2676. 南西移動8日間 ~⑧四百十三日目獅子と『原初の悪』・僧侶殺し中断の行方・コルステイン交渉
『俺の死霊に手を出して、手ぶらで帰れると思うなよ』
魔法陣越しに聞こえた、奇妙な声。命じるより早くジョハインが上昇したが、『サブパメントゥに尻ぬぐいさせるか』と背後に聞こえたシャンガマックは龍を止める。
「ジョハイン、待て!戻ってくれ!」
龍の金色の瞳が、さっと見て『いけない』と言うように見開かれるが、シャンガマックは相手が『アソーネメシーの遣い』と知り、ヨーマイテスに迷惑が掛かる!と焦った。
下にはまだ、魔法陣がある。撤収していないので、自分の身は守れる。
足場はない海のど真ん中。船は逃がしたので、足場になる対象は皆無。魔法陣に別の魔法を出せば・・・大急ぎで、海の足場対策考えたシャンガマックは。
「ジョハイン!呼んだら!」
赤紫の龍は、背中から飛び降りた騎士に叫ばれ、助けようとしたが命じに従い宙に留まる。
騎士は魔法陣の光り輝く縁に、思いつく限りの物質効果を持つ呪文を唱え、簡易の台が広がった。が、両足がついて安心する暇もなく。
目の前に浮かび上がった、おかしな形の骨・・・人間の身体と似た、頭・胴体・手足が、雑多に混じった骨で出来ている。これが、アソーネメシーの遣い。似合わない太陽の光の下で見た、異様な奇形の骨。
その顔に、あの黒い面が掛かる。
『やっぱり、あのサブパメントゥの仲間。お前は人間に見える。魔法使いか』
シャンガマックは答えず、話しかけた黒い面が、ファニバスクワンの力にどこまで対抗するか、緊張に張り詰める。小さな魔法の足場は一部しかなく、突き落とされたら面倒臭い。やりかねないなと、自分の早計に舌打ちするが、相手はそうは出なかった。
『俺の死霊を倒したな。俺が誰かを知っていて。知らないならまだ許してやったが』
「あの船に、神殿関係者はいなかったはずだ」
シャンガマックの反論は―― 『原初の悪』が絡んだ連続殺害は、宗教関係。それは総本山陥没の現場にいたシャンガマックも、流れが薄っすら理解できるが。
船を襲った現状に鉢合わせ、頭をよぎったサネーティ乗船の襲撃事件もこれか、と気づき、宗教関係者ではないのにと・・・だからと言って、襲わないか分からないにせよ、言い返した。
『んん?・・・フフッ・・・ハッハッハ!ほらな!分かってるじゃないか!お前はアソーネメシーに楯突いたんだ!俺に楯突いたということは、そういうことだ』
笑った黒い仮面は、ふっと消える。瞬きした騎士の後ろに回り、その首を掴んだ。う、と仰け反るシャンガマックに、癒着を繰り返した骨の指をめり込ませながら、黒い仮面が囁く。
『まずは、お前で良い』
「龍に食われろ」
奇形の骨が、さっと上を向く。声は目の前の男ではなく、空から―――
シャンガマックも上を見てハッとする。真上に黒い岩塊。塊の上で金茶の獅子が吼え、膨れ上がった青白い炎が一瞬で、仮面を弾き飛ばした。シャンガマックの首を掴んだ相手は、ザーッと音を立て砂の渦に変わり、離れた空中に逃げる。
「ヨーマイテス」
ぐらつく足元で叫んだシャンガマックに、びゅっと降りたアジャンヴァルティヤが『乗れ』と頭を出し、急いで彼の背へ移った。離れた空中に砂の渦が集まり、奇形の骨がまた現れる。
『獣のサブパメントゥ。誰に向かって、そんなこと言ったのか。龍に食われろ、だ?後悔しろ。その人間を、俺の死霊に食わせてやろう』
隕石のようなダルナの背で、挑発文句にヨーマイテスがシャンガマックを背に隠した時。
