2721. 停止するラファル ~重ねるメ―ウィックの思い出・リリューの願い・精霊の返答
シャンガマックが、テイワグナで仕事を開始し、アイエラダハッドの書庫に行ったイーアンがその日は帰らず、船に戻ったオーリンとクフム、タンクラッド、ルオロフ、ミレイオが休む夜。
ティヤーで鳴りを潜めた古代サブパメントゥを訝しみながら、コルステインは『燻り』を探し、スヴァウティヤッシュも相変わらず手伝いを続けている、その最中。
目を開けないラファルの寝台横で、魔導士は読んでいた書物を閉じた。今日もリリューが外に来ており、目が合って心配そうに首を傾げる。
まだだ、と少し首を横に振ると、リリューの視線が逸れた。でもリリューは離れない。ラファルが倒れた事情は伝えてある。
『言伝』の出戻りで痛いだろう、と最初に教えてくれたのはリリューだった(※2168話参照)。
痛いどころか、存在を失いかねない危機に陥ったラファルを見て、驚き慌て、でもどうすればいいか分からなくて・・・とにかく、ずっと側にいる。
「コルステインに、頼むのもな。見当違いだ」
ラファルは動かず、だが、終わってもいない状態で一日経過した。ラファルを外に出す用事がなければ、魔導士も日々表へ出かける必須な用事は、ショショウィに会いに行くくらい。
彼の動きを止めるなと、ナシャウニットに言われているが(※2163話参照)、この状況、咎められる気はしない。ラファルがこうなったのは、『事故』だ。これを運命と捉えることも出来る。続きが、『変更』か『終了』かは・・・・・
ふーっと長く息を吐き、魔導士の片手が本を横の机に戻し、もう片手でラファルの上に広げた魔法陣を動かす。くるーっと回転した魔法陣の柔らかな緑色は、ラファルの少し前と現在の状態を比較して表し、何の変化もなかった。
異変があっても困る。だから離れないにせよ、これはこのままじゃまずい気がする。手を打たないと、とバニザットもじわじわ時間制限を感じ出す。
「ラファル。聞こえるか」
無反応と分かっていても、話しかけた魔導士は、椅子を立ち彼を魔法陣越しに見下ろした。かつて盗賊上がりだった男の見た目で、死体のように微動だにしない姿は、気分の良くないものだと思う。
「お前はお前だ。それを承知で言う。俺に頼んでくれ、俺がお前に勧めたことを」
もし。ここに居るのがメ―ウィックだったなら。彼は俺に頼む前に、自分で実行しただろう。
いや、実行したんだ、あの男は(※1321話参照)。あいつは時期的に許された男だったのもあるが、使うに何も気にしなかった。あの度胸と勢いは、ラファルにも欲しいと思ってしまう。
「海の水。それがお前を」
ぼそっと、つい。口から落ちた、可能性―― 思考の遮断や交流をこまめに行っていた魔導士だが、遣り切れなさの感情に揺れて、意識が緩んだ一瞬。不意に返事が返る。それは目の前の男ではなく。
『水』
「何?」
『バニザット。水、ほしいするの?ラファルが戻るするから?」
『あっ。リリュー、いや。待て、そうじゃない』
さっと窓の外を見た魔導士に、リリューの懇願するように見開く、紺色の大きな目が真っ直ぐ向いていた。リリューは、ラファルを見つめ『海の水。ある』と聞こえるように伝えた。バニザットは息を吸い込み目を瞑り、手をちょっと横に振って『そうじゃない、違う』と否定。
海の水を俺が求めたとなれば、何が起こるか分からない―――
ラファルの状態は運命の一端かも知れないし、種族間を混ぜる『海の水』の使用を俺が言い出したなど・・・彼の存在を変更させる気だと、精霊に捉えられては困る。
じっと見ているリリューが待つ。魔導士だってそうしてやれたらと、心から思うが。これを俺が言い出すのは役違い、失言撤回を考えて咳払い一つする。
『リリュー。忘れてくれ』
