2715. 尊敬するセンダラ・セルアンのおばあさんの誘い
黄色い海を後にしたイーアンは、すぐに速度を落とす。
苛立ちで離れたかった感じが伝わり、頭を上げたオーリンは『怒ったな?』と機嫌を尋ね、イーアンは彼をちょっと見て『少しね』と遣る瀬無さそうに答えた。
「あなたが怒るのも嫌だったし。でも男龍を呼ぶのも、もっと嫌ですよ。私が対処できていないってことだもの」
「あ。ごめん、そういう意味じゃなかったんだけど」
「うん、良いの。分かるから。でも、本当の理由はそこではありません。エンエルスが個人的だからです。妖精に個人的って言い方変ですが」
細かいことは置いといて、とオーリンは促し、空の途中で止まってガルホブラフを呼ぶ。すぐに来た龍に乗り換え、オーリンはイーアンも乗れよと腕を引っ張った。イーアンもお邪魔して、龍に乗せてもらう。
「個人的・・・って」
「世界が絡んでいることですよ、人間淘汰は。鳥の話も大事ですが、また違う論点であり、世界の動きに直接触れる内容です。違いを全く意識する気もない彼が、十二の司りの内、二色を担当する。妖精の気質もあるからとは思うけれど」
「フォラヴが最初だからな、俺の妖精の認識は。彼は穏やかで話も聞いてくれる分・・・センダラは妖精って分かるが」
「センダラだって話は聞いてくれますよ。彼女は、世界の未来すら見越していると思います。妖精気質は強くても、センダラなら絶対に理解してくれています。こちらの話の根底にある、重要さを」
「子供付き(※ミルトバン)でも」
「そう、蛇のお子さん付きでも。あの子がすごく大事でも、センダラはちゃんとするべきことをしてくれます。圧倒的な強さがあるからこなせるというのも間違いないですが」
「君は、センダラは好きなんだな」
「センダラは頼もしいです。常に真実を知っているし、間違いを選ばない強さが好きです」
会話をここで止めてイーアンは俯く。エンエルスの態度・・・例え、人間が存続のチャンスを願って、庇護と改心を伝えても、それは多数決で決定するみたいな気がした。
あんなの(※エンエルス)ばかりじゃないと思うけれど、集まった『聖なる存在』の過半数が、あんな感じ(※エンエルス)の個人的嫌悪を先にして人の改心を否定したら、呆気なく終わってしまうだろう。
「せめて。センダラのような、強さがあるなら」
「心の、か」
説明されて、オーリンも頷く。単に態度が問題と思って言い返したオーリンだったが、イーアンの視点は『世界の流れを話しているのに、個人的な感覚でしか受け付けないエンエルス』への残念感と、彼も審判者の一人である不安にあった。
あのさと、オーリンは話題を変えようとした。十二名ではなく、複数の色を一人が受け持つということについて。
妖精の領域に入った後は、思ったとおり、時間があっさり過ぎているし。もう夕方っぽいので、黒い船に戻るのを遅らせ、ちょっと話そうとしたものの。不意に、強烈な光を食らって、ガルホブラフが旋回した。
うわっ、と二人も驚いた瞬間。空と海と、小さな島々が見えていただけの風景に、雷が弾けた。ガンッと轟音が続き、龍は旋回した翼で空へ逃げるように駆け上がる。が、イーアンはびゅっと翼を広げ飛び出した。
驚くオーリンが振り向く。白い6翼が光を撥ね返し、イーアンの横顔が笑う。眩む光が薄れたそこに人影が揺れ、雷の名残の如く、輝きなびいた金髪。
「センダラ」
「何度も呼ぶから何かと思ったわ。あんな程度、倒せるでしょ?」
あんな程度と、肩越し片手を後ろに向けた不機嫌な盲目の妖精が、『魔物退治ではないの?』と怪訝そうに、笑顔満開で側へ来た女龍に首を傾げる。これを見て、オーリンはガルホブラフに離れるよう頼んだ(※苦手)。
「退治して下さって有難うございます!」
「どこでも毎日してるわよ。で?なんで私を呼んだの?」
忙しいのにと仏頂面のセンダラとは逆に、イーアンはニコニコしながら『実はですね』と早速、先ほどの話を相談し始めた(※チクる)。
*****
面倒臭いことを押し付けられそうと、話を聞いたセンダラのぼやきに、イーアンが『押し付けません』と言いながら、でも『どう対応したら(※エンエルス)、人間を手助けできる流れになるか』、意見を聞く時間。
センダラが得意ではなく先に離れたオーリンは、寄り道・・・と思いついた先へ龍で向かい、人の気配のない畑と雑木林の影に降りた。ガルホブラフを一度帰して、夕方差し掛かる、田舎の小山麓を眺める。
あっちだな、と昨日行った家の雰囲気を見つけて細い路を歩き、一軒家の横まで出た。畑も、通って来た道も人がおらず、普段から閑散としているのが分かる。作物はあるけれど、自給自足の範囲に思う。
垣根は夕方の斜陽に長い影を伸ばし、オーリンは低い垣根から家の裏を覗いた。母屋の反対側から煙が細く上がっており、時間帯から夕食準備かとそちらへ回る。
暖炉がないティヤーだから、屋外の竈で火を焚くところが多い。この家も、隣接家屋の影になった壁際、張り出した屋根の下で火を焚いていた。ここで、おばあさん発見。
丁度、開けっぱなしのお勝手口から、食材を手に出て来たおばあさんは、不審者に気づいて目を眇めたが、すぐに『あ』と驚き、嬉しそうな笑顔に変わる。
「よっ」
