2696. ニヌルタから勇者へ『人間淘汰の逃げ道案』・貴族シオスルン・営巣地跡のこと①
ティグラスは、空に来たすぐの頃、ニヌルタと話してロデュフォルデンを知り、探し始めた(※727話参照)。
正確には探し当てたと言えないだろうが、彼はそこがどんなところかを、一番よく知るに至った。
白い、家のような船で、向かう場所。
空と大地が交換する、場所。
*****
ニヌルタは、少し前にティグラスから『別のところを知らないか』の相談をされ、笑ってはぐらかした。
イーアンが来ていた夜、この話をしておくかと見に行ったが、女龍は熟睡して起きず(※揺さぶった)諦めたら、朝一番で帰ってしまい、ニヌルタはドルドレンと話したであろう察しから、彼を訪ねる。
ティグラスは毎度のことだが、何かを期待して待つ、ということは殆どない。ので、ニヌルタが来た理由も、この前の自分の質問の返事?などとは思わず、普通にいつも通り。
二人が表にいたので、ニヌルタはドルドレンに『お前と話しがしたい』と単刀直入に告げ、ティグラスは『俺はピレサーとあっちへ行くよ』と出て行った。
「ティグラスが気遣ってくれたのだ」
珍しいなと呟いたドルドレンに、ニヌルタは『違うだろ』と一蹴する。見上げる灰色の目に、『彼はピレサーと空を飛ぶのが好きだ』と、それだけの理由であることを教えた。
「ニヌルタは俺よりも弟をよく知る」
「友達だから」
さらっと返る心地良い返事に、ドルドレンは嬉しい。弟を愛してくれてありがとうと礼を伝え、ニヌルタは草の上に座るよう、ドルドレンに促した。大きな白と赤の男龍の横、腰を下ろしたドルドレンは彼が何を話すのか待つ。ニヌルタは暫く話さず、ただ笑みを浮かべて、滔々と流れる川を見つめていた。
徐に、数分ほど経過した頃、男龍は『人間が消えるんだって?』と川に視線を向けたまま呟く。
ドルドレンは頷いて『そう、イーアンが言われたのだ』と答えた。ティエメンカダから受け取った情報だけに、ほぼ確定したような印象である。そこまで言わなかったが、ニヌルタも何か知ったようで、ゆっくりと大きく頷いた。彼の横顔は深淵の縁に続く、膨大無限の輝きを含む。
「中間の地の、人間と魔物。人間の代表で動く勇者がお前」
ドルドレンだけが思っていた悩みの、核心に触れた言葉。スッと金色の視線がドルドレンに流れ、『そうだな?』と確かめられて、頷き返す。ニヌルタは視線をまた外した。
「人間が助かる道を、ティグラスは俺に相談した。俺にはどうでも良いことだ」
「うむ。分かっている」
「だがドルドレン。俺の友達の兄はお前で、俺たちの愛する女龍は、お前の妻ときた。困ったやつだよ、お前は」
俺が悪いみたい、とドルドレンが複雑そうに目を逸らすと、ニヌルタは笑って『俺はお前も好きだ』と付け加える。有難う、とは一応返事をしたが、何だか微妙な気持ち。
「勇者、か。ビルガメスもタムズもお前が好きだ。勇者かどうかはどうでもいいし、お前が人間だから悩む些事もどうでもいい。そんなことではなく、龍の俺たちはお前を愛する。
お前の悩みを解決はしないだろうが、お前の存在意義を通すことは出来るだろう」
その言い方にドルドレンは撃ち抜かれる。カッコいい~・・・ 撃ち抜かれている場合ではなかったと、ハッとして咳払いし、『それは』と質問で焦点を整える。
「つまりニヌルタ。人間が消えない方向の話だな?」
座っていても大きな背。輝く澄んだ陽光を受けて、勇者を見下ろす十本角の男龍は、余裕そうな笑みで首をゆったり振って『そう聞こえるはずだ』と答えた。
「俺が言えるのは、一つだけ。お前がオリチェルザムと戦う日まで、『人間をこの世界から追い出しておけ』これに尽きる」
*****
勇者に助言を授けた男龍は、悠々と空を飛ぶ。
『追い出す』その方法は、世界の均衡を掌握する精霊の問いに、答える時。時の片づけに手間をかけず、世界を退場させる願いを掛け、『最終の篩』まで、存在の停留を取り付けること。
