2639. ビルガメスの段取り・それぞれの、待つ間・魔導士とダルナ
―――イーアン、お前を悩ませ、『お前の罪の過去を作る仕掛け』だ。
ビルガメスの説明にファドゥは眉を顰め、『仕掛け』の部分を繰り返して呟く。
イーアンも溜息を吐いて『らしいですね』と、なぜ自分がそんな目に遭わなければいけないかと嫌になる。
「二つに分けたと言ったのは、イーアンを侮蔑した者に対し、イーアン自体が手を下すことだ。話を聞けば、イーアンは宣告したが実行に至っていない。それは俺が合間に入ったためだ。
彼女の龍気を抑えたのは、『原初の悪』だろう。一部始終見ていたと言える。原初の悪の遣いであるのを承知の上で、イーアンが遣いを倒せば、それはそれで『原初の悪』の目的に添う成果だ」
俺が消すのと意味が違う、とビルガメスは補足する。ビルガメスは『原初の悪』の遣いが精霊ではないと、はっきり理解したが、イーアンはそれを解っていなかった。
イーアンがあの場で倒したとなれば、相手が精霊かどうか確認できないまま、理由が『龍への侮辱』だけで感情の矛先を向けたことになる。
「俺たちが近づくだけで、小さい精霊(※地霊など)が消える場合とも異なる。問われるのは、意識的に手を下すかどうか、だ。
だが本来なら、と言うと混乱させそうだが。本来は、龍が存在の破壊を行うことは自然であり、そのために俺たちはいる・・・それを判っていない訳ではない『原初の悪』が、こうした行為を続けるのは、イーアンの反応を逐一『龍として正しいか』試すためだ」
ぬぅ、と漏らすイーアンが顔を歪める。ファドゥは『陥れるつもりでもやり過ぎだろう』と意図の見えない状況に嫌悪を表す。
「陥れる『つもり』じゃない。罠に掛かれと、罠を堂々見せつけている。状況を把握しても、龍としての動きを取れないイーアンの、未熟な過去を増やしてそこに埋めたいのだろう」
気が付けば息が荒くなっている自分に、イーアンは気付く。
―――『龍としての動きを取れない』とビルガメスが言葉にしたのは、私への忠告の上塗りと解釈する。龍なら反応しないことを、私はまだ・・・出来ないから。それがこの世界の頂点に並ぶに、見合わない罪の重なりとして通用してしまう。
再三、ビルガメスたち男龍に『龍らしくあれ』と注意を受け、教育され、妥協や譲歩を行ったり来たりして、たまに喧嘩までして。私はまだ、そこに到着していない。
公民館で『人間上がりの龍』と伝え、拍手を受けたのが霞む。
弱い立場に寄り添うことが、世界の罪に等しいと、人間以外の種族は認めているのだ。センダラの一言『龍なのに不憫』も頭を過った―――
肩で息をするイーアンは、感情を抑える。女龍の立場にある自分の弱み・・・遠回しにそこを突かれている気もするし、でも事実であるのは反論の余地もないし。弱み、と表現する自体、気に食わないのに。
苦々しさを顔に浮かべるイーアンを見つめ、ビルガメスは彼女の言いたいことを察する。ファドゥも見当をつけるが、今回は精霊のイーアンへの酷い扱いに、気持ちはイーアンへ傾いていた。
若干の沈黙が流れ、ふー、ふー、と女龍が自分を抑えて息する音だけが、静かな家に響く。沈黙を終え、ビルガメスが次に伝えたのは、イーアンにではなく、ファドゥでもなく、青い布アウマンネルへの言葉。
「アウマンネル。イーアンにあの者を近寄せるな。俺の判断を待っていたんだろうが、次はよせ」
『ビルガメスの意見を聞いた上で』
青い明るい光を放った、イーアンの肩の上。女龍が輝く美しい布に、哀し気に目を細める。大きな男龍は精霊に答え、それは『原初の悪』が現れたら自分が話す、とした内容だった。
「俺を呼べ。イーアンに対応させず」
『そうしよう』
短いやり取りと承諾で、ビルガメスの意向が通る。その意味が理解未満でイーアンは眉を寄せたが、ビルガメスは彼女を見て『お前を詰った者は、お前の罪の欠片にもさせない』と言った。
それは、黒い仮面の男をイーアンが倒すかどうかの話ではない、と理解して確認すると、男龍は『そうだな』と眉を少し上げ息を吸い込んだが、言葉は続けなかった。
