2641. 不調・男龍の看破と『アスクンス・タイネレ』の真価・女龍の弱点・『ソド』極北の駆け引き
ビルガメスは『精霊と交信する男龍』と、出会った最初にイーアンに自己紹介をしたが〈※499話参照)。
イーアンたちも四六時中、大精霊と接するようになった現在。
イーアンは更に『青い布アウマンネル』という、これまた創世からいそうな実力派(※実態は不明でも)が側にいるわけで―――
なかなか帰ってこないビルガメスを、彼の家でオーリンと二人、待つ時間。色々と話しも尽きた頃、彼はどこへ行ったのだろうと疑問に思っていた。
出かけてまで、ビルガメスが交信する精霊とは。
以前は、移動することもなくその場で交信して返答を聞いていた印象だけに、彼が話す相手は、これまでの精霊より特別なのかと想像する。
アウマンネルは静まり返っており、余計な事は言わない。オーリンも、男龍の家にいることで若干落ち着かなさそうだが、一通り話が終わってからは黙り、外を見ている。
ビルガメスを待ちながら、午前は過ぎ、昼も越え、午後も日差しが傾き始めて―――
イーアンは、何となく気持ち悪くなる。
何か変と思っている間に、気持ち悪さは段々と強くなり、胸を擦り口元を押さえた。
体を長椅子の背もたれに預けた女龍の苦しそうな様子に、オーリンが気づいて驚くが、どうしたと訊いても、イーアンは目をぎゅっと瞑って『話すと吐きそう』と、具合の悪さを伝えるだけで精いっぱい。
オーリンは並んで座っていた場所を空け、自分が座っていたところに彼女の頭をゆっくりずらしてやる。男龍の長椅子は大きいため、しっかり寝かせて、彼女の頭の辺りに屈む。
「大丈夫かよ。急に?こんなこと、龍になってもあるんだな」
あるみたい、と答えるのも辛いイーアンは、微動で頷くのみ。口を開けたら最後、嘔吐しそう。鳩尾が付き上げられるようで、頭もぐらぐらする。胸焼けと二日酔いが極端に発生した感じで、喋るに喋れないほど酷い。
うう、と呻く女龍を心配し、オーリンは彼女の汗が滲む額を手で拭いながら、何が起こったのかと考え続けた。
考えても、女龍が具合を悪くする答えなど・・・ないのだけれど。
その頃、ビルガメスはガドゥグ・ィッダンの表で、灰色の空を見つめていた。
「アスクンス・タイネレ。あれは誰のものにもならないというのに。あれを通して、『原初の悪』は子を呼びつけた。子が、まともで何よりだが。
創世の約束かと思えば、母の記憶で約束などない。空の司も、それを予定もしていなかった。気紛れにしてはおかしなことだが、『原初の悪』は統一に新しい仕切りを作るつもりか。統一を妨げると捉えられても仕方ない動きとはいえ、『原初の悪』の女龍を揺さぶりにかける続きが、アスクンス・タイネレの掌握にありそうだ。
龍族頂点の女龍が、統一に見合わないと下されたなら、男龍が代表に取って代わったところで、治める位置には上がれないだろう。『原初の悪』が、統一の座に龍族が来ると予測したなら、それも思うはずだ。
統一で選ばれた種族は、アスクンス・タイネレも全てを管理するが・・・動かせはしない。手出し無用の大陸こそ、この世界の不変の均衡。
『創世の状態へ世界を戻し、始動させるのが統一』だが、創世時にだけ使えたアスクンス・タイネレを通す『召喚』の約束は、例え同じ状態に戻されるとはいえ、統一の日に使えるとは限らない」
ビルガメスが交信した精霊は、世界の中心であり、世界そのもの。
イーアンたちも一度だけ、その姿を見たことがあるが、森羅万象の精霊はよほどのことでもない限り、現れない(※審判の大鎌=1692話参照)。
イヌァエル・テレンの上の空スァレ・デパルテにいる空の種族も、その頂点の『空の司』も、まず地上に関与しないが、旅路の時は一人だけ遣わす(※ザッカリアの状態)。それすら時期は短く、関りを長引かせることはないのだが。
種族でもなく、数多の精霊とも違う、森羅万象を司る精霊は、この世界と外の次元に大きく影響する事態にのみ反応する。
・・・ちなみに、ロデュ・フォルデンの情報(※632話参照)他、イーアンに角が生えた(※539話参照)などは些事の範囲で、相談時に対応したのはこの精霊ではない。
今回、ビルガメスは先に疑問を調べた後で、森厳の精霊に交信し、内容もそれ―― 太古の精霊が女龍を挫く妨害の及ぼす影響 ――に相応すると判断され、返答を受け取った。