ニヌルタは詳しく言えないが、要は、統一の日まで保留を交渉する。
保留先は、この世界以外の別の世界に放り込む(※雑)ことで、話をつける。
人間は一時退場するが、抹消ではないし、しかしこの世界のものでもなくなる。
荒唐無稽な話だが、今や、アスクンス・タイネレが動いているなら、出来ない事はない。
交渉相手は世界の均衡を握る、中心の精霊。空の司と非常に近い・・・・・
ロデュフォルデンは、まだ分からないことが多く、ティグラスもそこではないと感じたらしきことから、ニヌルタは『ティグラスが気づいたなら、既に逃げ道は用意されている』と受け取り、これを調べてやった。
「ティグラスがイヌァエル・テレンに居て。彼の兄がドルドレンで、ドルドレンが保護された機会に話したのがそれで。ティグラスが俺に相談したのは、俺に動けという示唆だ」
フフッと笑ったニヌルタは、ゆったりと大空を飛び、少しずつ笑い声が大きくなり、『俺が人間の世話をするなんて!』と大笑い。笑い出すと止まらない男龍は、高らかに楽し気な笑い声を空に響かせながら、ふーっと一息。
「ドルドレン。心配するな、多分そうなる段取りだ」
どうなるか、何が起こるか分からない。人間は別の場所へ移送されるのかもしれないが、その続きの保証もない。
しかし、勇者が剣を振り上げる、オリチェルザム三度目の決戦が控えているのは、創世からの決め事で覆る余地はない。となれば―――
面白いじゃないか・・・ 呟いた白赤の男龍は、自分の子供がいる子供部屋へ愉快そうに笑って向かった。
*****
別邸の書斎で、窓に付いた葉っぱ越し、港に停泊する黒い船に目を凝らす。
昨日、船と入った二本角の銀色の龍・・・に似た生き物はいない。あれも、イーアンの龍なのだろうか。黒い船も非常に立派だ。
「見えにくい(※葉っぱ)」
シオスルンは疲れた目を擦り、呼び鈴を鳴らす。すぐ召使さんが来て『すまないが、窓の掃除を早めに頼んで良いだろうか』とお願いし、召使さんが掃除用具を取りに行ったので、シオスルンも部屋を出て応接間へ行った。
小さい別邸だが、居心地は悪くない。
ティヤー繋がりのテイワグナから渡航一ヶ月と聞いていたが、乗り継がなければ三週間ほどだった。
魔物に遭遇する恐れもあるため、魔物製品を装備したハイザンジェルの護衛付きで船を出したが・・・ティヤーから出た連絡船が付き添う航路で、その船はなんと『アオファの鱗』を持っていた。
出国許可で貴族を乗せてティヤーを出る船に、イーアンが持たせたと聞いて、シオスルンは胸を打たれ、母国の誇りにすら思った。
そもそも、シオスルンが動いたのは、テイワグナで道と施工物を補修する父に呼ばれて、テイワグナへ行っていたのが最初。
シオスルンは結婚間近だが、『魔物も被害も』とあちこち大変な状況で、祝いは難しい・・・と延期になったのを機に、婚約者を母国に置き、別荘のあるテイワグナ復興の手伝いに出ていた。
テイワグナの東にある別荘で、そちら中心の監督を任されていたある日。父から手紙が届き、ティヤーへ貴族の迎船を出しなさいと命令を受けた。
藪から棒に何のことかと戸惑ったが、続く手紙でハイザンジェル王の決定と知ったシオスルンは、ティヤー南西の小さい島へ行くことになった。
ティヤー出国の経由点の一つで、一応治安は良いらしい(※沿岸警備隊)ともあり・・・ 確かにそうだと、来て実感している。
魔物がいなければ、気候も良いし食べ物も豊かだし、観光地も多いし、過ごしやすい。雨期は聞いていなかったが(※そろそろ)。
―――ちなみにティヤーの一番端、一番ハイザンジェルに近いのは、母国東の河の向かいで、ハイザンジェルに海がない理由でもある。ティヤーの島々が在るため、海はそちら側・・・もう、ほぼハイザンジェルとして良い距離なのだが。
魔物は出るようであれ、海で確認するくらいらしい。多分、魔物に国境は曖昧なのだろうと、シオスルンは報告を読んで思った―――
