2649. 『死んでいない』可能性・メ―ウィックの面影・混合種の打ち明け、女龍とトワォの夕方
「なんて言われた?」
空中で落としかけて慌てた魔導士は、一先ず小屋の前に下ろしてから、ラファルに振り返った。ラファルも少し驚いたらしく『落ちかけた気がする』と呟いたが、頭を掻いて『よくわからない』と質問に答える。
「よく分からないって言うが。さっき」
「ん、まぁな。あれが全部みたいな具合だ」
「待て待て。自己昇華するな。俺に話しておけ。部屋に入れ」
「あ。いや、ちょっと表に居たい。ダメか?」
「ここでもいい。なんか食うか」
話さなくなりそうな雰囲気で、魔導士は会話が途切れないように気遣う。部屋に入らないでぼんやりしたい様子のラファルに合わせ、入り口の扉脇に立ち、まずは飲み物と食べ物を出す(※空間から)。
ほら、と乳製品を包んだ主食を一つ渡し、軽い酒を出して、本日の労いとする。ラファルは受け取って礼を言い、橙色と金色の雲が流れる空に目を向けて、一口齧る。魔導士も酒に口を付けて『で?』と、落ち着いて、急かす。
「祠の相手は、何でサブパメントゥの話なんか知っているか、分からんが」
まずはそこが懸念。万が一でも、サブパメントゥ残党側にラファルの情報が流れてはまずい。
最初に聞いた感じではその雰囲気がなかったし、その夜リリューも何も言わなかった。
今日初めて接近したと言えなくもないが、魔導士的には祠越し=間接的で分かり難い相手。『ウィハニの女=女龍』の祠にサブパメントゥがいるわけないので、大丈夫だろうとは思っているが、三度目の旅路は予想外も多い。
ラファルは、食べ物の包み紙を半分剥いて、また齧り、片手をちょっと振った。
「精霊みたいだよ。素性に直接触れてないが、そう思う。それでサブパメントゥも知っているんだろう」
「精霊。自ら言っていなくても、お前はそう思ったのか」
「ああ、まぁ。何となくな。俺も詳しくないけれど、俺の周りは、こっちの世界来てから、人間じゃないのが多いから」
言われて魔導士は、それもそうかと思い直す(※自分も含む)。それでなんて言ってたんだと聞くと、ラファルが少し黙って海を見つめた。その横顔は、期待を消したそうに感じる。
「俺が安定する状態。サブパメントゥの水と言っていた気がするが。水か海か。それを使えば、俺は殻の状態が終わるような言い方だったな」
「お前が・・・『死んでいない』から?死んでいない、と相手は言ったんだろ?」
サブパメントゥの水やら海やらは、後で聞くにして、最重要な部分を魔導士はすかさず出す。ラファルの視線が手元の食べ物の残りに注がれ、小さく頷いて『そう言ったな』と呟いた。
メ―ウィックの横顔に、中に入っているラファルの表情が滲む。
メ―ウィックはおよそ『無気力・無関心・無表情』から縁遠かった。
いつも不敵な笑みを浮かべ、冗談ぽい目つきを向け、よく笑い、明るく、挑戦心旺盛で、怖いもの知らずそのもの。
生きている時間への執着が半端じゃない。何が何でも満喫し、何が何でも自分らしく生きようとした。『そうじゃなきゃ、面白くないだろ』よく聞いた、あいつの口癖を思い出す。どれほど危険でも、常に笑みが口端から離れない男だった。
その男の見掛けを纏ったラファルは真逆で・・・生の全てに期待をせず、全てをすぐに受け入れる。それが己の消滅を突きつけ、暴力的な強引さであっても。そうか、と呟いて煙草を吸うだけ。
生前のメ―ウィックが絶対にしなかった表情の影を、今、魔導士の目の前の男は、沈黙と共に見せていた。ラファルはラファルだが、メ―ウィックの執着としぶとさ、その針の先程度でも移ってくれたらと、余計なことを考えてしまう。
面影がない豪胆な男の姿で、ラファルは煙を力なく吐き出し、灰を落とす。
「俺は死んでいるも同然と、あんたにも言われていたし、要は、死んでるってことだと思っていたが。その手前にいる、とさ。寸止めの理由まで分からないが、俺が危なっかしい状態を防げる方法はあるみたいでね」
「サブパメントゥの、伝言を開ける鍵になったお前が、それを回避する。そう言ってるのか」