アジャンヴァルティヤが一瞬先に気づき、急旋回し、逃れた下から水柱が噴き上げた。水柱は、ファニバスクワンの魔法を貫く。
ぎょっとして振り返ったシャンガマックが『なぜ』と驚いたと同時、ヨーマイテスは『原初の悪』が出てきたと気づいた。
『勝手はやめろと警告したものが。俺に楯突いたのは、お前だろ?』
不意に風に混じった声。お前?と獅子も騎士も反応したが、続きはそこに関係ない。
『獅子。俺と来い』
水柱から紺色の袖が不意に伸び、薄ら笑う白い顔が水越しに見えた。その手が、獅子を掴み・・・あ!とシャンガマックが動いても遅く。
「ヨーマイテス!」
振り返った獅子の横顔は、シャンガマックの叫び空しく、水柱に引き込まれて消えた。
「ヨーマイテス!!!」
飛び出しかけたシャンガマックに、ダルナは太い首を擡げて『この世界の精霊だ』と一言。歯向かってはいけない条件のように、騎士を止めた。
この時すでに、アソーネメシーの遣いはおらず、水柱は勢いを増し、ダルナはすぐ上で待機していた龍に『引き上げる』と伝え、水柱を逃れ切る速度で飛んだ。
シャンガマックは何度も叫び、消えて行く水柱に手を打つことも出来ず―――
*****
『あー・・・俺の紹介は、まだだな?でも、この頃よく、顔合わせはしている気がする。祭殿でもお前はいたし、ついこの前・・・あれだ、ほら。宗教の人間共。あそこにもお前が居たのを見てる。お前は俺を見ているか知らんが。
前から俺は、お前を何となく覚えているぞ、獅子。お前は、光の中を動けなかったと思ったが。以前の旅では、そうだったろ?』
獅子は座らされた姿勢で動きが封じられ、口だけは動くが答えない。暗い血の床の上、紺色の僧服が肩越しに尋ねる。
『そうなんだよな。サブパメントゥはどうも・・・頭がちょっとな。癖がある奴ばかり。お前が黙っていても、まぁ、俺は構わん。それで、だ。俺は『この手』『その手』と呼ばれる精霊で、獅子に頼んでやろうと思いついたから、迎えに行った』
喋り続ける『原初の悪』は、ゆっくり歩きながら、時々振り返る。その顔はイーアンに似て、しかし彼女にはない、底知れない虚空抱えていた。
『返事がないのも、少々無礼だぞ、獅子。ふむ、あれか?俺のところの愚図が、お前の仲間の人間を狙ったからか。それなら、気にしなくて良い』
じっとしている獅子に見せるように、『原初の悪』の手が横に一振りされる。獅子と精霊の間に、霧が立ち、そこに奇形の骨が映った。背景はよく見えないが、地上の高い位置と察する。空が背景・・・空しか見えない。これは、と獅子が視線を霧の奥にずらす。虚空の目と合い、口の端が軽く持ち上がった。
『愚図は手に負えないな。楯突くとかほざいただろ?楯突いたのはあいつの方だ。命令なんて聞きやしない。だが俺が掃除するのも違う。龍にくれてやったから、後は龍が消すだろう』
気が付いたらの話だが、と言い足して鼻で笑う精霊。
『空からよく見えるところだからなぁ。龍が気づけば即、消される。な?これで良しとしろ』
獅子はそれでも喋ることなくただ、相手を見続ける。その態度に、わざとらしく肩を竦めて見せた精霊が近づき、獅子の顔の真ん前に立った。
『これから、俺が頼んでやるんだ。ちゃんと聞けよ』
にたーっと笑った白い顔、赤黒く捻じれた大きな一対の角は、獅子に威圧もないが。獅子は別のところから、自分を脅かす威圧を感じていた。
『俺が答えると思うか』
口をやっと開いた獅子。『原初の悪』が、獅子の鬣の後ろを見て、面白そうな笑みが浮かんだ。