世界の中心に据わる精霊は、イーアンの心の話題には触れず、それが原因とも弱いともしなかった。ビルガメスが『原初の悪』に応じるつもりであることも止めず、咎めない。
ビルガメスの質問に対し、何が生じているかを答えたということは、両者の動きも必要と認めているが故。
―――『アスクンス・タイネレ。再始動の可逆に、平衡を見ない』
この返答で『原初の悪』の動きが何を求めているか、ビルガメスは理解した。それが『統一の日に、彼が手を下す可能性』。
「さて。どうするか」
『原初の悪』と話をするに当たって・・・ビルガメスに懸念がいくつかある。イーアンのことでもあるし、龍族全体のことでもある。
次にイーアンがあの精霊と関わる時、アウマンネルに守られている間で、どこまで話が通るやら。
「オリチェルザム(※魔物の王)といい、『原初の悪』といい・・・未だ執念が止まないサブパメントゥといい。勘違いしているようにしか思えない」
イーアンが気持ち悪さで、うんうん苦しんでいるのを知らないビルガメスは、暫しその場で考えていた。
*****
ようやくビルガメスは自宅に戻り、オーリンの見守るイーアンの状態に少なからず驚き、オーリンだけを地上に返し、この日はイーアンを引き取る。
横に寝かせているイーアンはどれくらい苦しいのか。話しかけても呻くだけで、聞こえてもいない様子。連れてきた時点で龍気は回復したし、イヌァエル・テレンで龍気が癒せないわけはない。
黒い螺旋の髪を少し撫でて、ビルガメスは側を離れる。壁のない建物の柱に寄りかかり、暮れる美しい夕空に独り言。
「以前、あの大陸のことをイーアンに聞かれた時(※752話最後参照)、『そのうちお前たちに用事が出来る』と俺は答えたが、彼女たちがあの大陸に踏み入る日は、まだ先だ。イーアンの不調の意味は、足止めではないな。
となると。俺が気づいたこと・・・『原初の悪』は、もう掴んだか。イーアンをこの状態にしたのは、俺に対するあの者の警告と考える方が正しそうだ」
イーアンの具合が悪くなる程度、大したちょっかいでもないと言えば、そうかもしれない。
ただこれが、『ビルガメスが見抜いたことを、気づいた印』なら。
透察と肯定された上で、もし他に漏らすならイーアンをいつでもこんなふうに出来る・・・脅しに思う。
少々の具合の悪さをいじったなど、ちっぽけだが。これは遊びで、より悪化も無論可能、と言いたいのかもしれない。
「全く。女龍に手を出すなど」
寄りかかった柱から、女龍の横たわる長椅子を見る。まだ呻いていて、可哀相に思うが。
普通、龍がああはならない。龍気で補う何かと異質なため、ビルガメスも見守るだけにする。
強制的に回復させる処置もないではないが、『原初の悪』の手出し以外、他に思い当たる理由がない以上、無理やり回復させた場合―――
ふーっ、と呆れて息を吐く。無理に回復させれば、間違いなく何か起こる。それは、龍族にも面倒だし、イーアンたちの『中間の地の旅』も煩わせる結果になるだろう。
あの精霊の性質を知っているからこそ、『原初の悪』がイーアンから手を引くのを待つ。
酷くはならない・・・あの状態にして警告を突きつける。
俺にも嫌味で、イーアンにも要らない怖れを抱かせる、『ほんのわずかな具合の悪さ』。女龍の体を悪化させる精霊。
「イーアンが、人間上がりだから」
聞こえない小さな声で、ビルガメスは残念そうに呟く。事実、そこが問題である。龍の体を壊す力を持つのではなく、体に宿る、弱者の心に負荷を掛けられた。これは、男龍には効かない技。
イーアンが、二度も龍気を押さえつけられたのも、この弱点にある。正確に言えば、封じられるのとは違うのだ。つけ入る隙があるだけの話で。
これをイーアンに教えても、イーアンがすぐに対処できないのも、ビルガメスはよく分かっている。
夕空は刻々と変化してゆく。イーアンはまだ苦しさで唸っていた。
*****
氷河の風景にも、夕空が渡る。紫と明るい緑色の光が覆い、これで終わってしまうが、貴重な明かりの時間。ここは、アイエラダハッドの極寒の地。
『お前は』
小卓に肘を置き、自前の古木の椅子に座る精霊は、向かい合う顔を睨む。椅子ごと現れた紺の僧衣の精霊は、氷の部屋で静かに過ごす祈祷師には迷惑だった。
『ソド・・・どこまで俺に我慢させりゃ気が済む』