「俺に訊かれても」
ハハッと力なく笑ったラファルは、『良かったら、煙草くれないか』と話を変えそうになり、魔導士は煙草をすぐに出して火をつけてやり、『言われたことを出来るだけ俺に教えておけ』と静かに命じた。
「あんたが凄むと迫力が」
「凄んでねぇよ。そんな目つきだったか?」
「いや、あんた。いつも鋭い目だ。悪かった」
「謝るな、気にしてない。ラファル、俺に教えてくれ。お前が錠前状態を逃れられるか知れない、究極の分かれ道だぞ」
「究極の、か。うん。有り得るな」
有り得るなと、合わせたように答えるラファルは、既に期待を手放している。咥えた煙草を吸って目を細め、夕日に白く揺蕩う煙を見つめると、あのな、と口の中で呟いた。魔導士は彼の言葉を待つ。
「一か八か、そんな感じだ。俺が安定する可能性と、崩壊する可能性もあるそうで。サブパメントゥの水・・・『水』にしておくな、海とかそんな表現もしていたが。それが、俺の意識や存在を、仮初じゃない体に固定するだろうと。俺は霊体じゃないし、かといって肉体持ちにしては曖昧だろ?で、存在はあると言えなくもないけれど、命がある体じゃない不安定なまま。
だが、祠の相手は『存在が揺れている』と言った。つまり、存在が死んでなければ『ある』として対処が増えるような、さ。
あるにはあるけれど、固定されていないままで、サブパメントゥの道具が・・・呪いって言うかな、入ってる状態。これを取るのは、呪った誰かが解く以外ないはずだが、俺が存在を固めることで」
「外せる」
話の流れから、膨大な知識が噛みあった魔導士は、合点がいく。目を見開いた魔導士に、ラファルは彼の漆黒の艶を見て頷いた。
「でも、その水は強烈っぽい。俺が『崩壊する可能性』も注意した」
崩壊を嫌がっているのではない、ラファル。
一度は『在るために引き起こす脅威』の自分に始末をつけようと、首を切り、こめかみを切り裂いた彼は(※2163話参照)、この期に及んで崩壊を怖れはしないが、崩壊した際、自分の抱えた危険が、思いもよらない悪影響を及ぼすことを想像していた。
実際に何が起こるか分からないにせよ、ラファルはこの世界に来てから現時点まで、無差別兵器以外の何ものでもない。
その自分が崩れた時、『煙草の火を消すくらいの大人しさと思えない』と彼は遠い目を空に向けて言った。
「何もなく、崩壊するならな。いいと思うが」
水平線に近づいていく夕日の楕円から、視線を動かさない男に、魔導士もすぐに口に出来ることはなかった。まだ保証もない展開を、彼に伝えたら残酷に思ったから。
―――確認してからだ。 黒い髭の口に煙草を咥えて、煙を緩く上らせる。
魔導士の嗄れ声は、もう少し何か食うかと彼に尋ね、ラファルは肩越し『中で食べるか』と微笑んだ。
*****
時間を少し巻き戻し、夕方近くのアリータック島の川辺では―――
手招きされて精霊について行ったイーアンは、川を少し遡ったところに落ち着いた。蛇行した先は両岸に岩陰があり、混合種は姿を見られない場所へ女龍を連れて行き、岩の隙間に座らせた。
浅い川で、イーアンは飛ぶよりも川に入ったまま歩いてそこへ辿り着き、びっちゃびちゃ。飛べば良かったかな~と思いつつ、岩と岩の合間に棚のように渡る平たいところに座り、水面から頭を出した精霊に、横に座るよう・・・ポンポンと隣を叩いた。ポンポン、のつもりだが、濡れているのでピチャピチャ。
精霊はじっと見ていて、『そこに私が』と言う。そうです、ともう一度、隣をピチャピチャするイーアン。
「座れますか?」
体を見ていないので大きいのかと、少し考えたイーアンに、精霊は首をゆっくり傾けると、片腕を伸ばし近くの岩を掴んだ。
ずる、ずる、と上がってくる精霊。その身体は・・・本当になんと表現するべきか。
人魚が近いが、人魚ではない。もっと龍に近い下半身で、上半身も人間の女性風の輪郭というだけで、深海のクラゲのよう。体の中を光が動いている。
