2628. 南部の『ごはん』・石碑を辿る道
一通り、お話を聞いたところで、廊下に人の声がし、局長は椅子を立って戸を開ける。
美味しそうな香りが部屋に流れ、『昼だ』と局長が職員を中に入れた。
人数分の皿、二枚の大皿と、飲み物を運んだ職員は、『美味しいと良いけれど』と笑顔を向けて退室。料理は一皿に肉や野菜が盛られ、大皿はお菓子に似た丸いものが沢山乗っていた。
「食べてくれ。アリータックだけの料理じゃないが、郷土料理みたいなもんだ」
局長も扉を閉めて座り直し、ミレイオとイーアンが皆のお茶を注ぎ、それから皆で食べ始める。良い匂い、美味しそうと匙で野菜や肉を取り出す皆だが、すぐに『あれ?』と止まる。
局長は皆の反応を想像していたようで、『主食だよ』と面白そうに教えた。オーリンが『これって』と、目を凝らす側で、イーアンは息が荒くなる―――
「本当に?」
最初の一言は、口を衝いてこぼれた。何が・・・と反応した局長が顔を向け、女龍を見て驚く。皆の視線もイーアンに集まって、凝視。
「どうしたの」
数席横のミレイオが、席を挟んだ横のイーアンに慌てて訊くと、イーアンは涙を伝わせた頬を拭った。はた、と隣のドルドレンは気付く。『もしや、イーアンの』匙に乗った主食は、彼女の故郷に。
「そうです。まさかこんな形で出会うとは。『お米』です」
イーアンは濡れた目元をぎゅぎゅっと拭いて、驚いている皆に『懐かしくて』と笑顔を向けた。
話してほしそうな視線に、イーアンは、はーっと大きく息を吐いて、心で神様に感謝してから感動の経緯を教える。
「私が、この世界に来る前。以前の世界で暮らした母国の主食が、お米と呼ばれるこれでした。形は短く粘りがあり、加熱で白く柔らかくなります。古くから代表的な穀物です」
こっちの世界で見たことがなく、麦は食べたけれど、米はないのかと諦めていたが、こうして同じ種類の穀物を、思いがけず頂ける機会が来て心底嬉しい、と話す。
「私のいた国では、一日一食は、確実にお米を食べたい人も少なくありませんでした。お米大好きな人だと、毎食お米が当然です。そのくらい浸透している主食なのです」
イーアン自身は、『お米がなくても平気な人』なので、こちらへ来て全く食べなくなって以降、たまに懐かしむくらいだったが、やっぱり会えると嬉しいもので・・・だからつい、泣いてしまいましたと、へへっと笑う。
皆さん、ほっこりする。そうだったのか、そうなのね、いっぱい食べておけと笑顔が満ちる。局長は『似てなくないか?』と匙で掬った主食に眉根を寄せた。
「サーン(※ティヤーのお米の呼び名)は長いし、粘ってないのに。イーアンはこれで同じだと思えるのかよ。感動してる所、水差すようだが」
「ハクラマン・タニーラニ。私には充分、感動に値します。こちらではサーンと呼ぶのですね。私の国では『お米』でした。国によって呼び方違いますが。こうした長い粒のお米も、勿論あります・・・ 」
愛情溢れる眼差しを、お皿の長粒米に向け、イーアンは掬い上げたサーンを口に運ぶ。
注目の一瞬。笑みを深めた女龍は『お米ちゃんですよ』と、もぐもぐ味わいながら、また涙を零した。
イーアンが食べ物に『ちゃん』づけする時、それは愛があると皆は知っている。たまに食べたいだけだからって、愛がない訳ではない―――
そんな女龍の喜びよう、ドルドレンも嬉しいので、『食べながらお米の話をしてくれないか』と頼み、二つ返事のイーアンはお米について語った。
皆さんも、普段は語られない女龍の過去の食生活に興味深く、いろいろ質問しては、知識を増やす。
この人泣くのか(※龍だけど)と思ったのはクフムで、パラパラした粒の主食を見つめ、さっきから食べているが、そこまで旨いだろうかと内心思っていた。
でも、遠い異世界から来たイーアンは、海の国・お米の国の出身と聞いた後、彼女が涙して喜んでいる様子は、普通の人間と変わらないし、また距離も近くなった気がした。
食べ終わる頃には、局長が無言で部屋を出て行き、五分ほどで戻ってきたその片手に持った袋、米をくれた(※公民館の台所にあった)。イーアンは感動し、頭を下げてお礼を言い、両手で拝領。
お支払いしますので、と律儀な女龍に局長は笑い、なかなか頭を上げない彼女の角を撫でて、顔を覗き込むと、『作ってる所に連れてってやろうか』と提案。
