2664. 清めの水 ~互いの立場と思う範囲・恩恵の時間
『特別な水で清める』―――
ハッとするドルドレン。遅れて気づいたルオロフ。そうだった!と目を見開いたシャンガマック。
「そうよ!それがあるじゃないの!何で早く言わないのっ」
思ったことが同時に口を衝くミレイオが叫び、ティヤー人は凝視する。
なんのこと?の視線が行き交う彼らに、ミレイオはタンクラッドが勿体ぶるのを無視して『あるわよ、きれいになる手段!』と教えた。
「私も、フォラヴでもいないと無理かと思ったんだけど。あの子なら土を浄化するからって。シュンディーンはどうか悩んだけど!でも、ノクワボの水があるじゃないの!全く、あんたったら!方法があるなら、さっさと言いなさいよ!」
早口で捲し立て、一人騒がしいミレイオのおかげで(?)『土を浄化する術あり』と知った農家さんは、戸惑いがちに甥っ子と局長を見る。太い眉を寄せた局長は『なんの水だって?』とミレイオに確認。
「こいつが持ってるのよ」
こいつ、と指差されたタンクラッドは、その指に手を乗せて下げさせ、睨んだミレイオに鬱陶しそうな目を向けながら『ノクワボじゃないが、精霊の範囲でな』と、そこを強調。強調により、皆も親方が言い出さなかった理由に気づく。
「アリータックは変化を受け入れたばかりだが、他はまだ『龍が絶対』だと思って、俺は遠慮したんだ」
タンクラッドが真っ先に思い付いたのは、実はダルナの力だったが、彼らは様々な能力があるため適しているか分からないし、やはり『龍以外』の存在を了承できるか、そこで引っかかった。ダルナの次は精霊の水が過ったが、懸念の点は同じ。
「精霊の、水。それがあれば、土は戻るのか」
「保証はないにせよ、やってみて損はないだろう。これまで何度も、清められた水や土を見てきた。あれもじゃないか?おい、局長(※誰にでも)。この前イーアンが、グーシーミ―前の川で使った、と話していたが(※2618話参照)」
グーシーミ―の地名で、局長も理解。ゆっくり頷いて『あれか』と、だみ声に神妙さを帯びた。
「川が、下流まで丸ごと」
「澄んだ、って話だが。俺は見ていないんでな」
口端を少し吊り上げる親方に、局長は『やってみろ』とシーワーヤンガポーンを振り返った。
*****
ということで、タンクラッドは船へ戻り、他の者は農家さん宅に上がってお茶をもらいながら待つ。
「ミレイオが、川をきれいにしたこともあったから(※1622話参照)。俺はミレイオならどうか、と思ったのだ」
お茶を飲みながら、ひそっとドルドレンが呟く。灰色の瞳をちらっと見て、ミレイオは『規模ってものがあるでしょ』と小さく首を横に振った。
「私は一部的よ。ホーミットなら対応するかもだけど、あいつも大雑把だし。サブパメントゥは細かい指定に向かないわ」
だからフォラヴかシュンディーンと思ったの、とお茶のお代わりをしたミレイオは、お代わりと一緒にシーワーヤンガポーンのお漬物を受け取って『これ美味しいわ』と笑顔で伝える。おじさんも笑顔で『ヨライデの人には、しょっ辛いかと思ったけど』と返す。ミレイオ=ヨライデ人前提。それはさておき。
「ウィハニの女の祠があってね。こんなことがあったから勿論、祈ったんだけど。無難な範囲まで戻るかどうかなんて、ウィハニも相談されても困るよね」
「それは、『普段は祈ると返答がある』と聞こえるが」
おじさんの溜息に、ドルドレンがすぐ尋ねると、おじさんは『いつもではないけど』と、返答を受け取る時もあると話した。皆はそれが、先日の混合種のことだと分かり、黙って頷く。局長はじっと聞いていて、甥の局員と視線を交わし、何か言いたげな甥っ子に軽く顎をしゃくって促した。
「あの、伯父さん。連絡は来てると思うけど、ウィハニの女が実は精霊だったって」
「ああそれ。うん、聞いたよ、そうなんだな。龍でも精霊でも、救いの手を差し伸べてくれるのは有難いよ」
「そうだね」
意外にもおじさんは、あっさり受け入れている様子。タンクラッドが水を取りに行く前に、『抵抗があるか』と訊かれたおじさんが首を横に一振りしたのは、本当に抵抗なかったと伝わる。
『叔母さんたちはどう思ってるのかな?』と奥さんや他の親族が見えないので、甥がそれも口にすると、シーワーヤンガポーンが家の奥に首を向け『今はいないけど、皆も私と同じ』と答えた。