遠回しはやめ、正直に。リリューはとても悲しそうに眉根を寄せて、やだ、と首を横に大きく振った。リリューも気づいた。古代の海の水が、今のラファルを救う可能性に。
『水に手を出すな。これはラファルの問題で』
『嫌。ダメ』
『リリュー、頼むから分かってくれ。助けたいのは同じだ。だが俺たちが手出しする話じゃない。コルステインに見つかったら、大変なことになるぞ』
『いい、コルステインに言うから』
『はぁ~?ダメだって!こらっ、リリュー待て!』
言うから! それを最後の一言に、リリューは青い炎に変わって闇に溶ける。待てよと窓に駆け寄ったが、消えたリリューを引き留められず。やっちまった!と魔導士は舌打ちするだけ。
「ああ、参った!先に言えば良い、と思ったか。リリューは、メ―ウィックにもラファルにも懐いたから・・・この展開、俺は止めたからな(※逃げ)。うっかりしたが、俺だって情で失言しただけで。いや、精霊相手にこの言い訳が利くと思えん。せめて、俺がナシャウニットに確認してから・・・ 」
リリュー、と窓に手を置いて魔導士は項垂れる。こうなることも全て、まとめて、運命―― そうであれ、と空しく願う。横たわった男の側に戻り、寝台の足元に腰掛けた。
「ラファル。お前の不憫で数奇な役目は、こんな中途半端に終わるのか。それとも先があるのか」
先が有るなら、俺が消されないように、お前担当をまた俺に指名してくれとぼやく。
「どうなることやら」
光の円と文字が静かに動き続ける魔法陣に、肘を乗せて凭れかかる。眉間にしわを寄せ考えた後、戻ってこないリリューの消えた暗闇をちらっと見てから立ち上がり、魔法陣の威力を強めた。
「隣の部屋にいるからな」
ラファルを守る結界を二重に張り、バニザットは部屋を出る。隣の部屋に入ってすぐ、呪文を呟き始め、壁一面を覆う大きな絨毯が光りを放ち、魔導士の左手に明るい緑色の粒子が集まる。
声はどんどん低く深く、唸るように言葉を滲ませ、魔導士は呪文を止めずに呼び続ける。締め切った部屋に金色の風が吹き込み、左手の光の粒子は杖に変わった。杖は上から下まで古代文字が稲妻のように走り抜け、呪文の最後を唱え終わると同時、杖の先端から旋風が噴き、壁を覆う絨毯がバッと抜けて荒野が広がる。
『魂の足跡を付ける魔導士バニザット』
金色の砂で包まれた、獣ような顔の精霊が荒野の中心に現れ、魔導士の漆黒の瞳が彼をまっすぐ見上げた。
「ナシャウニット。俺が預かった、問う者・ラファルについて尋ねたい」
緋色の魔導士は、手をこまねいて成り行きを待つ気になれず、精霊に先に全てを伝えることにする。ここでいきなり、俺の立場が壊れるにしても。ラファルの傍で過ごしてきた責任の最後を引き取れるよう、頼もうと。
*****
魔導士が、大地の精霊と向き合って交渉を始めた、その時―――
リリューはやっとコルステインを見つけ出し、すぐさま用件を伝えた。『燻り』を追いながら止まる事なきコルステインは、足止めを食らって不満そうだったが、ラファルの状態を昨日リリューから聞いて知っているので、海の水があれば助かる・・・と縋るリリューをじっと見下ろした。
『コルステイン。まだどこか、水あるでしょ?メ―ウィック隠すする水、どこあるの。知ってるでしょ?』
あると思うし(※よく思い出せない)、使っても良いけど(※軽い)。でも、ラファルは人間とは違う。
ロゼールの時を、コルステインは思い出す(※1313話参照)。
メ―ウィックには問題なかったから、あの時もタンクラッド・ロゼールにもと思ったが、考えてなかった面倒をホーミットに言われたので、もしかするとラファルも何かあるんじゃないかと、それは思った(※学習)。
ただ、ラファルを助ける手の一つと言われたら、使った後のラファルの状態が変わるし、無意味でもないのだが。