ちょっと大変そうなので、イーアンが『抱きかかえて乗せることもできます』と援助を申し出ると、精霊は驚いたようにパッと見た。
「触れるでしょう?私はあなたに」
この近さで何ともないし、そもそも龍の派生なら問題ないこと。
戸惑っているのか、固まってしまった精霊に、イーアンはそーっと動いて両腕を龍に変える。真緑の目を丸くする精霊に『怖くありません』と先に言い、ゆっくりゆっくり精霊の左右に腕を伸ばした。
龍の腕を凝視する精霊は、イーアンが屈んで『腕を乗せて』と頼むとそれに従う。濡れた両腕が白い龍の手を掴み、イーアンはニコッと笑って精霊を持ち上げた。
しかし、体が長・・・その尾の長いこと!こんなあるの?!と驚く長さで、とても先っちょまでは水から出せないので、とりあえず腰だけ岩棚に乗せた。
「立派な身体です。お体の先はまだ水の中ですか?」
『うん』
うん、と返事をした精霊を真隣りに座らせ、イーアンはその美しい容姿に惚れ惚れした。確かに精霊っぽい自然的な色合いや鮮やかさ。だけど龍の鱗だ、と下半身に並ぶ艶のある菱形に思う。
「私の鱗と少し似ています。見ますか?」
腕も鱗はあるけれど。尻尾を出してみる。驚いても、びくっとはならない精霊で、大きな目が丸くなるだけ。フサフサの巻き毛が包む白い尾を、二人の間に滑り込ませ、イーアンは『ここのところ』と見えにくい毛をかき分けて、鱗を紹介。同じような生え方で、同じような形。
微量でも龍気のあるアティットピンリーは、触れることもできると分かり、イーアンは積極的に、『自分とあなたは、同じものを持っている』とアピールする。
少しでも精霊の悲しい気持ちを埋めたいと、イーアンが尻尾に触るよう促すと、精霊は尾を撫でて『毛が生えている』とそこが不思議そうだった。
自分と混合種の、共通点。龍の要素。
イーアンはこれを丁寧に繰り返す。自分の存在を不安定にしてきた精霊に、あなたがどこにいるかを伝えたかった。
ここも一緒、こんな風に出来るのも同じ。一緒ですよと何度も教えた。そして、イーアン自身も『サブパメントゥに近い龍』と呼ばれていることも話し、今は違う服だけれど、いつもはグィードの皮で作った服を着ている・・・そんな、雑談も入れる。
女龍が、自分を許さないのではと思っていた混合種の精霊に、この初対面の時間は理解しにくかったが、女龍の心は素直に伝わる。
懸命に、自分と距離を縮めようとしているのが分かるので、アティットピンリーも、今は何の話をするでもなく、女龍の行為を受け入れ続けた。
イーアンは更に刷り込むように、次は『トワォを紹介します』と指輪から呼び出す。
水に現れたトワォは両者を見て少し驚き、イーアンに紹介されてから、アティットピンリーにも『似ているのを他にも知っている』と言われ、三者で少し話が弾んだ。
トワォは、アティットピンリーと近い存在であること理解しているし、混合種の精霊に頭を撫でられるのも気にしない。
イーアンはこれまで接触の殆どなかった、こうした一場面に、新しい世界を垣間見た気がして興味深く思った。こうしている時間はとても大事に感じたし、精霊の雰囲気から硬さが取れたのも嬉しかった。
それから―― 混合種『ウィハニの女』とトワォも付けて、女龍は本題に入る。
「アティットピンリー・・・お名前、私は間違えて覚えていませんよね?」
『正しい。ンウィーサネーティが、私に名を付けた』
「そうでしたか。それは素晴らしい一歩です。アティットピンリー、そのサネーティですが」
イーアンは、今頃サネーティからあなたの話が出ていると教えてから、自分もそれを、近々、民に肯定すると伝えた。表情の動かない精霊は、何も言わずに聞く。
そして、『もしかすると、余計なお世話かもしれないが、あなたは精霊ティエメンカダが親で、龍の要素を持っているのは、遥か昔の友情の続きらしい』とも付け加えた。
「ご存じでしたか?」
『知らない。私の親。昔の情』
「そのようです。私も聞いた話ですが、とても真実に近く思いました。なぜなら、私は始祖の龍を知っています。始祖の龍なら、あなたの親であるティエメンカダと友情を育んだと知っても、何ら不思議はありません。きっと、とても良い友達関係であっただろうと想像します」
