2687. 南西移動8日間 ~⑲ルオロフ深夜帰船・ファニバスクワンの命令・『その手』の手綱
崖内部が真っ暗な状態、シャンガマックがいないことに、思いっきり焦ったルオロフが・・・
はたと風景出しっぱなしを気にして、『もう一度剣で溝を切ったら消えるだろうか』と切り払い、予想が当たって風景を消し・・・『困った』と、真っ暗な底から見上げる―――
階段状の濡れた段差を上がる貴族は、イーアンにどう連絡すればいいのか悩み、やはり連絡手段を頂くべきだったか!と悔やみながら、滑る暗い足場にひやひやしてどうにか上まで出た。
「生きた心地がしないな。『頂点』と言われた時から、私は格好つかない事ばかりしている気がする」
シャンガマックが居ないとは思わなかったが。外は暗く、朝に来たのに夜だと、星空に溜息を吐いた。しかも崖の天辺で、降りるにはまた大変そうな急傾斜が、暗がりの砂浜まで相当な距離。
「シャンガマックが誰かに伝えておいてくれたら良いのだが・・・彼も、私があまりに帰らないから、何かあって離れたのだろうし。さて、いよいよ困ったものだ。ああ、イーアン。飛べるあなたのように、私も」
悲痛な声がぼろぼろ出てくる貴族は、額に手を当てて空を仰ぎ、黒紺の海に視線を落とし、『イーアン、どうしましょう』と弱音。帰りたいのに帰る事が叶わないとは。
崖上で、イーアンイーアン繰り返していた求め。手段を必死に考えて唸る貴族は、この一分後に海が泡立つのを見た。じーっと見ていると、それはどんどん大きくなり、ルオロフは魔物かと剣を抜く。それと同時に、ざーっと波が立ち上がり、身構えた貴族の薄緑の瞳は丸くなった。
「馬?」
まさか、馬? 崖上からでもはっきりと、波が馬の形を作る。大群で、馬が波飛沫の中から首を出し、肩を上げ、ルオロフはこれが異界の精霊と気づき、気持ちは一転。
私を助けてくれませんか!と大声で叫び、私はイーアンの仲間ですとも添える。
剣を鞘に戻し、こちらを見ている馬の大群に、助けてほしいと必死に伝えた結果、空から落ちて来た赤い帯が大きなダルナに変わり、ルオロフは救われた。
「イーアンの名を呼ぶから、何かと思えば」
真っ赤なダルナが、赤毛の男をつまみ上げる。感謝する男は『イーアンは私を息子に迎えて下さって』と念を入れて自己紹介すると、それには嫌そうな目を向けられた。
だが、赤いダルナはルオロフを片手に掴んで『船に運ぶ』と言い、ルオロフは彼の親切に心からお礼を言い続けた。
*****
さて、真夜中のアネィヨーハンに、レイカルシがルオロフを連れて、トゥに呼ばれた女龍がレイカルシに礼を言い、ルオロフを労い、なぜか一言もなく姿を消したという褐色の騎士に、心で怒る時間―――
女龍を怒らせているなんて思いもしない、褐色の騎士は水底で唸っていた。横にはカワウソヨーマイテス。向かい合うのは、久しぶりの精霊ファニバスクワン。
こちらもまた、ルオロフと同様、時間の流れが曖昧な精霊の領域。
『唸ることか、シャンガマック』
「いや、あの。俺にはちょっと難しいのではと、ずっと思っていて」
『ヨーマイテスが一緒に動くのに、何が難しい』
「うーん、言い難いんですが、言ってもいいですか」
言ってみなさいと長い鰭を向ける精霊に、仏頂面カワウソが『はっきり言えよ』と息子を励ます。漆黒の目を精霊に向け、申し訳なさそうな褐色の騎士は『俺の意識を守る術が、今はありません』と問題点を伝えた。
「以前の俺は、ナシャウニットの加護がありました。あのおかげで、俺は他からの操りを遮ることが出来たのだけど」
『加護が消えたのは、他でもないお前たちの』
「そういう話を言ってるんじゃない」
大精霊に最後まで言わせないカワウソは、眇めた視線のファニバスクワンに『俺は問題ないにせよ』と小さい手で、ぺふっとフカフカの胸を叩く。
「バニザットは魔力もあるし、頭の中の会話も可能だが」
『何が困るのか、ヨーマイテス』
失礼な獅子に(※今はカワウソ)ちょっと怒ってる精霊が止める。言い返そうとするカワウソを抱っこしたシャンガマックが『俺から言うよ』と、懸念の理由を話した。
それは、総長ドルドレンに起きたばかりの危険。
ファニバスクワンの知るところでもないので、大精霊は少し考え、『勇者が』と黙り込む。
―――ここまで、何の話題を中心に、こうなっているかと言うと。
ファニバスクワンはサブパメントゥの領域に行くよう、二人に指示を出したことから始まる。
突拍子もない仕事の理由は、サブパメントゥが精霊の範囲に関与したこと。
正確に言うと、精霊に触れようもない種族だが、状況はその流れにあり。
ということで、ファニバスクワンのお膝元。禁忌で本来拘束中の身柄を預かってやった二人は『サブパメントゥ』向けなので彼らを遣わし、これは世界のためだから調べて来いと告げた。
え!と驚いて声を上げた騎士に、『お前はコルステインの面を持つ』だから行っておいで、と精霊は命じたが、シャンガマックは頷けず唸っていた。
一番の不安は、操られること。ヨーマイテスと居ても、ヨーマイテスが守り切れるものでもない。
そしてファニバスクワンは多くを喋らないから、内容は、どうしてなぜの疑問だらけ―――
『勇者がサブパメントゥに』
精霊ファニバスクワンは二度、これを呟いて、何やら考える。