親のコルステインにしがみついたリリューは、『教えて。どこあるの』を繰り返す。コルステインは悩む。使うとして、お前はどう思うのと、ラファルが本当に助かるかを問うと、リリューは信じているようで思いっきり頷く。
うーん・・・ バニザットに聞くかと、コルステインが相談を思った途端、リリューが『バニザット、ダメ言うの』と止め、コルステインは理解した。バニザットがダメって最初に言ったなら、それはダメだろう。
驚くリリューにきちんと目を合わせ、『バニザットは違う事をしてくれるかも』と気を逸らせる。リリューは心配で焦って困っているが、コルステインにはここまで。
ラファルは心配だが、バニザットの側にいるので信頼する。
『海の水』を諦めざるを得ないリリューが、力なく離れ、コルステインはまた出かけた。リリューは暫くの間、その場に留まって泣いた。
*****
緋色の魔導士が、ラファルの部屋に戻ったのは、ほんの十数分後だった。
結界は異常なく、魔導士は二重結界を解き、彼の横の一人掛けに腰を下ろす。窓の向こうに、リリューの気配もない。コルステインを探しているのか・・・古代の海の水を手に入れに行ったか。
「リリュー・・・お前の勢いで、もしここに古代の海の水が運ばれるなら。それは『使える』ようだ」
嗄れた声が、誰も聴いていない報告をする。長い黒髪が顔に垂れ、魔導士は髪をかき上げてラファルを見つめた。
「お前の運命は、どこまで決まっているんだろうな」
ナシャウニットと話した結論は、『ラファルに海の水を与えて良い』だった。
引き換えにするものはなく、魔導士はもしも交渉が必要なら最後だけはと覚悟していただけに、ホッとしたし、ここまでは良かったのだが。
精霊の次の言葉で、一瞬放心した。聞こえたことを反芻し直すくらい、魔導士には意表を突く言葉だった。頭から離れないそれに溜息を落とし、顔を手で拭う。
「ラファルよ。お前はこの世界で、サブパメントゥの道具として扱われるところから始まった。サブパメントゥが人間を無差別に大量に殺す、その道具の一部として・・・
なぜ、そんな非道な目的で呼ばれたのか、俺が答えを知る訳もないし、俺が声を荒げる立場でもないから分からんが。
お前の次の荷物は、存在の固定を通過する。そのために『古代の海の水』を使用していいと、精霊は許可した。お前がどんな状態へ変わるかは、精霊も言わない。もしかすると存在の固定だけが叶った、動けない体かも知れない。それでも、お前は・・・移動する大陸へ、鍵として送り込まれる道が敷かれた」
想像もしなかった、ラファルの続き。よりによって、俺が求め続けた道の一つに、彼が入る。いつそんな決定が?と思わず、聞きそうになった。
「行けば入れる訳じゃないだろうが、何かがあってそうなるらしい。お前がその後、どうなるのか。その前に、お前が無事な身体で行けるのかすら、怪しい。
お前があの大陸に入った後、大陸は別の世界を引き込むような話だったが・・・通じる行方が、ラファルの世界ではないのは確かだ」
それに、と独り言を続ける魔導士は、宙を掻いて煙草を出した。酒を飲む気にはなれず、煙草だけ。咥えた煙草の先端がジジッと燃え、薄く白い煙が細い筋で天井へ向かう。
「念願のあの大陸が開くってのに。お前が犠牲になるような話の上、開いた先は『空』でもない。もう、未来が決定している印象だ。ふー・・・何だっていうんだ。世界は俺の野望の問いをぶらつかせて、煽るだけ煽って」
俺が、一人の哀れな男を守ることすら取り上げる―――
独り言は途切れる。バニザットは空しさを抱え、煙草を吸っては空気に馴染む煙を見つめて、言葉にならない遣り切れなさに沈んだ。
お読み頂き有難うございます。