その関係が、始祖の龍の死によって終わった後、続く友情をティエメンカダが大切にした結晶こそ、あなたなのではと、イーアンは話した。
トワォの頭を撫でながら、アティットピンリーは女龍を見つめ、いろんなことを考える。互いの目を見つめ合って少し過ぎ、微笑んだ女龍に、アティットピンリーの大きな目は何度か瞬きした。
ウィハニの女代役の始まり。その理由・・・恐らくそう、と思われる高い可能性を伝えた女龍に、精霊は腑に落ちた。
「サネーティに、あなたが私に許されるかどうか心配していたと聞き、私は驚きました。出会い頭で私の叫びを聞いていたなら、それが真実だと分かって頂けたでしょう。
私はあなたに、感謝してもしきれません。そして今こそ、私ではなくあなたが『ウィハニの女』として通してきた、偉大な数々を認められるべきだと思っています。アティットピンリーの名で、です。あなたさえ良ければですが」
白い尾の先を、イーアンはちょっと上げる。それに合わせて、水かきの手も少し持ち上がる。くるくるした巻き毛を、精霊の濡れた手が絡ませ、透明の水かきに白い毛がペタッと付いた。
「あなたを、ティヤーに紹介したいです」
『うん』
「心配はあるかも知れません。でも大丈夫です。私もサネーティも、真実を伝説にするべきだと強く考えています。
それと・・・アティットピンリー。あなたがこれまで行ってきた多くの、民への手伝いや救いの業を、覚えているだけで良いですから、私に教えて頂けませんか。民に説明する時、私とあなたの別をはっきり示します。聞かれなければ言いませんが、もし聞かれた時に答えがあるように」
イーアンはこれを断られるかと思ったが、精霊は応じる。
女龍と自分と、龍の雫だけがいる空間で、夕空を映す川面の煌めきの中、思い出せることを話し始めた。
―――状況、対応、対処の結果。黒い龍の幻を蜃気楼にすることもあれば、海底や水中の問題を取り除くこともあった。女の体に似た上だけを波に紛れさせて、船や遭難者を導くこともある。
不漁は魚を集め、船の危機には守りながら陸まで持たせた。
室や祠で名を呼ばれ、祈りを捧げられたら、その者から見える様子と伝わる未来を教えた。望むことへ近くなる道を。
この、永く『ウィハニの女』を代行してきた混合種によって、見えなかった事実が顕わになり、新たな道が開ける。
話を聞いて知ったが、『祠や室』の、室とは遺跡のことだった。少しだけ話を止め、イーアンが室について確認すると、精霊は頷いた。
こんな形で知るとは思わなかった。デオプソロに名を与えたのは、アティットピンリーだった。
デオプソロに『他言するな』と命じたのは(※2580話参照)、本気で名を求めるのが龍か大精霊だろうと想定したようで、それを感じ取った時を、アティットピンリーは『自分の役目に変化が起こる目安』と考えていたらしかった。
他にも、広報の空間で流れを見守り、民に良かれと、助けの手を止めなかった。少なくとも、デオプソロやイソロピアモの動きは、悪ではないと判断されたのだ。そしてその時点で、他の精霊が加わっていないことも示している。
他の精霊が、身を潜めたり離れる中。
人間と付き合いを続けた、貴重な精霊の持つ情報は、山のようで―――
また、ポルトカリフティグが教えてくれたように、『死霊の背後に精霊(※原初の悪)がいる』以上、手が出せないので、死霊に殺される犠牲は助けていない。
最近、魔物が出始めてから、死霊による殺害に関与しなかったと打ち明けた精霊に、イーアンは『私が見つけたら私がそれを行う』と慰め、見ているしか出来ない時間も辛かっただろうと労った。
あたりが夕方の色に染まる時間、イーアンはサネーティを病院へ戻す約束なので、話を切り上げる。
精霊には『きっと近い内にサネーティから呼ばれる』と教え、呼ばれる時が、民にあなたを紹介する時かもと言った。精霊は人の前に姿を現すことに対し、これを受け入れた。




