2656. サネーティの模様地図 ~③始祖の龍の鱗・難関の東治癒場・孤島の僧院『岩祀り』・嫌悪の知恵
待つこと20分。獅子はじりじりしながら、まだか遅いぞ倒れたのか大丈夫かと(※他色々)ぶつぶつ言いながら、もう待てないぞと、息子に呼びかけた。
『おい。バニザット』
『あ。もう、上がるよ』
獅子はピタッと止まる。よいしょと、目の前の穴から頭を出した笑顔の息子に、うん、と頷いた(※怒らないで良かったと思う瞬間)。すぐに気づいたのは、彼の片手の違和感。ハッとして、染みついた癖で後ずさった。
ザッと、後ろ脚を引いた獅子の凝視に、穴を出たシャンガマックはきょとんとしてから、彼の視線を追って理解する。
「あ!そうか。これだな?これは」
「龍か」
「ヨーマイテスはすぐ分かるんだね。うん、祭壇にあった。多分・・・ 」
言いかけて、鱗を見せながら、シャンガマックは獅子の反応に任せる。獅子の碧の瞳が惧れを浮かべたのを見逃さなかった。ヨーマイテスが本能でこんな目つきをするとは。少なからず驚く。
食い入るように一枚の鱗を見つめる獅子が、『龍でも最大だ』と呟き、息子と視線を重ねる。
「お前はこれが、誰のものか気づいたのか」
「そうだろう、と」
「俺も同じだ。イーアンに渡せ」
「え?イーアンに?ああ・・・まぁ、そうか。そうだよね」
思わぬ指示に面食らった騎士は、少し残念そうに鱗を見た。こんな素晴らしい宝物を手放すのかと、手に入れたばかりで寂しく感じたが、獅子は彼の心を読み『イーアンだ』と重い声で繰り返す。
「お前が持つ理由がない。龍の骨で作られた遺物ならまだしも。これは龍そのものだ。しかも相手が」
「わかったよ。それ以上言わなくても理解している」
少し気まずそうに遮り、シャンガマックは獅子から目を逸らして、鱗を腰袋に入れた。魅了されたと感じ取れる態度に、ヨーマイテスはいつものやきもちはない。相手が始祖の龍では、強さを求める息子に、剣以上の強烈な印象。無理もないと理解を示す。
この世界に現れた存在で、史上最高最強を今も貫く始祖の龍。
三代目イーアンが瞬く間にその座に近くなったが、まだ追いつかない。力と能力だけでは、あの至高の位には上がれない。
ヨーマイテスは、サブパメントゥを半分叩き潰した稀代の龍を、本能で恐れる。イーアンも強さだけなら凄まじいが、本能的な畏怖には届かないのが、圧倒的な存在の違い。
息子は、たった一枚の過去の鱗から、その畏怖に惹き込まれたんだろう―――
手放したくないのは分かるが、鱗にとって、バニザットは経由でしかない。獅子は金の鍵で場所を封じ、背中に乗るよう促して、騎士は無言で指示に従う。
「機嫌を損ねたな」
「いや・・・違う。ごめん」
「行くぞ。治癒場の内部の説明をしてくれ」
「うん」
短く、業務的に。獅子は息子に、治癒場について報告を頼み、午後の影が重なる、濃い黒に滑り込む。
サブパメントゥを通過している間、息子が見た印象と解釈を聞き続け、獅子は大まかに『今後の流れ』を予想した。
*****
次の治癒場は、ティヤーの東。
先ほどの場所が南部の治癒場で、こちらは東部・・・と言いたいところだが北に近い。
「地図で見ると、斜め上」
「方角なんてどうでもいいんだろ。離れているのが条件みたいなもんだ」
獅子の背から見回す風景は、また雰囲気がガラッと変わって、シャンガマックは異空間に不思議を思う。
「ティヤーだからか。移動しても気温がそう変わらないだろうけど、一応、北東部なんだね」
「いや、バニザット。そうじゃない。『あいつら』の居場所だからだ」
