2616. 雨と笛と乾いた臭い
「もうじき、雨が降るね」
セーイチョウが窓の外を見て、『夜まで居る?』と振り向いて尋ねる。窓の近くに寄ったオーリンも空を見て『曇って来たな』と眉根を寄せた。
「でも、夜までは無理だな。午後に帰るよ。うっかり、昼を貰っちゃったけれどさ」
今、訓練所はお昼が終わったばかり。子供たちはお昼が終わってすぐ、派遣のオーリンたちに挨拶して帰って行った。多くは、対岸の村の子。少数がこの道の先。皆、雨の前に帰りなさいと送り出された。対岸の村の子は、昼に向こう岸から渡し舟が来るので、それに乗る。
昼が終わって片付けて、午後は年配の作業員が来る予定だが、雨と分かれば来ないらしい。
「食事は多い方が楽しいから、気にしないでくれ。夜も降ってるかもしれないけど、もうちょっとでいきなり大降りになると思うから、今は出ないことを勧めるね」
風の温度が下がり続ける、灰色の空を見つめ、セーイチョウは『大降り』の予報を出す。
「うーん、川の船は動くのか?」
「動かないよ。ひどい雨だと、一番近くの岸で小降りになるのを待つ。皆、よっぽどじゃないと、雨降るって解ってて船に乗らないから、大抵は船頭だけだし」
皆が分かるものなんだな、と意外そうなオーリンに、セーイチョウと近くの職人が『海育ちだ』と笑う。
「どんな風が吹いて、温度が変わって、空模様見て、大体掴める・・・あ、忘れていた」
側の職人は『忘れていた』と、額をぴしゃっと叩き、『笛を配らなければいけなかった』と顔を歪めた。セーイチョウも、あ、と驚き顔に変わって『急ごう』と外を見る。
「どうした」
「子供たちに、魔物用の笛を配るつもりだったんだよ。うっかりした!」
聞けば、少し前に魔物が川上で出たため、通う子供たちに危険を知らせる呼び笛を渡そうと、訓練所で用意していたらしい。
「私が行きます」
オーリンの傍らにいたルオロフがすぐに申し出て、職人たちは細身で色白の若者に『あんたはいいよ』と遠慮する。怪我したら大変だぞと心配する職人たちの胸中は、分かりやすいほど伝わるが(※顔に出る)、オーリンはルオロフの肩に手を乗せ、自分も行く、と言った。
「子供たちは、向こう岸と、こっちの奥だろ?二手で行けばいい」
「オーリン、客にそんなことさせられない。雨も降りそうだし。それに川向うは船が」
「あ、じゃ。俺も行きます」
セーイチョウを遮ったのは、訓練所の奥にいたロゼールで、戻ってきた足で聞いていた様子。『ルオロフは俺と、川の向こうへ行けば」と提案。
彼が飛んだのを思い出し、セーイチョウは『そうだった!』とポンと手を打つ。が、他の職人の反応はは『よせよせ』・・・気持ちだけで十分だと否定的。
「ロゼールは、飛ぶ板を持っていて凄いんだよ。魔物の笛を届けてくれるなら、ルオロフと二人で村に行けば、言葉も話せるし」
「セーイチョウ!オーリンは、腕も立ちそうだが。彼らは子供みたいなもんだぞ」
セーイチョウは賛成しかけたが、違う職人が口を出す。『子供?』と互いの目を見合わせる、ルオロフとロゼール。
二人とも髪は赤く(※赤とオレンジ)色白で、似たような背丈で細く、20代後半・・・そして、少し童顔(※ここで判断)。兄弟か何かと思われて、『子供扱い』にまとめられている。
気を悪くしたルオロフが『失礼な』と声に出し、ロゼールが『俺はもう30近いんですよ』と額を掻くが、おじさん連中は『怪我しても困るから』と相手にしてくれない。
オーリンは中年で職人、体つきもしっかりしている分、『オーリンは客だから、いいよ』と気遣う内容が違うが。
「おいおい、客だけどさ。もし魔物が出ても、俺たちは『退治が仕事』で来てるんだし、大丈夫だよ。俺も飛ぶ手段はあって、何かあっても龍と一緒」
「龍?龍・・・ああ~!ニソーニーキンが言ってたな!そうか、あんた龍に乗る人か」
そのニソーニーキンは、とっくに帰宅済み。オーリンの株が付け足されるが、弓職人は、むすっとするルオロフと、参ったなと困るロゼールを見て、『こいつらも凄いんだよ』と苦笑で紹介。
「ロゼールは飛ぶ板があるし、彼の身体能力は異常だ。どこでも素手で、魔物を倒してきた。ルオロフはロゼールの身体能力に、もう少し盛った感じだ。武器も防具も要らない男たちなんだよ」
うそー、と驚愕の声が上がるが、『普通の人間じゃ、彼らを絶対に倒せない』と笑ったオーリンに、セーイチョウも目を丸くして、ロゼールはそんなに凄いの、と感心した。
「・・・分かって頂けたならっ。早く子供たちに笛を届けましょう。私とロゼールで、対岸へ行きます。オーリンはこちらで!」