軽い挨拶のオーリンが片手をちょっと振って、おばあさんは食材の平ざるを持ったまま垣根に寄り『昨日はありがとう』と言った。が、言葉が通じない。ティヤー語だから、通じないと分かっていたオーリンが、可笑しそうに頷くと、おばあさんは少し固まってから『ああそうか』とばかり、口に手を当てた。
「様子見に来ただけだよ。って通じないよな」
話しながら、オーリンが人差し指を薪と竈をちょいと指差し、振り返ったおばあさんは理解する。大きく頷く顔が笑っていて、嬉しいのが伝わる。そうか、とオーリンも笑顔で返すと、おばあさんは手にした食材を指差し、口に運ぶ真似をして、あんたも食べなと言いたげ。
「俺は良いよ、大丈夫だ」
笑顔のまま、手振りで遠慮を伝えると、おばあさんもしつこくせずに分かってくれて、ちょっと待っていてと片手で垣根越しにオーリンの手を掴んだ。
「待てばいいの?良いよ、ここにいるよ」
地面を指差したオーリンに、おばあさんはまた家へ戻り、少しして出てくる。その手に――― あれだ、と気づく弓職人の目が留まる。
おばあさんが何か喋りながら、平たい木箱を傾けたその中、防虫布で保管された『絵』があった。さっとおばあさんを見ると、数えるように、と手で紙の端を捲って教える。頷いたオーリンは、古い紙に触れ、慎重に、紙の角をずらしながら枚数を確認した。
10、11・・・11? おばあさんが何かを言い続けているが、おばあさんも通じていないのは承知。多分、昨日あれから、この絵を探して出しておいてくれたのだろう。そして説明しようとしてくれている。
「クフム、連れてくれば良かったな」
全く分からないティヤー語で、オーリンはちょっと惜しい気持ち。おばあさんが絵を見せてくれているが、たった今受け取っても、一枚足りない理由が分からないのは、気にかかる。
箱を渡そうとするおばあさんに、オーリンは微笑んでそっと押し返し、明日また来るよと言った。で、通じない、と。おばあさんもオーリンが何を言いたいのか分からないため、せっかく来てくれたんだしと持ち帰らせようとする。
そして、はたとオーリンは思い出す。『あ。あれ』ハッとして、腰袋を急いで探り、一冊の書を引っ張り出す。それは、クフム制作『指さし会話帳(※2540話参照)』。
「これ、これに載ってないかな。『明日』とか『来る』とか簡単な言葉・・・ええっと」
垣根越し、背の高い弓職人が会話帳を急いで捲る。よく見えていないおばあさんは、彼の手元で動くページにティヤー語を見て何の本か理解するや、希望を得たように顔が明るくなった。
「ちょっと待ってな。これ、店用だからさ、俺が伝えたい言葉があるか分からないけど」
片や共通語、片やティヤー語のみで、垣根を挟んで夕方の茜色に照らされる数分。オーリンは例文に目を走らせ、パッと手を止めた。
「ここだ、これ、合ってると思うんだ。『明日、来ます』。分かる?」
紙面を傾ける弓職人に、おばあさんはニコッと笑う。合ってる!オーリンが笑って、おばあさんも笑い、オーリンの硬い腕をしわくちゃの手でポンポン叩き、分かったという感じで頷いた。
箱を横の植木側に置き、会話帳を見たがったおばあさんに、オーリンが渡してやると、おばあさんは目をとても細くして細かい文字を見ながら、数枚ページを繰って、一ヶ所を指差す。
「俺が読むの?これか・・・『明日』。で、次が『昼』・・・『食べますか』。ああ~、昼を食べさせてくれるって言ってるの?」
思いっきり共通語だが、オーリンの反応におばあさんが力強く頷き、オーリンは『悪いから良いよ』と苦笑する。その態度は言葉じゃなくても通じているようで、おばあさんはまたもオーリンの腕を掴んで、食べて行けと誘った。
「そうか。気を遣わせて悪いな、でも、うん」
「マナイーティエン・ニーエィエーサー・サーティヤラ」
おばあさんが、『明日の昼食を食べますか』の箇所を順番に指差し、もう一度繰り返す。
フフッと笑うオーリンも真似して、ゆっくり同じように繰り返すと、おばあさんが間違いの発音を強調し、笑ったオーリンがそれを言い直し、笑いながらおばあさんが『可』の認定をしてくれた。
「アハハ。有難うな。じゃ、明日来るよ」
会話帳を戻されて、腰袋にしまい、オーリンは垣根を離れる。おばあさんは挨拶を口にしながら手を振り、箱を持って家に入った。
来た道を歩き、オーリンは二回ほど振り返って微笑み、『息子みたいなんだろうな』と呟く。夕方の光はどんどん色濃く変わり、坂下の向こうに見える海の水平線が金色に輝いていた。
ガルホブラフを呼び、人の目がない雑木林から龍を出す。小さくなってゆくイヒンツァセルアン島にちょっと手を振り、『明日ね』と空からさらっと挨拶。
「箱の中は11枚だった。おばあさんは、もしかすると11枚の事情を話していたかも知れない。クフムを重要に思う日が来るとはね」
ハハハと笑い声を響かせて、龍の民は見たばかりの『仮面の絵』の迫力に身震いする。クフムが通訳してくれたら、詳しいことまで知るだろう。
ゆっくり帰る空の道。茜色の光沢が視界を包んで、渡り鳥の群れが忙しなく東へ西へと動く影を目端に、今日の始まりは気分が悪かったものの、終わり良ければすべて良し、の気分。
明日を楽しみにして――― 夕陽に染まるアネィヨーハンへ到着。
その頃、ルオロフも帰り支度をして、空を見上げる。鳥の影が夕暮れに増えて行く・・・・・
「手段、その一だな」
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