息子の言いたいことが分かる獅子は、到着した地点の春めいた温かさは、古代民族の成すところと教え、シャンガマックは『それもそうだ』と頷く。
「どうも俺は、すぐ忘れがちで」
「そんなことはない。慣れた、ってだけだ」
獅子の背を下りる許可をもらい、シャンガマックは地面に立つ。自分たちを囲むように並ぶ、明るい黄白色の石材は、丈が1mほど、横幅がその倍。奥行きも1mくらいで、長方形の石。
どう切り出したのか、きれいな角度で切り口も滑らか。そして、自分の服と同じ模様が、浮き彫りで表面を覆う。
石材は、並んではいるものの、特に建築物を想起させず、言ってみれば『特別な敷地』を意識させる程度で、何かしらの跡地でもなさそうだし、整った形に組まれている訳でもなかった。
島なのだろうが、先の島より全然大きい。石材の並ぶ草地の周囲は、低木の群生。木々は一律3m。小さな白い花をつけていて、その木々のずっと先は、青い山々の稜線が浮かぶ。山脈ほどの高さはないだろうが、遠くに見える連山は視界の半分を埋め、振り返った背後の遠方には、雲がたなびく。
「島、だよね?」
ぼそっと確認するシャンガマック。息子がしげしげ状況観察しているのを黙っていた獅子は、『島っちゃ、島だ』と軽く返事。目が合って首を傾げ、『側に海があるとは限らない島もある』と教えると、息子は、ぼうっとした感じで頷いた。
「高い位置か」
「はっきりしているのは、誰もが来れる場所じゃないってことだ」
またそんな場所を・・・と困った顔で呟く騎士を歩かせ、獅子は勘の向く方へ進み出す。騎士は獅子の横につき、二人は口数少なく夕方前の穏やかな草地を歩いて、5分。
「バニザット」
「そうだね」
「お前、この前ロゼールに」
「自己紹介するか」
景色が変わらない事に気づき、獅子は息子へ託す。頷いたシャンガマックが足を止めたそこで、名と用件を大声で名乗った。広い場所なのに、木霊が何回も返る・・・獅子は彼に鼻先を少し押し当て、『俺のことも伝えて良い』と許可したので、ヨーマイテスの名と種族も足す。
だが、風景は変わる気配もない。振り返ると背後はあの石材群があり、門前払いを感じる。
「これは・・・どうしようね、ヨーマイテス」
「お前の服があってもか。地図と位置は、ここで正しいはずだ。俺は」
俺は、と言いかけて獅子は黙る。何かなと続きを待ったが、獅子は口を噤んだのでシャンガマックは無理に聞かなかった。
獅子の碧の瞳はちらちらと左右を見ており、何やら確認している模様。辺りの空気が少し淀んで熱を帯び、そよいでいた温かな風は水分を含み、重く変わった。
着いた時は日差しも気にならなかったけれど、ほんの数分過ぎた今は、夕方と分かる斜陽が照らし、空を行く鮮烈な色の雲は、天気の急変を告げる鮮やかな赤に染まる。
獅子の肉球は、地面から上がる熱を感じる。シャンガマックも『少し気温が高くなった』と感じていたが、単に夕方の天気が変わっていると捉えた。そして、シャンガマックが聞いた次の指示は『帰るぞ』の一言。
「へ?」
「帰ると言ったんだ。乗れ」
「あ、ちょっ」
「乗れ、バニザット」
獅子は強引に息子の袖を引っ張り、シャンガマックは訳も分からずに獅子の背に跨るが、『どうした?』と尋ねても獅子は答えず、すぐ後ろの石材の並びへ行くと、一度後ろを振り向いてから濃い影に沈んだ。
呆気ないサブパメントゥの帰り道。シャンガマックも無理には聞けないけれど、獅子の様子は明らかに何かを知った状態で、早く答えを教えてほしかった。
サブパメントゥを無言で走り抜けた獅子は、ふっと次の明るみに出る。そこは切り立つ黒い岩の上で、淡い夕方の始まりの空の下、海上に影を落とす、最後の目的『岩祀り』の上。
