2674. 南西移動8日間 ~⑥『赤い狼ルオロフ』成り立ち・二人夜空・接触回避、接触命令
※少し長くて6700文字ちょっとあります。お時間のある時にでも・・・
月夜の空に、青白い雲がなびく。
ティヤーのどこかは知らないが、平たい島の草むらにイーアンは座り、その横にダルナ、イーアンからちょっと離れたところにブラフスとまそら、そして、場違いに見える赤毛の貴族がいた。
だが実は、場違いでもない。
―――まそらがあの後、ルオロフを連れた先は、封じた七つの島の一つで、場所自体は特別ではなかった。
単に、誰も来ない所を選んだだけで、まそらに連れられて降りた山の頂で、まそらが仲間を呼び、まそらと同じように翼を持つ、赤い目の相手に会った。
名をブラフスと言い、彼はタンクラッドに名を貰ったと、自己紹介で伝えた。
イーアン、タンクラッドの名が出て、ルオロフは展開に頭がついて行かないものの、とにかく自分を知りたくて、それを知っていそうな二人に合わせた。
青いまそらが、ブラフスに何かを頼んだ。彼は了解して、緊張する人間の男―― ルオロフに向き直り、『その体は何か』を教えに入る。
まそらの力の逆、ブラフスは整える。彼は、現在のルオロフが何から生まれたのかを説いた(※2280話参照)。
赤毛の貴族の横には、青い翼を持つまそら。向かいには赤い目で、透明の翼を持つブラフス。ブラフスの翼が片方開き、ルオロフは自分が、狼男だった時をそこに見た。
これが最初で・・・ブラフスがそう言ったわけではないが、続く絵が翼に浮かび、そう捉えた。赤茶色の狼男は、狼に戻る。それは透けた人間が離れて、普通の狼だった。
絵に現れた狼は、砂の像の如くほぐれて、土に混じった砂が動き、多くの生き物が暮らす様々な風景を潜った。
どこへ行くのかと思いきや、砂の話はそこまでで、次は人間の赤ん坊の絵が映る。赤い髪の毛に、ハッとする。
赤ん坊がすぐに成長し、四つん這いで庭を移動する絵が出た。四つん這いの赤ん坊は、庭に座り、手が届くところの土を握り、それを食べた。砂はその口に入り、赤い毛の赤ん坊の目が、精霊の目の色に変わる・・・・・
ブラフスは翼を畳み、夢中で見ていたルオロフが我に返った顔に、『砂は全ての生き物の骨を含んだ』と教え、瞬きして驚く男に、『全ての生き物の力を得た』と付け加えた―――
自分の生誕に籠められた大きな流れを知ったルオロフは呆然とし、衝撃を受け止めるのに精いっぱいで、言葉も出てこない。ブラフスは退治のためにまた離れ、まそらはルオロフと、島々の退治が終わるまで山頂に残った。
ルオロフの精神状態は、これまでにないほど高ぶっており、近くで見ていたまそらは、彼の喜びと驚きと願いが、一緒くたに渦巻いているように感じた。
それから、まそらはダルナに呼ばれる。タンクラッドたちは他の精霊に任せ、呼んだダルナの元にイーアンがいると知って、ルオロフも連れて行き、ルオロフとイーアンは海上で合流。
ダルナと一緒にいたイーアンは、『大事な話をしており、少し前まで精霊ティエメンカダもいた』と話したが、まそらとルオロフの組み合わせが意外なので、その事情を先に聞いた。
只者で収まらない能力を持った、数奇な生まれ変わりの男・ルオロフ。その正体を知り・・・ 場所を変えて今後の相談、がこの状況―――
「ティエメンカダも、気にしてくれます。私たちがすぐに行動を変えないと」
だからと言って、具体的な指示は簡単に出せないので、各自の意見を交わしながら『これが無難か』『そのくらいは必要か』『この状況だと出来ない』など練りながら、動きの幅を互いに確認し合う。
ティヤーの民の状態や意識で、人間存続が左右されると通告されたからには。
この場に来たティエメンカダが、異界の精霊にもイーアンにも助言した、『魔物退治だけでは足りないこと』。
誰が・なぜ、民を守ろうとしているのか―― 人間に理解させる動きを、こちらも示さないといけない。
漫然とこれまで同様の意識でいる以上、消される途上の民へ伝える行為の要。
「イーアン。私は、どう行動したら良いのでしょうか」
この場にいるルオロフは、自分の持ち場に焦点が当たる訳でもなく、また、いきなり人生の舞台が引き上げられた状態で、何をするべきか一人で考えるのも難しい。
特別な身体なら、背負った責務は果たさねばと早々意識しているので、慣れない顔触れを気にしつつ、自分の役割について、女龍に意見を求めた。
イーアンはふーむと唸る。イーアンも思いつかない様子。
そりゃ、朝まで人間だった自分(※今も変わってはいない)が、午後に会ったら『人間だけど違うらしい』と言われたわけで、すぐさま『ならこれで』とはならないだろうが。
・・・全ての生き物の力を持つ、頂点の存在――?
