2678. 南西移動8日間 ~⑩人形の魔物・『煙』と『三度目の勇者』初見
ムンクウォンの翼を借りて飛ぶドルドレンは、異界の精霊が封じた島々の一つに入れてもらい、姿を現して敵を倒す精霊の邪魔にならないよう気を付ける。が、ここでは飛ぶ方が迷惑に思い、地上に降りた。
島は村がいくつか在り、どの村も境界線を川にしているためか、川に挟まれた形で、魔物が地面から出ると逃げ場がない。異界の精霊は、少し離れたところで力を使っているので、そちらを先にと判断した様子。
助けられた矢先、また魔物に遭遇して応戦中の人たちを、ドルドレンが守る。
空から襲う鳥の魔物はどこから出てくるのか、群れが来ては異界の精霊にやられているが、後を絶たない。これが厄介だから、精霊たちはそちらを先にし、地上は・・・ドルドレンの剣が、妙な人形の魔物を切る。
人形型は初めてで、珍しく思うが強くはない。膝下の大きさで、頭髪をつけられた古い木製。衣服はなく、胴体と頭と手足はそれぞれ別に作られて、部品に貫通する穴を太い紐で繋いである。
目と鼻と口は絵筆で描かれ、動かないはずの口が、切り込みを入れたように開いて牙をむく。近くで見ると赤や黒の模様があるが、接近してもすぐに倒すので、何となくの認識。
茂みや草むらから、人形は出てくる。奇妙ではあるが、見たところ特徴がないから、死霊憑きではなさそうだし、普通の魔物だが。
ただ、『人形』のため、気持ち悪い。動きが早く、走って来ては人に飛び掛かり、噛みつく。噛まれた箇所は皮膚が膨れ上がり、魔物を叩き落すと、水と一緒に血が吹き出す。
ドルドレンが来た時は、何人かが負傷した後で、そちらにかかりきりになる人と、人形型の魔物を剣で薙ぎ払う人がいて、さっさと参戦した。
長剣を提げた外国人に気づいた村人は顔を向けたが、『倒す』と叫ぶと同時、魔物めがけて太陽柱を振ると、あっという間に魔物が消失し、村人はわーッと驚きながら逃げる人・寄ってくる人に分かれた。ドルドレンは、視界に入った人形をどんどん焼き払う。
近くへ来た村人が、剣を振り上げるドルドレンに『自分たちに出来ることは?』と大声で聞き、ドルドレンは『人形の腹を切れ』と見つけた弱点を伝える。ここも村の男は勇敢で、怖気づくこともなく剣を抜くと、人形の腹を狙って攻撃をし始めた。
ドルドレンの参戦で、人形の魔物は一気に減り、数分もすると出てこなくなった。終わったか?と見渡し、川沿いの草原に動く影がなく、草原と民家の敷地を分ける茂みや樹木も、気配が消えたので完了とする。
怪我人がどうなるか。終わったらしいと目を合わせた村人に、怪我人の状態を確認すると。腕や足を噛まれた人ばかりだが、全員、意識が消えているようで、息はしていても話しかけて反応がないらしい。
「仲間に、癒しの水を持つ者がいる。使うなら持ってくる」
「すみません。あなたは?」
助けられていても、素上知れない強さに怪訝そうな村人の質問。ドルドレンは名乗って、空を飛ぶ異界の精霊を見上げ『彼らも仲間である』と教える。それより水は要るか。
不要と言いかねない人たちなので、一応聞いてみると、やはり不要と答えた。でも理由が変わっている。
「それは。民話か」
「民話でもないです。あんまり名前も出せないですが、呪いがあるのでそれだと思う」
若干、面食らう理由で、ドルドレンは対処を考えた。
この島に『肝盗み』という石がある。『肝盗み』は古い絵がついており、これの近くへ行くと、人は心を取られて木偶の棒にされる。いつからか知らないが、それを恐れて、お供えのように毎年人形を数体運ぶ習慣で、先ほどの人形は皆、『肝盗み』に持って行った人形だった。
その人形が噛んだから、呪いを受けた――― 村人は誰もがそう思ったようで、『魔物だけれど、肝盗みをどうにかしなければ』と、癒しの水が利かない言い方をする。
患部は嫌な黄色を帯びているが、血は止まっているし、患部以外はこれもまたおかしなことに、何ともない。
側に居た村人が、怪我人を集めた小屋の入り口に立つドルドレンに『川の上流は』と呟く。
行って確かめてほしい・・・そう聞こえるので、ドルドレンは手遅れにならないと良いがと、意見は一応伝え、場所を教わった。
