2712. ②本当の、十番目の馬車歌・シオスルン出港
タムズと、イヌァエル・テレンの砂浜で話すドルドレン。ティグラスは、貝から聴こえる馬車歌に夢中。
「前世を別の世界に持って、ここへ呼ばれた存在は、俺が現時点で知る限り、他に三人いる。一人はもういないのだが」
「ん?その話を聞かせてくれ」
途切れず進む会話で、ドルドレンの言葉にタムズはまた解説を頼む。ドルドレンは、この三名の内、二人はまだ身近にいて、一人は元の世界に戻ったと教えた。
「馬車歌では『複数』と示しているのだろう?もっと大勢の意味かと思ったが」
「俺も直に聴く前まではそう思っていたのだが、馬車の言葉で改めて知ると、複数の『前世持ち』が出会い、集まり、他は普通の人間である。特殊な人物数名に対し、一般的な人間を示す言葉が続く。それが大勢の印象なのだ」
「ふーむ?」
タムズの興味深そうな大きな瞳に、ドルドレンはちょっとだけ笑って、タムズも少し笑う。
「好奇心とは異なるのだが、教えてくれ、ドルドレン」
「龍のあなたに教えてくれと頼まれて、俺は恐縮だ」
ハハハと笑いながら、男龍はドルドレンの肩に手を置いて、頭を撫で、その灰色の瞳に問いかけた。
「イーアンだとして、だよ?『イーアン』と、君の知る『二名の人物』。この三人が、淘汰される前の人間を導くのでは、と君は思うのだね」
「・・・早計だと自覚はある」
「萎縮しなくて良い。そこへ双頭の龍か。どうやら、龍も同時に行かないと大陸に閉じ込められて、身動きは取れなくなるようだが」
「そのように歌っている」
「ここからが私の・・・先ほどの言葉を訂正しよう、『好奇心ではない』と言ったが、好奇心かも知れない。
双頭の龍が降りて、幻の大陸が含む諸々の異世界への通路を、阻む役目に就いた後。人間は幻の大陸上で、新たな世界を創る?双頭の龍が据えられた時点で、どうやら大陸の外にも出られる状態を確保しているが」
「俺の表現はおかしいかも知れないが、中間の地であって中間の地ではない、その大陸の一部に人間が住む・・・と、俺は想像した」
「ドルドレン、良い解釈だ」
褒められて礼を言ったが、ドルドレンはそれでも心配する。
「出られない訳ではない、と思いたいが。根付くような印象を受ける以上、場所が場所だけに」
「そこまで考えてこそ、君らしい」
タムズの笑顔が消え、『思っているよりも深刻だね』と重い一言で締め括る。灰色の瞳は一度下げられ、また見上げ、男龍の金色の瞳を見つめた。それはとても悲しそうに、タムズには映った。
「もしも、全ての人間が収容されることになったら。いや、そんな都合良くはいかない。『選ばれた者だけが入れる』と歌っているから何割かもしれない。
その、何割の彼らが、再び中間の地に戻れる気がしないのだ。一度そこへ入ったら、避難して出てくるなど、上手い話ではないような」
「どうして?」
タムズも同じように思うが、ドルドレンが恐れる理由はまた別と思い、尋ねる。ドルドレンは一呼吸置いて、それはと息を吸い込んだ。
「歌の最後・・・『太陽の民』馬車の民のことだ、『太陽の民は、終わる入り口へ向かう』とあるから」
タムズは小首を傾げる。馬車の民は何者?それもだが、ドルドレンの途切れ途切れで伝える歌の内容は、どうも一から十まできちんと聞いた方が良さそうに思わせる。
「君さえ良ければ。抜粋ではなく、歌の全てを聞きたいのだが」
訝しむ男龍に、ドルドレンはそう言われると分かっていたように、『タムズが望むなら勿論』と首を縦に振る。その答え方もタムズには・・・彼が、自分からは言い出せず、引き出してほしいように見えた。
「言ってごらん。私は人間へ理解がある方だと思う。まずは、君が気にした最後の部を教えてもらうか。誤解しないよう、主観は置いて聴くつもりだ」
「タムズは根気よく人間を知ろうとしてくれる。有難い限り。これは俺一人では」
思わず零れた本音『俺一人では』と言いかけ口を閉じる騎士に、タムズの大きな手が触れる。騎士の頬に添えられた男龍の手は温かく、ドルドレンは覗き込むタムズに目で協力を訴えた。
「君が一人で背負うには、恐れる内容。勇者の立場だから、余計に」
