2622. 『紺色の目へ』孤島の僧院・ルオロフの悩み・ビルガメスの予想
※今回は少し長いので、お時間のある時にでも。
タンクラッドとロゼールが入った空間は、誰かが昔使っていたような場所だった。
―――孤島自体が小さく、島の周囲は恐らく1㎞もない。水際から突き出た山状の岩が、島の形そのもので、磯というには足場に足りない、崖の延長が周囲の状態。
波をかぶって黒く光る岩はギザギザしており、所々で亀裂を持ち、その一つに『入れる』と見つけたロゼールが教えたことから、二人は亀裂の内側へ進み、現在この空間に立つ―――
「人が住んでいたんですかね」
「住んでいたんだろうな。俺はこうした雰囲気で思い出すのが、僧院くらいだ」
「僧院?」
ゆっくりと暗い空間を歩き、ロゼールは岩を削り出したままの椅子と机に触れる。人が暮らしたなら、閉ざされた空間に、布や食器や、そうした物も残っていそうなものだが・・・僧院は質素だけど、それくらいはあるようなと、彼の紺の瞳は残置物を探す。
「崩壊もあるんだ、ロゼール。保存状態が良いとは限らん」
ロゼールの思っていることを察した親方は、『全く何も遺っていないことも多い』と教えて、奥の光差す部屋へ進む。ロゼールも頷いて後に続き、本棚と思しき棚が並ぶ次の部屋に入った。
「保存状態って。こんなに差があるんですね」
「いくら何でもおかしいだろ」
入ってすぐ、ロゼールが呟き、タンクラッドの眉が寄った。戸や板で遮られている訳ではない、続きの部屋なのに。一条の光を受けるその部屋は、書棚に書が置かれていた。
さっと手前の部屋を振り返るロゼールに、親方は『あるか?』と尋ねる。品の一つも形を残していなかった部屋を見つめ、再確認したロゼールは首を横に振り、『あっちは何もないですね』と答えてタンクラッドを見上げた。
「同じ空気の質で、同じ湿度で、隣の部屋だけ物が残るんですか?」
「・・・秘密があるんだろうけれどな。とにかく調べるか」
おいそれと推理できない奇妙に、タンクラッドはこれはこれとして、入ったからには調べ始めた。
ロゼールも側に行き『どんな言葉も分かる、シャンガマックを連れてきたら良かった』と、タンクラッドが棚から取った本に思った。そう、思ったのだが―――
「あ。おい、これ」
「はい?」
親方は、脆い脆い、危なっかしい劣化した書物のページを、そっとゆっくりと動かし、目を見開く。本を覗き込んだオレンジ色の頭。掠れて失せかけた、散り散りの文字しかない紙面から、目を上げたロゼールに、『メ―ウィックだ』と作者の名をタンクラッドは教えた。
「彼が・・・そうか。それで、か。お前はサブパメントゥの・・・家族だから」
合点がいった親方の顔がほころぶ。意味が分からず、へ?と解説を求めるロゼールを見つめ、親方は笑った。
「トゥめ。俺を小突き回しやがって。俺じゃ永遠に入れなかった」
「あの、分からないんで教えてもらえますか?タンクラッドさんではダメだったって?俺がサブパメントゥと、その」
「その前に、もう少し棚の本を見よう」
嬉しそうなタンクラッドは、少し前までの疲れなど吹き飛んだように、急に息吹き返して生き生きしている。目を輝かせて、これもあれもと書を取っては少し中を確認し、笑みが深まって行った。
その表情はロゼールに、面白くてどうしようもない風に映り、タンクラッドさんは冒険向きだなと・・・なかなか説明してもらえない時間を、じっと待ってあげた。
*****
「僧院。うわ~・・・根気が違うな」
棚にあった書をいくらか見た後で、タンクラッドは『ここは僧院だったんだろう』と本を戻し、ロゼールは改めて周囲を見渡す。岩の内側を人力でここまで削り抜くなんて、どれほど大変な仕事で、どれくらい年月が掛かったのかな、と途方に暮れる。
削った岩の破片は、どこから捨てたんだろう?窓もない。どうやって、こんな広い空間を作った?椅子や机や棚の分を残して、他を削るなんて・・・ 二つの部屋以外、ここへ来る以外の通路もなく、出入りはあの一本の通路だけ。
手洗いは外か。飲み水は、どう手に入れていたのか。食料は運び込んだのだろうか。居住したのはせいぜい、三~四人間度の広さ。書架はあっても、寝台と流しはないし、祈祷台らしきものも見当たらないので、禁欲清貧どころではない、大変厳しい暮らしだった気がする。