優しい笑顔の局長に、イーアンは目を丸くして口を開けたまま二秒、すぐに深々お辞儀して、宜しくお願い致しますと丁寧に頼んだ。
「サーンを作ってるところは、麦もやってる。南部の穀物料理に詳しいんだ。そうだな、ピンレーレー周囲じゃないけど、もっと西に行くと麦で・・・この位の、長い紐みたいな主食もあるんだ。地元の家庭料理だから、店じゃ食べれないけ」
どな、を言う前に、イーアンは局長の腕を掴む。食卓で聞いていたタンクラッドを始め、ドルドレンもミレイオもオーリンも、凝視。
「メンだ」
察して呟いた親方に、ぱっと顔を向けたイーアンは力強く頷き、『コロータ!(※1395話参照)』と名を口にした。今度は、局長が驚いて一同を見渡す。
「どこで名前を知った?」
彼の返事はイーアンたちに満面の笑みを齎した。なぜ極一部の地域の食事を知っているのか、全く見当がつかないにしても・・・局長も、そんな彼らに可笑しくて、首を傾げながら『魔物退治してるってのに』と笑った。
オーリンは食後、イーアンに『俺はコアリーヂニーの工房で、サーンを食べた』と教える(※2548話参照)。驚かれたが、オーリンも説明されたわけではなかったので、『本島では売っていたかもね』と情報止まり。
ルオロフと魔物退治した昼・・・と言いかけ、イーアンが少し悲しそうになった顔に、この話はやめた。
丁度ここで、廊下から人の声がし、扉を叩かれて『写本の原稿を写します』と声を掛けられる。皆は準備し、広間へ移動した。
*****
お昼――― 別行動中の、シャンガマックとロゼールは。
ロゼールが思ったまんまに物事は動いており、少し違うと言えば、サネーティの地図を取りに一度宿に戻ったことで、戻ったのはロゼール。
シャンガマックは『お皿ちゃんで行ってくれ』と頼み、仕方なし付き合うロゼールは出かけ、宿に置いた馬車の中にあった地図を手に戻った。
俺は使われてるんじゃと、思わなくもないが。シャンガマックはまずいことをしている訳ではないし、人助けになりそうだから、ロゼールも協力する。
今回は妖精が絡む。精霊の魔法を使わないと決めたシャンガマックなので、ロゼールも使用する便利な力はお皿ちゃんだけにする。
それでどこまで行けるやら、疑わしくないと言えば嘘になるけれど・・・ とりあえず。最初の展開を経て、現在、二人は、海の道を歩いている最中。
チャットウィーラニーとネッツラーラヤティーは、先に船で帰ってもらった。
彼らは、『道』を見つけ出した褐色の騎士に、戻っていてと言われて、期待大!の笑顔で励ますと、妖精の碑の島で分かれた。
「最初は心配そうだったけど、すっきりした笑顔だったね」
「それはそうだ。こうして導きの道を目の前で見せつけられて、期待以外ないものだろう」
妖精の碑を振り向くロゼールは、とっくに見えなくなった島から、どれくらい歩いたかなと思う。二人は海に敷かれた靄の上を進んでおり、早い話が、水の上を歩いている状態。
―――てっきり船で次へ行くと思っていたのが、シャンガマックの『何かある』の一言で、この道が現れた。
透けた石碑とサネーティの地図を合わせ、方角を確認した後、シャンガマックは服の模様を元に、石碑の透けなかった点々を考えた。
模様の渦巻き方、流れの方向、源流の位置と広がりの行方。
照らし合わせた石碑の点の繋ぎに、始と終をあてがい、線を通した視点の向きから石碑を見てみた。上から見下ろす姿勢だが、透けなかった点を通過するため角度がある。その角度で見た先に異物を発見した。
それまであったかどうか。気づかなかったが、石碑の基部の一ヶ所に同色の小さな玉が嵌っており、砂に目地が埋まった玉に触れたところ、埋めていた砂はもわっと白い靄に変わり、あれよあれよという間に這い出して、島を下り、海に一筋の道を敷いた。
それはまるで、海を両岸に見立てた、一本の小川のように―――
「お父さん、怒らないかな」
「大丈夫だと思う」
シャンガマックはロゼールに『人助けだし、知っている種族だ』と、大丈夫の根拠を伝える。父も知っている種族で、サネーティの地図とも場所が合うから、まず間違いない。問題ないだろうな、と彼は言った。
「それに。俺の服が教えている」
「服が教えるって?」
