2671. 南西移動8日間 ~③不透明な知恵の記録・獅子の刺青・混合種へ報告と質問
止めるまで捲れ、と言われて、イーアンは読めない書のページを手繰る。
「そこだ。手前は大してお前に関係ない。その辺から、お前らの知識に思う」
お前ら。ん?と机に屈みこんだ顔を、大男に向けるイーアン。それって・・・視線は、彼の顔から右腕に移動し、ホーミットの手首にある狼の面で止まる。ホーミットの碧の瞳もその視線を追い、微動のように頷いた。
「エサイも・・・意見を聞くのはいけませんか」
「聞かなくて良い。お前が知っておけばいいだけだ」
「分かりました」
時間が勿体ないから、イーアンも反抗は止す。エサイがいれば、擦り合わせ解釈で正解率が高そうに思ったけれど、ホーミットは『イーアンが知る』以外を望んでいないらしい。
焦げ茶の大男は、座らない女龍が見つめるページに何が書かれているかを訳し、女龍は聞きながら想像する。メモしておきたくて、それを伝えると頷かれたので、腰袋から折りたたんだ紙と炭棒を出し、ちょいちょいメモる。
大男の野太い低い声で聴く、古の知恵と実験の記録。女龍が重要と思う箇所を書く手を、ホーミットはじっと見つめて『お前の字』と呟いた。振り向いた女龍に『お前の世界の?』と興味あり気に聞き直す。
「はい。私の母国の文字です」
「三種類混じった文字か。それとも記号か」
「文字です。三種類はそれぞれ、ひらがな、カタカナ、漢字と呼ばれ、組み合わせて文章にします」
「ズィーリーとお前は同じ人種だな」
「うーん、正確には違うと思いますが。それと、思うに彼女の国は、全部が漢字だったはずです」
そうか、と話はそこで終わる。イーアンも手元に向き直り『次は』と促し、大男は続けた。
書きながらイーアンは『これ・・・こういうのは記号です』と、ちょっと教えてあげる。矢印やクエスチョンマーク、カッコなど。大男は軽く頷いて『四種類だ』と、少し微笑んだ。
微笑まれるのが珍しく、キョトンとしたが、イーアンは『はい』と答えて、また手を動かし始めた。
メ―ウィックの書物。その内容は、確かにディアンタ僧院の本と近かった。
正体の知れない不思議な人間の僧侶が、なぜこんなことまで、とイーアンの疑問は増える一方で、バニザットに以前借りた、僧院の一室を思い出した(※2221話参照)。
ああした場所で、当時の僧侶は貪るように、日夜、知恵の実験に励んでいたのか―――
当時の生活に、普通にあった道具たちの制作過程から、掘り下げて探求した印象を受ける。
金属の加工から、熱と冷却と鉱物の応用。火打石や金属粉末から、火薬。酒造り・薬作りから、劇物。そこまで進んだか結果がなさそうだが、電池みたいなのも、何となく引っかかる。
防炎・絶縁体素材も試みている。これが単に、ボヤを防ぐとか、摩擦の静電気のためとか、そうは思えなかった。
「どう思う」
不意に、大男に訊かれ、イーアンは手を止めて『魔法対抗に思います』と正直に答えた。答えてから彼を見ると、『他は』と言う。
「他?ティヤーの神殿みたいに、他所の世界に行く準備とか?」
「お前はそれで行けると思うか」
「ホーミット。何の話です」
「取り上げられた知恵は、お前たちの世界に行って、武器として通用するかと聞いたんだ」
イーアンは、碧の宝石みたいな瞳をじっと見上げて、首をゆっくり横に振った。大男は小さな女龍を見下ろして微動だにせず、『どの程度だ』と続ける。
「読んだ上では、武器として使うには整っていない、豆知識程度です」
「神殿の使った武器や装置も?通用しないのか」
「油断や無抵抗な人に攻撃するなら、傷もつけるし、当たり所によっては命も奪いましょうが。でも対戦されたら、明らかに不利です。いとも簡単に砕かれると思います。私が居た世界は、危険と便利に溺れた場所でした」
「龍のお前は、龍の力を持ったまま、前の世界に戻ったとして」
