2640. 旧態依然・ラファル、女龍への祈り・魔導士洞察
ミレイオは、地下で待つことを伝えていなかったが、魔導士は呆気なくやって来て、さっさと結果を教え、さっさと『お前らの対応』も指導し、いなくなった。
魔導士が消える前に、『バニザットはどうするの』と尋ねてみたが、彼は一瞥しただけ。
「バニザットには関係ないものね」
あっという間に来て帰った魔導士の後、台所にいたミレイオは赤ちゃんがいる寝室へ行き、抱き上げて『あんたも上に行く?』と訊く。
上=地上の意味で、赤ん坊は乗り気じゃない顔を傾け、うーんと唸る。その仕草に少し笑って頭を撫で、一緒に行こう、とシュンディーンを抱っこベルトに入れると、ミレイオは地上へ―― 仲間に知らせに出た。
『下手に動くな。精霊相手に余計な詮索はやめておけ』
バニザットからの指示は至って簡潔で、戻ったミレイオに話を聞いた、アネィヨーハンに待機する面々は『彼らしい』と頷き合い、確かにそうだと同意する。
すんなり同意できたのは、既に男龍が動いたと情報も知ったから。イーアンは男龍と一緒でその続きは知らないと、魔導士はミレイオに伝えた。
「オーリンが頼んだかもな」
真っ先に空へ上がった龍の民の早さが、イーアンを守った。タンクラッドは一安心。ミレイオもそこは安心するが、懸念は残った。
クフムは日々、やることもないので待機状態は普通だが、シャンガマックとロゼールは互いの視線を合わせて、アリータックの祝いはどうしようかと目で相談。下手に動くなということは、誰がいつ狙われるかもしれない可能性で・・・二人の困った顔に、親方は『今日はやめとけ』と止める。
「行くと言ったのか?」
「はぁ。ええ。俺たちだけでも、というか」
「行かなければ始まらない訳じゃないだろう。約束を破る後ろめたさがあるなら、海運局に伝言を頼めばいい」
海運局を顎で使おうとするタンクラッドに、シャンガマックが笑うが、そうするよりなさそうで了解する。そうと決まれば船から近い海運局へ、タンクラッドは同行できないが(※剣で騒がれる)ミレイオが付き添って出かけた。
残ったクフムは、何が出来る訳でもないので自室に戻る。タンクラッドは食堂に居座り、考え込んだ。
それは、アソーネメシーの遣いとイーアンについてではなく・・・魔導士は掠るだけで、瞬く間に問題の全貌を把握すること。
タンクラッドはダルナに頼ることを避けたが、魔導士は今回に問題が生じない範囲をダルナに探らせた。その判断一つ、追いつかない自分を考える。
自分たちの誰も、彼の実力の十分の一も持っていない。
彼の鋭い視線の、端にも目がゆかないこと―――
*****
「雨には濡れるんだよな」
「そうだな」
自分は普通の人間でもないのに、濡れる。未だそんなことを呟く男に、魔導士もあっさり。移動するぞと、ラファルを連れた魔導士が、降り出した雨を後に次の町へ飛び、雨雲の切れた島へ降りた。
降ろされた場所で、魔導士は『あとで』と声をかけ、了解してラファルはまた町へ入る。
ぶらついて、外国人の旅行者のように、通りを歩き回り、興味が失せると壁に寄りかかったり、路地で煙草を吸う。
興味が失せる―― 実のところ、最初から何に興味など持たないにせよ、ラファルは飽きない程度に町を観察することを意識していた。
どうでもいいとはと思うけれど、これが度々・・・思いがけず役に立つもので。
歩き回る理由はアイエラダハッドと同じ。終わらない『兵器』の自分を動かすため。油断はしないが、これもティヤーに来て現在まで、若干、緩んだ。サブパメントゥに狙われているのは相変わらずだろうが、寄ってこないから。
「なんだっけ。リリューが話してくれたんだよな。コルステインに似た・・・ 」
何気なく言いかけて、やめる。頭に浮かんだことすら、サブパメントゥは読み出すので、どこで聞かれているかもしれず、ラファルは指に挟んでいた煙草を吸った。
コルステインと似た『誰か』のおかげで、少しは気が楽に過ごせている。