*****
その頃、タンクラッドたちは―― 朝食後、船に移動した皆だが、ロゼールは、今日のアリータック島の用事に、イーアンが不在であることを伝えに行き、他はこの事件で全員船待機。
アリータック島以外は、特にどこと約束や取り付けをしたわけでもないため、動かずに済むのは気兼ねないが。ルオロフは船まで一緒に来たものの、乗船前に躊躇い、何に引っかかっているか話すことなく、やはり戻って行った。
ドルドレンは昨日出かけたきりで戻っていない。オーリンも空へ上がって帰ってこない。ミレイオもまだ。タンクラッドとシャンガマック、クフムが船に入り、この後ロゼールも帰って来て、四人は出口のない想像を話し続ける。
オーリンは、イヌァエル・テレンにいるが、ビルガメスに呼ばれて、今は彼の家でイーアンと一緒。オーリンが真っ先に知らせに来たと知ったイーアンは彼に礼を言い、ビルガメスもオーリンに『良い判断だ』と改めて褒めた。
ファドゥはもう、子供部屋に帰った後で、彼は帰り際に『いつ呼んでも構わない』と頼るように女龍に言い、遣り切れない面持ちで出て行った。
イーアンとオーリンはすぐに帰れはせず、ビルガメスが精霊と交信する間、待つように言われてビルガメスの家から動けない。そのビルガメスは、今回は決まった場所があるのか、どこかへ行ってしまった。
連絡珠でタンクラッドかミレイオに知らせようかと、イーアンが悩んだが、オーリンは『ビルガメスが戻るまでは何もしない方が』とやんわり止めた。事態がどう動くか不明な状況、中間報告もぬか喜びになりかねないことから。
だがオーリンは、イーアンの身の上に何が起きたかを知って、少なからず男龍と同じように反応したし、地上に戻って早くその厄介な相手とケリをつけたいと、イーアンに胸の内を伝えた。
「君が人間を殺さなければいけない時、その時に感じる心を、俺は否定しない。今後もだ」
味方のオーリンに、イーアンは胸が熱くなる。有難うと、彼の手を握り、握り返してもらい、『自分を理解してくれる仲間がいることに救われる』と吐露した。オーリンは最初からイーアンの打ち明け話を聞いてきたし(※635話参照)『俺で良いなら、弱音でも何でも言え』と慰めた。
二人がこうして話している間も、ビルガメスは一向に戻る気配なく、空の時間は淡々と過ぎ―――
*****
魔導士を呼んだミレイオの状況は、地下待ち。
シュンディーンが赤ん坊維持の場合、サブパメントゥにいても回復する子なので、サブパメントゥの自宅に居させることも多いが、今日は自分も収まっている。
家から出なければ、コルステインに咎められることも無いので、それはまぁ・・・良いのだけど。
「バニザットに会えたまでは、うん。危急の用も話せたし。でも」
実のところ『待ってろ』とは、言われていない。呼び出して来てくれて、すぐさま問題を伝えたら、彼はいつもどおりの厳めしい目つきで『相手が悪いな』と呟いた。ミレイオは断られるのかと思ったが、魔導士が続けた言葉は『俺に情報がない。探る』だった。
そう言うなり、彼は緑色の風に変わって消え・・・ ミレイオはどこで待とうかと考えたが、一先ず、仲間の元ではなくて地下に入った次第。
「私が戻って、皆に中途半端なことを伝えてもね。余計に心配させるだけだもの」
バニザットは開口一番、『相手が悪い』と言った。一筋縄でいく相手ではないのは重々承知だが、可能性が低そうで、ミレイオは溜息を落とした。
「探ったところで分かる訳もないか」
鄙びた町外れ続き、草地と林の人っ子一人いない影で、魔導士は魔法陣を畳む。
近くの町にラファルがいるため、手っ取り早く近場で魔法陣を出して調べたが、思ったとおり、手がかりは一つもない。
青空は徐々に曇り始めており、昼から天気が崩れそうな風が吹く。午前も半ば、『ラファル野放し』をティヤーでも実行中の世話係魔導士は、降り出したら別の地域に彼を連れて行くつもりだが。
「早めに出るのも良いけどな・・・ ふむ」