聞いた時は血が湧いたが、冷静に考えたら私は飛べないし(※鳥は飛ぶのにと思う)。泳いだって、呼吸は必要だ(※魚を思う)。怪力にも限度はある(※他諸々強そうな動物と比較)。
「ルオロフ」
ぐるぐる考えていそうな赤毛の貴族の視点定まらない様子に、イーアンが名を呼んで止める。びくっとしたルオロフが『はい』と顔を上げ、イーアンは彼が少し気の毒。
「突然、自分が誰かを知って、まだ何が何だか分からないでしょう。あなたは焦らないで下さい。とりあえず、数日はそのまま過ごしてもらう方が良いです。その間に、自分の中で決着も付きます」
「決着、ですか。その、私が自分の状態を理解したということは、すでに行動を求められているのではと思うのですが」
「うん。だけど『行動に移すべき事態』が、あなたをまだ呼んでいません。
さっきから私たちは、ティヤーの民、ひいては世界の人間の存続を守るために、動きを変えねばと話し合い、ではどうするかと頭を寄せている訳ですが、異界の精霊たちにはある程度状況の予測が可能でも、ルオロフの力と立場はまた彼らと違うので・・・
あなたが取り組む仕事は、今後必ず現れます。今は、自分を理解する時間に使って下さい」
そろそろ戻りましょうか・・・即答に繋がらない場は、長引かせても意味がない。ルオロフは責任感が強いので、今すぐ何かしなければと思っていそうだが。
帰ろうの促しに、赤毛の貴族は大きく息を吐いて『はい』と諦めるように俯いた。
ルオロフには立て続けで、衝撃だらけの一日。
ティヤーの現状事実を目の当たりにし、自分が人間以外の能力を持つと知らされ、今や秒読みの『淘汰』回避相談の場に参加。
淘汰については、度々話に上がっていたから驚かなかったにせよ。違う動きを求められる展開に、急に重荷を感じた。
立ち上がったイーアンに続き、ルオロフも立つ。ダルナはそれぞれイーアンと挨拶を交わして、空気に溶けて消えた。まそらとブラフスも、残った二人に『また』と短く声を掛けて離れた。
「イーアン。船はどちらですか」
「分からないので、一旦上に上がってから降ります」
はい?と聞き返した貴族の後ろに回ったイーアンは、彼の両脇に腕を通し、胸を抱え浮上する。ちょっと、彼の気晴らしになれば―――
「上、って」
「空です。空まで行ってから、目的地へ行く方が正確なの」
「・・・さらっと意味の分からない凄いことを言っています」
ハハハと笑うイーアンは『寒いから私の青い布(←精霊)を体に引っ張って』と頼み、ちょっと戸惑いながら、出来るだけ失礼のない触り方を心掛けた貴族が、イーアンの内側にまとう青い美しい布の両端を引き寄せ、自分の腹まで回す。
密着するのは、抱えられていると毎度なのだけど。
この密着具合は・・・一枚の布(※精霊)に包まれた自分と女龍。体温が背中を伝う。非常に申し訳ない気がして、ルオロフは心で総長に謝る。
「寒くありませんか」
「大変温かです」
「それならいいです。呼吸も気を付けて。あんまり加速しませんが、空気も薄いし冷えます。できれば私の手の平に顔を付け、温度を保って下さい」
はい、と女龍は左手の高さをルオロフの顔の位置に上げる。
「そんなことできません。自分の手で」
「私の手は龍気があります。息はそれで保てるはずです。照れて死んだら、せっかく自分を知ったのに勿体ないでしょう」
笑い飛ばす女龍に、すみませんと謝り、ルオロフは出された白い手に顔を当てる。今日に限って、なぜか手袋をしていない。手袋越しならまだ・・・照れながら、その皮膚の色を見つめた。
肌の色は夜にさえ煌めく鱗のように美しく、女性なのに筋肉が盛り上がる腕は力強い。
顔を埋めた手は、思っていたよりも広く硬く、この世界を守る手だと気づき、『人の常識・男性より弱い女性』の表現を当てては、失礼な気がした―――