「・・・この力のままであれば、通用するでしょうね」
「それでお前は『魔法対抗』と思ったんだな?」
イーアンは答えなかったが、大男は金茶色の髪をかき上げて、机の上で開かれた書を見て『分かった』と呟いた。
彼が何を確かめたかったのか。イーアンにはよく理解できなかったが・・・これ以上の会話には及ばず。
ホーミットが選んだ書物を開いては、指摘ページごとに彼が読み上げるのを聞き、それを解釈して、疑問点や重要点は書き記すのを繰り返した。
紙が足りなくなると、ホーミットは気付いて『これを使え』と、どこからともなく同じような紙を出して渡し、受け取ってそれに書いた。
この作業、思っているよりも時間は掛からなかった。ホーミットが必要ヶ所を選んでいる時点で、文を読めないイーアンは脱線しようがない。飛ばすページには何が書いてあるのか、それはとても気になった。
「治癒場の話は」
イーアンが最後に質問したこれで、書き写しは終了する。イーアンはいつまで書き写すのか知らなかったけれど、そのタイミングだったようで、大男は棚板に横倒しになった一冊を尖った爪で指差して教えた。
その書を開いてみると、崩れそうなページの一部に絵があった。
「シャンガマックたちが行ったのは」
「お前の指の近くだ。この僧院は、こっちだ」
「横に書いてあるのは、行き方ですか」
「そうだ。メ―ウィックの冗談交じりだろう。そういう男だったから」
ちらっと見た鳶色の目に、『そういう男だ』とどうでも良さげに大男は繰り返し、わざわざ謎めいた言い方を好むと・・・思い出し序に教えてくれた。
『孤島の僧院を包む川の流れを遡り、木々の葉が黄色い島にある(※2623話参照)』。海なのに川と呼び、木々の葉が黄色い島と書いた、冗談。
「彼がそれを知っていたかは別ですが。『僧院を包む川』は、潮の流れではありませんか。ロゼールとシャンガマックの話では、海底にあった黄色い葉がつく木ですが、孤立しているなら島と称した方が正しい気がします」
「そういう推測は、俺じゃないやつに言え」
適当に流され、イーアンは小さく溜息(※合わない)。本を閉じて棚に戻すと、大男は『戻る』とぶっきら棒に伝えてさっさと歩き出した。まだ、書いた紙もまとめていないのに・・・と首を傾げながら、イーアンも紙をざっと抱えて、小走りで追いかけ、焦げ茶色の大男の背中を見ながら通路を戻る。
歩くと左右に揺れる、金茶色の長髪の下。焦げ茶の背中の金属的な輝きに浮かぶ、刺青。間近で見たのは初めてで、イーアンは『何?』と目を凝らした。それは、空の遺跡にあった彫刻の柄だと気づいた。
質問することではないので、黙って終わる。外に出ると、シャンガマックが待ちくたびれたようで、笑顔でうーんと伸びをした。大男は獅子の姿に変わる。
「待ったか」
「そうでもないよ。さて、どうだった。イーアン」
「書物にあることが、この世界の『取り上げられた知恵』最盛期のものだと言うなら、大体は理解したと思います」
うん、と先を促す褐色の騎士に、イーアンがどう言おうか戸惑ったのを、獅子は横目に見て『頭打ちの制限が分かった以上、イーアンがどうにかするだろ』と適当に話を切った。
丸投げだよと思ったが、まぁ確かに。イーアンは、自分が対処する分には良いのかなと思うので合わせて頷いておく。
「じゃ、次だ。アティットピンリーに会おう」
行く道で聞かされたか、シャンガマックの元気な一言に、獅子は文句も言わず『どこに行くのか教えろ』と女龍に命じた。
女龍はもう解放されたい気分だったが、精神的に疲れた朝一の業務続き、本来の予定を頑張らねばと『祠探し』を伝えた。ピンレーレー島周辺に行けば目立つから、別の目立たないところ、と言うと、獅子はまた面倒そうに舌打ちし、苦笑したシャンガマックが『サンキーの』と囁き・・・・・
そして三人は、移動する。ピンレイミ・モアミュー、鍛冶屋サンキーの住む島へ。
