2646. 海賊の呪術師、ピンレーレー上陸・『さだめ』の進路 ~ウィハニの女へ
サネーティの呪符。端革に描かれたそれを握りしめる救出された人々が、ピンレーレー島の病院で魔物に襲われた状況を、警備隊に伝えている頃。
タンクラッドとトゥも見回りから戻り、アネィヨーハンで待つ仲間に『魔物は出ていない』と周辺情報を教えた後。イーアンとドルドレンが揃って帰ってきたので、迎えた皆で、一斉に報告が行き来する中。
ザーン、と島の崖側に寄せた波が、小さな岩の一部に被り、波が引いたそこにサネーティの姿が残る。
「あのっ!すみません、ここではちょっと!」
ピンレーレー島の一部ではあろうが、人も建物もない、島の裏側。置いて行かれそうになったサネーティが慌てて大声を出すと、波から頭を出した精霊が頷く。
『お前の居場所を、人間に教える』
「私がここにいることを?迎えに来させる、という意味ですか?」
意外な段取りがありそうでサネーティが聞き返すと、精霊はまた頷いて『龍に会う時。祠で呼んでおくれ』と。あ、と思ったサネーティが口を開く前に、精霊は海中に消えた。
小岩の上で波をかぶりながら、待つこと三十分―――
どうしてわざわざ~(※小岩待機)・・・サネーティがずぶ濡れになるたびに顔を拭って、青空の下で暑い日差しを浴び続けていると、背後から波を分ける音がし、振り返って安堵した。
「こっちだ!ここだよ、ここ!うわっ」
小岩は辛うじて、一人分の面積。波に落とされないようしがみついていたサネーティは、救助の船を発見して岩に立ち、知らせようと叫んで手を振ったが、波に落とされかける。
「待ってろ~・・・・・ 」
落ちかけた遭難者を見て慌てたか、船からも声が返り、すぐに急いでやって来た。船は岩礁を避けるために側まで来て止まり、縁の小船が降ろされて小岩横で遭難者を乗せた。
「もしかして、ンウィーサネーティか!風貌を聞いていたが、そうだろ?」
「そうだ。九死に一生を得た」
「おお!これこそ、ンウィーサネーティだ!強運の持ち主よ!よくここまで辿り着いた。もう安心してくれ」
とにかく病院へ行こう、と救助に来た警備隊は彼を励まし、小船の舳先をくるーっと逆へ向け、待たせている救助の船へ彼を運ぶ。サネーティの意識は大丈夫そうでも、途切れないように彼らは話しかけてくれたが、サネーティ自身はドッと疲れが出て返事も難しく、頷くしか出来ず。そして、今度は小型船へ引き上げられた。
綱の輪を体に回してもらい、上に吊り上げてもらう。隊員は船体脇の梯子から。小船も、舳先と艫を綱で固定して持ち上げ、サネーティを助けに来た船は、無事に港へ戻った。
港までの間。『海に黒い龍の影が現れて、こっちへ来いと教えるように動いていた』だから船を出した、と警備隊に聞いた。警備隊は感動しており、『ウィハニの女が守ってくれた』『今、島に来ているから』と・・・イーアンのおかげで救われた話になっていた。
サネーティは、遭難者として国境警備隊附属病院に搬送される。歩けるが、どうしてか担架で運ばれ、救急室の寝台に寝かされた。
疲れているけれど体は無事だ、と何度も言っているのに、病院も警備隊も彼の意見を往なして、あれよあれよという間に、着替えやら体を拭く布やら、水の入った盥やらが部屋に運ばれ、サネーティは救急室の端っこで裸にならざるを得ず、風呂(※水)に入り、医者の質問と診療を受けた。
「大丈夫だよ。私は奇跡的に」
「分かっていますが、病院に運ばれた以上は。あの船の遭難者ですし」
「うーん・・・なぁ、他の人たちは?助かった人もいるだろう?」
「います。あなたを含めて乗員は72名、その内25名は行方不明ですが」
「25人も。そうか。47人は、じゃあ」
「はい。破損した船で傷を負った人もいるし、海水を大量に飲んでしまった人もいますが、とりあえずその人たちも生きています」
サネーティは盥の温い水に視線を落とし、医者の言った『とりあえず』の言葉を呟いた。救出されても、その後、生きられるかは別だなと思う。精霊が諭した、さだめを感じた。