『そうそう。お前は答えないな。意外と忠実なんだろう。後ろに来てると分かれば、なおのこと・・・仲間思いで何よりだ、コルステイン』
招いてもいないサブパメントゥの最強が、精霊の持ち場に現れる。青い霧は揺れながら人の姿に変わり、遠慮ない怒った視線を、原初の悪に投げた。
『何。聞く。ホーミット。違う。コルステイン。する』
『いい相談相手だ』
黒い精霊が薄ら笑いで、獅子の横を通り、背のあるサブパメントゥの側へ行く。見上げて『なかなか』と眉を上げる。コルステインは顔を動かさずに目だけで見下ろし、相手の出方を待つ。
『俺の世界に呼んだ覚えはないが、その度胸は気に入る』
『コルステイン。お前。嫌い』
『ハッハッハ!正直な嫌な奴め!コルステイン、こっちだ。その獅子は後で出してやるから放っておけ』
こっちだ、とサブパメントゥに背を向けて右手を先へ振る。
歩き出した『原初の悪』の後を、コルステインはついて行く。一度だけ振り返った視線が獅子と重なり、コルステインは頷くだけで終え、大きな翼の背中は、血の床の端まで行って消えた―――
*****
龍に消されるのは構わんにしろ――― 血の床に固定されて座り続けるヨーマイテスは、まだ解放されないので、先ほどの話で引っかかったことを考える。
『アソーネメシーの遣い』がいつから動いていたか分からないが、片っ端から殺されて減少した宗教関係の人間の内、ここで殺戮が止まったということは、現時点で生き残ったやつはそのまま、か?
それもなぁ、と獅子は記憶を見るように、視線を下へ動かす。
あの精霊が人間殺しをやらせていると感じていたから、手を出さないでいたヨーマイテスだが、僧侶なら誰でも殺戮対象にされていたのは、それはそれで良かった。
まともで善良なやつでも、生き残ったら何を考えるか。禁じられている残存の知恵の存在を、少なからず知っている奴らである以上は、下手に生き延びて、面倒な行動を取らないとも限らない。
ドルドレンたちの船に居るクフムは、アイエラダハッドから出て来た時、しょっちゅう狙われていたが、残存の知恵を知っているにせよ、あいつ一人のために、それも女龍の側に居るやつを狙うのは、分が悪かったのか。クフムは悪運強く、狙いから外れた様子。
だが、ティヤーに残る宗教系の輩が、『今後は殺されない』となると―――
獅子は、中途半端に出た生き残りの中に、危険思想の僧侶がいる可能性を案じる。以前の『僧兵』みたいのがまた足を引っ張るんじゃないかと考えると、うんざりして溜息が出た。
獅子のうんざりする可能性。的中するのは、まだ後のこと・・・・・
*****
コルステインを連れた先は、鈍色の風景しかない外を望む、奇妙な部屋。
血の床を歩いて暗がりを抜けたすぐ、向かいに窓が幾つも並ぶ壁が立ち、コルステインは人間の家の部屋のような場所にいた。左右も窓だらけの壁で、天井はずっと上、ずっと先にあるが、鈍色の空に壁の上が溶け込んで馴染む。
後ろは暗く広いだけの空間で、獅子の姿は見えないが、彼がそこにいるのは分かる。
細長い窓の表に、同じ色の岩と土と空があり、風が吹き荒れて、窓は揺れ続けていた。
紺色の僧服がゆっくり向きを変えて、サブパメントゥの主を見る。薄暗い部屋には、この二人だけしかない。机も椅子も何もない空っぽの部屋で、精霊はコルステインを頭の先から足の先まで眺めて頷く。
『お前が放っているから、サブパメントゥは人間を使っては殺す。良いか悪いかも、お前らは勝手だ』
『お前。精霊。何?サブパメントゥ。知る。違う。使う。違う』