世界は、混乱だ。大変だなと、他人事のように冷めた目を移ろわせる。
一ヶ所の国に集中する魔物がいて。反逆の執念で続くサブパメントゥがいて。最近は、知恵騒動とやらで宗教系も始末されたようだが、ちょっと前までその宗教系が国民を殺して幅利かせていたやら、何とやら。
「どこの世界も変わらない」
ふーっと紫の煙が、唇から漏れる。見上げる空にトビやカラスがいないのは、元の世界と違う。代わりにドラゴン(※ダルナ)や魔物が飛ぶが、いつまで経ってもこれは見慣れない。
俺がいるところには魔物がいるし、魔物がいるところには俺がいる。俺は、魔物同等、厄介者の役割で、いつ大量殺戮の拍車になってもいいように、動き回らないとならない。
もう一服するラファルは、建物の角に寄りかかっていた背中を起こし、薄曇りの町をまた歩き出した。
石畳が多かったアイエラダハッドと違い、ティヤーは土の道が多い。土の道は乾くとすぐ埃立ち、歩いているだけで西部劇みたいな状態になる。
魔導士の説明では、気温が上がる時期に入ったようだが、生憎、気温を感じられる体を持たない自分で良かったと、変なところで有難く思う。
町とは言え、都市でもなければ、周囲の建物は似たり寄ったり。
どの島に行っても、家屋は色が派手で、屋根の形が独特。すれ違う馬車や牛車の引く荷台は、風通し重視の簡素。道端は背の高い木々が目立つ。自生している印象で、日陰を担うからか、隙間に店や家々が建つ。
人々は半袖、七分袖、七分丈、長衣が基本。ターバンを巻く習慣が男だけ、と言うのも、元の世界のどこかと似ている。
色黒だが、黒人ではなく、アジア人に近いわけでもない。黒目、黒い髪、茶色の肌が一般的。
話しかければ共通語が通じるのは助かるが、彼ら同士で喋っていると、常にティヤー語しか聞こえてこない。
「島の特徴なんだろうな。地続きじゃないってのは、海に囲まれた一つの小さい国みたいな意識か」
だからかな・・・ ラファルは歩き続けて見つけた、小さい石の塊に近寄る。
一つの島に一個はあるもんだ、と思った。サブパメントゥの『言伝』みたいな、おっかない代物とは違い、これは。
「いつも『彼女』みたいに見える。元気か」
しゃがみこんだラファルの前に、古い素朴な石の塊。
専用の掘っ立て小屋に入っていることもあれば、昔ながらの祠に守られている場合もあるし、塀の一部をくり抜いた内側に鎮座していることもある。ここは、塀の一部。
むき出しではないのが、きっと祀っている証拠なのだと思うが、あまりにも適当で・・・とはいえ、大事に思われているのが伝わる。どこで見かけても、花や供え物が捧げられて、石は汚れていない。周辺も手入れされている。
石の塊は、角がある人間の姿で、背中に畳んだ一対の翼らしきものを持つ。顔は、摩耗や劣化で判別しにくいが、女だと感じる。この石像、初めて見た時に、たった一人を思い起こさせた。
「イーアンじゃないかも知れないが、イーアンに届いてくれ。俺はそこそこ、今も元気だ・・・違う島でも同じこと言ってるけどな。イーアンも元気でいてくれ。龍に『元気で』ってのも、余計なお世話か」
ささやかな祈りに、想いを託す。ラファルは煙草を消してから―― 見かけるといつもそうするように ――石の塊の頭を撫でた。
一撫でし、手を引っ込めて、腰に下げている水筒の栓を抜く。水を手の平に少し落とし、その水を石像に振りかけて、なだらかな肩に手を乗せた。ラファルが安全を祈る時に使う、故郷のまじない。
町は人がそれなりにいるが、往来の少ない外れの方で、着古した僧服を簡単にたくし上げた格好の男は、目立つようで目立たない。
僧服はアイエラダハッドの古い時代の物で、ティヤーの宗教服とまるっきり違う。傍から見て『それじゃ、暑くないか?』と苦笑される二度見はあるが、誰も僧服とは思っていない。
メ―ウィックの見た目のラファルは、そうした古びた長衣の旅人で、石の祠に跪いていても『旅行者には珍しいか』と地元民は見過ごす。
ウィハニの女の祠なんて、ラファルは知らない。
