265. 工房の中で
工房に入ったイーアンは、腰袋とナイフのベルトを外して、壁に掛ける。5分もしないうちにドルドレンが来て、イーアンを抱き締めた。イーアンも抱き締め返す。
「お帰り」 「ただいま帰りました」
「聞いた。ダビに」 「え」
ドルドレンはイーアンの顔を見下ろして、うん、と頷く。その顔に怒りや皺はない。ふーっと溜め息をつく二人。ベッドに腰掛けて、時計を見ると11時前半だった。
「昼食まで、少し話せるか」
イーアンもそうしたいと思うと答えた。ドルドレンはイーアンの肩を抱き寄せる。頭にキスをして、ダビの話をそのまま、聞いたまま、で伝えた。
「何よ。何も知らないのに。いきなりそんなこと」
「イーアン。彼もイーアンを自分なりに見守ってるつもりなんだろう」
「だって。確かに私はあの方にはナデナデされますけど、別にそれ以上何されるわけでもないし、本当に多分、純粋な人なんでしょうからと思って、むやみに失礼にならないよう、必死に考えて対処を」
「分かるよ。イーアンはいつもそうだ。トゥートリクスに抱きつかれて泣かれたら、抱き返して慰めるし、親父にもそれをしたし。ハイルにくっ付かれても、普通に笑って避けるし。炎で焼けるシャンガマックを盾になって守る人だし。何だっけ、親父の妻の人にもイーアンは優しかっただろう?
誰にだって、イーアンは冷たくしないのだ。相手を一生懸命理解して、悪く取らないようにと自分が工夫する。その、ナデナデもきっと、早急に対処を考慮しているところなんだろう。それは分かる」
ドルドレンの理解に、ぺとっと寄りかかるイーアン。『心配させて、本当にごめんなさい』それは悪いと思っています、とイーアンは謝る。でもダビにあんな言い方されてつい、と呟く。
「怒ったってことは、私が図星なのかしら。そんな気はないのに」
「うむ。違うだろうな。頑張ってるし、そう見えたら困ると意識してる分、本当にそうして見られたと思ったら怒ってしまっただけだろう。俺を引き合いに出したのは、ダビにしては姑息のような気もするが」
「ダビは、あなたの前で見せれるのか、という感じです。そりゃイヤですよ。私が逆でもイヤだと思いますもの。だから早く何とかしないと、と思ってるのです。
でもタンクラッド、多分平気で、誰の前でも普通に撫でます。言い換えれば、それだけ自然体なんだと思います。それだけご自身の動きが変じゃないと思ってるはずです。
だけど・・・今後も彼の工房を頼るわけですし。皆が皆、理解してくれるわけではないのは、私だって分かりますから、出来るだけ他の人の目から見ても誤解がないように、またタンクラッドにも嫌な思いをさせないで対処しようと。今、それを考えて・・・・・ それなのに」
ドルドレンはイーアンを抱き締める。抱き締めて、言葉を探しながら、イーアンを撫でて頭にちゅーーーーーっとキスをする。ちゅーで浄化だな、と思いつつ。もう一回ちゅーーーーーっとしておく。
――彼女は本当に何と言うか。まぁ、触られるのはダメなんだけど。でも男だけじゃないからな、とも思う。イーアンは、誰にでも触られたり抱き締められたりする(※モイラ・叔母さん・ボジェナ・パパワイフ)。
ハイルが風呂にいた時だって、叫ばなかったんだ。緊急事態でも、どうにか相手の立場を考えようとするところがある。咄嗟なら怒ったりしてもいいのに、と思うが、イーアンの性格上出来ないのだろう・・・・・
ダビが奇妙な・・・人間的発言をするほうが、気になる今回。なんだったのだろうか。ダビもイケメン職人に妬いたのか。いや、あの男が妬くとは思えない。
イケメン職人が今後もがっちり関わると知った、俺が凹むのはまだしも。ハイルがイーアンの髪を編んだ時だって、気にしなかったし、フォラヴが愛の詩を(ウザイ)ヘロヘロ謳いあげてる時だって、我関せず。クローハルがくっ付いてきたって、無視。それがなぜ今更、イケメン職人がちょっと撫でたくらいで(※少し麻痺してきてる反応に気がつかない)怒るんだろう。