推測だけで自信あり気なのかと思いきや、シャンガマックはポンと胸を叩いて、また笑顔を向ける。理由を言ってよ、とロゼールは思うが、話が逸れそうなので、時間の当てを聞いてみる。
「どれくらい歩くか。地図でシャンガマックは見当つくのか?」
「遠くないからな、二時間も歩けば」
「二時間」
朝はちゃんと食べたし、腹は平気だろ?と、褐色の騎士はケロッとしている。ロゼールのげんなりする顔に、『お前が宿に行っている間、総長には連絡している』と安心させ(※してない)、ニコッと笑った。
「・・・アリータック島の人たちの代行だし、頼む内容をしっかり理解していないと」
「心配するな。言い伝えを聞いた上で行くんだから。俺がそんなバカだと思うのか?」
「思ってないけどさ。何か間違えたら、ごめんで済まないし。大役だと思うけど、こんな呆気なく引き受けて」
「大役だから、俺も気を引き締めて挑む」
ロゼールは黙る。隣を歩く友達をじっと見つめて、見つめ返されて『?』の表情に、平行線の寂しさを溜息で表す。シャンガマックは咳払いし、無駄に心配するなとロゼールを励ました(※余計気落ちする)。
歩いている間、真上に輝く太陽と、空を走る千切れ雲の影、ひっきりなしの潮風と、足元を動く波の煌めき、透けて見える魚の姿――だけしかない道で、ロゼールは聞いておきたいことをあれこれ質問した。
会話が止まると、景色に飽きているのもあって、やる気が漏れて行く。
乗り気ではなかっただけに、ロゼールは質問を出来るだけ絶やさず、気を紛らわすことと、効率的な状態を維持した。
シャンガマックが『妖精ではないだろう』と言った意味、不思議な模様の服の話、彼だけのサネーティの地図。質問に全て答えてもらった後、なぜ、シャンガマックが飛びついたかが、理解出来た。勿論、謎解き大好きだからもあるのだけど。
「アイエラダハッドで着ていた服と、同じ柄だと思ったんだよ。そんな時から続いていたのか」
「最初は、不思議な服だとしか思わなかったが。決戦後にセンダラに教わって会いに行った種族は、今のこの状態に変えてくれて、服の秘密や詳細は特に言わなかったが、俺がこの服を着ていることで」
「世界各地の同族に会えるのか。で、今は温かいから正しい判断、と」
ロゼールの理解に、自信満々で頷くシャンガマック。以前、ファナリは教えてくれた。自分たちの近くへ行くと『こうして教えてくれる』と(※2410話参照)。
服が、ふわーっと温かくなるのが目安。石碑から靄が出た途端、シャンガマックの服はこの温かさを持った。それで、確信している次第。
シャンガマックは、ロゼールには話して大丈夫かなと思ったので、一部始終、訊かれるままに教えてあげた。
ファナリのことも本当は別に隠すものではないと思うが、総長やイーアンや、多くの耳が利く状況となると口を閉ざした。『特定の誰かに話した』そう覚えていられる、一対一の状態であれば良いとして。
「あ」
ロゼールが足を止める。正面から吹いた、青草の匂いを運ぶ風。
シャンガマックも出しかけた足を戻し、口端を上げる。見上げたロゼールに顔を傾け『迎えだ』と呟いた続き、シュウッと風は強まり、見渡す限りが海の世界に、野原の春を知らせる。
「どこから?」
「ちょっと待ってろ・・・まだ見えないから、この道をもう少しだ」
そうなの?と正面を見てロゼールが瞬きする。シャンガマックは彼の背に手を当て、『きっと先にある』と歩かせた。その言い方も顔つきも確信に満ち、目は好奇心しか映していない。ロゼールは仕方なさそうにフフッと笑う。
二人が歩いていた直線は、数分後に途切れ、途切れたところは直下する穴が待っていた。
「飛び降りるわけだ」
下が見えないが、海に筒が開いている状態のそれを見下ろし、ロゼールは頭を掻く。そういうことだなと笑ったシャンガマックは『先に行くぞ』を挨拶に、ひょいと飛びこむ。
「ほんとに怖いもの知らずだよ」
全く、と苦笑してロゼールも後に続く。ポンと飛び降り、落下する青色の透明の中。
下に見える淡茶の頭が見上げ『お前に言われたくない』と、聞こえていた『怖いもの知らず』に笑う。ロゼールも笑うが・・・ その笑顔も徐々に真顔に変わり、眉根が寄る。
「シャンガマック!いつまでだ?!」
「俺が知る訳もない!」
延々と降りて行く、海の筒。ちっとも終わらない落下に成す術なしの二人は、戸惑いを胸に、この後もずーっと・・・落ち続け―――