自分を励まし、心を砕き、『追いかけて助ける』と約束した女(※1984話参照)。龍となった日本人の女の面影を、石像に映す時間は短いようで長く、大抵10分は跪いている。
ここでもそうして、ぼそぼそ話すだけ話してよっこらせと立ちあがった。
「イーアンに届け」
最後に呟き、手紙を書くような時間を終え、ラファルは踵を返す。
『お前の祈りは、私に会うため、私に祈る』
背中に、誰かが問いかけた。足を止めて振り向いたラファルに、塀の窪みに入った石像の目が光を帯びる。
『お前は生きていないが、死んでもいない。霊でもない。その姿も仮初。行く先々で私を呼ぶお前は、誰か』
*****
魔導士がラファルを置いて出かけた先は、同じ島の廃墟だった。ついこの前、廃墟になったばかり。近辺には人も寄り付かなくなったのを、魔導士は知っている。
気配は何も感じないので、魔導士は敷地を跨ぎ、草むらの奥の倒れた塀の内側へ入った。塀に囲われた舗装歩道を挟んで、太い柱が立ち並ぶ石造りの建築物。柱は奥に続く扉の開いた広い部屋の前に立ち、収容人数百名以上の生活でも問題ない広さがある。
「生きていればの話だ」
一週間も前ではない。ここに夥しい血が流れていた。今も床と柱、壁と地面にこびりつく乾いた血の跡が出迎える。この前は死体付きで、バニザットが近くの住人に伝えた。発見した時は、既に死後一日は経過していると見えた。
その後、死体は警備隊によって外へ運び出され、この神殿裏にある墓地の脇で焼かれた。
「誰も、近づかないだろうな。えげつない殺され方を目にして」
神殿の壊れた箇所は、大きく設計された出入口と、手前の塀で、舗装歩道も一部は土にめり込んでいる。
老魔導士は、別の島で同じ状況を引き起こした場面を目撃しており、ここを見つけた日もすぐにピンときた。幾つもの人間が合体した大きな体を揺すり、僧侶や司祭を一人残さず殺した。死霊の仕業、と。
それに気づいてから、連日、同じ現場を見かけるようになった。魔導士はラファルを連れてあちこち行くのが日課だから、頻度が高いには違いないが、それにしても毎日一ヶ所どころではなさそうな遭遇率に、『相手が巻いている』のを理解する。
「そこへきて、イーアンが。死霊は神殿系に狙いをつけているが、辿り遡れば、理由は女龍に執着するわけだ」
久しぶりに自分を呼びつけたミレイオの、朝一の相談。
それはイーアンが攫われ、彼女が夢で見た、『アソーネメシーの遣い』と名乗った者と『原初の悪』が絡んだ内容。魔導士にできる返事は、イーアンを奪い返す約束でもなく、その状況を解決することでもなかった。
早い話が、頼られたのを断った状態ではあるが、事態が事態だけにはっきり断らず、調べるに済ませた。
「調べた続きがない訳じゃない。死霊が増えるのは、面倒な手数を増やす延長だ。
ティヤーでそうした場所が見当たらない以上、集めた死霊はヨライデ辺りで使う気だろう。精霊が僧侶たちを殺すよう仕向けるのは、小耳に挟んだ『イーアンが宗教総本山を壊滅させた』出来事を利用している。
原初の悪が、イーアンの足を引っ張る本当の事情など知る由ないが、行為はそのもの。思惟すれば、足を引くだけ引いて女龍を挫けさせるようにしか思えない。
一石二鳥で、ヨライデに送り込む死霊も増える。死霊に殺させた人間の心を使い捨ての死霊術にあてがって、ヨライデ国王軍の兵に」
死霊が憑いた人間は、変わる。過去の旅路も、それがあったのを思い出す。
止めた方が良いだろうが、『原初の悪』がなぜか魔物側に加担している状況に、下手に首を突っ込むのも危うい。
出来る手出しがあるとするなら、それは―――
「ちっ。俺じゃない奴にしてくれよ」
舌打ちした魔導士は、凄惨な現場後に背を向けて風に変わる。『死霊を清めれば良いだけだ』と―― 無害な範囲の手出し、その答えをぼやいた。
だが、死霊を清めて昇華させるには、優秀な魔力のある僧侶でもないと。
お読み頂き有難うございます。




