271. タンクラッドの白い剣
タンクラッドの工房に着いたイーアンは、荷物を足の甲に乗せて扉を叩く。
すぐに中から声がして、扉がさっと開いた。笑顔のタンクラッドがイーアンの姿に嬉しそうに笑いかけ、手に持った荷物を持ち上げて、中へと背中を押した。
「おはようございます。お食事中?」
「会いたかった。おはようイーアン」
机の上に食事があり、イーアンはちょっと早かったかもと気づいた。タンクラッドはイーアンの背を押して椅子に掛けさせ、朝食の続きを食べる。
「お茶を淹れてきます。良いですか」
「好きにするといい。ここはお前の場所でもある」
そんな、と笑うイーアン。台所に行って、お茶を淹れて戻ってきた。美味しそうに食べている職人をじっと見て、『私にも一口頂けますか』と頼んでみる。彼のいつもの味は、どんな味なのかなと思った。
少し驚いた顔をしたタンクラッドだったが、すぐに微笑んで匙で一つ掬い、イーアンの口に差し出した。
あらこれは、とやっちまった感が過ぎるものの、とりあえず顔に出さずにぱくっと食べておいた。いけない、いけない。うっかりし過ぎた。気をつけねば。これで照れる年齢ではない(←変な場面では照れる)。おや、でも美味しい・・・・・ 彼は味覚が良い上に、素材の美味しさが出せると知る。
「美味しいです。とても良い味。料理が上手ですね。私、美味しそうで、つい図々しく食べてしまって。でも有難う」
イーアンが満足そうに微笑むと、タンクラッドも笑って『お前の料理の方がずっと上手い』と朝食を食べきった。『でも誉められると嬉しいな』うん、と頷いてイーアンを見た。
「この前。お前が夕食用に作っておいてくれただろう?あれも食べきりそうになると勿体無くて。次の日の昼まで持たせた。だがやはり夕食になると寂しかった」
あら・・・と笑うイーアン。そうです、そういえばと荷物から包みを出した。
「脂の固まりでも食べると仰ったでしょ。でも好き嫌いは分かれるから、これはどうでしょうか」
冗談交じりでそう言うと。イーアンは台所に行って、ナイフで保存食を薄く切った。それを3枚ほど皿にとって食卓へ戻る。職人は初めて見るその食べ物を、じっと焦げ茶色の瞳で観察していた。
「試しに支部でも騎士に食べてもらいました。美味しいと仰った方は8割ですが、他の方はブレズと食べたら美味しいと」
「一つ、くれるか」
はい、とイーアンは摘んで差し出す。その行為に職人はちょっと目を留めて微笑み、形の良い口を開いてそっと食べる。口に入れたすぐ、少し顔が真顔になり、そのまま口内を観察するように口を動かしつつ、目を見開いていた。
「どうでしょう、難しかったかしら」
ちょっと怪しい反応に、イーアンは戸惑う。左手に持っていた皿を机に置こうとして、手首をタンクラッドに掴まれる。
「面白い味だ。こんなのは初めて食べた。力強い肉の味と濃厚な脂の匂いと、それをくどくさせない甘く酸味のある干した果実の味。全てが上手に良い分量で合わさっている。もう一つ、くれ」
気に入ったのだと分かり、嬉しくなるイーアン。もう一枚摘んで、どうぞと運ぶと、笑顔の職人はそれを喜ばしげな表情で食べた。結局3枚全て食べて、堪能した様子でお茶を飲み、イーアンに微笑む。
「お前の料理は面白い。とても豊かだ。素材の味をよく理解しているからだろう」
これが保存食か、と訊かれ、イーアンは頷く。イーアンの髪をナデナデしながら、タンクラッドはその鳶色の瞳を覗き込んだ。
「どうしたらお前を側におけるのか。本気で叶えたくなる。保存食は大事に食べないといけないな」
保存食に凄い誉め言葉だと思いながら、愛犬イーアンも笑顔でナデナデを受け取った。
とうとうタンクラッドに心の声が伝わったのか『イーアンは、大きな犬のように可愛い』と言われた。やっぱり。
「顔つきではないな。思い遣りや目の表情や、・・・・・この毛並みだろうな。犬は優しくて可愛い」
毛並みって人間に使う表現なの?微妙に思うイーアン。でも良いの。そんな気がしていたから、何だかしっくりポジションが決まった安定感を感じる。料理の作れるワンで良かった。ついでにちょっとワンのような頭脳もあって良かった(※ワン知能=人間3歳同等。イーアン44歳⇒41年何してた)。
「タンクラッドのワンちゃんですか。それも良いですね」
「俺のワン。そうか。でもそれでは人間(←ちゃんと人間枠に入れてくれる)にあんまりだな」
「では。そのワンは契約金を持ってきました。執務室が昨日再開しましたので、私が運びました。書類と」
「ありがとう。これでお前と公に繋がるな」
