2717. 深夜~ラファルへの願い・旅の四百二十日目 ~クフムの同情・11枚の絵
夕食後、魔物の見回りをしたイーアンが、魔物に出くわさずに船に戻って、休む頃。
ティヤー南西から遠く離れた、東の小さい島の小屋で、魔導士はラファルの手当てを続けていた。リリューが表でじっと見守り、時々目が合っては『大丈夫だ』と安心させるのを繰り返す。
『バニザット。遠く行くするでしょ?』
『そうだな・・・まだ行かないが、出かける時は頼んでいいか?』
うん、と頷いたリリューに微笑み、老魔導士はまたラファルに目を戻し、彼の容態を安定させるため、気を抜かずに続ける。
夜明けまでには安定させる。夜明け前に魔力回復の日課―― テイワグナのショショウィを訪ねる用事は外せないこと。
「ラファル。お前が祠で仕入れた情報は(※2649話参照)・・・今こそ、お前に必要に思うぞ」
穏やかに澄んだ光を放つ魔法陣越し、メ―ウィックの姿で寝台に横たわる男へ呟く。
仰向けに寝かされてから、ラファルは一度も動かない。呼吸で胸の上下は確認できるが、そもそも生きていない男の状況を正確に判断付けられず、倒れた原因だけは進行しないよう、魔法陣で止めている。
―――ラファルが倒れた時、側にあの石があった。サブパメントゥの絵柄が、亀裂内側に描かれた石。
今日。移動中で、魔物に襲われる小さい島を見つけた魔導士はそこへ降り、いくつかある村で被害が一番酷い場所から退治を始めた。ここで待たせている間、ラファルはその石の側を歩いてしまった。
ティヤーに来てから、一回もなかった危険。
『精霊の礫』でいつでも先に排除してきた、地上各地にばらまかれた『サブパメントゥの言伝』。これが、今日ラファルを陥れた。
彼が近くを通ったために、言伝は発動し、魔物が急に増え、魔導士が対応していた村の逆が襲われた。
魔物は島中に沸き、戦う男が海に出ている時間帯もあり、魔物の気配に気づいた魔導士がすぐに応じたものの、複数の村の合計で三十人以上の死者が出た。子供、年寄りは、魔物から逃げられなかった。
ラファルは、魔物が出た後かその前か。
石から少し離れたところで倒れていたのを発見。魔導士は焦ってその身体を抱えて、怪我や異常を探したが傷はなく、ラファルがコルステインの羽を持っていたために、一番面倒な難は逃れたと知って、この事態にこれだけは感謝した。
ラファルが発動させたことで、サブパメントゥに感づかれ、彼が連れて行かれる事・・・・・
来たのかもしれない。もしかすると、発動を知った輩がラファルを連れに動いた可能性もある。だが彼の僧衣は、コルステインから貰った一枚の羽を覗かせ、恐らくこれがあることで敵を寄せ付けなかったとも思えた。
抱え上げ体はだらッと下がり、瞼はわずかに開いたまま動かず、伏せて倒れた口についた砂利が落ちる。
その唇は紫色に変っていたが、血液がどうという話ではなく、皮膚の色もくすんだ黒じみたこの状態が、彼の終わりを示していると感じ、魔導士はすぐさまラファルを結界に入れて、村から魔物を排除すると、大急ぎで彼を小屋へ連れ戻った。そして、今に至る―――
顔色も、唇の紫も変わらないが。
魔法陣で探った結論、石の『言伝(※1966話参照)』が、ラファルを出戻りしたことで、彼はやられたらしいと辿り着いた。
以前、彼が初期サブパメントゥに使われていた一時期(※2070話、2135話最後参照)、破壊活動の出戻りが起きた際でも痛みを感じていなかった話を彼自身から聞いたが(※2140話後半参照)、それはサブパメントゥが直に『長持ちするよう』ラファルを使い回していたからだろう。それが今、『正しかった』と証明されている。
「俺がいたのに」
出戻りで壊れる寸前の体を、壊れないように修繕しながら維持する呟き。『そもそもお前に体なんて血の通うものはない。脆くて当然であることを・・・』もっと留意するべきだったと、バニザットは後悔する。
