2663. クフムの勉強・サーン農家の魔物被害
☆前回までの流れ
イーアンが、大精霊に様々な話を聞いて、地霊やアティットインリーのことでお願いしていた午前。旅の仲間も、ピンレーレー島を出港。列島の南端アピャーランシザー島へ、おコメ栽培の農家を訪ねます。
今回はそのちょっと手前、船の甲板から始まります。
※7000文字近くあるので、お時間のある時にどうぞ・・・
アネィヨーハンを連れた巡視船が、ピンレーレー南端アピャーランシザー島東方面へ誘導する間。
甲板で、思わぬ発言―― 『海賊の言葉を勉強』 ――がクフムから出て、シャンガマックとロゼールは固まった。クフムは、僧侶だったのに。
そこに引っ掛かった二人を交互に見たクフムも、彼らが思うところ察し『変ですよね』と頭を掻く。
「海賊の言葉に、関心があったのか?」
シャンガマックがちょっと引き出すように訊いて、僧侶は首を傾けた。
「言葉とは関係ないことが、きっかけかも知れないです」
「何かあったんだね」
さっとロゼールが促す。促さないと、クフムは尻切れトンボで口を閉じてしまいそう。シャンガマックも興味を持ち『ピンレーレーでか?』と繋いでみたが、『いえ、そうではなく』の返事に続いたきっかけは、全く違うことだった。
「オーリン?」
クフムの呟きを繰り返した褐色の騎士は、離れた船縁でミレイオたちと話す弓職人を振り向く。クフムもオーリンを見て『あの人がきっかけかなと思います』遠慮がちに、心に置いた気持ちを話した。
「オーリンは、ずっと私を気にかけてくれたと思います。最初から、今もです。私の変化に付き合ってくれたと言うか。
オーリンが実際に何を考えてそうしているか、本人から説明はないですが、少なくとも私には、彼がいつでも気にかけてくれた印象でした。
この前から・・・私が船を下りた後、手に職がある方が良いと、私に仕事を教えようとしてくれます。
私は有難くお願いしましたが、彼が職人業を教えてくれるとしても、現実には一緒にいる間に学びきることは不可能だと、私も彼も分かっています。
でも彼は、きっと取っ掛かりを用意してくれているような。『手仕事訓練所で、仕事をもらえるくらいにはなれ』と、言いました」
「あ、もしかして」
手仕事訓練所と聞いて、ロゼールはピンときた。クフムも頷く。
「だとしたら、手仕事訓練所は海賊の社会に入ることになります。
私は元僧侶だし、黙っていてもいつ誰からそれが漏れて、嫌われるか分かりません。でも、そんなことは小さいもので・・・私が海賊の言葉が分かるようになれば、少しは仕事に留めてもらえる可能性もあるんじゃないかと思いました」
オーリンは海賊社会に入った後の、クフムのこと・・・言葉などまでは考えていなかっただろうと、シャンガマックは思う。でもクフムは、オーリンの思いやりに胸を揺さぶられて真剣に考え、この結論へ続いたのか。
「せっかく・・・オーリンがそう言ってくれたのだから、私のような『罪人』への思いやりを、どうやったら大事に出来るかと考えて・・・少しでも長く、手仕事訓練所にいられるように努力をと」
自ら『罪人』と呼んだことに、騎士二人は反応。仲間に加わった頃から周囲に言われ続けて、それで卑下している訳ではない。クフムは自分をそう認めたのだと、素直な流れに胸打たれる。
「えらいよ!」
えらい、と叫んだロゼールがクフムの両肩を掴む。ぎょっとするクフムに、ロゼールのそばかすの笑顔が覗き込み『えらいじゃないか!クフム』と感動を伝える。
「船を下りて別々になったら、オーリンと再会する可能性すら低いのに。それでもクフムは、離れた後も思いやりを大事にしたいと考えたんだね。それで言葉を勉強したのか」
「そ、そうです」
勢いにたじろぐクフムに、シャンガマックも笑って『ロゼール、驚いてるから』と、肩を掴む両手を浮かさせた。
「そうなのか。しかし、よくこの短期間でそこまで」
感心するシャンガマックに、クフムは青い目をちょっと向けて恥ずかしそうに頷く。
「元から少し・・・海賊の使う言葉に興味はあったと思います。ティヤーに久々来たばかりの時は、ちっとも気にしませんでしたが、行く先々で気になりだして。少しずつ、書き留めるようにしていました。
この前、サッツァークワンの歌を聴いた後、ティヤー語訳を海運局長が話してくれて、それで一度にいろいろと聞けたから、これまで記録していた意味も、より深く分かりました」