「我慢ですか?私は」
『なぜ、女龍に余計な事を』
ソドはすぐに答えず、紫色の目で親を眺め、苛立っている精霊の気紛れと思いつきをどう言えば良いか、触発しないよう考える。黙りこくる祈祷師に鼻を鳴らす精霊は、ぐっと頭を横に倒し、だるそうに体を傾けた。紺色の僧服のフードはずれて、赤黒い捻じれた角が、ゴリッと古木の背もたれを傷つける。
『アイエラダハッドで。お前の邪魔に苛ついて、俺が頭冷やしに出てってやったんだぜ?それがどうして、今ここにいると思う』
「私が、イーアンの体調を崩したからです」
『違うだろ?ソド。俺がやろうとしたことに横槍を入れて、温く済ませた。また、俺の邪魔をしたんだ』
「イヌァエル・テレンにいる龍に、あれ以上を行ったら龍族が動きます」
『俺がそれを解ってないか?お前はいつから、親にそんな高飛車になったんだ。女龍の精神も潰す予定が、お前ときたらっ!』
声を荒げた原初の悪は、ガッと広げた五本の指の黒い爪を、机に突き立てる。尖った爪が食い込んで、机は燻り、悪臭と塵に変わったが、ソドが逸らした顔と共に溜息を吐くと、机は戻った。
『ソドォ』
「ビルガメスが問いかけた精霊は、私たちの龍への行為を」
『俺は・何をしても・問題ない。うっかり、この世界が始まったその時からな。お前の説教じみた言い訳は、俺への挑戦だぞ』
「父よ、なぜそこまでしますか。呼びつける死霊の増加にあの者(※遣い)を起こしたのは、最終国で彼女が挫かれるよう、魔物の王に死霊も与えるためでした。
統一の日まで、女龍が事有るごとに間違いの実績を積むなら、確かに静かな道程ではあると思います。私とあなたの面立ちが、彼女と同じ理由も、その日のためでしょう。
淘汰と選別後に迎える、統一の時。負の実績を抱えた女龍が、この世界を統べるに値しないとなっても、他の種族が」
『お前を呼んだこと自体が、答えのつもりだぜ?ソド。初っ端から答えなんて教えてる。間抜けじゃないお前は、それが嫌だったか?今になって、帰ろうとしているのか?あの女龍と同じ世界に』
遮った『原初の悪』は怒りが引いていた。
興醒めしたように首を力なく横に振り、ぷわっと口を開けて火の粉を散らす。火の粉は弾けながら氷の天井へ立ち上がり、ソドの本来の姿を映した。
氷の祈祷師の紫の瞳は、火の粉に模られる我が身を見つめるが、その表情から読み取れるものは少ない。ただ、僅かな寂しさと、僅かな嫌悪が滲むような。
『ソドよ。俺の子よ。お前を特に可愛がってやってるはずだ。名前は気に入っているだろ?悪魔より良いはずだ』
呟く声は千切れ、ぼんやりと目を合わせたソドに、『原初の悪』が嫌味ったらしく笑みを向ける。
『同情かもな、イーアンへの。俺が統一の仕組みを変えたら、お前もあの龍も特別じゃなくなる』
祈祷師の顔から表情が失せ、それを小気味良く感じる精霊は指を軽く鳴らした。軽快な音を合図に、『親と子の契約の紋章(※2104、2340話後半参照)』が、二人の間に揺らぐ―――
『今回のことは、女龍と郷里同じくのお前の同情、って事で免除してやろう。俺の子、だからな。お前は欲の最先端で、根源。その座は、奪わないでやってもいい』
「私に取引ですか。お帰り下さい」
紫の目に血が溢れる。毛皮の服をだらだらと濡らす血に、精霊は高笑いする。怒りを我慢するソドに『覚えておけ。今回は許してやるから』と繰り返し、古木の椅子と共に床に溶けて消えた。
直後。小さな氷の室は爆発し、周囲の氷塊が瞬く間に吸い寄せられ、立ち上がる氷の城が夕暮れの空を突いて聳え立つ。
何百と並ぶ剣のような尖塔から、黒い血の噴水が溢れ、巨大な城の周囲は溢れかえる血が燃えて溶岩に変わり、氷の城を溶岩の堀が照らした。
ソドの苛立ちは『原初の悪』を楽しませるだけ・・・隷従の身と嘲られても、怒りを見せるだけ空しいのだが。
ソドは、降れる風さえ凍てつかせる氷の城から、周囲をぐるりと囲んだ溶岩の、煌々とした赤に照らされた極北の大地を、しばらく見つめていた。自分がこの世界に来た理由を思いながら。
*****
居場所に戻った『原初の悪』の前に、黒い仮面が転がる。そのずっと後ろ―― ぬかるむ水浸しの床に胴体のない男が仰向けに寝転がっていた。
投げ出された両手両足と頭に、黒ずむ黄金の楔を打たれて。
お読み頂き有難うございます。