イーアンが攫われる。なかなか珍しい話だが、相手があの精霊と聞くと放っておくのも気が引ける。
イーアンを魔法陣で探ったが、イーアンは既に地上にいない。どこにいるかぼんやりしているため、探すのはやめる。無駄と思いつつ、時間の痕跡を遡って最終の状況を手繰ったが、ティヤーの一ヶ所で途切れていた。
近くに神殿があり、火円輪で見ると僧侶が大量に死んでいた。殺されたと言う方が正しい死体の形、魔物ではないのだろうと察した。
「精霊はな。探るもんじゃない。呼び出して、尋ねる相手だ。あの精霊を呼ぶ気にはならねぇ」
独り言を呟き、黒い髭に手を添える。鋭い視線は曇天に変わった空を貫くように見つめ、『被害者がイーアンだから』男龍がもう動き出しているとしてもおかしくない、と考える。
男龍が仮に動いたとあれば、手は出せない。ただ、『彼らが動いた情報』は俺にまだ入って来ていないわけで。
「イーアン。お前がやられるわけはないが。相手が悪いとお前の心が、ぶっ潰される可能性はある。俺が気にしても意味ないが、仕方ない。ダルナが探れるかどうか」
魔導士はダルナに呼びかける。アイエラダハッドからついて来たダルナは、時折、空にいるのを見かける。普段は人目につかないようにしているらしいが、魔物を見つけては倒しているので、何頭かは魔導士のことも認知した。
そうじゃなくても、知り合いにスヴァウティヤッシュがいるが。
ふわっと吹いた風に黒土のにおいが混じる。真っ黒なダルナが現れて、『近くにいたから』と寄ってやった風に言い、魔導士は頷いた。
「何よりだ。忙しそうだが、ちょっと相談がある」
魔導士は呼び出す時『イーアンのことで』と付け加えていた。スヴァウティヤッシュが真っ先に反応したのは、彼女のことだから。じっと見つめる水色と赤の揺れる瞳に、魔導士は『俺もよく知らなくてな』を前置きに、状況を手短に伝えた。
伝え終わるや否や、黒いダルナは消える。魔導士は彼の帰りをその場で待ち、一分後に戻ったスヴァウティヤッシュの収集した情報に眉根を寄せた。
「イーアンが」
「ぶっ飛ばされた感じだな。攻撃されていたんだ。最後は空から彼女の同族が来て、助けられたようだけど」
「終わってない、わけか」
「相手は逃げたと思うね。間一髪じゃないか?」
イーアンが一方的に攻撃を食らう状況は、魔導士にアイエラダハッドのあの日を思い出させる。とは言え、今回のイーアンはケロッとしていたようで、黒いダルナが長い首を傾げて『なんでやられていたんだろうな』と分からなそう。
「・・・俺は実際に見てないが、あれだろ?あんたとイーアンが、俺に記憶を見せた相手の(※2109話参照)」
言い難そうではあるが、ダルナは相手を特定する。そうだと首肯し、『あのデカい精霊が絡んでいる』と強調すると、魔導士は静かに息を吐いた。
「男龍がイーアンを守ったなら、もう俺に手は出せん。お前に調べてもらえて助かった」
「良いのか?まぁ、そうなると思うけど。現場に残っていた記憶は、イーアンの分だけで、後は俺に分からなかった。あんたが行っても同じかもしれない」
「土に倒れたイーアンのおかげで、手掛かりが残ったってことだな。丈夫なやつだから、無傷だろう」
「無傷でも、心配するんだね」
「それなりにな」
魔導士の寂しげな返事に頷いて、することもなくなったスヴァウティヤッシュは戻る。礼を言って送り出し、魔導士もラファルのいる町に結界を掛け、ミレイオのいる地下へ移動。
「スヴァウティヤッシュも、コルステインの手伝いで忙しい。サブパメントゥが未だに派手に動かないのは、彼がティヤーに入って以来、押さえ込んでいるからだ。魔物は魔物で、異界の精霊が片づけているし・・・彼らの手が入らない場所は、現地の精霊が地道に追い払ってるし」
分かり難いだけで、温床どころか、ティヤーは魔物の巣窟だ・・・ そろそろ、どうにかせんとなと呟いて、魔導士はサブパメントゥに潜り込み、暗い世界で一軒だけ、柔らかい灯りを持つ家に入った。
お読み頂き有難うございます。