ドルドレンは、頼もしく強い男龍に『馬車歌の秘密』を打ち明ける。ティヤー十番目の家族が運んでいた歌の末は、『それでもだめなら、やり直し』。
―――もしも幻の大陸へ。尊い風を受けたなら、入らなくても大丈夫。風を知らない足が行く。太陽、月も星もない、眠る籠は草の上。窓が開いて、続きは二つ。太陽探しの馬車が動く。終わりの入り口、次の道。後ろの民は、続きを二つ。草に座るか、馬車に乗るか。それでもだめなら、やり直し―――
教えたドルドレンは、タムズにこの歌の意味をどう解釈したか、話した。
「俺が思うに、馬車の民だけは別の世界へ移動しようと考えるのだろう。歌い手だからそう歌詞を作ったとも思えるが。
しかし他の人々は、覚悟が決まらず元の世界に戻りたいと思うのかもしれない。草に座るとは、幻の大陸に居続けることで、馬車に乗るとは馬車の家族について行くこと。要は、やはり別の世界へ行く機会と言っているのだ。
どちらも拒むのであれば、やり直しが待っている。別の世界で存続をすると歌に遺る以上、馬車の民ならこれを聞いて従う。つまり、馬車の民は移動して滅びない未来がある、と」
「人間の中でも特別扱いだな」
「そう。太陽に愛されながら、背中に落ちる影を決して切り離さないから」
はたと、タムズの目が騎士を見据える。唾を呑みこんだドルドレンは、『人間の代表で、光と影の両方を持ち込む』と溜息を吐く。
「サブパメントゥと龍の間を行き来した端役の、最後の逃げ道なのかもしれない」
「取るに足りない役どころのはずが、最後は逃がされる?他の人間が残るかどうかの瀬戸際に混じって?」
少々、皮肉めいたタムズだが、ドルドレンは肯定した。タムズはもう少し、歌の解釈で分かるところを尋ねた。
「幻の大陸を開けた、特殊な『前世持ち』はどうなるのか、歌にはある?」
「ある。短い言葉だが、彼らは『道を敷く』だけだ。新たな道を示し、新しい世界があると教えるが、彼らが付き添うとは一言も言っていない」
「・・・では。イーアンや他の二人が行ったとしても、先に出てくるようだね」
「そのとおりだろう。馬車歌で『続き二つ』に晒されるのは、先の話に出た一般的な人間が対象なのだ。特殊な人たちは最後まで一緒ではなく、馬車の民も逃げる示唆がある」
これが馬車歌にある意味、遥か昔から決められていたことではないかと、勇者は苦しそうに呻いた。
裏切りは、勇者だけの話ではなかったのか。太陽の民は、自らの役を理解した道化のようだと思わざるを得なかった。
沈黙が流れる。波打ち際の少し奥、乾いた砂と暖かで優しい日の光に、男龍の美しい銀色の髪が輝き、ドルドレンは片手で顔を覆った。
ティグラスは、ペタッと座った砂の上で動かず、海を見たまま馬車歌を何度も聴いているようで、耳に当てた貝殻を心地良さそうに体を揺らす。彼は、覚えた側から小声で歌っていた。
*****
朝一番、アネィヨーハンに急ぎ、呼びかけて降りて来たのが赤毛の若者・・・シオスルンは緊張して、唾を呑みこんだ。
ちらっと甲板の高さに視線を上げる。あの高さから飛び降りて・・・ ルオロフ・ウィンダルは、私が呼びかけてすぐ船縁に片手を置いたと同時、何を迷うことなく飛び降りてびっくりした。
軽やかに小さな音とともに着地した優雅な若者は、薄地の白い襟を開けたシャツに、しっかりと染められ落ち着いた緋色の膝下までのズボンに、黄橙の革で作られた足首までの革靴。腰には緩く垂らす剣帯に美しい鞘の剣を下げ、真っ赤な赤毛は艶やかに風になびく。
アイエラダハッド一の大貴族、ウィンダル家の一人。最初に会った時はここまで恐れなかったのに、シオスルンは若者の薄緑色に透けるひんやりした眼差しに、言葉を一瞬忘れる。目尻の上がった若者の目は、人間よりも野生動物を思わせ、豪奢な貴族社会と反対の印象で、何も隠さなかった。シオスルンへの、威嚇と警戒を。
「挨拶は外します。緊急と仰るが」
赤毛の若者の静かな問いに、シオスルンは頷いて『私は本日出港することになりました』と最初にそれを伝えた。だから?とでも言いたげなルオロフに、一呼吸置いて『イーアンとオーリンにも伝えようと思いまして』と言いかけ、ルオロフが遮った。
「話を邪魔して失礼。あなたは確か、イーアンを船で博物館へ連れて行った際、帰りは彼女を置いて行ったと聞いていましたが」