「ラファル。お前から、この謂れなき呪いを外したい。お前はこんな目に遭って、消える理由なんかないんだ」
生きてくれと願うのも空しい、曖昧な、か細い存在。このまま終わるなんてあんまりだろ、と魔導士は唇の端で呟きながら、彼を励ます。お前に、普通の幸せや楽しい時間を持たせてやりたいと、いつも思った。
前職僧侶のバニザットは、動かないラファルの不憫を誰より強く受け止めており、どうにか彼を守りたい。お前が望めば、古代の海の水を試すに成功する環境も準備できるんだと・・・ 自分が無理強いすると、ラファルという特殊な存在への手出しに思われかねない事でもある。
その危険は勿論だが、それよりもまずは、ラファルの意思を尊重する。
「ラファル、保て。そして、お前の言葉で俺に願え。『海の水を使いたい』と」
一言、それを聞けたら良い。お前の苦痛を周りが長引かせるのは、不憫に輪をかける。だが、お前自身から願われるなら、いつでも応える。すぐに、精霊に使用可能か不可かを聞く。祠の情報が単なる偶然ではないと、俺は思いたい。これを確認するにも、ラファルがどう願うかで―――
淡い輝きの魔法陣の円と文字は、倒れた男を静かに照らす。
かつて、遥か昔に生きていた盗賊上がりの強気の僧侶は、死体に近い皮膚の色で横たわり、呼吸の動きだけが、失われかけている存在の切れ端のようにゆっくりと、頼りなげに続いていた。
*****
昨晩、オーリンから話が出た『11枚の絵』を受け取りに行く朝。
ルオロフは残念そうだが、イーアンはオーリンとクフムを連れて、三人で向かう。
バサンダに確認を取ったことを、おばあさんに伝えるかどうかは話し合い、今回は控えようと決めた。伝えてあげたい気持ちもあるけれど、『淘汰前提』の現状、生きているなら一目見たかったと思うのでは・・・それを叶えられないことはないにせよ。
「バサンダは、言わなかったんだな」
龍の背で、オーリンが女龍を見た。横を飛ぶイーアンは表情を変えずに『はい』と答える。
「彼が望めば、私もと思いましたが」
「そういう話にならなかった理由もあるのか?」
バサンダとの会話に上がらなかった、『親との再会』。彼は最後まで、世界の人間の存続を手伝える可能性について、イーアンと話し続けていた。それが理由、と言えなくもない。他は何も聞いていないので、イーアンは『運命を優先しているのでは』と感じたことを伝える。
「バサンダは、お母さんだと分かっても『母』としか呼びません。自分が生き残った意味を重視していると思います」
「強い男だ」
オーリンは了解し、それ以上は尋ねなかったが、彼の後ろに乗せてもらうクフムは、言いたいことがありそうで言えない、そんな顔でちらちらと龍族の二人を見ていた。視線は何度か合ったけれど、クフムから話しかけないので、イーアンも彼に意見を聞かずに終わる。
イヒンツァセルアン島の空に入り、人の影も落ちない閑散とした畑の横、雑木林へ龍は滑空。イーアンも滑空して、ガルホブラフが着地する手前で、背中の二人を抱え上げ、龍は上昇し女龍は二人を地面へ下ろした。
「毎度思うけど、君は逞しいよな」
「今更、何言ってるの」
笑った女龍はクロークのフードを被り、オーリンの肩を叩いて一緒に歩く。
クフムはその後ろをついて行くが、この人たちと自分の接点が未だに・・・なぜ、私はこんなすごい運命の人たちと関わったのかと不思議だった。
歩きながら、イーアンは予定を話す。
絵と、昼の食事のお誘い含む来訪だが、朝早くに来たのは、『本当に昼目当て』と思わせるのも良くないし。それと、早く絵を受け取って話を聞いた後、昼までの時間で、イーアンはここと近隣にアオファの鱗を配りに行くつもり。そんな予定とは知らず、オーリンは『そうなんだ』と頷く。