ぐんぐん上がる高度で、星が近づく。自分を抱えた女龍は、左右に白い6翼の翼を伸ばし、角は白く輝き、空が反応するように透明に見えた。夜空は暗くなかった。黒に近い青が、透明の無限をルオロフの目に映す。
言われたように、空気は冷たく、アイエラダハッドの北部を思い出した。青い布に守られていない部分が冷えてゆく。
息が許されないほど、空気が遠くなる感覚。美しさと寒さと、無限の空に突っ込んでゆく自分。女龍の腕に抱えられて、俺は何てちっぽけなんだ、とルオロフは・・・嬉しくなった。
ふっと、イーアンが旋回する。
勢いで向きを変え、ルオロフに回した腕を一瞬緩め、赤毛の頭ごと被せるように守り、イーアンは直下し始めた。
「ルオロフ。聞こえていますか。喋ってはいけません」
頷くだけ。青い布とイーアンの抱え込む腕の温もり、彼女の風に踊る髪が触れる感覚以外は、体が壊れそうなほど冷たく厳しい。
足はもう感覚が薄い。だが、奪われかけた空気が少しずつ戻ってくる。イーアンの手から伝わる龍気は薄い空気でも呼吸を守ったけれど、今は地上の呼吸状態が戻るのが分かる。
さっきまで息巻いていたのが嘘みたいで、幾つもの新鮮な感動と感激を越えた時間は、このまま死んでも俺は満足だと思わせる。
「海よ。ルオロフ」
ルオロフ、とイーアンは腕に力を籠める。生きてる?大丈夫よね?とビビった話しかけ方に、聞こえているルオロフが吹き出す。
ホッとした女龍は『ドルドレンたちも空に入っているから、死にはしないと思ったけれど』と前置きし、それでも初めてだと強烈だから・・・と言った。
「いいえ。素晴らしい体験でした。でも私はもうそろそろ、総長に注意をされる気がします」
「あははは。されるなら私ですよ。私いつもドルドレンに注意されます(※自覚はある)」
やっと。風に温度が渡り、海の匂いがし、ルオロフの麻痺した意識もじわじわと戻る。
煙のように帯引く雲を抜けた眼下に、広大な海。黒と輝く紺、細やかな波頭の白い煌めき、遠くに島影が点々と浮かぶ。地上の美しさを改めて思う。
「いつもこんな風に、あなたは空から戻るんですね」
すごい相手と一緒にいる・・・ それが伝わるイーアンはすぐには答えず、少しして『私も』と呟いた。
「人間でした。でもあなたとは違う、本当に何の変哲もない中年のおばさん。この世界に来て戦うことを選び、唐突に龍だ何だと始まって、休む間もなく今に至ります」
胸と肩をがっちり抱いた腕は、以前は人間の女のものだった――― はい、と小さく答える貴族。
真横に、イーアンの顔がある。少しずれたら、触れてしまう距離にあるその顔は、この世界で見たことがない。遥かな次元を超えて呼ばれた彼女は、何より信頼に値し、誰より力強い微笑を湛え、鳶色の瞳はどこまでも優しく熱い。こんな人間がいたのかと、胸が熱くなる。
頭を守られ、真っ逆さまに降下するこの時間。
ルオロフは、自分がどこまでこの人のように成れるだろうと真剣に考えた。
*****
二人が船の甲板に降りて、力が抜けたようによろめいたルオロフを、イーアンが『大丈夫?』と支え・・・
昇降口近くに出ていたドルドレンがそれを見てビックリし、大丈夫ですと言っても、部屋まで総長に抱えられたルオロフが、二度目の恥ずかしさと疲労で何も言えなくなった夜。
異界の精霊が、『魔物ではなく精霊が行っている』として手を出さない、神殿や修道院の虐殺の現場に、今日も獅子は鉢合わせていた。
それも、今日に限ってシャンガマックと一緒。
夜に船に行ったら、イーアンがいないと変に気落ちしている息子を、外に連れ出した。今日も片付けだ・・・と話しながら上がった地上―― 地下室で、最初は何もなかったが。
エサイを出す前に獅子は『来た』と気づき、この場を離れるため、息子に背に乗るよう急かした。その矢先。
『サブパメントゥか?』
地下室のかび臭い空気に、あの声が掛かった。
*****
接触――― 寸前で回避。
『サブパメントゥか?』・・・わざわざ先に呼びかけた相手は、逃がす気があったのか?