「東の治癒場は、厄介だな」
岩の上で呟いた獅子の言葉は続きがなく、シャンガマックはイザタハがあの日、言わずにいた事情を想像するしか出来なかった。
*****
でも。こちらはあっさり、問題なく―――
タンクラッドとロゼールが入ったという亀裂は、ヨーマイテスが来たことですっきり開いて、雲泥の差。通路が広いねと、幅に感心する褐色の騎士は、聞いていた話と違うなと思った(※父はサブパメントゥ)。
そして、さっさとあの部屋に到着。ストレスフリーな入場で、シャンガマックは気持ちを入れ替えて早速、読みたかったメ―ウィックの書物を手に取った。
「机に置け。一緒に読んでやる」
「うん」
獅子と騎士は、夕方の廃墟で気持ちも和やかに過ごす。東の治癒場は何があったのか―― シャンガマックは気になるものの、獅子がそのうち教えてくれるだろうと、今は目の前の古い知恵の書を読み漁った。
しかし、読めば読むほど、この系統の面白さに深入りするのは、毎度にしても。
「俺が読んで、良かったのか」
複雑な気持ちを抱えて、褐色の騎士は唾を飲んだ。知りすぎている、その境界線を踏んでいないか。もう跨いでいるのだろうかと、書物の壊れそうなページから指を離す。獅子は彼の呟きに、ちょっと視線を向け、目が合うと首を横に振った。
「ダメなら俺が止めている」
「うん。そう、そうか」
「バニザット。確かにな、メ―ウィックが書き残したこれらは、お前が案じている内容だ。エサイがさっき、迂闊に口走ったあいつらの世界の物質・・・何かの名称だと思うが、そうしたものに近い」
獅子の静かな口調に、ふーと息を吐くシャンガマックは頷く。動かない石の椅子の、硬い背凭れに背を預け、『イーアンが読んだ方が良いかな』と獅子を見る。
「あいつも、知りたがるだろう。そしてあいつは知ることを許されているから、それでいい。ただ、お前もここに俺といる時点で、これくらいなら知っても良いんだ」
「どこが境目なのか、分からないと不安で」
拘束が解けている訳じゃないし、と騎士は暗い天井を見上げる。
ヨーマイテスの青白い火の玉と、どこからか差し込む細い光が、宙に浮く小さな埃をきらめかせる。人を遠ざける廃墟の僧院は、途方もない知恵の保管庫―――
タンクラッドさんは読んだ。ロゼールも彼に大まかな内容を聞いたそうだが、記憶に残る部分は、よほど印象的な箇所だけだろう。
だが、俺は。ヨーマイテスと読むために、先に読んだ彼らより多くを深く理解する。
イーアンは異世界から転移したし、エサイも同じ世界から来たような話で、この二人なら知恵を知っても問題ないだろうけれど。
漆黒の目の視線は、古い記録に戻る。ディアンタ僧院の本・・・イーアンが教えてくれた、多くの戦法に用いた知識。最初こそ、知りたくて好奇心が先立ったが。
アイエラダハッドの閉ざされた町の最後。
ティヤーの火薬と武器を見てから、気が変わった。
書物には、人を助けたり癒す知識よりも、攻撃と危険が詰まっている。
―――メ―ウィックの僧院時代に行われた、実験。
彼は手を付けなかったようだけど、当時、僧院では積極的に取り組んでいた(※1844話参照)。民間の役に立つ薬などより、一歩間違えば、大惨事につながりそうな内容だらけとは―――
「バニザット」
獅子は黙りこくった息子が、開いたままのページをじっと見つめる困惑の横顔に話しかける。騎士は大きく息を吐いて、そっと手を本の横に添えると、静かに書を閉じた。
「もっと。人々の薬や生活のためになる知恵なら、俺も読みたいと思う。だがここにあるのは、破壊と危険をちらつかせる。神殿や修道院のえぐさを思い出してしまう」