「統括の警備隊にもわたしてあるから、そちらで配って下さるかもだけど、嵐だ大雨だと、時期的に天候も不安定ですし」
船が出せないで焦らせるのも良くないから、ここは自分が巡っておこうと考えた。
警備隊や海運局に繋がったため、町長や村長などの自治体とは交流がないけれど、不都合もないので、各島の警備隊に鱗を預け、島民に配ってもらう。おばあさんには先に渡すから、一掴みの鱗を持参した。他は、あとで馬車に取りに戻ってから。
・・・なんて話をして歩くが、ここまでの間。
意外にも皆、『お昼を頂く』誘いに、コロータを思い出していない。
イーアンたちは面の絵ですっかり意識がそちらに取られ、『今日はシャンガマックが出発する』、『11枚の絵でもバサンダはこなすだろうか』とそればかりが話題だった。
歩いて十分もない距離を三人はてくてく進み、おばあさんの家の垣根前に到着。突然、思い切ったクフムが『教えたいですがダメですよね』と惜しそうに尋ねた。
ずっと気にしているらしい元僧侶の発言、龍族二人は顔を見合わせて同時に頷く(※ダメ)。
「クフムはそんなに気になるのか」
オーリンがちょっと心配してやると、クフムは地面に視線を向けて『なんか。かわいそうで。何十年も信じているし』とモゴモゴ答える。イーアンは彼が・・・もしや、自分を重ねているのかと気づいた。
「クフム。あなたは、家に戻りたいですか?」
「いや、そういう訳ではないですよ、私は全然違うので」
クフムの青い目をじっと見つめたイーアンが、戸惑う彼をもう少し追う。
「あなたも・・・バサンダと同じように、目の色が違う事を気にしている?」
「いいえ。私は混血ですから。バサンダさんは純粋なティヤー人の異変でしょうけれど。私はその」
「うん。親御さんに会いたいとか、そういうのありますの」
「え?なんで私の話になるんですか?私は関係ないじゃないですか。バサンダさんのお母さんの」
「クフムは今、自分で矛盾しているのに気付いていません。私があなたの心情に食い込んだのも関係ないなら、あなたが彼ら親子に食い込むのも違う。分かりますか」
きゅっと、締め上げる女龍の言葉。ちらっと見たオーリンは、イーアンが冷たいとは思わないが、クフムの表情が嫌がったので、『イーアン、おばあさんに声を掛けるよ』とこのやり取りを終わらせる。
うんと頷いて母屋に向いたイーアンの後ろ、ばつが悪いのかクフムは『イーアンだって、親に会いたいとかないのですか』とぼやいた。
しつこく食い下がったクフムに溜息を吐き、やんわり注意しようとした弓職人だが、イーアンは俯くクフムに向き直った。叱られると思ったクフムが一歩下がる。
「答えてあげます。私は、親に会いたいと思ったことは微塵もない」
「そうですか。家庭環境はいろいろですし」
「そうよ。あなたが根掘り葉掘り聞かれたくないのと同じで、私も自分の過去をまさぐられるのは好みません。まして、それが私の口から一度も出た事のない家族だ何だ、その話で、知りもしない赤の他人に気持ちを適当に決められるなんて冗談じゃない」
「おい、イーアン」
怒ったかと、オーリンが遮るが、イーアンの顔つきは変わっておらず、目を上げたクフムを真正面から見て、きちっと言い聞かせる。
「他人は他人です。気の毒でも、人の人生を左右する可能性がある場合、たった一言でも狂いを生じさせるでしょう。その責任を取る気なら、あなたが勝手に伝えてごらん。ティヤー語は私とオーリンに分からないのだから」
「怒らせるつもりはなかったです。すみません」
言わないですよと、弱気のクフムは下がる。怒らせたのが分かり、女龍の棘ある言葉に目を伏せた。
「責任を取れるかどうか。まずはそこを考えて行動して下さい。相手に対して、ですよ。ぬか喜びのツケを、傷つけた心が回復するまで引き取る気概があっても、相手を傷つける前に防げる自分でいなさい」
