2680. ⑫女龍と勇者・記憶と約束 ~初代勇者の声・二代目勇者の声・ドルドレンの選択肢
かつての勇者と、懇意にならずに終わった女龍たちの後。
三代目として呼ばれたイーアンは、過去のしがらみをどうひっくり返されたか、出会った時から勇者と惹かれ合った―――
あっという間に互いを愛した二人は、例え、『仕組まれた運命』と言われても、自分の気持ちを変えることはない。
始祖の龍は、勇者に好かれ、愛を告げられたかも知れないし、彼女も好意を持った時があったかもしれないが。伝説や他に遺る内容では、どうも気を許したことはなさそうな印象で、最後は勇者の裏切り行為が、サブパメントゥ全体への呪いに及び、全てを終わらせていた。
ズィーリーは、勇者に出会うまでが長く、ようやく出会った勇者は彼女を避けて別行動を選び、常に普通の女性を横に置く男だった。
旅はおろか、女龍を手伝うことも役立とうとする意思も見られない態度を続け、ズィーリーはそれでも我慢強く待ったが、結局、最後の最後まで仲を深めるに至らなかった話。
ここへ来て、イーアンとドルドレンは、実に奇妙なほど―――
仕組まれたと言われたら疑えないほど、出会い頭で絆を求め、以後は強く結びついた。
余談だが、女龍と愛情的な関わりのあった人物は、時の剣を持つ男も同じ。三代目のタンクラッドは、『始祖の龍』から受けていた思慕に翻弄された。
最初こそ彼も、女龍イーアンの登場で、訳も分からずのめり込み、愛した錯覚を起こしたのだが、徐々に『始祖の龍』という過去の女龍がちらつき出し、過去に愛した情報も得て、女龍に惹かれる心の納得はしたものの・・・・・
次第に違和感を覚え、『果たして本当に、現在生きる自分の気持ちが反映されているか』を怪しみ、ついには『この感情は自分では無い』と断ち切った。
イーアン自体への愛情はある。ただそれは、自分という個人が、個人としてのイーアンに愛を向けるだけの話であり、過去は一切関係ないとした。
遠い昔に消えた知りもしない誰かに、使われる気はなかったタンクラッドは、自分以外の感覚の内在を認め、それを悉く拒絶。始祖の龍の話も遠ざけ、自我を貫く方を選んだ。
だがこれは、『時の剣を持つ男』だから通用するが、勇者は―――
ドルドレンはイーアンに介抱されながら、耐え難い怯えと怖気に襲われる。
倒れた体の頭を、女龍の膝の上に載せられ、『大丈夫か・自分が側にいる』と真上から声が降ってくる。顔を撫でられ、髪を分けられ、目元を見ようと顔を近寄せては、息がかかる距離で励ます女龍の声は、自分を殺す、嵐の前の静けさ。
その指が、自分の顔を撫でる度、鋭い龍の巨大な爪で裂かれる気がしてならず。
彼女の息がかかるごとに、塵も残らない消され方を想像する。
頭の乗る膝や、顔に動く手指から伝う、イーアンの体温が。何もかも、『まだ知らないから』の行為と思うと、ドルドレンは女龍の変貌が怖くてならなかった。
*****
今、ドルドレンは折半された状態で、自我以外、よその何者かが心に座り込む。
―――圧倒的な強さを見せつけ、自分の手こずった敵を木っ端微塵に蹴散らかし、瞬く間に道を拓いた女龍。
その強烈な力と、力を振るうに許された存在に、縋るだけ縋り、取り入るだけ取り入って、憧れと依存を求めた、初代の勇者。
俺を助けてくれと願った時、女龍はいつも微笑んで頷いていた。
本当に俺を助けてくれるのか。俺が振り払えない、足首を掴んだ闇の手を。闇の手から救い出してくれ。
俺が本当に助けてほしいのは、魔物退治の手伝いじゃない。俺の出生と呪いの約束だ。
そこまで、言えるはずもない。でも彼女はそれも知っていたのではないかと、いつも思った。
俺への微笑も協力も、親しさも、あれは俺を哀れんだからだったのか。
空へも入れてくれた。仲間のサブパメントゥが入ることも了承してくれた。
裏切る動きを二度まで、目を瞑ってくれた。
三度目に空へ行きたいと願った時、哀しそうに頷いたが、俺も仲間も騙せたと思った。
龍は女で、俺が男で、俺を愛したから断らないんだと。思ったけれど。
三度目は、俺を含むサブパメントゥに本気で怒った。
彼女の忍耐と、俺の更生を信じようとした気持ちを粉砕した俺へ、彼女は空を閉ざして呪いをかけた。光が身を貫き続ける、赦されざる呪い。
仲間は、その場でグンギュルズに殺された。彼女を愛情のこもる眼差しでずっと見ていた男が、俺以外をその剣で斬り捨てた。
俺が生き延びたのは、『勇者』だったからだ―――――
ドルドレンの中に響く、忍び込むような『自分ではない自分』の思い出。
これが初代の勇者であることを、ドルドレンはすぐに気づく。勇者だったから生き延びた、言葉通りの意味ではなく、含まれるものこそが生き延びた理由。