塩水を落とし、体を拭い、用意された着替えに身を包むと、次はサネーティの部屋へ案内される。医者の診療はまた後であるらしく、今は個室で安静にするよう言われた。
歩ける主張のおかげで個室までは普通に歩いたが、廊下から見える扉を開け放した大部屋には、自分と船に乗っていた船員たちが何名もいるのを見た。彼らは大部屋収容か、と・・・自分が特別扱いされていることに、なぜか微妙な後ろめたさがある。今まで思ったことも、感じたこともないのに。
そう思う度、自分を助けてくれた精霊の諭し『さだめ』が、脳裏を掠めた。
窓が大きな個室には、寝台と小卓と椅子が二脚。簡素な作り付けの棚板が壁から出ているが、荷物も全て失くして身一つのサネーティは、何を置くこともない。扉を閉めてもらってすぐ、寝台に横になった。
こんな形でピンレーレー島に入るとはね―――
片腕を枕代わりに仰向けになったサネーティの目が、天井に描かれた海の絵を眺める。天井に、大きな黒い龍と角を持つ女、そして船と島と海と・・・自分を助けた精霊こそ、本当はここに描かれるべきだとぼんやり思う。
イーアンに会えて、人生最高の感動を受けたが。生きてウィハニの女に会えた、自分の運命を絶賛した。
陰ながら支え続けた精霊のことなど、露ほども知らず。
海賊は、『海神の女・ウィハニの女』に傾倒し、何世代過ぎたんだろう。
大きな涙を落とした精霊。その目を正面から見たサネーティの心が、ズキッと痛む。
「美しい精霊だ。龍のような尾鰭、鱗。髪は燦々と降り注ぐ太陽の光の粒。緑色の体は、島を吹き抜ける風の色。微笑みすら余計のように省いた、目元だけの表情は、なんて瑞々しく純粋で美しいか」
『アティットピンリー』と繰り返した彼女は、俺のつけた名前が嬉しかったのかな―――
「気に入ってくれると良いが」
ぼそっと呟いて、大きく息を吐き出す。開いた窓に掛かる淡い黄色の布は風に揺れ、外の木々を通る涼しい風が部屋に流れる。その含む香りに目を閉じ、サネーティはここに来た用事に意識を移した。
ウィンダルには、俺の乗った船が難破した情報が、もう届いただろう。そうすると、イーアンにも俺の状況は届くのか。イーアンに早く会って、あの精霊の話をしなければ。それから俺が取る行動は・・・ ここまで考えて、サネーティは閉じていた目を開けた。
「どうしようか」
今、九死に一生を得たから、ではなく。あの精霊に会ったから、考えを改める。
俺のさだめは、どうなっているのだろう。イーアンの側について、ウィンダルの代わりを務めるつもりだった。今世切っての海賊呪術師として力を振るい、アノーシクマへ戻ろうと考えていた。
だが、今はそれほど気持ちが動かない。
もしも『さだめ』なら、もしかすると俺の今後は、あの精霊のために―――
と思った矢先。ずかずかと廊下に響く大股の足音が聞こえ、ん?と頭を起こしたサネーティは、ノックもなく開けられた扉に驚いた。
「サネーティ!!」
「ウィンダル」
「お前の船だったのか!なんて丈夫な奴なんだ!無傷とは!」
開けるなり叫んだ赤毛の貴族は、無傷で健康そうな知人に困惑しながらも、寝台の側へ来て椅子を引くと、許可もなく腰掛けた。
「驚いたぞ。お前が搬送されたと、さっき聞いて。本当に無傷か?警備隊はお前が無事で怪我もな」
「ウィンダル、落ち着け。俺は一応、遭難者だ。静かにな」
赤毛をかき上げながら、滅多にない取り乱し方を見せた友達を宥め、呪術師は少し笑う。ハッとしたルオロフも、咳払いして視線を窓に動かす。
「私は落ち着いている。いつでもだ」
「そう見えないぜ。心配したか」
「人間として、当然な反応を持っているだけのことだ」
「お前は何かあると、『人間として』が口癖だな。久しぶりで懐かしい。まぁ・・・俺は見ての通りだ。問題ないよ」
口癖まで指摘された貴族は黙る。じろっと薄緑色の目で、寝台の患者を見て『荷物は』と、紛失している前提で尋ねたが、その質問が状況に合わないので、サネーティは笑った。