疑問が溢れてくるロゼールは、孤島の僧院の存在に、驚き打ちのめされた。部屋を眺めまわす彼のあからさまな驚愕を見て、騎士修道会と比べているのだろうとタンクラッドは見当をつける。
少しそのままにしておいてから、タンクラッドも自分が推測したことを頭でまとめ、目が合った騎士に『お前と来たから入れた』そこに話を戻した。
不思議そうに頷くロゼールの紺色の目は、差し込む細い光に、美しい夜空を連想させる。この目、サブパメントゥの目だから、許可された。タンクラッドは、点でしかない示唆に線を引いて考える。
「最初、トゥがここに気づいた。トゥは『隠されし、許されし知恵』があると言った。何でも、メ―ウィックが隠した物らしく。精霊の期限付きで、今なら見つけた人間に受け継がれると(※2602話参照)」
「トゥが・・・そうなんですか」
「あいつは『何者かの声を聴いた』と、それを探すように俺に命じて(※命令された感あり)」
命じて、と言ったすぐ、タンクラッドは言葉を切って顔を顰める。脳内に注意が入ったなと、ロゼールは察した(※当)。目の据わった親方が『でな』と話を続ける。
「言った通り、昨日は丸一日何もなしだった。だがお前と一緒に来たら、途端に道が開けてこの通りだ。入り口から、コルステインの様な彫刻が続き、部屋に着いてみればどうだ。保存状態は劣化が著しいものの、メ―ウィックの書が待っていた。
メ―ウィックは、お前の前身みたいな立場だろう?サブパメントゥの誰かに、ここを託したんだと思う。他は入れないよう・・・何か、彼らしい仕掛けじゃないが、魔法でも掛けたかな。この時代、三度目の旅路が始まった時、訪れるサブパメントゥに開かせる仕組みを付けたと思える」
「ちょっと質問です。精霊の期限付きで、ここを発見した人間に受け継がれる、とさっき言いましたよね。俺はたまたま人間入ってますから(?)あれですが、コルステインが来ても、それって」
疑問を伝えるロゼールに、親方はなんてことなさそうに頷く。『そりゃ大した問題じゃない』と書架に寄って、戻した本をまた机に置き始めた。
「コルステインにここが開かれたとする。コルステインなら難なく入るだろうが・・・彼女がこの場所に何かを感じ取ったら、次は俺たちの誰かに知らせるだろう。つまり、情報は人間行き、ということだ。
この本にある内容。劣化で読み続けるのは難しいが、ディアンタ僧院の書物と似ている。許されし知恵・隠されし知恵は、『善良なサブパメントゥが、旅の仲間の人間に教えてやる運び』も組まれていたのかもしれない」
「ティヤーの、神殿の凶行を見越して、ですか?」
「現状と重ねればそうだが、そこまで見越していたか、断言まではな。可能性として、危険な人間の思想が、禁じられた知恵を密かに継続する懸念はあったのかもしれん。そのため、メ―ウィックは対抗手段になる情報を、こうした形で後の俺たちに託した、とかな」
「この僧院は、メ―ウィックのものではないんですよね?多分だけど」
「どうか分からんが、違うと思う。お前、これを人間が作れると思うか?」
タンクラッドとの会話が、一旦止まる。ロゼールは、見下ろす剣職人に『いいえ』と正直な返事をする。剣職人も頷いて『俺も無理だと思う』と机に手を置いて指でなぞった。
「摩耗するまで使い込んだ、なめらかさ・・・俺には、そう思えない。精霊なら技巧を凝らすだろう。
ここを作ったのは、サブパメントゥかもな。今、俺たちの側にいる、愛情深いサブパメントゥが手伝ってやったとしても、変じゃない」
「メ―ウィックさんのために?仮に、コルステインや家族が作った場所なら、こんな回りくどい事しなくても、教えてくれたら」
「ロゼール。彼らが、こんな小さいことを一々覚えてると思うか?」
あ、と口を開けたロゼールが笑い、タンクラッドも笑う。二人の声は岩の空間に木霊し、『それもそうでした』とロゼールが頭を掻いて、机に置かれた本に視線を向けた。
「そっか・・・俺、タンクラッドさんの推理が正しい気がします。そうすると、メ―ウィックはコルステインに『時が来たら教えてあげてほしい』と頼んだんじゃないか、なんて思いました」