「それは、ワーシンクー島からの乗り継ぎが予定より早く到着する報告が」
「しかし一言も彼女に言わなかったのは、紳士的ではありませんね。彼女が飛べるからまだしも。普通の女性であれば、見知らぬ島に置き去りです。今になって謝りに来たのですか?出港する知らせに乗じて」
ぐっさり刺す若者の言葉を食らい、シオスルンの瞼が閉じる。怒らないよう、深呼吸して『確かに言い訳の予知もありません』と先に認めてから、せめて出立前に謝りたかったと、急な展開を盾にする。冷ややかな薄緑の瞳は微動だにせず、小首を傾げられて、シオスルンはもう一つここで謝っておく。内心は、この若者の態度を、増々気に食わなくなっているにしても。
「あなたにも謝罪したいと思っていました。初日の無礼をお許しください。私の知り合いはイーアンで、あなたは報告資料になかったものですから、つい」
「イーアンもあなたを知りませんでしたけれどね。そしてあなたの私への謝罪は、もしかして私の素性を知ったから?」
「・・・アイエラダハッドのウィンダル家といえば、世界中で知らない者はいません。先に情報があれば、私も」
「相手が誰であれ、貴族の威圧を快く受け入れる者は少ない、と学びませんでしたか?」
容赦ない嫌味に、シオスルンの目が据わる。
ルオロフは、軽く息を吐き出し赤毛をかき上げて、片足に体重をかける。砕けた普段の姿勢に変わった若者が見下していると捉え、シオスルンは感情を押さえながら『失礼をお詫びします』と丁寧に、短く、この話題を切った。
なぜか、ルオロフと話していると、胸に恐れのざわめきが生まれるのも感じ、シオスルンは魔物資源活用機構の皆さんに別れの挨拶を求める。
「もうじき、ハイザンジェルへ船を出します。嵐が来るようなので、日時変更で前倒しになりました。皆さんに無事を祈る挨拶をしたいのですが」
「皆さんは忙しいです。どうぞお気を付けてお戻り下さい」
取り付く島なし。ルオロフはガッチリ断って、微笑み一つ出すことなく、シオスルンを遠ざける。これには流石に『根に持つ若者の独断』と思ったシオスルンが、『あなたが決めることではないでしょう』と言い返したが、ルオロフはサッと首を横に一振りして踵を返した。
「伝えておきます。安心して出発して下さい。イーアンは私の母です。私は彼女に迎えられた以上、彼女と面会するに、ふさわしい人物を選ぶ義務がありますので」
「あ・・・え?はあ?なんですって?あなたが息子?私がイーアンにふさわしくないと?」
声を荒げかけたシオスルンに、ルオロフが遠慮ない侮蔑の眼差しを肩越しに投げる。
「失礼な言い方は、周囲の誤解を招く。イーアンにふさわしくない人物の『面会』と言ったでしょう。あなた個人がふさわしくないと、人が勘違いするような言葉はやめて頂こう」
どこまでも生意気なルオロフに、シオスルンも堪忍袋の緒が切れる。スーっと息を吸い込んで『失礼した』と怒鳴るような声を最後、背中を向けた。
「シオスルン・アリジェン。最後まで私に名乗らずにいた貴族を覚えておこう。次にルオロフ・ウィンダルと向かい合う際、この朝の続きであることを忘れずに!」
言われっぱなしで下がらない、ルオロフ。はっきりと波止場に行き渡る声量で、良く通る声が貴族の上下を突きつけ、波止場の人たちもガン見。
振り返ったシオスルンは青ざめたが、怒りか怯えかつかない表情で、唇は戦慄いていた。
ふん、と鼻を鳴らし、ルオロフは片手をサッと高く上げて『無事な帰国を祈る』と、背中で挨拶。地面をトンと蹴って建物二階分の高さを跳躍、アネィヨーハンの横板をもう一度蹴って甲板へ上がって消えた。
波止場従業員が、おお、と感嘆の声を上げる中、肩で息するハイザンジェル貴族は、じっと睨んだ黒い船から視線をはぎ取るように逸らして大股で帰って行った。
あの声。あの口調。告知の声と似ている―――
これに気づいたシオスルンが、ルオロフに確認することは出来なかったが・・・
『ティヤーに響き渡った、船員も島民も怯えた告知の内容を本国へ報せねば!』と気持ちを切り替えて、出港前の船の舷梯を上がった。
お読み頂き有難うございます。