さておきシオスルンは、隣国南西の田舎の島で、本島ワーシンクーから来た船の、乗り継ぎを引き受ける責任者。『迎えの責任者』というだけで船長ではないから、ただの一等客とも言える。
その一等客は、応接間に届いた今朝の手紙を開封し、茶を飲みながら手紙片手、快晴の空に『黒い船の乗客』を思い浮かべつつ、業務的に文書に目を通した。そして、茶を飲みかけた手を止める。
「ん。何?ウィンダル?アイエラダハッド人・・・ウィンダル?!あの若い男が?」
思わず叫んだシオスルンは、さっと血の気が引いた。イーアンと一緒にいた赤毛の若者が、まさかの大貴族。そんな話は知らないぞ!と、応接室に運ばれた封筒の山を手荒に分け、他の情報を探す。
ティヤー入国時の魔物資源活用機構の人数や名を、別にシオスルンが知らなくても変ではないのだが(※たまたま、船出せと言われただけで)。
ハイザンジェルでは権威ある貴族のシオスルンは焦った。そういう大事なことは早く言ってくれ!と、一人で騒ぐ貴族。
届けられた封筒は、昨日の内に警備隊に『アネィヨーハンの乗客情報を知りたい』と頼んだので受け取った。
シオスルンの家アリジェン家が、オーリン・マスガムハインの保証人で、それがあっさり通じたことから情報を得られたのだが、思いがけない人物の名にシオスルンは青ざめる。
「彼が・・・私は彼に、何を言ったっけ・・・ 」
確かにイーアンは『ルオロフ』と彼を呼んでいた。彼は名乗らなかったが、ウィンダルが苗字でアイエラダハッド人で、となれば。
「た。他人で同姓同名。では」
自分の態度を恐れ、シオスルンは別人の可能性を考えるが、ウィンダルがハイザンジェル国王から、派遣騎士団体同行を即決快諾された文を読み返すと、どうやっても別人とは思えない。
ぐーっと顔を手で拭い、深呼吸する。
「生意気な若者で、何者かと資料を寄せたが・・・イーアンにもなれなれしく接して、番犬のように彼女の前に立つ(←狼)ものだから、つい目障りで・・・アイエラダハッド人は、表情も薄く冷たい印象だし」
言い訳を口ごもりながら、しかし、アイエラダハッド一の貴族に自分が取った態度を思い返すと、言葉に詰まってシオスルンは呻いた。
オーリンにも会いたいのに。オーリンにも嫌われたかもしれない。こんな場所で再会するとは思わず、会えたことで浮かれた私は迂闊だった―――
ルオロフ・ウィンダルに謝ればいいだけの話なのか。しかし、彼の素性を知ったから謝ったと思われたら、それこそ品位が疑われる。だが謝らなければ、私のせいで父まで迷惑が掛かるかも知れない。父は、アイエラダハッドの魔物被害にも胸を痛めていたから、出資をしようとこの前も話していて・・・・・
シオスルンは朝一番で唸り続け、それからハッとした。
「あ。営巣地!」
営巣地の報告をイーアンが持ってくるはず。営巣地に何の用かは、隊員から聞いた。この地域の伝統民具(※お面)がどうとか。イーアンはものづくりをするから、それで関心が高かったのかもしれない。
そしてシオスルンが、思いついたのは。
「確か、この地域の島の博物館が半壊したとかで、父の友人が修繕費を寄付したと。彼はもう、ハイザンジェルへ戻っていると思うが」
博物館がどこかも知らないが、父パヴェルの友人が博物館のある島にいた話を思い出す。伝統民具、博物館・・・魔物退治の最中にと叱られそうだが、接待したらどうか(※発想が甘い)。
シオスルンは30代だし、会社も持っているが、貴族社会でしか生きていないため、世の混乱時只中であれ、自分の建前や信頼を守るために、この程度。
貴族は書斎に戻り、乗り継ぎの船を待つ日数とアネィヨーハン滞在予定から、召使いに『博物館は知ってる?そこへ急ぎの手紙を出したいから、もし詳しく知っている人がいたら、ちょっと呼んで』と頼んだ。
父に比べ、まだまだ熟成が足りない息子だが、このぬるま湯な試みが、意外にもイーアンたちに少しは役に立つ―――