訓練所の夢は、俺を予知したのかどうか。少しそう思う。
・・・この本に書かれた知恵は?と、ロゼールは本の内容を尋ねた。石の机の上に置いた本を、親方は慎重に開いて『ディアンタ僧院の書物もな、こういうのがあって』とそこから話す。
読み取れる内容は、危険な効果をもたらす材料と産地の特徴が中心で、親方の話を聞いているロゼールは段々、『この情報は他の場所でも保管されていたのだろうか?』と思い始める。顔に不安が滲んだ騎士を見て、タンクラッドは頷いた。
「メ―ウィックは隠したが。彼が懸念したように、知恵は漏れたんだろう。神殿は、僧兵ラサンの入れ知恵以前に、既に禁じられた知恵を使っていた。クフムは、ラサンに会う前から、アイエラダハッドでその仕事をしていたし、秘密裏で保たれた知恵はどこからか入手・・・つまり、同じ内容の書物なりなんなり、まだどこかにあるわけだ」
そう言いながら、タンクラッドは本に気を取られ、少し黙った。ロゼールは、親方の雰囲気から、彼がまた一人の世界に入ったと分かり、そっとしておく。
メ―ウィックの文字と言葉は、何百年後に生まれたタンクラッドさんが読める。これだけでも、メ―ウィックはどれほど頭の回る男だったのかと、想像してしまう。
俺は彼ほど、世界の役に立てるかな―― ぼんやり、自分と過去の男を重ね、ロゼールも思いに耽った。
親方は、全部の本に目を通した。
中には手で掴んだ途端、割れかけて慌てて放すような本もあったが、数えて二十冊の本、その内、十二冊までは辛うじて内容の確認が叶った。
紐でくくられただけの、表紙を持たない束ねた書もいくつかあったが、これらは既に壊れていた。どうにか形を保っているだけで、触れたら崩れるほど傷んでいたため、手つかずで終える。
結果。親方は『許されし知恵』の良い活用、そして意外な宝への道しるべを知った。
「トゥが言っていた本当の意味は、このことだな」
振り向いたロゼールは『危なっかしい知恵ですか』と尋ねる。親方の鳶色の瞳がキラッと光り、彼は口端を釣り上げた。
「いいや。治癒場の場所だ」
*****
外へ出てきたタンクラッドとロゼールが、思いがけない発見で、冷静に、浮足立っているのを(※隠しきれてない)、岩礁に寄りかかってトゥが無言で、見守ってやっている時間。
ピンレーレー島の黒い船を下りたルオロフは、一人、外出して町を歩く。
お昼に戻ってらっしゃいとミレイオに言われて、はいと答えたが(※母親2)、動く内容は実のところ決まっておらず、至急考え中。実行も素早く行わねばならない。
「サネーティ―が、もうすぐ」
歩きながら、ぼそっと落とす悩み事。早急に手を打たねばいけないが、国境警備隊に連絡を頼むとして、あんまり私の分が良くない。
港から警備隊施設の近くを歩く足は施設前に立ち止まるが、中へは入らずルオロフはまた歩き出す。
―――ラサンが生きてる前提で、絵のまま運び、使う場面が来たら出す、イーアンはそのつもりだったから、『使う場面』までは所持状態でいた。
それが、確認したら絵と同化しており、これはどうにもならないと判断される。私にとっては吉報だが、船に私が戻るなら、生死の有無を関係なくラサンが消えてほしかった。それは、同化したと知った朝に続いて、当日中に決行された。
イーアンは、ラサンの役目が消えたと解釈し、彼の絵を消した―――
「総長が先ほど話してくれた時、私は平静を装ったが、胸の内は歓喜した。よもや一週間程度を待って、あの男がこの世界から抹消されると、思ってもなかったのだ。こうも早くに決着がつくとは、私の別行動はほんの小旅行に過ぎない!と・・・喜んだのも束の間だ。ああ、サネーティを呼んでしまった、どうしよう!」
これほど早く解決すると思わず、自分がこの先、何か月も離れて行動するものと思い込んだため、ティヤーに明るい知人、サネーティの協力を仰ごうと呼びつけたのが。
「ただ単に、煩い信者が海を越えてやってくるだけになってしまった!(※呼んだの自分だし)サネーティに戻れと言えたら良いが、さすがに向こうもそれを承諾はしないだろう。