へぇ、と騎士二人は、心から感心する。・・・クフムは、得意な分野を喋り出すと、止まらない癖があるので、嬉しさも手伝って(※感心された)もうちょっと勉強具合を話す。
「ティヤーの古語は知っていたんです。神殿の言葉は、古語を用いるのが多くて。それと、古語自体は神話の中で、ある神様から貰うんですよね。神様とは言うけれど、最近の情報から考えると、精霊たちかも知れないんですが。
神様の教えが『古語』で、初期のティヤーは海賊も神殿も関係ない時代だったと思いますから、その古語を話したというから、派生は一緒と、私は」
「ちょっと待て」
勢いで喋るクフムを、今度は褐色の騎士が止める。ピタッと止まったクフムの瞬きに、シャンガマックは『その話は初めて聞いた。もっと知りたい』と真面目に頼む。クフム、絶好調の心境。
「はい。でもそんなに、長い話ではないんですよね」
「長短は別に良いんだ。ええと、そうだな。もう港に着くから、また後で時間が出来たら、俺に教えてくれないか」
古い言語でも何でも、シャンガマックは龍の指輪さえあれば解読するし、会話もできる。でも発端の話となると、これはまた別のこと。
これは『確認』の機会だ、と感じた―――
*****
言語に長けたシャンガマックに頼まれて、クフムは断る気なんかなかった。はい、としっかり頷く。総長たちが騒がしくなったのをちらっと見たロゼールが、『俺たちもあっちに行こう』と促し、三人は皆の集まる前へ歩く。
「じゃあさ、他の島の名前も、もう意味が分かるの?」
並んで歩くロゼールが、ふと思ったことを聞くと、クフムは『ピンレーレーは』とすぐ教える。
「『五色の海』です」
「え?色なんだ」
「色ですね、合っているはずです」
「アリータックは?」
「『二色の影』かと」
「本当?!あ、それなら人の名前もそうか?チェットウィーラニーって、おじさんがいてさ」
「チェットウィーラニー・・・は、『茜色の日』かな?『日』は、時間の限定はなく、漠然とした『ある日』とか」
「うわー・・・すごいね。あっさり答えちゃうんだ」
へー!と驚き満面の笑みのロゼールに、クフムもはにかみっ放し。シャンガマックも笑顔が固まる。そんなにすぐ、理解してしまうものか?と、やや意外な印象も生まれた。海賊の言葉にほとんど接することすらなく生きてきて、いきなりこれほど覚えられるだろうか。
笑顔の固まり具合が見るからに不自然なシャンガマックに気づき、クフムは何だか怪しまれていそうな予感がした(※正)。
「古語派生の設定で解釈すると、前後の変化も同じなんです」
「古語か」
コツはそこ、と教えてもらい、褐色の騎士はますます古語と神話に興味が募る。
イイ感じに盛り上がった(?)ところで、『港だ』とタンクラッドに手招きされたので、三人も皆の後ろから船首の方を見た。
青々とした一帯が目に飛び込む。場所は海近くではなく、港と人里の向こうに広がる風景。平たいから眺めが利く。周囲に小山、ポコポコある程度の平坦な地形の島だった。
「あれが、サーンか?」
タンクラッドは、青々一帯を見つめて『畑ではないな』と目を細める。隙間がキラキラ光って、日差しが水に反射をしているらしい。
「水の中で育てるのかしら」
ミレイオも親方の横に並んで目を凝らし、『水に浸かっても腐らない植物なのね』と不思議そう。
「結構な量の水じゃないの?局長は、苗がどうとか言ってたけどさ。あれが苗なら、水浸しで育てるって感じだ」
初めて見たオーリンも首傾げつつ、イーアンがいたら聞けたのにと呟いた。そのイーアンはまだまだ・・・(※お話し中) ドルドレンも職人たちの飛び交う疑問を聞きつつ、この風景を彼女に見せてやりたかったと目に焼き付ける。精霊相手では、そう簡単に帰ってこれない。
船は誘導に従い、港沿いの少し遠い一画で停止を伝えられて、そこで止まる。
「桟橋からこっちへ入ってくれ。アネィヨーハンは、ここから先だと腹を擦る」
斜め前の巡視船から、ハクラマン・タニーラニが大声で伝え、タンクラッドが了解の腕を上げる。トゥはここで船を止め、大きな崖の影になる桟橋先に皆は下りた。
黒い船をつけた端っこから歩き、小さい港まで軽く3分。阻むものはないから見えているだけに、意外と距離がある感じ。他の巡視船は待機らしく、局長ともう一人、局員が同行して農家へ向かう。