*****
昨日のことをどこまで話そうと思いながら、戻ってきたイーアンは、まず船へ。船は、タンクラッドが出かけなければ、大抵トゥが守っている。いるかな、と降りて来たら、普通にいた。
トゥの気配はないが、イーアンが戻ると頭に話しかけてきて、珍しく『交代を頼む』と願われる。二つ返事でイーアンが了解すると、トゥは『タンクラッドに伝えてある』と言い残し、その後の言葉はなかった。
甲板に立ったイーアンは、トゥがやっぱり疲れていたのかと思い、一晩待っていてくれたことを済まなく感じる。どこで回復するのか・・・彼はこれまで、分かりやすい『休み』を取った印象がないと思いつつ、イーアンは船内へ入った。
食堂に大体誰かいるので、行ってみるとミレイオがいたので挨拶。それから、タンクラッドが船倉で馬の世話をしていると聞き、イーアンは皆の用事を先に教えてもらった。
クフムとオーリンが近くの島へ外出、ルオロフも単独で外出。ルオロフがシャンガマックと出かけた日のことを、イーアンは後日に少し聞いていたので『あれか』と見当をつけた。
「ルオロフは、『人間淘汰回避の術』を伝えに」
「そうそう。あんたは、聞いたのね。一人で行くって言うからさ」
「剣は?」
「持っていたわね。革に包んで目立たないようにしたみたい」
ルオロフらしいと頷いて、次はイーアンの報告。ミレイオが『お茶淹れようか』と、台所の掃除を止めて湯を沸かし始め、目で昨晩のことを問う。イーアンは、まず島の様子、それから鳥が来たことと、イングの情報を話し、ミレイオもイングの話に『はぁ?』と顔を向けた。
「妖精?この前みたいじゃないの。アリータックが」
「私も思いましたが。イングはそこを、島、とは言っていないのです。もう少し面倒かな~と・・・」
「うわ~。一筋縄じゃ行かないわねぇ。精霊が離れたと思ってたら、妖精ね。でもどうするのよ、妖精って、うちには頼りにくいやつしか(※センダラ)いないわよ」
「センダラに通す前の問題です。その妖精の場所へ伺うにも、何で話なんか知りたいの、と突っぱねられそうで」
「・・・あり得るわ。妖精って、そういえばさ。私たち、旅路で会ったことがないわよね」
テイワグナのサバケネット地区で、精霊の女が来て、それは仲の良い妖精のためだったという(※1140話参照)。これについては実のところ、イーアンもミレイオも、妖精までは見ていない。二人は少し目を見合ったまま、沈黙―――
「で。イーアンは、接着剤だったっけ。その材料が文化の。どうするの。報告はするんでしょ」
「報告はします。ただイングに言われ、どうしようかなと」
そうよねとミレイオも沸くお湯の音で、泡に顔を向け、しゃがんで火の上に灰をかける。
「はっきり言っちゃうのも、手よ」
「はっきりですか」
「そう。もう、待ってらんないじゃない。人間片付けられる一歩前だしさ」
あけすけなミレイオに、イーアンも項垂れる。
「消えた島から続く凄い文化は、素晴らしい美術よ。失われてはならないわ。と思うけど、作り手が死んだらそれっきりでしょ?」
「ミレイオは分かりやすいです」
命あっての物種よと、アーティストなオカマは茶を容器に注ぐ。『生き延びてこそじゃないの』小さく呟いた一言は、一番大切な部分・・・イーアンも同じ気持ち。
「確認していないけど、恐らく妖精の保護下にいると、報告します。鳥がなぜ姿を消したかは伝えた方が・・・この時期だし・・・言うべきですよね」
イーアンは、お茶の容器を受け取って、決定した。ミレイオは目を伏せて、遣る瀬無さそうに揺れる茶の表を見つめ『今よ』と。
「ルオロフの『生き残り術』が間もなく被るとしたら、今が良いわ」
その『生き残り術』の使命で、出かけたルオロフは―――
人がいない砂浜で波打ち際に喋り終え、溜め息を吐いて水平線に目をやった。海は実に不思議な美しさで煌めく。
「生き物の頂きか。想像と違うな」
お読み頂き有難うございます。