何かの理由を付けて、用事は解消したとするべきだが、もう間に合わない距離にいる可能性はある。彼は二週間程度で、ピンレーレーへ入ると豪語した。海賊繋がりで、どこへ行っても名が通っているあの男なら有り得る」
うわ~と、道端で頭を抱える、赤毛の貴族。
イーアンがどれほど彼に迷惑していたか、私は知っているのに!お母さん申し訳ありませんっ! 道で、うんうん苦しむ外国人に、通りがかりの数名の男性が『具合悪いのか』と声を掛けてくれ、ハッとしたルオロフは『大丈夫です』と立ち直る。男性たちは、『暑いから日陰に』と外国人を気遣って離れた。
「ふー・・・取り乱してしまった。情けない。どうもこうもないな、国境警備隊はサネーティがピンレーレーへ来ると分かっているのだし。止める事情が私の都合では、サネーティ優先の海賊にどう思われるやら。思うだけでは済まないだろう。
追い返すのは無理だとしても(※迷惑前提で)、サネーティが来たら内密に私に直行するよう・・・そうだな。今はそれくらいしか思いつかない。時間稼ぎだ。
くそっ、自分で呼んでおいて、何て私はバカなんだ!ラサンが消えた以上、今夜から皆さんと過ごせるかもしれなかったのに!せっかく同じ宿になったのも、今日から変えなければ」
ぶつぶつが止まらない貴族は、自分の早計な行動を後悔しながら、行く先定まらなかった向きを変え、急ぎ足で国境警備隊へ戻る。
『サネーティが来たら。入島を誰にも知らせず、どこへも寄らず、ルオロフ・ウィンダルの宿に直行するよう、伝えてほしい』―――
これを伝言で頼み、そして宿を変える。一身上の都合で、とは、なんと苦しい言い訳か!しかし同じ宿に皆さんがいたら、サネーティが来た時、心配がある。警備隊に頼んだら、すぐさま今の宿を出て別の宿を借りねばならない。
「苦渋の決断だな」
苦い表情でルオロフは警備隊施設の敷地に入り、開け放された門を抜けて人の多い正面玄関へ。受付で名乗って、サネーティの名を出すと、あっという間に物事は進む。
赤毛の貴族の真剣な顔と重い言い方から、サネーティへの伝言の内容は『きっとすごく重大なんだ』と真面目に受け止めた職員も了解し、すぐさま狼煙の準備に掛かってくれた。
「頼みますよ。決して、魔物資源活用機構の関係者には言わないで下さい。心配させたくない」
「分かりましたっ。任せて下さい。あなたとンウィーサネーティーの解決を、応援します」
心配の意味をどう捉えたかは自由だ、とルオロフは心で頷く。宿の住所は、後で伝えに来ると言い残し、貴族は大急ぎで宿へ向かった。
施設の外へ出たルオロフが、人の視界に入る前に消える。一瞬一瞬で移動する、驚異的な身体能力を惜しみなく使い、彼が宿に到着するまでに一分しか掛からなかった。
そしてルオロフは、お昼を過ぎる前に、どうにかアネィヨーハンへ戻り、ミレイオに『お昼よ』と食事を出されて、沈鬱な表情で『実は宿を変えました』と報告し、驚く総長たちに、事情はすぐに話せないと苦しげに呻き、心配された。
食後も気にする総長やシャンガマックに、『今は話せません』と辛い微笑を向け、宿に戻るまで楽しく過ごしたいと伝えて、午後を過ごす。
この午後、ピンレーレー島の警備隊で狼煙が立つ。狼煙は次々に島を渡って、同じ色と間隔で上がり、航海中のサネーティの船は伝言を受け取った。サネーティの反応は、もう少し後で―――
*****
イーアンは空で龍気の補充をしながら、ビルガメスと話す一日。
気持ちの打ち明けで、ラサンのこと、死霊のことも、淡々と口にし、ビルガメスはその一連に『原初の悪』が女龍に実績を・・・良くも悪くも、来るべき到来に向けたそれかと感じ、イーアンに『すぐに用がなければ夜もイヌァエル・テレンにいろ』と言った。
え?と夕方の空を見たイーアンに、ビルガメスは『お前に教えておいてやろう』と答え、青い布アウマンネルに『俺が話しても良いな』といきなり問いかけた。
青い布は男龍の問いかけに、淡い光りで応じる。驚くイーアンだが、この二人が何かを判断したなら聞きたいと、夜泊まることを了解した。
夜。『原初の悪が、最初に女龍に取った動き(※2101話参照)』について、ビルガメスはもう一度話す。
その時から、相手がどの様なつもりだったか。推測よりもさらに踏み込んで―――
お読み頂き有難うございます。