「・・・無理しなくて良いがな。何でも、使い方一つ・使う奴によるもんだろ。お前の魔法だって攻撃だ」
そうだけどと、シャンガマックは返事をして、獅子を見た。『俺は、ここまで知らなくてもいいか、と』呟く声は、気分が悪そうで、獅子も彼に強要する気はないため、引き上げるかと促す。
・・・息子は、この知恵に興味を示すことで、神殿の連中と同類になるような錯覚を覚えたのかもしれない。
修道院の地下の武器を潰し回った際、宿に戻った息子が衣服を叩いたことを思う。彼は、『汚れたようで嫌だ』と嫌悪していた(※2463話参照)。
メ―ウィックの書物の内容が、世界の深淵に触れるものだったなら、貪るように知りたがっただろうが・・・ 椅子を立った彼の横顔には、好奇心が失せ、険しい表情が浮かぶ。
真面目な息子は、使い方次第ではあれ『卑劣な知恵』と認識した以上、触れたくもないように見える。
部屋を出て、通路を歩く間。獅子は、女龍をここへ連れてくると言った。シャンガマックは、ヨーマイテスが積極的に、イーアンを連れる発言を聞いて少し意外だったが、反対ではないので頷く。
「イーアンならね。知っていることばかりだろうし。親しんだ知識の使い方も」
「お前の話やドルドレンの話だと、イーアンが来たばかりの時、あいつの知識で魔物にやられる死者が出なくなったんだよな」
「え。あ。うん・・・そうだ」
急に話を変えられて、シャンガマックは戸惑う。獅子は前を見たまま続ける。
「ズィーリーもそうだった。と言ってもな。俺じゃなくて、老魔導士がそう話していたのを覚えてる。ズィーリーもイーアンも、持ち込みの知恵を使うのは慎重だ。人間を救うために使うが、魔物を壊せる知恵だ」
「それは、俺に言ってるのか」
ムカッ、とはしないけれど。シャンガマックは面白くなさそうに、獅子に直接聞く。獅子は目を合わせず、歩調を緩めず、『知恵も魔法も同じだ』と言った。
「分かってるよ。でも俺が知らなくたって、問題はないと思うけれど」
「俺が言ってるのは、そこじゃない。そこじゃないんだ、バニザット」
「ヨーマイテスは余計な事を教えようとしない。だから、俺が知っても良い範囲と、判断してくれたのは有難いけれど」
「バニザット」
止めたり、促したり、忘れろと言ったり、知るように言ったり、だろ? 分からなくなる・・・シャンガマックが溜息を吐くと、獅子は彼の肩に少し頭を擦り付けて、目を合わせる。
「魔法が使えない時に、大地の魔法使いが仕組みの知識を知っているのは、心強いはずだ」
「・・・ここにあったメ―ウィックの記録が、そうだと?エサイの失言は違っても?」
「エサイの失言は、膨大な別世界の一部だ。それ一つの詳細を知るためだけに、俺たちが思いもよらない山のような知恵を聞く羽目になるだろう。それは間違えている。
メ―ウィックの今回の記録は、せいぜい、この世界止まりの段階。
そして、お前と俺が潰した、残存の知恵の基礎ばかりだった。利己的に使っては咎められるが、阻止のため、仕組みを辿る知識にはなる」
「む。う、そうだね」
話を終えた獅子は、丁度出た場所で息子に背中を示し、彼を乗せる。ヨーマイテスが何を言いたかったのか、理解したシャンガマックは考え込む。
獅子は彼が考える沈黙を邪魔せず、帰り道についた。
*****
同じ頃――― 火口に飛び込んだ女龍は。
「今。何時でしょうか」
『夜だろう』
それはいつの夜?と目で問う、不安そうな女龍に、大きな水色の精霊が笑った。
ここは水中で、イーアンの前には、大精霊ティエメンカダ―――
お読み頂き有難うございます。