*****
イーアンは、初上陸。小さい島とは聞いていたが、島自体が小さいというより、人口が少ない気がした。祠探しを面倒がった獅子は、シャンガマックに『どうせ移動するなら』とサンキーのいる島で探すことにする。
だが、探す手間が掛かるなら、それはどこだって同じなので―――
「おはよう」
挨拶と一緒にコンコンとノックした、一軒のお宅の扉。
海岸沿いをずっと歩いて、最初の一軒目が鍛冶屋の家らしかった。朝っぱら、約束もなく来て大丈夫なのかなとイーアンが気するも、扉はすぐに開いて、褐色の騎士が笑顔に変わる。
中から『おはようございます』と男性の声が返り、扉横の死角にいるイーアンは、どんな人か見ようとしたところで、シャンガマックに『紹介しよう』と腕をひょいと引っ張られた。
あらっ、とよろけたイーアンは、若干間抜けな登場で工房主と初顔合わせ。玄関口の男性は、丸い目をもっと丸くして『角』と、よろけた女の頭にある大きいな二本の角にびっくり。
イーアンは体勢を整え、シャンガマックに『ひっぱらないでも』と注意。ゴメンと謝った騎士は、向かい合う驚くサンキーを見て『でも少し驚かせたかった。あなたに会うのは嬉しいと思うから』と(※ひっぱらないでもいいはず)微笑んだ。
「角と、白い肌。もしかして、この方は」
サンキーが恐る恐るの口調で尋ね、イーアンは『初めまして』のご挨拶。龍のイーアンですと笑顔を上げた女龍に、サンキーは『本物だ』と口に手を当てて叫んだ。
「ウィハニの女ですよね?」
「伝説上はそうですけれど、ついこの前、真実のウィハニの女が」
「ええ、はい、噂で知りましたが・・・あの、龍と仰ったけど、龍の姿にもなるんですか?あ、すみません、こんなところで!中へどうぞ!」
うっかり玄関で足止めした、とサンキーは謝り、イーアンとシャンガマックは笑って『気にしないで』と頼む。そしてシャンガマックは、女龍紹介後に『実は先に聞きたいことがある』と言った。
シャンガマックの用事は、勿論この鍛冶職人もなのだが、その前にアティットピンリーに会う。
この島にウィハニの女の祠はあるか?と尋ねた騎士に、サンキーは玄関の外へ出て、海岸線の先を指差した。
崖伝いに道があり、岩に囲まれた小さい砂浜に出ると奥に祠があると教え、砂浜はたまに漁師が小舟を置いているので、小舟で見えなかったら探してみてと言った。
「シャンガマックさん、祠の後はうちに来るんですか」
「そうさせてもらえたらと思うが、まずはサンキーの予定がどうか。大丈夫だったら時間を頼みます」
サンキーの予定は配慮する騎士に、イーアンは何かモヤっとした(※自分にはなかった)。シャンガマックは、サンキーに『予定は特にない』の返事をもらい、お礼を言って早速祠へ向かう。
「お父さん、消えていますけれど。彼も一緒に行くのですよね?」
「ん?祠に?サンキーの家?」
どっちも、とイーアンが言うと、シャンガマックは『サンキーの家には行くと思う』と答え、祠は興味がなさそうだったと首を少し傾げた。
来た道を戻る形で海を左手に崖上を歩き、海側にずれる斜面の道を見つけて、二人は細い道を下りる。イーアンは飛んでも良かったが、騎士を抱えるとお父さんが煩そうで、普通に歩いた。
で、ちょっと足を踏み外す。ずるっと下り坂で片足が滑り落下しかけ、振り返ったシャンガマックに腕を掴んでもらい、イーアンは落下未然で済んだ。
「申し訳ないです」
「いや、そうだったな。イーアンはあんまり・・・(※言わないけど)」
「飛べば安全なんですよ、私の場合(※何がとは言わないけど)」
苦笑する騎士に、足元に気を付けてゆっくりと気遣われ、イーアンは久しぶりに運動神経の悪さや鈍臭さを実感した(※龍の力がないと普通以下)。
ちなみに落下しても怪我はしませんと豆情報を伝えたが、騎士は困ったように笑って『でも咄嗟に思い出せないから心臓に悪い』と、落下しなくて済んだことを良しとした。