魔物の王と戦って勝った以降であれば、『勇者』は次の変動期に向けて肉体の死を迎えるまで、人生を全うするべき存在だから。免除・・・逃がされたような、そう感じさせる罪背負う皮肉な生き延び方であれ。
―――時が絡まり、同じ過去を持つ女龍が現れた時、手に負えなかった問題が次々に解消される。
人として世界に立ち、龍に値する魂から女龍となり、最高位に格上げした女。賢く豪気な仲間を従えた彼女から、距離を取り、接触を避け、恐れの本能のままにすれ違った勇者が、二代目のギデオン。
彼女に会った最初の日。唐突に老人と現れた女に、俺は恐怖も恥ずかしさも感じた。見たことのない顔と服の彼女は、決して感情を出さない。一定の微笑みを浮かべ、それは俺に気味悪く映った。
気味悪く恐ろしいのに、許してもらいたい想いが突き上げる。それが何か、最初は分からなかった。
探られたら終わる。探られないように、最小限の接触で。そう言ったのは、サブパメントゥだった。サブパメントゥは魔物出現以降に俺を見つけ、混乱の世の理由を教えた。
勇者が頼れるのは、サブパメントゥだけ。初代の魔物到来期で、龍とサブパメントゥは、埋められない溝で阻まれた。女龍に頼れば、いつか死ぬことになる。
なぜなら、俺は転生した勇者で、果たすまで消えない誓いと約束をサブパメントゥにしていた。
俺も、サブパメントゥの血が生きている。それに気づいたら、女龍は俺を殺すだろう。そう言われた。
許してほしいと過る夜もあった。俺は転生した生まれ変わりでも、過去と関係ないはず。
ズィーリーも、過去の女龍ではない。許してほしいと打ち明けたら、終わる因縁ではないのか。
気味悪いと感じたのは、ズィーリーが全てを知っていて、俺を殺す時をじっくり待っているかもしれない怖れから。
許してもらいたいと感じたのは、ズィーリーが情に厚そうに見えたから。
だが、サブパメントゥは俺の心を読んでは『やめておけ』と止めた。
お前の仕事は、女龍に許しを請い、殺される事じゃないと。女龍に気づかれないよう、創世の約束を進める手伝いだけだと。
打ち明けるなんて遠いことで、勇者として為さねばならない対決だけは果たした。
女龍は俺を気にかけていたようだが、俺は常にあの人が怖かった。
魔物の王を倒した後も、彼女は気にしてくれた。それでも、俺は心を開けなかった。
約束の梯子も中途半端な俺のために、サブパメントゥ全員が抹消される危険を避けたかった―――
ギデオンの声は、奇妙なくらいドルドレンに響く。
どうにもならない圧力のために、彼は悪の手下になったのではと、薄々感じていたことが当たっていた。
彼は、ズィーリーを恐れていた。本能で怖れを持った彼は、初代の話をサブパメントゥ伝いで知ってから、一層恐れに囚われていた。
『転生した自分』が担う、身に覚えのない鎖のような約束に苦しみながら、女龍や旅の仲間に極力接触しないよう気を付け、逃げ回るようにして、義務である魔物王との対決までやり過ごしていた。
彼ら二人を縛り上げた、約束。彼らを操作し続けた約束は、今、俺にも求められている。
サブパメントゥの力を分けられた勇者の出生からして、大間違いだったのだ。
転生を繰り返して、創世の誓い『空を取る』手段が、勇者。
サブパメントゥでありながら、唯一、空の頂点に近づくことを可能にする、勇者。
世界に、三回だけ訪れる機会。その時にしか現れない女龍の側に、確実に添えられる勇者こそ・・・・・
『ドルドレン』
不意に名を呼ばれ、ドルドレンはびくっとした。
イーアンの声ではない。イーアンがこれを知ったら俺はどうなるんだろうと怖れで巻かれていた時間に、ひびが入る。一条の光が差し込んだような、低い音。
『ドルドレン。目を開けなさい。お前はたった一人であり、過去の何者もお前ではない』
自分の心を守るあの精霊の声に、固く閉じていたドルドレンの瞼が震える。気が付けば、イーアンの手も膝もない地面の感触で、目を開けた。そこに橙色の太陽の光が映る。地面に座る太陽・・・『ポルトカリフティグ』唇を上った、信頼しかない精霊を呼んだ。
視線を上げると、空を背景に大きなトラが見下ろし、見慣れたゆったりとした頷きが戻る。安堵したドルドレンが、地面に倒れていた腕を上げ、そっとトラに触れると、トラは彼の手を見つめ『恐れなくて良い』と言った。この言葉にまた救われる。
「俺は・・・生まれ変わっても」
『生まれ変わりではない、と考えることも出来る。生まれ変わりだと、思い込むことも出来る。どうしたい』
「・・・え?」
『お前はたった一人の存在であり、刷り込まれる呵責はその人生の外のものだと言えば、どちらを選ぶ』