「歩きでも行けますけれど、荷車もありますよ」
馬車、ではなく、荷車。選択肢で初・荷車の一言に、皆はそう言った局員に視線を向ける。局員はこの島出身者で、親戚が農家さん。本日は局員の親戚のお宅へ行くと、たった今知った。
そして港から出る通り付近に、荷車が並んでいるのを指差され『あれで』と普通に言われた。荷車は本当に荷車で、四輪に台が乗り、轅が地面についている。その近くに牛がふらふら。
「牛なのね」
ぼそっと呟いたミレイオに、局員は『貸牛なんですが、知り合いだから無料です』と教えてくれた。
ということで。所変われば。牛さんを轅に繋ぎ、荷車二つを出す。
牛さんは力持ちらしく、大人が10人乗ったところで屁でもないと・・・なのだが、窮屈なのは良くないからと、一行は二手に分かれ、御者に局員と局長が乗った。
局長が牛の御者、というのもなかなか見ないが、ハクラマン・タニーラニは、こういうの気にしない人。いかついデカいおっさんが、ゆっくり歩く牛の手綱を取って、のどかな風景を進む荷車。
人が普通に歩いても変わらない速度だが(※牛歩の歩み)、ゴロゴロと土の道を牛の引く荷車に揺られるのも風情あって新鮮な時間。
「ルオロフは、こんなの初体験だな」
局員が手綱を取る荷車に乗ったのは、職人組とルオロフ。ちょっと揶揄い気味にオーリンが聞くと、赤毛の貴族は涼しい笑顔で返した(※当然)。
「いやね、オーリンたら。あんただって私たちだって、牛の引く移動は初めてじゃないのよ。意地悪なんだから」
ふっと鼻で笑ったミレイオに、ルオロフはにっこり笑う。オーリンも苦笑して『機会はなかったね』と認めた。
ティヤーに着いてから度々、農村風景に牛と荷車は見ているが、試乗に至る時はなし。いい体験だと、ゆったり周囲を眺めて、親方は微笑む。
前の荷車には、騎士とクフム。総長は局長とこれから行く農家の話しをしながら、クフムはシャンガマック・ロゼールと『さっきの話(※海賊言葉)』をひそひそ会話していた。
魔物が出ないので・・・穏やか長閑そのものの、晴れた午前。のんびり進んで20分。農家さん宅へ続く道に入り、荷台の牛車は広い庭に停まる。
ここでちょっとだけ、皆はのんびり気分が途絶えた。農家の裏手は手前と道端近くの苗や水の風景と違い、広範囲で掘り返された土くれ。その土は風に嫌な臭いを乗せ、色もどこか汚かった。
「これは」
荷台を下りた親方が呟くと、局員が振り向いて『魔物が出て』と短い理由を告げる。総長も側に来て、来る道で局長から話を聞いたらしく『倒しても状況が悪い』と添え、局員の男性も詳しく話す。
「土の下から出て来たんですよね。苗を植えたばかりで、ご覧の通り半分はやられました」
収入も大きく減る、と局員は仕方なさそうに、荒らされたままの畑を見た。
ちなみに魔物は動物的な形で、この農家裏に出たのは五体ほど。近隣でも数頭が一度に出たようで、時間は夕暮れ。
島回りの警備隊が帰る前だったから、すぐ呼び、倒してもらえたことで被害はこの地区止まりだった。
「大きくはないんですが、すごい臭い。それと松明が嫌いなのか、松明を向けると頭を下にすると分かって、剣で切りました。あの、ほら。これです、魔物製の剣」
受け取ったばかりで使わせてもらいましたと、腰の剣を指差す局員は、警備隊ではなく海運局なのだけど、親戚に会いに来ていた休日の出来事。
「強くもないし、光に弱い。それに私たちは魔物製の剣もあったので、そこまで苦戦はしなかったんですけれど、倒した後が。いや、出てきた時はもうダメになっていたのか」
倒した魔物はその場で崩れて、土に滲み込んで消えた。しかし魔物がいた時点で、土はやられたかもしれず、それ以降は臭いが取れないし、土も色が汚れた。
局員は魔物を倒した際に、その体液や土を踏んでいると思うが、それに関しては怪我もないようで、他に戦った者たちも、汚染した土の影響がないのは共通。
「でもね。ここを耕作する気になれない」
庭先で話し込んでいた来客に、後ろから強い訛りの共通語が掛かる。
振り向くと、農家の人が家から出てきたところで、皆は彼に挨拶した。彼は局員の親の兄弟で、『シーワーヤンガポーン』と名乗った。
さっとクフムを見た、シャンガマックとロゼール。クフムは二人の視線に小声で『黄緑色の、入江?』と応じ、シャンガマックもそうかなと思ったので頷く。ロゼールは楽しそうに微笑んだ。さて、この三人はともかく。