ご家族は、麦の畑へ出ているらしい。おじさんは来客があるから、今日はこちらに残っている。麦とサーンを作る農家さんだったのを思い出した皆は、それでお留守・・・と理解し、このおじさんの家族なら同じように受け入れていそうな気がした。
「誰が助けてくれたとしても、有難い。ただ」
シーワーヤンガポーンが、お茶の容器を両手で包み、揺れる茶を見つめて呟く。
「自分たちで出来ないところだけ、助けてもらえたら充分なんだ。今まで・・・ウィハニ、精霊だっけ?は、『粘れる限りやってみろ』と背中を押す、そんな守り方でね。ウィハニが対処してくれて目途がついたら、後は自分たちでやるんだ。
抵抗はないけれど、今日、精霊の水で丸ごと回復してもらうと、何となく後ろめたさがね。いや、事実助かるんだよ、でも」
歯切れ悪く言い澱み、おじさんは困ったように口を閉じた。局長も甥の局員も、その気持ちは理解できる。
ドルドレンたちは、ウィハニの女=混合種が水から出ないと聞いたので、対応の範囲かもと察し、それが適度な『人間の地力を促す』結果に至った気がした。
良い関係を維持していたのかと思わなくもないが、今後は『頼らない人たち』に、『人間以外の種族の力にも条件がある』等、理解の広がりをそっと願う。
「だけど」
徐に口を開いたのは、褐色の騎士。皆の視線は彼に集まる。
「龍に限らず精霊や妖精も、力の範囲はあって、人間が望む範囲を叶えるのは、感覚や視点の異なる彼らにもやりにくい」
「その意味は?」
合いの手をすかさず入れたのはロゼールで、シャンガマックが何を言わんとするか察した。漆黒の瞳が澄んだ光をはねる。
「人間の遠慮や望みの制限に、彼らが力を調整するのは、手伝おうとする側に、違う要求を加えているとも思う」
イザタハと分かれた帰り道、シャンガマックとロゼールが『大きな力を持つ種族のやり方』を理解した、あの感じを伝える。
別種族には、何てこともない手段。助けの手を貸してもらうなら、彼らのやり方でやってもらうのが、本当の理解ではないのかと、シャンガマックは静かに話した。
「遠慮や、人間の主張があるとしても」
否定ではなく諭しだが、否定に感じるかなと思いながらの意見。でも、精霊の水を使うにあたり、人間側の都合で力の及ぶ範囲まで指定など出来ない。
そこまで言おうとしたが、意外な人の口から続きが流れた。
「そうかもな。水相手に、どの程度までなんて注文しない。要は、こっちの気持ちを理解してくれって頼むだけで、あっちの立場に理解はしてないって話だろ?」
言いにくかった中心を代わりに伝えたハクラマン・タニーラニに、皆は少なからず驚いたが、局長から話したことで、農家は真っ直ぐ受け止めた。
そうは考えなかったね、と呟くおじさん。局長は多くを喋らず、お茶を飲む。
お茶とお漬物を齧り、少し話したところで、タンクラッドが戻った気配を感じ、ドルドレンが表に出る。表に行くと、タンクラッドが誰かに腕を上げて挨拶したところで、彼は振り向いて微笑んだ。
「持ってきたぞ。歩くと時間が掛かるから、帰りはトゥに乗せてもらった」
トゥはその場で消えるため、騒ぎにはならない。親方は、片手に持った小さい瓶をドルドレンに傾け、『奇跡の時間だ、勇者』と冗談めかして彼に渡した。ドルドレンは少し考える。
「タンクラッドが使って見せた方が良いのだ。提案したのだから」
「こういう場面は勇者だ、ドルドレン。海賊の歌に良い印象が刻まれるぞ」
「なんだか持ち上げてもらって」
ハハハと笑う、男二人。目立っておけよと笑う親方に背中を叩かれ、ドルドレンも『世話される勇者も考えものだ』と引き受ける。
「それより、どうだ。大丈夫そうか?精霊の・・・って言ってもな。正確には、この水をくれた相手が精霊とは別の存在で、何と呼ぶかも分らんが。とにかく龍じゃない相手の力を借りる。それについて」
「今し方、その話題だった。シーワーヤンガポーンは気にしていない。彼の家族も気にしていなさそうだ」
彼の家族は麦畑へ・・・と総長が伝えていると、家の中から皆も出てきて話はここまで。
局長、局員、被害者のおじさんが見つめるのは、ドルドレンの手にある瓶。古風な瓶で、ティヤーの装飾とは異なる。じっと見ていると、ドルドレンはおじさんに近づき『始める』と静かに開始を告げた。
「どうやりますか?移動しながら水を掛けるなら、牛を」
「いや。ここから」
微笑んだ総長に、おじさんはちらっと裏の壊滅状態を目にし、この広さで?と疑わしそう。タンクラッドが横に来て『勇者の成す奇跡は、精霊の導きかもな』と、刷り込み文句。ドルドレンはちょっと笑って、瓶の栓を抜いた。