即、息子を連れて闇の世界に飛び込んだ獅子は、『アソーネメシーの遣い』が来た理由を訝しむ。
「ヨーマイテス、今のは」
「後でな」
サブパメントゥの暗闇を獅子は駆け抜け、先ほどの場所から距離の開いた地上に出た。
近くに、小さい修道院。ここは以前来たことがあり、もう用事はないが、元から常駐の人間がいない修道院だった。
「殺す用事がなけりゃ、こっちに来ないな」
「殺・・・ え?」
背中を下りたシャンガマックが、獅子の顔の前に回り込んで『何があった』とすぐに聞く。ヨーマイテスは手短に話してやった。
昨日のことで、エサイも絡みはなかったと教えたが、褐色の騎士は眉根を寄せたまま。
「気になるのか。殺される僧侶の」
殺す用事=神殿関係者が対象だと話したから、困惑したかと尋ねると、息子は髪をかき上げて『いや』と首を横に振った。
「それも勿論、気になるけれど。殺される僧侶の件は、イーアンが対処を考えている・・・俺が今、気になるのは、ヨーマイテスに『サブパメントゥか』と話しかけた相手が、確認したかっただけに思えないことだ」
「まぁ、お前が気にすることじゃない」
「気になる」
獅子の広い鼻筋に手を置いて、シャンガマックはゆっくり撫でる。碧の目がじっと息子を見て『何が』と静かに聞き返し、息子の溜息が戻る。
「何かが理由で狙われている可能性とか。ヨーマイテスだって、そのくらい思うんじゃないのか?」
「だとしても、お前は関係ない。あいつの目的が何か知らんが、お前に手を出させない」
「あ。それか。俺を狙われては困るから」
「当然のことだ。だが、お前に首を突っ込ませる面倒はない。バニザット」
「・・・なぜ、言い切れるんだ。『アソーネメシーの遣い』は、イーアンも攫ったんだよ。彼女の龍気さえ封じて」
「イーアンに関しては、また話が違う。あいつは何やられたって、傷一つ付かない。
バニザット。俺は気付いたことがある。はっきり言えるのは、相手が『アソーネメシー』なら、俺を手負いにする理由はないんだ。
それはお前の立場でもそうだと言える。お前にまで面倒を届かせる気は俺にないから、その前に片付ける」
シャンガマックは理解する。ヨーマイテスが言いたいのは、アソーネメシーが精霊だから自分たち『世界の旅人』を手にかけない、の意味だと。
―――イーアンは攫われた後、『アソーネメシーの遣い』に暴力を受けた。
龍気は使えないが傷を負わない体の女龍。相手の暴力の様子を聞くと、殺すつもりの内容に感じた。暴力を何度か受けた後、イーアンはビルガメスに助けられたが、『アソーネメシーの遣い』は逃げた。
シャンガマックは思う。アソーネメシーの手の者だとしても、そういう愚行を振るうことに躊躇もない輩は、何をしでかすか。
龍を侮辱した、それについてビルガメスも片付ける決定を下したけれど、未だにアソーネメシーの遣いはうろうろしていた・・・龍の裁き前なのか、それとも『原初の悪』が、龍を阻んだか。
「バニザット。そこまでにしておけ」
見つめたまま考え込んだシャンガマックを注意し、獅子は彼の瞬きに『お前は戻れ』と命じる。シャンガマックも反対する気はなく、小さな溜息を吐いて『ヨーマイテスはどうするんだ』と心配した。
「俺は動く。お前が不安そうで、それは困るが」
「不安だよ。バカは何するか分からないだろう」
「バカ?」
俺に言ってるのか?と獅子に驚かれ、シャンガマックは苦笑。『アソーネメシーの遣いだよ』と獅子の鼻をポンと叩く。
「あなたをそんなふうに思ったこともないよ・・・はぁ。ヨーマイテス、心配だ。龍にさえバカな動きを取る奴が、あなたをつけていると知って、俺は」
「大丈夫だ」
乗れ、と頭を揺すって背中を示し、シャンガマックは渋々跨る。獅子は息子をちょっと見て『そんな顔をするなよ』と呟き、船へ向かった。
シャンガマックは、黒い船に戻る。獅子は出かけ、夜中の船室でシャンガマックは、嫌な予感を拭えずに過ごした。
この予感が、思いがけないきっかけにより当たる。それも、自分が―――
*****
アソーネメシーは、報告を聴く。
『人間付き』
呟いた精霊は、おかしそうに鼻を鳴らした。死霊の長に、片手を向ける。
『今度は身勝手な動きをするな、と先に忠告だ。その人間を捕獲したら、その場で報せろ』
お読み頂き有難うございます。




