26. 遠征出発と最初の魔物
その日、午前中に騎士修道会北西の支部は出発した。
朝食後。 個人の荷の準備も全て終えた時点で武装し、短く全体挨拶をして昨日の内容復唱が済んだ後、馬車4台に乗る以外の騎士50名は各自の馬に乗って遠征に出た。総勢72名。北西支部の騎士9割である。
目的地は西の壁付近のイオライ地域。
岩ばかりと誰もが言う、草木の少ない荒地だ。支部の裏手から見える西の山脈に向かって約2日。順調であれば1日半ほどで到着する。今は雨のない時期なので、移動しながら昼食を馬上で済ませて時間を短縮し、1日半での到着を予定して進む。
今回の救援申請は、イオライ道中にある『イオライの剣』と呼ばれる町・イオライセオダからだ。イオライで採れる鉱石でナイフや剣を昔から作っていて、ハイザンジェルの王都直属騎士団御用達を請け負う。
魔物の襲撃率が高い地域でもあるが、武器防具の素材産出地から職人が離れると生産量が減り、魔物との戦いに影響が大きいため、イオライセオダのような町は職人の移動が出来ない。そのため騎士修道会各支部でそうした地域を抱えている場合は、定期的な申請に合わせて支部のほとんどの騎士で向かい、一斉に戦ってしばらくの安定を守る。そうした流れを繰り返していた。
ドルドレンとイーアンは同じ馬 ――ウィアド―― に乗っていた。周囲の反応はやや引き気味だったが、出発前の全体挨拶時でイーアンの同行を宣言されていたので、これには誰も反対しようがなかった。
全体挨拶の内容は、すでに前日会議で代表者が了承している前提であり、よほどのことでもないと翌日の挨拶時でひっくり返ることはなかった。つまり、イーアンの同行は、懸念はあったとしても反対までは届かなかったということだ。
当のイーアンは自分の場違いさを認めているのか、紹介の壇上ですまなそうに俯きっぱなしだったので、それに同情した騎士も少なくない。
挨拶時にイーアンの存在を知らない者もまだいたが、多くの者は3日前の夕方の騒ぎ(ノーシュの急襲)と昨日の一悶着(ディドンの反抗)の話題で、イーアンに対して『たぶん、無害で普通に良い人』として認識したため、総長ドルドレンによる斜め上の世話に彼女は振り回されている・・・ と解釈した。
・・・・・そうした出だしを経て出発後、そろそろ日が天の真上にかかる頃。 昼食の号令がかかって、馬上でそれぞれ携帯食を摂り始める時間に入った。
ドルドレンは手綱を持ったままだがイーアンがいるので、自然な流れ?でイーアンに食べ物を準備してもらう。ドルドレンはこの時間を想像して、実に楽しみに待っていた。
「イーアン。すまないが、ウィアドの右の袋に入っている、そうそれだ、その袋が昼食だ」
「お水を先に飲みますか? 栓を開けます、ちょっと待って。はい、どうぞ」
イーアンに水筒を渡されてドルドレンが水を飲む。水を3口ほど飲み終えたタイミングで、イーアンが水筒を受け取る。
「これは干し肉ですね。このくらいに割いたら一口で食べれますか。ちょっと大きいかしら?」
筋に沿って割いた肉片をイーアンはドルドレンに見せる。ドルドレンは笑顔で「丁度良い」と答える。
ニコッと笑ったイーアンがドルドレンの口に肉を差し出し、ドルドレンが一瞬、肉とイーアンをじっと見つめてから満足げにぱくっと口に入れる。 『うん、イーアンのくれた肉は美味しい』と目を細めて感想を告げる。
『肉は皆さんのと一緒でしょう』とイーアンが笑って、自分も肉を食べる。『だとしても、味わいが異なるのだ』とイーアンを覗き込んだドルドレンは囁く。