ミレイオ、オーリン、ルオロフたちも少し離れて見守る。クフムも目を凝らし、ロゼールはシャンガマックに『どうなると思う?』と小声で尋ねて、ニコッの返事をもらった(※笑顔だけ)。
「勇者?」
おじさんが聞き返し、局長は『勇者なんだ、彼は』と答える。
微笑を崩さないドルドレンの目が真っ直ぐ荒れた土地を見渡すと、彼は瓶を持った片腕を伸ばし、畦畔に立ったそこから瓶口を下に傾けた。
日差しを受けて、煌めきが落ちる一秒。ドルドレンは『精霊と、古き温もりの存在に願う』と祈りを声にした。細い水の螺旋が、腐敗臭上げる土に落ちる。
音も聞こえないほどの微量が土に染みるや、染み込んだ一点から、さーっと土の色が波打つように変化して遠くまで渡る。目を丸くするシーワーヤンガポーン。局長も若干、口が開く。局員は口がぱかっと開いた。
異臭は掻き消え、見て分かるほど変色した土は、馴染ある黒茶の瑞々しい色に戻り、日差しに熱された耕された土独特の匂いが満ちる。
「あ・・・こんなことが」
おじさんの声が途切れ、ドルドレンは振り向いてしっかり微笑んだ。おじさんの見開く目が、背の高い外国人を見上げる。
「勇者さん」
「俺ではないのだ。昔、この国の民を常に守ろうとした精霊たち、そしてまた別の聖なる存在が与えた水である。俺は瓶を傾けただけ」
「精霊と、聖なる存在」
繰り返すのが精いっぱい。驚きに圧倒されて、おじさんは甥っ子を振り返る。甥っ子も笑みが浮かんで頷き、おじさんの背中に手を当てて『戻ったじゃないか』と上ずる声で喜んだ。
太い両腕を組んだ局長が『これがティヤーに在った時代を、改めて考える』と呟き、皆は彼の呟きに、この一週間ほどで起きた様々な出来事から、彼の考えが変わったことを知った。
シーワーヤンガポーンは驚きながらも、興奮は少なく、目をかっぴらいているくらい。でも彼は驚き過ぎて、言葉もままならないだけ。
ゆっくり、壊れていた土に足を踏み出し、あっという間に清められた柔らかな土を踏んで、大きく安堵の息を吐いた。歩いた感触が違う。踏みしめて鼻腔に上がる、土の匂いが違う。
一歩ごとに味わうような深呼吸を伴う歩みで、彼は数歩進んで屈み、土を両手で掬う。皆はそれを見守る。
「豊かな土だ」
ごくっと唾を呑んだ彼は、両手で濡れた土を包み、鼻に近づけ、目を閉じて感謝する。そしてこれで終わっていないことに気づいた。少し沈んだ足元の土に、生き生きした緑の葉が見え、まさかと手を伸ばす。
「苗?苗まで!」
ビックリした声を上げて、シーワーヤンガポーンは左右を急いで見回し、盛り上がった土の隙間に苗が見え隠れしている状態を知る。ハハッと笑い声が漏れる。
「おじさん、苗って」
背中に声を掛けられ、振り向いて『苗が生きている!』とおじさんは笑った。その目元が濡れていて、甥っ子は総長たちに顔を向けた。
「有難うございます」
これを言うのが最初だったと思い出して頭を下げると、総長が彼の肩に手を置いて『俺に礼を言うのは違う』と頭を上げさせた。
「もし、もし良かったら。同じ魔物にやられた他の土も、戻せませんか。その、持ち主が望めばの話ですが」
そこだけだな、とタンクラッドが口を挟み、ドルドレンも頷く。おじさんは黒土の中で、一心不乱に土を被った苗を出している。その姿を見つめ、局長は『彼の感想を聞かせたら、他の農家も同じように望むだろう』と言った。
この後、おじさんは手を休める。疲れたからではなく、懸命に苗を助けようと頑張っていたら、やっている側から、苗が自力で葉先を持ち上げるのを見て、やめた。
驚く連続の最終は、埋もれた苗が全て頑張って立ち上がるまで続き、もこもこの土に元気な苗が立ち並ぶ形で完了する。薄っすらだが、苗の根元には水が上がっており、土は水気も戻していた。
幾ら『俺ではない』と言ったところで、おじさんは勇者の手を握って何度も何度も礼を言い、剣職人の手も両手で握って『本当に助かった』と、最初に手段を教えてくれたことを感謝した。
彼の土まみれの両手でしっかり握られた二人は、笑いながら『何より』とそればかり繰り返した。
水はどう張るかと、ミレイオが少し気にして聞くと、『もう少しで雨が降るから』と笑顔で答える。ここまで戻ってくれたらそれだけでと感激し、家族が昼に帰ってきたら驚くと喜びっ放しだった。
お読み頂き有難うございます。