穏やかな精霊の諭しは、すぐに理解できない。ポルトカリフティグは何を話しているのだろうと、ドルドレンは瞬きして体を起こす。自分を捕えていた蝕むものが解けた気がしたが、徐に顔を触ろうとした手が、首元のビルガメスの毛に当たり、ゾクッとした。
精霊はその反応を寂しそうに見つめ『それを取るなら、生まれ変わりを選んだに等しい』と呟き、ドルドレンは止めた手をぎこちなく下ろす。首に、龍の毛がある。これを今までは頼もしく思う以外なかったのに。今は猛烈に罪悪感を感じ、恐怖すら沸き上がっている。でも。
「イーアン」
ふと、口を衝いて出た、妻の名前。同時に『彼女に殺される』怖気が走るが、ドルドレンは頭を振った。
「イーアン・・・俺は、イーアンの夫だ。イーアンは、イーアンだ。俺は、ドルドレン。彼女の」
「そうです。私はあなたの龍。あなたは私の男です。私たちは、生まれ変わりを重視することも出来ますが、常に誰かの影に生きている訳ではない、唯一の命であるに変わりありません」
ハッとして顔を上げたドルドレンの目に、ポルトカリフティグの頭上で見下ろす女龍が飛び込んだ。6翼を広げ、腕組みをし、白い角を陽光に輝かせる、堂々としたイーアンが自分を見ている。目を合わせた鳶色の瞳は、微笑を浮かべておらず、しかし寂しそうでも憐みでもなく、しっかりと見据える。
「イーアン」
「ドルドレン。恐れることが、あなたにあるでしょうか。私が愛するのは、過去の勇者でも何でもない、たった今、私と向かい合うあなたを愛しているのに」
「俺も、俺もだ。俺を導く龍。俺の龍よ。俺を許してくれ」
許してくれ、の意味は・・・過去の勇者の罪ウンタラではないわね、とイーアンは分かる。うん、と頷いて『あなたが私を恐れる理由なんて、どこにも無いでしょう』といつもの口調で答え、続けて『何を許すの』と問い返した。問い返して、少し笑った女龍に、ドルドレンもちょっとだけ笑って腕を伸ばした。
イーアンは側へ降り、ドルドレンは彼女を抱き寄せ、『俺が君を恐れた時間だ』と正直に伝える。抱き返してイーアンも『それは悲しかったけれど』と素直に傷付いたことを呟き、ドルドレンが溜息を吐いた。
「あなたが私を避けていると知って、辛くないわけありません。だけどあなたが侵食されている状態だと分かっていたので、純粋なドルドレンだけの状態であれば、決して私を疑わないことを信じていました」
イーアンも、スヴァウティヤッシュとポルトカリフティグに、何が生じたかを詳しく聞いた。
因縁の発生も、起因も、連鎖する約束も。どこまで話そうかと、ダルナも精霊も考えたそうだが、イーアンから『ドルドレンと最初から仲が良かった』話を聞いて、イーアンは受け止めるに問題ないと判断して、全体を伝えた。
イーアンは、ドルドレンを疑わなかったし、ドルドレンがもしも今後も苛まれるなら、私が守ればいいだけのことだと断言した。
龍だからでもなく、世界の命運を握るからでもなく、私という存在が彼という存在を愛しているに他ならない・・・そう言い切ったイーアン。ダルナは『彼女ならこうだな』と納得した。
「すこぶる、単純な事です。ドルドレン」
「うむ」
「私はあなたを愛しています。誰に言われたからでもないし、運命がそうさせたからでもないです。もしも運命が『そうさせました』と暴露したところで、私の気持ちが引くなんてことはあり得ません。私が決定を下すのだもの。私が自分で選んでいる」
「君は、力強い根本をいつも教えてくれる。そのとおりだ・・・ああ、イーアンで良かった」
ギューッと抱きしめるドルドレンは、黒い螺旋の髪を撫でる。以前、アイエラダハッド決戦で、紺と白のサブパメントゥに近寄られた時はここまでならなかったのに・・・それも思うが。今回のサブパメントゥは、自分にとって異質な相手。あれこそ、勇者元凶の中心だと分かった。
少し考えてから、自分を抱き締めてくれているイーアンと、側に座る精霊に話そうと決める。
「教えておきたいことがある。俺はもしかすると、またこうなるかも知れない。俺を追い込んだサブパメントゥこそ、もしかすると―― 」
この時、スヴァウティヤッシュは引き上げており、精霊はイーアンがいるので結界を張らず、イーアンも精霊のために龍気を広げなかった。ドルドレンが気づいたことを話そうとし、イーアンより早く、精霊が止める。
『言わなくて良い。負担を減らしなさい』
どこで聞いているか分からないサブパメントゥを案じ、精霊は静かに彼を止め、ドルドレンも黙った。
『では。一先ず安全な場所へ行くと良い。そして、自分を選んだことを、体感でじっくり感じ取りなさい』
ポルトカリフティグはそう続け、何の話に変わったのかとドルドレンはイーアンを見る。イーアンは抱き寄せられている腕の中から、上に視線を上げ『空です』と教えた。
お読み頂き有難うございます。