その言い方は微妙です、とは言えないイーアン。微笑むのみ。反応するほうが危険な場合もあるのだ。大人同士なので、ここは笑顔の交流で次へ進む。
契約金の入った箱の蓋を開けて、書類と見合わせ、静かに頷きながら少し考えているタンクラッドだったが。ルシャーブラタのオークロイと、同じようなことを言った。こんなに受け取っても使わなかったら、公の機関が相手では返せそうにない、と。
「契約変更します?」
「ふむ。なんとも言えない。かからないとは言えないし、かかってから請求というのが普通だと思っていたから。この契約金が年間の予算として、全額使用分に当てられているのは、気にはなるな」
同じことを言う人がいたことを、イーアンは話した。南の鎧工房に年末で向いた時は、まさに同じ内容で伺いましたと。結局内容を変えたため、書類を作り直したことも話した。
「手間じゃないなら、受け取る前に、そうしたほうが良い。気持ちの問題だ」
「そう仰るかもと思っていました。どうしましょう、一緒に支部にいらっしゃる?あちらで、ドルドレンと執務の人がいる状態での、契約の方がすんなり間違いなく運びます。」
そう言うと職人はちょっと嬉しそうな顔をして、イーアンを見つめる。『思いがけない機会だ』と優しいとびきりの笑顔を向ける。業務の話をしている最中に、その笑顔を不意打ちで食らうと、椅子から転げ落ちそうになる。急いで机に張り付き、転がるのを防ぐイーアン。
奇妙な動きを見て、タンクラッドが不思議そうに首を傾げ、『お前の工房も見れると思った』と付け加えた。
「ええ。そうです。もちろんです。ではそうしましょう。近いうちに」
「これから行けないのか」
「今?今日はダビがいますから」
「ダビは?ああ、そうか。サージの姪のところか」
イーアンは早いうちに予定を組みますと話した。多分、自分が今日戻ったら、遠征に出るからと言うと、職人は目を丸くしてイーアンの腕を掴んだ。
「遠征?イーアンが戦闘に?どこへ」
心配しなくてもとイーアンは笑顔を向ける。『大丈夫です。南で魔物の数が多いみたいなので、長期戦で倒しているらしくて』だからお手伝いと説明した。私は戦わないで空から見てると思う、と言うと、とても心配そうな顔をする職人。
「そんな。何かあったら大変だろうに。なぜイーアンが行かないといけないのだ、騎士ではない」
「私が役に立てることもあるのです。それが分かったから、お願いして同行させてもらうのです」
あまりに悲しそうな顔で見ているので、話を変えようと思ってイーアンは目玉商品を出す。『先日ご紹介したものですけれど、少し使いやすくしました』ほら、と見せる。
目玉商品(目玉製品)は片側だけのメガネのような形をしている。
最初に作って見せたのは、普通のメガネのように両目で見る形を作っていた。イーアンの思う、水中メガネ(※古い呼び方)っぽい形で、それはそれで少し洒落ていたが、洒落て過ぎて、男性は難しい感じが否めなかった。言ってみればジゴロ向き(使用者:一人のみ)。
先日、装着してもらったら、タンクラッドまでジゴロに見える威力でこの形をやめた。タンクラッドやドルドレンはお顔に大変に恵まれているので、洒落物装着はジゴロ行きになる。
タンクラッド自身は、その奇妙な目円盤(この世界の一般的・視力用レンズ)の効果に、とても驚いていて気に入った様子で、面白がって欲しがっていた・・・見た目がジゴロで、危険極まりない妖しい魅力になってしまったので宥めて取り上げた。
「片目だけだと不便ではないか」
「そうでもないかもしれません。両目の方がもしかしたら、付け外しの際に、目が慣れるまで困るかも。片方の目で、少し見れたら良いのかしらと思って。剣の人より、弓の人のほうが使えそうな気もしますね」
片目に掛けるレンズは、イーアンの中では水中眼鏡から、ド○ゴンボールのスカ○ター的印象(※これも時代が古い)。
それを参考にしたわけではなかったが、騎士が使うマスクの作りがそれと似ていて、マスクの部品を使ったら片目用のスコープが出来た。仕上がったのを見ていて、上記の某有名漫画に出てきたアレを思い出した。でもあんなに近代的ではなく、もっとトライブな感じである。
「魔物の眼から取ったと言っていたな。温度で色が違って見える。その魔物はこれで飛んでいたのか」
「夜に飛ぶ魔物でした。主に夜です。眼球を開けると、この透明の集光板がありました。こんなものが入ってるとは思いませんでしたが、これを通して見たら世界が違って驚きました。夜や、同色に景色が染まる場合などは、良い道具になるかも」
タンクラッドが『ふうん』と面白そうに触りながら、すっと自分の頭に掛けてみた。