飛んでしまえば、上流だとしても早い。そう思ったからで、空の被害は依然として異界の精霊が対応している。ドルドレンが来た村は、魔物被害が一旦落ち着いたようだし、ドルドレンは『すぐ戻る』と面をかけて浮上した。
そして、ドルドレンは教えられた上流へ、二三分で到着する。
島の半分にかかる小山で、先ほどの村から歩いたら、上流の地点まで二時間そこらの距離。
魔物がいるかと気配を探したが、ここには全くない。出尽くしたのかもしれないと思い、上流を挟んで群生する大樹の陰に、目的の石を探した。
この時くらいから、ドルドレンは何か嫌な感じをずっと受けていた。
勇者の冠は魔物に反応するが、それとは違う熱を帯び、自分の感覚もぞわぞわする悪寒に似て、何か異様なものがいるのは理解する。
長剣の柄を握りしめたまま、ドルドレンはゆっくりと、川面すれすれで飛び・・・石を発見した。人の腰丈はありそうな角の取れた石が、大樹の生える隙間に苔むして佇む。苔は所々薄く、そこにあの模様が。
あれは―――
ここまで気づかなかった自分が信じられない。そして、今は精霊の面と共にあるのに、なぜ。
見間違いでも何でもない、そこに在るのはサブパメントゥの絵柄を抱えた石だった。そして、ドルドレンが戸惑い、唾を呑んだ一瞬。生臭い風が川を渡り、続いてきな臭さが空気に充満する。
午前の薄曇りはなぜか霧を帯びて、ドルドレンは精霊の面に手を当てる。絶対に落とさないよう、顔に押し付けるが、耳に届いたのは紛れもない別種族の声だった。
『勇者。こんなところにも来るんだな』
何も燃えていないのに、燃した臭いが強まる。石とドルドレンの距離は、空中と地面で10mほど。霧だと思ったのは煙で、石だけが鮮明に見える。石の裏側に掘っ立て小屋もあるのが分かり、扉が開いていた。あれが人形を入れる小屋だったと分かったが、今はそれどころではない。
ドルドレンは回避を選ぶ。
白い精霊の翼を足元に、恐れはないと自分の心に言う。そんなことを言わなくても良いはずなのに、焦り出す心に気づかない。
ふっと真上に浮上し、すぐ止まる。霧に見えた煙は壁となって・・・阻まれた。
「出られない」
まさか、と灰色の瞳が丸くなる。精霊の力と共にある俺を、阻む?サブパメントゥがそんなこと出来るのか。この首には、一日と外したことがないビルガメスの毛が巻き付く俺に?
『だって。お前はサブパメントゥじゃないか。そんなもの使える、そっちの方が不思議だよ』
思考を読まれた。ゾワッとする声がドルドレンの耳を撫でて滑り、途端に血の気がざーっと引く。今、この者は何と言ったのか。
―――お前はサブパメントゥ?
『んん?知らないのか?本当に?そう言や、あいつも、お前が龍の毛を首に巻いてるとケチをつけていたが。本当に忘れてるってことか』
「お前は誰だ」
サブパメントゥで、危険な方。はっきりしているのはそれだけで、もしや『あいつ』とは、あの紺と白の鎧のようなサブパメントゥか、と見当をつける(※2389話参照)。
思考を読む相手は、姿も見せない。だが耳元に声は来る。その声はいやらしく舐めるように、耳に被る髪を逸れて『お前の名前、だろ』と言い返した。ぞっとするのは、その下品さだけではなく、怖れ。それに気づいた心の揺れを、相手は瞬く間に握る。
『勇者。名前は?今の名前は違うだろうに。昔の名前はギデオンだったけれど―――「さすがに同じじゃないよな?」
急に、声が現実味を帯びる。少し嗄れた、女の低い声のように聞こえた。
ハッとしてドルドレンが下へ顔を向ける。ふらっと大樹の横に見えたのは、灰黄色の煙に紛れる、血色の悪い男。男・・・女?男か女か。煙が揺蕩って動くために見えにくい。知らず知らず目を凝らした数秒で、相手がこちらを見ている目と視線が重なってギョッとした。
「そんな」
「どうした」
仮面越しのドルドレンは、相手に顔が見えていない。と思う。だが、ドルドレンはその顔を見て、倒れかけるほど衝撃を受けた。ぐらッとした一瞬、慌てて足を踏ん張る。足元には二対の白い聖なる翼が広がる。この上に立つ俺は無事だ、と心を叱咤する。
そんな心を読んで、相手が笑った。笑い声が男じゃない。女のような笑い方だ、と思ったすぐ、その唇が赤く艶を帯びる。