ドルドレンがサブパメントゥに接触され翻弄された一大事から、シャンガマックは『操られる危険』を理由に、その対策もない自分が地下で調べ物は危ない・・・と伝えたが、大精霊は視線を合わせて、やはり行くように命じた。この間合いも、不穏でいっぱいなのに。
表へ出された二人は、とっぷり日が暮れた湖を見渡し『海が湖に』と、場所も変わったことで目を見合わせ、本当に何か変だと首を傾げる。
「今すぐ、サブパメントゥ?」
シャンガマックが地面を指差し、カワウソは獅子に変化しながら『とりあえず、船に連絡を入れておけ』と最初の行動を促す。しかし、手持ちの連絡珠はドルドレンとしか通じないので・・・・・
「どうした」
呼んだら来たのは、白灰色の大きなダルナ。フェルルフィヨバルは一番近くにいたから来たらしく、伝言向きの性質ではないが、『仲間に伝えてほしいこと』を頼むと、二つ返事で応じてくれた。
ダルナはあっという間に消え、騎士と獅子は『行くか』『仕方ない』と諦める。コルステインの面を顔に当てたシャンガマックは、獅子の背に跨ってサブパメントゥへ入った。
*****
当てなんてないに等しい、探りもの。
広大な闇の国サブパメントゥで、精霊の片鱗を見つける。それも、『精霊の片鱗が』と言われたわけではなく、要はそういうこと、とこちらが解釈しただけ―――
息子を背中に乗せて走る獅子は、道中ずっと『精霊に絡んだサブパメントゥ』の意味を考えていた。
ファニバスクワンが口にした細やかな示唆は、これが世界に関わることくらい。腑に落ちないのは、サブパメントゥが精霊に手を出すなど考えにくい部分だった。
だが。もしもこれが・・・普通の精霊ではなく、そして、サブパメントゥもおかしな奴限定だとすれば。
それは途端に、無いとは言い切れなくなる。
例えば。『原初の悪』が、残党サブパメントゥと何らかの関係を作る―― 大いにあり得ると今は思う。つい最近、自分は攫われ、コルステインが直に話をつけて、その後だから。
恐らく、ファニバスクワンはそれを言っていたのではないか。嫌な予感しかしないヨーマイテスは、息子を連れてきて後悔もする。
思い付きは、どんどん信憑性を裏付ける理由を浮かべ、不安が募る。
コルステインに言わないのは、精霊とサブパメントゥに明らかな亀裂が生じる恐れからだ、とヨーマイテスは察した。
内容を告げなかったのも・・・獅子は溜息しか出ない。内容を告げたら四の五の言う前に、俺が確実に断る。
ドルドレンが接触後に空へ避難したと聞いても、ファニバスクワンはそれならなおのこと今探れと、決定した感じだった。
緊急?――― 『原初の悪』が混乱と番狂わせに動いても、従来定番の立場で制止を求められるはずもないのが。
サブパメントゥと絡んだ何かが生じ、ファニバスクワンは・・・大精霊がそれを知ったのか。
「ただの精霊じゃない、とはな。意地悪いにもほどがある」
ぼそっと落とした不満は、息子に聞こえて『意地悪いって?』と不安な声が戻る。獅子は背中を振り返って『面をしっかりつけておけ』と念を押し、それ以上は話さなかった。
そして、目的地も何もわからぬままに走り続ける地下の国で・・・目的地があるならと推測から目途をつけた、滅法行きたくない場所へ向かう。
危険地帯も良いところ。コルステインにさえ、見つかったらどう咎められるか。
「だが。そこへ行った証明さえ出来れば、戻れる」
調べろと、ファニバスクワンは言った。この流れじゃ、調べ先は残党サブパメントゥの溜まり場しかない。問題の一等地へ踏み入るわけだが、本当に入ったら大事件。一歩前で引き返す。
もしも本当に・・・『原初の悪』が関与した後なら見える形の変貌が、不可侵領域の表にまで滲んでいるだろう。威嚇を隠さない連中だから―――
操りを遮る保証もない息子を背に、獅子は『コルステインの面』を信じ、サブパメントゥの大闇、領境を越えた。
*****
この日の少し前―――
『躾は、予告なしだ』
「おっかない」
青灰色の肩を竦めて、煙を纏わせた姿が揺れ、相手の火花が散る口元をじっと見つめた。
「こっちは、基準も限度も知らない。双頭の龍は、まぁ龍だから手付かずでも仕方ない。俺たちの手綱を取る『その手』は、人間排除を支えるが、殺し過ぎだと躾する。魔物が出る国だけの人間排除なら見ててやると、その解釈で良いな?」
『龍にしつこいやつだ。龍は俺に関係ないだろうが。俺が手綱を取ってやるだけで、分厚い防壁を得た感謝はないのか』
感謝するよと頷いた男は、黄と灰色の煙に紛れて消えた。
地中からやり取りを見上げていた他のサブパメントゥは、『燻り』が戻った後、自分たちの居場所を囲む川に喜びの毒を流し、混濁の火を焚く。混濁の火は、川面に張った毒を渡り、黒い炎がジリジリと鳴りながら川を舐める。
サブパメントゥの歌が黒と黄土色の炎に乗る。空を潰す、龍を呪う戦歌。黒い炎の内側には、焼けた毒から発生した不似合いな虹色の霧がこもる。
地味な祝いのようなこの光景はすぐ終わらず、時間曖昧な闇の国の一画で一日、二日と続いた。
これを、『敷地内』を視界に入れる朽ちた丘から、碧の瞳が確認し、来た道を戻る。背中に乗せた息子は意識が薄れがちで、獅子は外へ急いだ。
お読み頂き有難うございます。