「あると思うか?命からがらだ。いや、笑ったらいけないな、不謹慎だ。イーアンは」
「まだ伝えていない。私が話さなくても、彼女たちの船はすぐそこ、連絡も行ったはずだ」
イーアンが戻っていることを知らないルオロフは、短く答えて濁す。サネーティもそんなことは気付かないので、そうなのかと窓の外に顔を向ける。
「イーアンだが」 「実はイーアンの」
二人は同時にその名を口にし、同時に黙る。目が合って、なんだ?と互いに聞く。
「お前から話せ」
「私は、うむ。そうだな、私が先に」
小さく溜息を吐いた赤毛の貴族は、先を促され、掻い摘んで現状を伝える。『サネーティの手助けが不要になった』と最初に口にするには、魔物に襲われ、遭難者になった相手に対し、酷く失礼だと分かっているが、まずは結論を先にした。
怒ると思ったサネーティは、意外にも冷静で『何かあったな』と続きへ流し、拍子抜けするものの、ルオロフは事情を説明した。
―――自分が船を一旦離れざる得なかった状態は、予想よりも早くに解消され、再発の懸念もない。そして誤解していると思うが、イーアンの機嫌を損ねたわけでもない。
「従って、私はアネィヨーハンにまた乗れることになった。お前に連絡したのは、暫くティヤーで独り行動になると思ったから。ティヤーに明るいお前に手伝ってもらえたらと考えたが、まさかこっちに来るとは思わなかった」
「・・・ま、そうか。お前は確かに『来い』とは、言わなかったような」
俺が勝手に出て来た、と言い直すサネーティに、ルオロフは怪訝。調子が狂うほどではないが、この反応はどうしたのかを不審にすら感じる。が、その説明は返事になった。
「遭難後、だな。俺も気が変わったから、丁度いいかもしれない。これも、さだめかな」
サネーティは独り言のように呟き、笑みを浮かべて少し鼻で笑った。それは自分を笑うみたいで、ルオロフは眉根を寄せ『さだめ?』と繰り返す。
「ウィンダル。さだめを知るのは、予測もつかないもんだな」
そう言うと、サネーティは天井の海の絵を見上げ、『さだめだ』と刷り込むように強調した。
*****
その後、サネーティの番で話した『イーアンについて』の内容に、ルオロフは少なからず驚かされた。
彼はイーアンの役に立とうと息巻いてやって来たものの、気が変わって別の仕事をしようと思うと言い出した。それはそれで・・・良かったと思えるルオロフだが、内容に『海を守る精霊の存在を広めたい』旨が驚きだった。
「精霊?」
「そう。精霊だ。龍じゃなくて」
「お前が。あんなにイーアンに入れ込んでしつこかった、お前が」
「だから何だ。今だって入れ込んでいるのは変わらない。気持ちは」
「もういい。それは言わなくても知っているが、精霊とはな。サネーティ、広めるってどうして」
「俺しか出来ないからだよ」
首に手をやって、ふふんと笑ったサネーティ。その首には、黒い龍の刺青が堂々と入っている。
生き延びて何かあったんだなとルオロフも見当をつけ、よく分からない展開ではあれ、自分に好都合は変わりないため、『それがお前のさだめか』と肯定しておいた。肯定された呪術師は満足そうに頷く。
「ということでな。ウィンダル。イーアンに知らせは行っていそうだが、お前からも彼女に伝えてほしい。
俺がイーアンに会いたがっているから、早く来てくれと」
「はー?」
精霊が~なんて言った側から、なんだお前は、と眉を寄せる貴族に、『早く!』とサネーティは笑って手をパタパタ振り、行けよと追い払う。
「別れの挨拶か?そう伝えておくぞ」
容態の確認に来ただけのルオロフなので、椅子を立ってここでお暇するが、肩越しにちょっと嫌味を投げた。サネーティの笑顔は崩れず、彼は頷いただけだった。
「ますます、おかしい。『別れの挨拶』の、嫌味が通じないなんて」
ルオロフは首を傾げながら廊下を進み、病院を出た足で・・・黒い船へ向かった。イーアンはまだ来ないだろうけれど、もう自分の状態に心配は無くなったから。