『ふーむ・・・一応、俺の言葉は分かってるようだ。俺が精霊で、お前らサブパメントゥと関係ない、って言いたいんだな?』
そう、と頷くコルステインに、『原初の悪』は少し笑う。賢くないのは知っているが、バカなんだか何なんだか・・・やけに素直なやつで気が抜ける。
女と男の混ざる体、手足は鳥、背中に黒い翼、夜の色をした体に、月の色の髪。・・・しげしげ見て、コルステインが特別であることを理解する。
こいつ似たサブパメントゥが、大昔にいた。怒らせた龍に、仲間の半分を引き渡したあれの子供だったか―――
『コルステイン。人間が消えるのは、知っているか?』
精霊は話を変える。コルステインの青い目がじっと精霊を見下ろし、『消える。ない』と答えた。
『お前は、どこまで知っているんだか。誰に聞いた』
サブパメントゥが否定した即答に、『原初の悪』は首をぐーっと傾けて薄く口を開く。開いた隙間から火の粉が散り、ゆっくりと吐き出す息は火花を伴う。
それを迷惑そうに目を細めたコルステインに、精霊の口は閉じ『明るいのは嫌なんだったな』と首を横に振った。―――変な、気の回し方。イーアンならそう訝しむだろうが、コルステインはこの精霊の目論見を見透かす。『原初の悪』の顔が一度伏せられ、また上がる。
『コルステイン。俺は精霊だ。お前の味方にもなる』
黙って見つめるサブパメントゥに、精霊は大振りな頷きを見せてから自分の額に親指を向け『信じるために読んで構わんが、さっきから頭で会話しているから、さほど意味はないかもな』と少し笑った。コルステインには意味がよく分からないので、無表情。でも、味方じゃないとは思う。
『味方の意味を、簡単に言った方が良いか?コルステイン、お前が敵対するサブパメントゥに困っているだろう』
『何?』
サブパメントゥを精霊が倒すとは思わないが、この精霊は何かをして、それを行うつもり。コルステインが感じ取るのは、反発のサブパメントゥをこの精霊が使おうとしていること。
『人間が消されるんだ。もう少しすると。思うに、よほどのことでもないとそうなるだろう。俺は人間削除を、今から手伝っても良い立場だ。俺は、そういう精霊だから』
わかるか、ん?と首を傾げて見せ、瞬きした相手に精霊は頷く。
『だが。お前たちサブパメントゥは、そこまで許可されていない。・・・言葉が難しいか?お前たちは、元から人間を困らせる。そういう立場だよな?それで良いんだが、やりすぎは許されん。
今のお前たちの動きは、やり過ぎだ。お前が止めようとしているが、それも生温い。見逃しているのと変わらん』
責められているのは理解するコルステイン。冷たい眼差しで、喋り続ける精霊を見下ろし、だから?と顎を軽く上げた。
『俺は味方だ。もう一回言ってやろうな。味方なんだ。お前が邪魔だと思うサブパメントゥのやつらを預かってやることは出来る。
そいつらは俺に預けられても、人間を殺すかも知れない。だが、俺がやり過ぎを止めてやることも出来る。意味は・・・通じるか?』
『分かる。ない』
『ハハハ!もっと簡単じゃないと分からないか!俺が、お前の面倒を引き受けるんだ。そうすると、サブパメントゥの種族が消える可能性は避けられる。なぜなら、精霊の俺が引き受けるからだ。
その上、人間を殺したがるサブパメントゥがやり過ぎたら、俺はそれを止めてやることも出来る。これは、俺じゃないと出来ないんだ。コルステイン。『その手』と呼ばれる、俺じゃないと』
全然、意味が分からないコルステインだが(※難し過ぎる)。分かるのは、一つだけ。
『嫌』
お読み頂き有難うございます。