ドルドレンの腕に抱き締められているイーアンは、ちょっと落ち着いたらしく、ドルドレンにキスをして昼食へ行こうと言った。ドルドレンも頷いて、二人は広間で一緒に食事をした。その後は、ドルドレンが言うには、特に今日まではすることがないからということで、二人は工房の中にいた。
ドルドレンは定位置のベッドに、新しく借りてきた本を持って座る。イーアンは地下から、幾らかの目玉を持ってきて、状態を確認してからナイフで分解する。
何も言わないで少し離れたベッドの上から、それを凝視するドルドレン。なにやらぶつぶつ言いつつ、愛妻(※未婚)が目玉を割って紙に記録しているのを、本を読む振りをしてただ見守った。
時折、目玉の中身を目打ち(←工具)で持ち上げては、光に晒したりつまんだりしているが、それは見ないようにした(※さっき食べたものが出る恐れ大)。
「そういえば。タンクラッドさんが話してくれたディアンタの話があります」
イーアンは、目玉をもう一つ手にしながら、タンクラッドの話した、僧院の手記のことをドルドレンにも伝える。話しながら、目玉をナイフでさくさく切り、彼が手記による情報を、いろいろ知っていそうであることを説明した。
変に透けた平たい板を取り出して、周囲に付いている、ぶるぶるしたものを指で摘みながら『シャンガマックの星にも関心が』と言い、ぶるぶるを、めちょっと剥がした。
「本棚の板の話をした時は、この人は『謎解き感覚』があると思いました。あの人は何か、勘が良いのかもしれませんね」
剥がしたぶるぶるを、ぺっ、と机の上に指を振って落とし、切り分けた目玉の中に指を突っ込む。人差し指をくるっと中で回して、目玉の中の何かを掬い取るイーアン。
「そういえばナイフも。私のこのナイフの刻まれた模様を見て、彼は『そこに書いてある話を読んだか』と訊ねました。私は何のことか分からず、そうしたら彼は手記を持ってきてくれたのです」
「ナイフに話が?その言い方だと、彼は模様を既に文字として読めていることになる」
気持ち悪い作業を見ないようにしつつ、ドルドレンはイーアンの目だけを集中して見つめる。イーアンは目玉の中身が付いた指を付けないように、手の甲で前髪を払う。
「私もそう思いました。でも彼はそれ以上、何もナイフに触れません。だから今度訊いてみます」
何だかかなりの情報量のような、そんな気がしますと、イーアンは目玉相手に、ぐちょぐちょ音を立てながら答えた。ドルドレンはその後も、イーアンのぐちょぐちょ効果音に耐えながら、貴重な話を聞かせてもらった。
イーアンは何かを見つけたらしく、目玉を次々に取り出してきては、ひたすら目玉をさくさく切って、何かを取り出してぶるぶるをつまみ、中身に指を突っ込んでは、ぐりぐりと手を回してグチョグチョを出していた。
その頃。ダビは自分の倉庫 ――ダビ工房―― の中で、昼も過ぎて浅いのに酒を飲んでいた。
何となく。飲みたくなっただけ。別に休みみたいなものだしと思いながら、小さな容器に一杯分だけ入れて、それをちびちび飲みながら資料を読んでいた。ほとんど資料の中身は頭に入っていなかった。
イーアンを怒らせたことが、自分でも嫌だった。何で彼女にあんなに詰め寄ったのか。資料をばさっと机に置いて、窓の外を見る。イーアンの工房は角度的に見えない。
「許してくれるのかな」
龍に乗って楽しいだけだった行きの道。親父さんの工房で感動した環境。ボジェナさんとの会話で、直に剣が作れると知った嬉しさ。親父さんが了承してくれた、今後に大きく関わる展開。
「そこまでは良かったんだろうな」