――いやんカッコイイ。べ○ータ様より全然カッコイイ。生え際もまだまだ、タンクラッドは大丈夫だし(←べ○ータ様に失礼)さすがに美形が着けると何でも似合う。永遠に見てたくなるカッコ良さ(※伴侶もカッコイイけど)――
萌え萌えする愛犬イーアンを他所に、タンクラッドは部屋を見渡したり、炉を見たりして楽しんでいた。ふと、炉のほうを見たタンクラッドが何か思い出したように、『ちょっと待ってろ』と立ち上がって工房へ行った。戻ってきた時、手には何も持っておらず、微笑みながらイーアンの手を取った。
「一緒に」
手を取られて工房へ行く。フェイドリッドのような感じで誘導するので、何かなと思うと、工房の机の上に一本の剣があった。
その剣は一見、真っ白で、細身の剣身は白っぽい銀色。両刃は白い刃に虹色が浮かんで・・・・・
「これは。まさか」
タンクラッドは一際優しく微笑んで、1mくらいの長さの、細く美しい剣をイーアンに持たせた。
「そうだ。これはお前の剣だ」
えっ、顔を上げるイーアン。タンクラッドの大きな温かい手が、イーアンの顔を撫でる。『見てみろ』柄の部分に、何かが入る空間がある。微笑む職人は、イーアンの腰に下がる白いナイフを指差す。
もしかしてと思ってナイフを取り出し、柄の部分にナイフをそっと差し込むと『かちゃん(憧れの一致する音)』が聞こえ、ナイフはぴたりと柄に収まった。
たまげて目を丸くし、口を開けて驚くイーアン。小さな笑い声を立てたタンクラッドが、イーアンの髪を撫でる。
「総長の剣の。お揃いだな。お前は白い皮だ。この皮は焼けない。金属には変わらなかったから、叩くことは出来なかったが。すごいことに焼けた金属に当てても変質しなかった。研いで削ることは出来るのにな」
目の前の素晴らしい工芸品を見つめて、板皮甲トカゲの顔にイオライの火を使った時を思い出していた。
あれは『焼いた』と皆が思っているが、焼いたのではなくて、目的は酸欠にするためだった。呼吸するのは分かっていたから、魔物の毒で息が出来なくなって痙攣した魔物の、殆ど動かない口元に炎を立たせて、空気を燃焼させるつもりで、火力の強いイオライの炎を使った。
実際に、魔物はそれで死んだが、皮を剥いだ時に皮は焼けていなかった。だが、これほどの高熱に耐えるとは信じられなかった。
「タンクラッド・・・・・ 」
これは感動しても良いっ!イーアンはこの素晴らしい作品を前に感動を殺すことは罪だとさえ思った。
剣を机に置いて、タンクラッドを抱き締める。あまりに素晴らしい作品を作る。あまりに凄まじい腕を持つ。何て人だろうと感動一入。オペラを聴いて感動すると、歌手に花束渡して抱きつくのと同じ。イーアンはこの素晴らしい感動をちゃんと職人に伝えたかった。
「イーアン。お前が喜ぶと」
言いかけてタンクラッドはフフッと笑って、抱き返す。優しく抱き締めて、頭を、背中を撫でる大きな手。自分の胸に頭をつけて『あなたは凄い人だ』と何度も喜びの賛辞を贈る、可愛い・・・『ワン』。それを思ったら、ちょっと吹き出してしまい、タンクラッドはイーアンをぎゅっと抱き締めた。
「ずっとこのままだと良いのだが。その剣は、俺の剣でもあり、お前の剣でもある。俺の剣にお前のナイフが入る。俺たちは一緒だ」
はっとするイーアン。そうだ。言われて見れば、そういうことかと思って職人を見上げる。微笑む焦げ茶色の瞳が真っ直ぐイーアンに注がれる。
「最初はそのナイフの良い鞘を作ってやりたいと思った。今の鞘でも良いだろうが、もっと似合うものをと。だが、そう思ったら、自然にその剣を作っていた」
自然に身体が作っていたと言われて、イーアンは感動の涙が滲む。泣いてばかりだといけないので目を瞑って、その思いに感謝した。
「あなたという人は。何て素敵なことをして下さったのでしょう・・・・・ 私も剣を習いませんとね」
頑張らなきゃ、と抱き締めたイーアンが意気込み新たに呟く。それを聞いてタンクラッドも気がつく。
「あ。そうか。これを渡すということは。お前に剣を振らせることになるのか」
しまった、そうではない、と慌てるタンクラッド。自然体で作っただけある、数日後の反応そのものに、イーアンは笑ってお礼を言う。そっと腕を解いて、もう一度職人の胸に頬を寄せてお礼を囁く。
体を離して笑顔で剣を持ち、『今度、この剣の鞘を作ります』と約束した。苦笑いのタンクラッドも、頷いて、同じくらいの幅と長さの仮の鞘を持たせてくれた。
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