そうして、ルオロフがアネィヨーハンにお邪魔し、甲板に表れた銀色のダルナに伝えてもらって、タンクラッドが出てくるかと思いきや、イーアンが走って来て驚かされ、飛んで抱き着かれ、笑って抱き留めて―――
「おかえりなさい!」
ルオロフがぎゅっと抱き締めて、飛びついた女龍に満面の笑みを向けると、イーアンはパッと顔を上げた。
「あなたが、おかえりなさい、ですよ!ルオロフ!」
ぎゅうぎゅう抱き締める女龍に、ルオロフも嬉しくて抱き返しながら『只今戻りました』と・・・少しの間、サネーティを忘れて喜びに浸る。
イーアンは先ほど戻って来た時に、ルオロフが離れた理由も皆から聞いたので、それを相談しなきゃと一息ついて『あのですね』と切り出す。
「ルオロフ、サネーティのことを聞きました。彼は」
「あ、はい。私は今、彼に会って来ました。無事に病院で」
「え?」
ピタッと止まる二人。うん、と頷くルオロフ。目を瞬かせる女龍。昇降口からドルドレンも来て、抱き合っている男女を複雑に思いながら(※奥さん)、こちらと目が合った貴族に『よく戻った』とまずは挨拶。
イーアンが離れて、ドルドレンはルオロフに両腕を広げ、彼も笑顔で抱擁を受ける。横でイーアンが『サネーティが病院に居るようです』と伝えたので、ドルドレンも驚き、これをルオロフが話す。
「彼は無事、と。そうか・・・彼の遺体が見つからないと警備隊が話していたらしく、案じていたのだ」
「無傷ですよ。ピンピンしています」
このまま甲板でそそくさ互いの情報交換する。サネーティの無事から始まり、ルオロフが船に戻れること、イーアンの衣服が違う理由はさておきイーアンも無事、ドルドレンも戻って来て、他の仲間に関する報告はまた後で。
そしてルオロフは『イーアンと何か話したいようで』とサネーティが呼んだことを伝えた。
「行ってきなさい。俺も見舞いに行きたいものだが、彼は救助されたばかりで、いかに元気でも大勢が見舞いに行くのは良くない」
ドルドレンは、サネーティのイーアン崇拝ぶりを思い出し、『会って元気が漲るかもしれない』と奥さんを送り出す。何となく微妙なイーアンだが(※サネーティがすぐくっつく印象)、遭難しても生き延びた彼の願いとあって、ルオロフと一緒に病院へ行った。
病室に着くまで、イーアンはフードで角を隠して進んだ。遭難された多くの人たちも励ましたいが、先にサネーティを、とルオロフに言われて、彼と約束したルオロフを立てる。
呪術師の病室の扉は半開きで、中を覗くと、寝台ではなく椅子に彼は掛けていた。赤毛が先に目についたサネーティが振り返り、続いてイーアンを見てパッと笑顔が明るくなる。
無事でよかった、命からがらです、と挨拶を交わし、サネーティはイーアンを・・・抱き締めることなく、椅子を勧める。ん?と思う、イーアンとルオロフ。想像と違う反応のサネーティに、若干戸惑ったが、イーアンは椅子に座らせてもらった。
「イーアン。ウィハニの女。あなたに会わせたい精霊がいます」
向かい合う具合に椅子を調整したサネーティは、前屈みに肘を膝に置き、両手指を組んで頼んだ。イーアンはこの一言が、『来るべき時』と感じた。
「はい。どこででしょうか」
さっと、了承した女龍。サネーティの目が嬉しそうに弧を描き、『良かった』と視線を床に落とす。
「場所は、『ウィハニの女の祠』です。ティヤーを守って来てくれた、もう一人の」
「ウィハニ、ですね」
「知っていらっしゃったんですか?」
驚く呪術師に、イーアンは首を横に振る。『つい最近、そうではないかと思った』と答える女龍に、サネーティは真剣な顔で頷いた。
「私は彼女の話を、新たな海賊の伝説に広めたいと思います」
何があったか。何が起きたか。話もしないサネーティに、探りもしないイーアン。意味が分からない展開に聞くだけのルオロフ。サネーティの力強い静かな宣言に、イーアンはニコッと笑った。
「応援します」