「『勇者』。名乗れよ。こっちに名を聞く前に」
「お前が名乗れ・・・ 何者だ」
「ふーん?その動揺。さては、けったいな精霊の面の下は、俺と似ている?」
嘔吐きそうな一言にめまい。ドルドレンは顎を引いて、耐える。自分の脳が違う反応を擡げ出し、これがアイエラダハッドで起きた現象と同じであることを認識する。今、感じているのは俺ではない、俺の意識ではない。
「な・ま・え。言ってみな?」
揶揄い口調が余裕を伝える。腕を組んで木に寄りかかり、だるそうに動く厚い煙に見え隠れする姿は、既にドルドレンの精神状態を知っている様子で、やり取りも面白がっている。
両肩を出した衣服は汚れてだぶつき、首回りの布は締め紐を抜いてだらしなく開く。腰から下に大きな布を巻き、その布は馬車の民が使う布によく似ているが、とても色褪せて元の色が分からないほど。ほつれだらけのボロボロの布を、腰のベルトがつかまえている。足は素足、腕はむき出し、髪は黒くざんばら、目の色は片目ずつ異なる青と銀で白目がない。皮膚は青灰色で人間とは違う。ベルトだけが異様な輝きを放ち、それは銀色の・・・『双頭の龍』を思わせる質感だった。
「今、思い出しただろう?双頭の龍を」
思い浮かべた途端、喋ってもいないことをへらりと返す。ウッと詰まるドルドレンは急いで目を逸らすが、相手の術中にじわじわと絡まれてゆくのを外せない。
「ポルト・・・ 」
思わず助けを求めようと、大事な精霊の名を呟きかけ、急いで振り払う。精霊の名を犠牲にしてはいけないと自分を叱る。宙に浮いたまま一人勝手に苦しみ呻き、呟いては頭を大きく振る姿を眺め、相手は笑い出した。腹を抱えて笑い、『何やってんだよ』と馬鹿にする。
「精霊の名前?そんなものを俺に言ったからって、どうなるんだ?サブパメントゥが精霊を操るって?そりゃ、ちっぽけな奴ならあるかもだけど」
お前の思い浮かべたのは違うだろ?・・・と笑い捨てる。精霊なんか操れない―― そう安心させるような、馬鹿にしているような。ドルドレンは困惑が波打って、苛立ちよりも恐れが増長し脂汗が流れた。
「ああ、可笑しいったらないな。さて、その気味の悪い翼を下りろよ。いい加減、抵抗し難くなってきたんじゃないのか?龍の毛もその辺に捨てろ。お前、頭に金物の輪(※勇者の冠)もある?なんだそのイカレ具合は・・・そんなの役に立たない。取れよ。
名乗るのも渋るし、すっかり真面目ぶっちまって。それも面白いけどさ。今度の『勇者』は、女好きには見えないし・・・どうすれば、お前もその気になるかね?」
ずっと。ずっと、前に聞いたことがある――― ドルドレンの意識が剥離してゆく。その声、この喋り方、この間合い、この近づき方も。
目が霞む、濁る煙。俺は何をしにここへ来たのか。
精霊の翼の足元を見ている視力が、滲んで歪む。ぼやけて曖昧に侵食される意識。何かが時の遠くから、俺を侵している。龍の・・・この、龍の毛は。名前は。俺にこれを与えた、龍・・・・・
思い出せなくなるドルドレンが、少しずつ前に倒れ始める。震える身体を折り曲げ、微動だにしない精霊の翼から、体が落ちかける。そして、ドルドレンの体は落下。
「おっと」
両腕で抱き留めてやったサブパメントゥは、仰け反って嫌そうな顔に変わる。
「ちっ。この面!触れねえだろうが。あと、これ!この・・・さすがに龍の毛は無理だ。俺たちには、呪い。もう!面倒臭いやつだ。まずい、壊れる」
あぶねぇ、と抱えた騎士を草に落とす。どさっと落ちた勇者は、ぜぇぜぇ息をしているが、自分がどうなったかは分からない。同じ背丈ほどのサブパメントゥは、両腕を振って『この馬鹿!ホントにもう!』と文句を吐いた。両腕の内側は、真っ黒に変色して亀裂が走り、亀裂から黒い煙がもうもうと上がる。ふーっ、と一息。
「ああ、ここまでやられちゃうと、回復必須だ。全くどうしてやろうか、こいつったら」
一人煩く文句ばかりのサブパメントゥは、自分の予定が狂ったとばかり・・・使い物にならなくなった両腕と、地面に転がる勇者を交互に何度も見て、最後に舌打ちすると、いくつかの石を蹴って勇者の四方に置き、煙と影の中に消えた。
上にはムンクウォンの翼が浮かぶ。ドルドレンは川沿いの草むらに倒れて―――