このやり取りを、周囲は見たくなくても目に入る。 ――この二人、嫌だ。いちゃついている。 嫌だ、見たくない。 イヤだ、羨ましい。 緊張感なさ過ぎるだろ、笑顔が多いよ。 見たくないのに続きが気になる。 聞きたくないのに聞きとりやすい距離に馬を寄せる。
同じタイミングで、自分も肉やブレズ(※パンです)を食べることで仮想体験を味わう。――今、この瞬間が空しくたって良い。自分もいつか恋愛する、と心に誓う涙の馬上昼食。
普段にない周囲の奇妙な動きなど微塵も視界に入らないドルドレンは、幸せ一杯で食事をねだる。
「イーアン、手が空いたらブレズをもらっても良いか」
「あらごめんなさい。はい、でもどうしましょう、かじりますか。それともちぎりますか」
「ちぎってもらっても良いか」「はい、ちょっと待って・・・ 」
一口大にちぎったブレズをイーアンが指でつまんで、振り向いてドルドレンの口に差し出す。さっきからこうして食事をしているが、つまりいわゆる『あーん行為』の連続である。
ブレズを食べる前にイーアンの瞳を見つめて微笑んでから、ドルドレンは幸せのブレズをそっと口に入れてもらう。彼女が指を離すタイミングで少し早めに口を閉じて、イーアンの指に唇が触れるゾクゾクする楽しみを覚えた、変態的確信犯の傾向を当人は気がついていないが、周囲は目を皿にして確信していた。
「食べさせてもらってばかりで、不公平かもしれない」
「そんなことありませんよ。私は手綱をとっていませんもの」
「夕食は俺が」「大丈夫」
ドルドレンの提案を、イーアンは変わらない笑顔で遮って押し流す。ドルドレンが少し寂しげに微笑む。
周囲は『当然だ調子に乗りやがって』『充分良い思いしてるだろ』と声なき声を心の中で叫ぶ。
簡易昼食を終えた時、気がつけばウィアドの横に何だか距離を狭めた隊の連中が馬を並べて進んでいた。そして何だか冷たい目で騎士たちが自分を見ていることに、ドルドレンは意味が分からず、無視することにした・・・・・
馬に揺られて会話も少なく進む午後。太陽が斜めに傾き、日に暖まった風が風向きを変えて前から吹き始めた。
突然、魔物の気配を馬が感じ取った。徐に馬が数頭、不安定に嘶く。馬の態度に全員に緊張感が走った。ウィアドは静かだったが、耳が忙しなく動いている。
真横にすーっと並んだ隊長数名に、ドルドレンが首を動かしてそれぞれに目で合図する。各隊長が小さく頷いて馬の方向を変え自分の隊に戻ると、見届けたドルドレンが右手を挙げた。手が挙がると同時に、それまで同じ方向を目指して進んでいた騎士たちが、5つの固まりに分かれて広がり全体が速歩に変わる。
「イーアン、魔物だ」
ドルドレンの囁きに、気配を感じたイーアンの体も硬くなる。ドルドレンはイーアンの頭にそっと唇をつけてから『ちょっと留守にする』と言ったかと思うと、ふと姿を消した。
背後の温もりが吹き抜ける風に冷やされて、イーアンが驚いて振り返るとドルドレンの姿はなく、次にイーアンの目に映った時は自分の上を飛ぶ黒い影だった。ドルドレンが宙を舞って、横を走る隊の馬を足場に着地しては跳ぶ。あっさり最右隊へ移動したところまでを目で追うが、遠くてその先はもう見えない。
呆気に取られるイーアンにウィアドが横顔を見せ、手綱をとるように促す。速歩に変わったウィアドは背中の女に気を配りながら走っている。慌てて手綱を握ったイーアンを、緑色の甲冑と仮面を付けた騎士の馬が横に来て誘導した。緑の騎士がイーアンの持つ手綱の少し側を掴んで、自分の馬に寄せる。騎士は頭部まで覆う仮面を付けているので誰だかわからないが、イーアンの進む方向を右に向けようと示している。
イーアンは戸惑いながら手綱をその人に触りやすいようにずらし、誘導される右方向へウィアドを促した。緑色の仮面の騎士は頷き、ウィアドの手綱を握ったまま大きく右へ向けて進んだ。