微笑ましい雑談を、細い道の前後で話しながら、砂浜に到着。
人はおらず、舟もない。静かな波が寄せるだけの、庭なみの広さ。浜の奥には、崖に直接彫り込まれた目立たない祠があった。二人は側へ行き、シャンガマックが戸のない祠の石像を覗き込む。
「イーアン。これに話しかけるのか?」
「はい。ここも、お供えとお掃除をされていますね。お供えは花なのね」
これからは地霊の祠もこうなると良いなと、純粋な小さなお花の精霊を思うイーアンは、膝丈くらいの小さい祠前、乳白色の砂に膝をついて話しかけた。
アティットピンリーに話す具合で、『イーアンです。アティットピンリーどこにいますか。お話したいことがあります』を声に出す。褐色の騎士は横に立ってじっと見守る。
何度か同じ言葉を繰り返し、イーアンはちょっと止まった。立っている騎士を見上げ、目が合って『気配あります?』と尋ねたら、彼は首を横に振る。そう、感じないのだ。自分だけではないのが分かり、少しホッとする。
来ないな、来ないですねと呟き交わして海を見る二人は、気配も感じない。が、そちらではなくて。
『イーアンか』
「あ。こっち」
『私は遠い島に。話は何か』
祠の石像の目が輝き、イーアンは海を見ていた顔を戻して、『このまま聞いて頂けたら』と頼んだ。シャンガマックは、石像の目から相手がこちらを見ているのか分からないので、イーアンの横に並んでしゃがみ込み、『すまないが、俺もあなたに訊きたいことが』と割り込む。
『お前は誰か』 「俺は」
「彼は私の仲間です。私が先にお伝えして、それから彼が話します」
割り込みシャンガマックに話が流れると、また後手に回る。順番大事なのでそう言うと、石像は了解し、話して良いと促した。
イーアンが『ティエメンカダと話した』内容。
石像を通しているため反応は分からないが、『精霊の域に在って、精霊では動けない範囲も可能な、アティットピンリーのこれまでに、ティエメンカダはとても満足していた』と教えると、石像の輝く目が何度か瞬いて、イーアンもシャンガマックも微笑む。
重要な役割、治癒場のことも伝える。アティットピンリーは、治癒場の在り処を理解していそうだったが、『人間を運ぶのは自分か』と確認して聞き直し、これにてイーアンの短い報告は完了。
続いてシャンガマックに変わり、シャンガマックはこれまた意外な話を出した。
彼がしたい質問を聞かなかったイーアンも、何を話すかと思いきや。確かにそれはそうだな、と頷く。
「デオプソロに名を与えたと聞いたのだが。あの空間に、あなたはどうやって入ったのだろう。それを教えて頂くことは出来るか。理由は、俺が民を守る助けを増やしたいからだ」
民を守る助けを増やすことと、あの空間に混合種の精霊が入ったことの接点は、シャンガマックの理由に含まれなかったが、イーアンはその半端な感じにやや疑問を持ったものの、アティットピンリーは騎士の目的が分かっているように、すんなり答えた。
『ウィハニの女として呼ばれた時――― 』
アティットピンリーの思考なのかヴィジョンなのか。現時点、石像を通して会話しているのと同じで、どこに居ても、相手の場所が見え、それに応じていると言った。
そしてこれは、昔から自分に与えられた役目の一つで、あの空間に関わる場合は、いつも『話すように』と促されるが、それが誰かは知らない・・・これが、返答。
シャンガマックはしつこくせず、アティットピンリーに『話を聞かせて下さって有難う』と礼を伝え、この話は終わった。
実際、精霊相手にあれはどうして・これはどうやってと訊いて、あっさり答えが貰えるものでもないと思っていただけに、抵抗なく聞けてシャンガマックも有難かった。
アティットピンリーとの会話は済み、石像の目の輝きが引いた後、二人はまたサンキーの家に戻る。のだが。
お読み頂き有難うございます。