ここでオーリンの手が肩に乗ったので、女龍も黙った。オーリンは理解する。イーアンの今、放った言葉は、失敗と後悔を通して学んだこと。
バサンダを助けた日、イーアンは自分の無責任さと浅はかさに泣いた。運良く彼は生き延びたが、イーアンはビルガメスに諭されて、酷く後悔した日だった。
クフムにはあとで話してやることにして、オーリンは垣根前から庭へ移動する。動くと話も終わるので、必然的にイーアンもクフムも後ろに続いた。気まずさを引きずりつつ、弓職人は扉を叩いて呼びかける。
「おはよう、俺だけど」
普通に挨拶するオーリンの横へクフムが回り込み、さっと通訳。すぐに中から返事がし、ちょっと待った後で、おばあさんが扉を開けた。『早く来てごめんな』とオーリンの詫びも通訳されたが、笑顔のおばあちゃんは『早くないよ』と中へ招く。
お勝手の扉から入るので、台所を通過・・・する前に、ハッとした女龍が足を止めた。朝の明るさに影を作る台所の板の上。小麦粉の、練った塊―――
「まさか」
気づいたイーアンに、おばあちゃんが振り返って塊に近寄り、これはお昼だよと教える。イーアンは目を見開きながら側に行くと、紐のように長くなるのかをドキドキして尋ねた。
『知ってるの』と驚いたおばあちゃんに、女龍は先ほどまでの感情が吹っ飛ぶ。心から感謝して、片手をぎゅっと握り(※ガッツ)『嬉しい』と純粋な思いを伝えた。
待ちに待ったコロータのおかげで気持ちが晴れた女龍は、クフムの通訳を利用してあれこれおばあちゃんと話し、おばあちゃんも口頭で説明しながら、二人は意気投合し、そして台所から居間へ移る。
イーアンの機嫌が直っていく段階、オーリンも口を挟まず見守り、クフムもせっせと通訳し、無事に本題に入ることが出来た。
オーリンが見た、バサンダの絵。昨日は迫力に気圧されて、誉め言葉も出なかったが、改めて拝見。箱を開けたおばあちゃんの手が、薄青い防虫布を持ち上げると、面の絵が現れる。
「すごい」
ありきたりの一言が口を衝く。箱の上に屈みこんだ女龍は、触っていいかを聞き、おばあちゃんが頷いて紙を出す。受け取った古い紙の匂い、筆で描かれた染料の褪せない色、生きているような眼で貫く面の絵、数々。
「こんな素晴らしい絵を、彼は若い頃に」
言葉が消失する、伝統の面の惜しみない芸術の絵に、イーアンはちょっと涙が滲む。素晴らしいと何度も繰り返し、通訳されておばあちゃんも満足。これはね、とおばあちゃんの説明が始まり、待っていたオーリンも耳を澄ませた。
同時通訳するクフムが、丁寧に正確な表現を確認しつつ、言葉を繋いで古の伝統を解説する時間。
それは、ケルメシリャーナの情熱と伝説が混じり、これこそ用意された橋だと三人は思わざるを得なかった。ティヤーのこの場所じゃなかったら、他にも同じようなきっかけや、手法があっただろうか。
導かれてアマウィコロィア・チョリアが、『人間淘汰を回避する舞台』に選ばれたような。
「本当は、12枚あったそうです」
一つ一つの面と色と、供物の違いを聞き終わった後、12枚目がないことで話は中断し、オーリンたちは我に返る。クフムはすぐ、おばあちゃんの続きを聴き取って、二人の龍族に事情を伝えた。
「一番下に入っていた絵は、託されて少しした時、崩壊したようですよ」
「崩壊」
「はい。虫に食われたのとは違うみたいで、紙が割れて崩れていたと言っています」
その紙が他の絵に害を成したら困ると思い、おばあさんは崩れた紙を燃やした。脆く割れた紙は絵も分からないほどだったらしく、イーアンとオーリンは視線を交差。
「その色は。黒?」
説明で最後までなかった色・・・オーリンの問いに、おばあさんは頷いて、はー、と残念な息を吐く。
「どうにもならなかったから、と」
クフムは、絵をイーアンに渡したいおばあさんの気持ちを伝え、イーアンは、大丈夫と微笑み、箱ごと11枚の絵を受け取った。
お読み頂き有難うございます。