進行方向には既に他の隊が各隊にまとまって進んでおり、イーアンと緑の騎士は先に右側へ回った騎士たちの後方に付いたので、イーアンにはドルドレンがどこにいるのか全く見えなかった。
「来たぞ!」
鋭い掛け声が乾いた空気に響いた途端、奇妙な吼え声とも音とも付かない何かが進行方向から鳴った。気が付けば騎士たちが剣を抜いている。馬の速度が増し、土埃が舞い上がる。『下だ』と誰かの怒鳴り声が聞こえた。
唐突にイーアンの前100mほどの場所に礫が勢いよく噴き上がる。イーアンは口を開けてその現れた姿に釘付けになった。けばけばしいほどの黒と黄色の斑模様をつけたミミズじみたものが目の前に立ちはだかる。その大きさたるや、20mほど。まだ地中に埋まっているのか、毒のツクシでも生えたような姿。表面は体液でも出ているのか、濡れた体が陽光に光ってる。どこかで嗅いだことのある異臭が鼻につく。
「硝酸?」
イーアンは眉を潜めて毒ミミズ的魔物を見つめる。その声は誰にも聞こえない。もし硝酸みたいなものを出しているなら、生身についたら危ない―― このイーアンの心配はすぐに現実となった。
どこが顔か分からない魔物は太く長い体を揺らしたと思うと、前振りもなく立ち上げた頭を地面に向けて突き刺した。その巨体からは信じられない速さで、真下の騎士と馬にかする。途端に馬の悲鳴が上がり、騎士が叫ぶ。慌てふためく周囲は転がる騎士と取り乱した馬を守りに入った。
叫び声に反応した魔物がそこからは連続して攻撃を繰り出す。地震のような地面を揺るがす振動と、舞い上がる礫と土埃が視界を遮り、逃げられなかった騎士の叫び声と逃げ出す馬の嘶きが空気を劈く。
3人目の悲鳴が上がった時、午後の太陽に煌いた群青色の星が魔物の頭上から降ってきた。
地面に叩きつけた頭を次の攻撃に振り上げる魔物の勢いに、一瞬閃光を放って真上から矢の如く下ろされた長剣が、相乗効果でざっくり魔物の頭に突き刺さる。
群青色の星 ――夜空のような群青の鎧に包まれたドルドレンは長剣を両手で支え、渾身の力をこめてそのまま真下へ重力をかけて貫いた。凄まじい勢いに切り裂かれていく魔物の縦半分。ドルドレンが地面に着地し剣が土に刺さった時、魔物の異様な吼声が途切れた。
それと同時に、裂かれた体から粘液が雨のように落ちてくる。ドルドレンは後ろへ飛んで身を交わし『全体下がれ!』と吼えた。
ドルドレンの命令と共に騎士全員が急いで馬の向きを後ろに返して駆ける。ドルドレンも走りながら『ウィアド!』と叫んだ。事切れる寸前の魔物が体液を流しながら体を震わせ倒れ始める。
ドルドレンに呼ばれたウィアドは緑の騎士の腕をあっさり振り払い、主の元へ一直線に全力で駆け抜ける。イーアンは振り落とされないようにしがみつき、騎士たちと逆方向に駆け抜けていくウィアドの先にドルドレンの影を探した。
青白く輝く金属のようなウィアドが主の気配を拾った途端、土煙の中から群青色の鎧に包まれたドルドレンが現れ、あっという間に走り続けるウィアドの背に飛び乗り跨った。
「ドルドレン!」
「ただいま」
ドルドレンは片手で仮面を額にずらし、イーアンの横から腕を素早く伸ばして手綱を取った。馬の向きを変えて全速力で走り、魔物の倒れる影から逃れた。
すぐ後ろで地響きが起こる。魔物が登場した時よりも大きく地面が揺れ、土煙が津波のように勢いづいて押し寄せ、全ての視界を黄土色に曇らせた。
魔物から300mほど離れた場所まで先に避難した部隊は、黄土色の土煙から飛び出てきた青く煌く馬とその主を見つけて歓声で迎えた。
お読み頂きありがとうございます。