外国人の客を連れた甥っ子と局長にも、シーワーヤンガポーンは挨拶し、まずは作物案内から開始。
外国人を招くのは滅多にないと、少し笑った日焼けの皺多い横顔は寂しさが滲む。これがサーンの苗ですよ、植えたのは先週で、収穫は半年後で、と流れを教えてくれるが、一つ話すごとに黙る。
「本当は。苗を植えてから穂が出来るまで、とてもきれいな風景が見れます。サーンの苗は青緑でツヤがあって真っ直ぐだから、育つ苗が風に揺れるだけで、緑の海みたいなんですよ。豊かな緑が、朝日や夕日の柔らかい光によく映えてね。
この島の名前、局長か誰かに聞きましたか?アピャーランシザーは、『青い夕方』の意味で、こうね、太陽が水平線に半分入ったくらいの時間が、一番美しくて」
青い夕暮れ、青い夕方。現地の人の説明に、想像する風景とその名前。
こんな被害の状況でなければ、ロゼールもシャンガマックも、勿論クフムも先ほどの話題を思って、『当たった』と笑みを交わしただろうけれど。とてもそんな心境ではない。
「この広さで、収穫はどれくらいあるのですか」
無事な苗を見渡したルオロフが収穫量を尋ねると、シーワーヤンガポーンは赤毛の外国人を見て、『今年は、家族と親戚分』と力なく笑った。
悪い事を聞いたと途惑ったルオロフだが、おじさんは『例年なら島外に出荷できるくらいはあったかな』と付け加える。配慮が足りなかったことを続けて謝った若者に、シーワーヤンガポーンは『魔物の年だから』と気にしないよう言ってくれたけれど・・・やはり表情は沈んでいた。
「今年はね。魔物と思って諦めもするよ。困るのは、今年以降も減少する可能性だ。やられた裏の分、土を丸ごと入れ替えるなんて、土台無理な話で。でもあの臭いと変な色の土が、こっちにも滲み込まないとも限らないしさ」
深刻な問題。皆も、甥の局員も、かける言葉がない――― のだけど。
ちらっとドルドレンが、ミレイオを見る。ミレイオは眉根を寄せて、小さく首を横に振る。そのミレイオは、総長から褐色の騎士に視線を移す。視線を受け止めたシャンガマックが、黒目をきゅっと丸くして目をぱちくり。
え、俺が?の無言の質問に、総長が小刻みに頷き・・・シャンガマックは、ここで魔法を使うのだろうかと(※要請あり)、裏に広がる荒れた土を見た。
手前の苗が植わっている土は、水が張られている。サーンは苗の時期に沢山水を張って、乾かないように育てるらしい。もうすぐ雨の時期で、雨が降るようになると、水やりの手間がないから豪雨でも歓迎する。
ただ、その時期が来たら、現時点で壊された土の中から何が染み出すか。それが苗の成長にどう影響するか。そして『来年も』となったら、農家は廃業する。
今すぐ打てる手段として、臭く汚れた土が入ってはいけないと、農家さんたちは畦畔を作ったそうだが、やられた土がそのままである以上、土中からの影響も懸念して止まない。
「虫が来ないんだよ」
おじさんは、頭に巻いた布をちょっと浮かせて、額を掻く。魔物が出た土は腐敗臭が漂うのに、虫一匹寄り付かない。その意味を考えるだけで怖くなる、と呟いた。
「土は、見た目も臭いもおかしいが、触ってしまっても病気になる、などはないんですよ。だけど自然は正直でしょう?虫も来ない土で育った植物が、人の口に入ったら・・・どうなるか」
ふーっと長い溜息を吐いて、沈んだ場に苦笑したシーワーヤンガポーンは、肩をポンと叩いた甥っ子に微笑み、『昨年のサーンと麦は無事だから、皆さんに』と言った。
ドルドレンは気の毒でならない。愛妻はおコメを求めていたが、この状況で欲しいとは絶対言えない。
さすがにルオロフも、船上の目論見は崩れる。この人からサーンを巻き上げるなんて(※買うんだけど)人のすることではない!と思った。
報告で知っていただけの局長も同じ。ここまでとは考えなかったので、『売ってくれ』も、『龍が欲しがっている(※これが目的)』も言えず、言葉に詰まる。
そして、シャンガマックが精霊の魔法を使うか、少し考えた時。
「ふむ。もし、だがな。もし、あんたが気にしないなら。特別な水で清めるって方法も、ないではないな」
ここまで無言だった背の高い剣職人が、組んだ腕の片手を顎に添え、悠長にそう言った。
お読み頂き有難うございます。