でも、いや。手前でも、一つ気になったことがあった。どうして、イーアンは。俺が工房を持ったら、良い工房主になるなんて、ボジェナさんに言ったんだろう。側にいてはいけないように聞こえた一言。
「工房開けって言われたら、絶対嬉しいんだけど。職人に転職しろって言われても・・・嬉しいな」
じゃなんで嫌だと思ったのか。それが分からない。自分だって、工房を持って、死ぬまで剣とか作って暮らせたら最高だと思ってるのに。何で『イーアンがそれを言った』と聞いたら嫌だったのか。
「ま。でもそれは小さいことだけど。タンクラッドさんはな。小さいことって・・・・・ それはない」
タンクラッドを見て、かなり圧倒された。朝後ろから声をかけられて、イーアンしかいないような雰囲気で話しかけて、横にいる自分が何でもないみたいに感じた。
挨拶した時の握手。でかい手で硬い皮膚で、力強い金属の職人そのものの年季の入った手に、羨ましいような何だか。
「あの人。総長レベルの顔だしな。背もでかいし。強そうだ」
身長は総長と同じくらい。体つきも職人じゃないみたいな鍛え上げた身体と分かる。顔がまた、何だよって思うくらいカッコイイ。男が見ても総長はカッコイイ。その総長とまたちょっと違うカッコ良さ。
「いるんだよな。ああいう人。何でも持ってる感じの人」
あんなの出てきたら、勝ち目ないだろうと思う。
帰りがけ。イーアンはいつも通りに丁寧に話して微笑んで、触られても撫でられても、何となく好かれているような発言を聞いても、普通にしていた。それを見て、急に腹が立った。
「普通にしてたら受け入れてるみたいだって、分からないわけないだろうに」
これまでの相手と違うだろ、とダビは酒を一口飲んだ。
総長がどこでもバカ可愛がりして、人目も気にしないで付きまとうのは別にどうでもいい。それは多分、総長とイーアンが大事にし合ってるのだから、それはいいやって感じなんだろうと思う。
でも、総長があんまりにもイーアンにしがみついていたり、頭にちゅーちゅーしてるのは、見るのに苦しいから全力で無視する。
そこに加えて、タンクラッドさんまで。仕事で、出先でまで、そんなの繰り返すって。
「見てる方の身にもなってほしい」
ダビは、イーアンの頭の中身を理解しているのが自分だけ、それを信じている。彼女が戦闘を面白く変えた。彼女のほしがるものが分かるのが楽しい。そこに誰かが入り込むのは良いけれど。
「俺の場所がなくなったら困る」
総長と一緒にいる分には、北西の支部から動かないはず。結婚したって、総長が騎士を辞めるわけないから北西にいるだろうと思う。するとイーアンもいる。これは別に良い。
だけど、鎧工房と剣工房が絡んでくると、そっちに話を振りに行く方が、製品を作るなら確実だし、試作もかなり上級になる。ましてタンクラッドさんが入ってきたら。あんな剣を仕上げるような腕の職人が、あんなカッコイイ男で、自分の入る場所なんか。
「ないよな」
容器の底の方にある少ない酒を飲み切って、ダビは溜め息をついた。
演習以外、イーアンから呼ばれるまでは、自分の工房に籠もろうと思った。下手に顔を合わせるとまた、変なことを言いそうで。
別に妬いてるわけではないし、そう思われたら違うんだ、ダビは思う。そうじゃなくて、上手く言えないけれど、自分がいる場所がなくなりそうな気がした。
ボジェナは剣工房に来てほしそうだった。親父さんもそんな話をしていた。若い人が入ってほしいと。その話をイーアンにしたかった。でも言う前に、帰りがけに見たタンクラッドさんの態度にイラついたせいで、この話をしそびれた。
自分が、剣工房の職人になる機会が来たのかと思うと嬉しい。でも。何かが手放しで喜べない。魔物を武器に変える楽しさがないからか。そんな無謀を現実にする面白さがないからか。
ダビは自分の気持ちが分からないまま。その日を過ごした。
お読み頂き有難うございます。
 




