために精霊を呼び出したという、魔法使いバニザット。バニザットは、空に入りたがっていた。アスクンス・タイネレの話を精霊に出されただろう」
「・・・ビルガメス?何を」
「精霊がそこまで気にする人間というのも、なかなか居ないだろうに。いや、人間ではないんだな。正確には、魂の行方すら要らない存在だ。遥か昔に存在を越えた男よ」
「ビルガメス?」
聞き直すタムズに、ちらっと向けられた金色の瞳が可笑しそうに弧を描く。
「お前も見当を付けろ。一時期、俺たちが警戒した相手だ。『未だに』空に入れることを知らないのか、気づいていないのか。
精霊に看過されて存在を吹き返したというのに、呆れたところで間抜けな男。彼もまた、ラファルとアスクンス・タイネレ、人間の淘汰に於いて巻き込まれ、その流れで『質問』されるんだろう」
「何を質問されるんだね?」
「まだ残りたいかどうか、だ。態度で示せとな、精霊なりに執拗なバニザットを認めているのかも知れん。もしくは、彼を一つの伝説に導いている、とも思えなくはない。
魔導士バニザットを最後に労う日・・・彼の終わりを以てして、世界の〆にする、祭り上げの皮肉も考えつく」
「ちょっと待て。それは、ミレイオも」
何を話しているのか理解したタムズは、並んで飛ぶビルガメスの腕に触れる。オパール色の美しい男龍は微笑み『ミレイオもだな』と答え、眉根を寄せた若い男龍に『そんな顔を』と首を横に振る。
「ミレイオも、だよ?」
それで良いのかと目で問うタムズに、ビルガメスはまた視線を外して前を向く。
「ミレイオは、伝説になるかどうか。本人が決めるのではない」
「彼が消えると」
「さぁ。だが、そこまで事態を放置したら、イーアンが悲しむ。俺はそれを望まない」
ミレイオは助けてやりたいなと、ビルガメスの笑い声が広い龍の空に渡り、大きな男龍はひとしきり笑った後、『案外、バニザットを祭り上げる、伝説づくりが目的にも思えてくる』と呟いた。
お読み頂き有難うございます。
少し体調が良くないため、近い内にお休みを頂くと思います。決まりましたらすぐにこちらで連絡します。
いつもいらして下さって有難うございます。心から感謝します。