まだ機嫌が直らないルオロフが、きちっと急かして、苦笑の混じる職人たちが首を捻りながら『じゃ』とようやく。お願いする事にして、笛の袋を持たせた。
*****
小さな細い笛は、人の指くらいの大きさで、首からかける紐付き。笛だけではなく、笛の袋と別に、今朝セーイチョウが買ってきた小さい果物も、おやつに一人に一個つける。
兄弟やいとこ同士で通う子がいるため、家の特徴と距離感を聞き、オーリンは前の道の先へ、ロゼールとルオロフは早速お皿ちゃんで、反対の方向の対岸へ飛んだ。
対岸の村から来ている子供たちが多いため、果物も多め。ルオロフが荷物を抱えて、ロゼールは彼の胴に腕を回し、二人でひゅー・・・とあっさり川を渡る。
「降りて歩いた方が良いよね」
ロゼールが可笑しそうに言って、ルオロフも笑って頷く。橋のない対岸に渡し舟が係留してあり、人の居ないそこで降りた。
ロゼールは川上を振り返る。その仕草に『どうしたんですか』とルオロフが尋ね、ロゼールはちょっと間を置いて、歩きながら『魔物がいそうな気がする』と答えた。目を見開くルオロフ。
半分持つよと、袋を一つ引き取ったロゼールは、来る前からそんな予感がしていると教え、流れてくる臭いが気になるのも話した。
「ロゼール・・・それは訓練所の誰かに言いましたか?」
「言いませんでした。俺たちがいる間に出てくれば、倒すだけだし。もし帰るまでに出なかったら、伝えて、また見に来ようって」
「そうだったんですか・・・私も鈍い方ではないのだけど、ちっとも気づかず」
でも、出たら倒しましょう、と意気込む赤毛の貴族に、ロゼールは微笑んで『ルオロフは剣を置いて来たの?』と聞くと、『今日はオーリンも一緒、あなたも一緒ですし』と肩を竦めた。
ルオロフが剣を携えるのを控えるような話を聞いていたロゼールは、その理由が慎重だからとも聞いている。
「ルオロフはまだ、剣を持つのに抵抗があるんですね」
「そうではないですが、普段から持つ習慣化を避ける意識はあります」
あんまり聞いても悪いなと思い、ロゼールはフフッと笑って『あれが、最初の家だと思う』と、教えてもらった子供の家を指差した。ルオロフも前を見て頷く。
「あの、ロゼール。あなたは早い内から、一人の職人と話し込んでいたけれど、目のことで?」
ここで――― 作業所訪問すぐ、最初からロゼールが側にいなかったのを気にしていた心配を、ルオロフは尋ねる。
ロゼールも何も言わなかったので、ルオロフとオーリンが心配していそうだとは思った。貴族に顔を向けると、薄緑の瞳が気がかりを伝える。
「後でね。オーリンとルオロフにも話すつもりで・・・いや、時間があれば皆にも言っておくかな。『悪夢の憶測』を打ち明けられていて、俺はそれをどうすることも出来ないけれど、話や質問は聞いた感じですね」
「分かりました。では、また後で」
ロゼールの表情が読めず、ルオロフは少し微笑んで尋ねるのをやめた。最初のお宅、平屋建ての扉前に立ち、ルオロフがまず戸を叩いてティヤー語の挨拶をする。
扉外で用を告げた来訪者に、戸は開かれたが、そこにはめいっぱい眉を寄せて外国人を警戒するおばさん。
う、と二人がたじろいだすぐ、おばさんの後ろから子供が来て、『ルオロフ!来てくれたの』とはじける笑顔で挨拶してくれ、疑われる時間は短くて済んだ。子供は母親に『訓練所に仕事を沢山、頼んでくれる人たちだよ』と笑顔で教える。お母さんの表情が和らぐ。
「笛を配りに来たんだ。魔物が出たら教えるんだよ」
はい、とルオロフが笛と果物を渡すと、子供ははにかんで受け取り、果物をお母さんに預けて、首に笛の紐を掛けながら靴を履く。
?と思うルオロフとロゼールの上に視線を向けた子は、降り出した雨を気にして『次の子の家まで一緒に行ってあげる』と外へ出た。お母さんもそれは許可する。数軒先の家に案内され、そこでついて来た子が友達を呼んでくれた。
親切な事にこれは繰り返される。雨が降っているからいいよ、と断るルオロフとロゼールに構わず、子供たちは自宅の隣家まで同行し、そこで交代する。
おかげで1時間もしない内に、30数人の子供たちの家へ迷うことなく二人は伺い、案内付き・信用付きで、笛と果物を配った。
最後の子の家で、雨粒は大きくなっており、子供の足元に泥が撥ねていた。少し前からそうだったが、子供たちはちょっとそっと濡れるのなんて気にしない。
でも気になるルオロフは、最後の家に送ってくれた女の子を家に送り届けた際、『君の足が』と玄関先に屈んで、薄い靴の素足をハンカチで拭ってあげた。女の子はびっくりして口を押さえる。
「ルオロフの布がきたなくなっちゃった!」
「洗えばいいだけだ。強い雨なのに有難う」
ニコッと笑った貴族も雨に打たれているのに(※もちろんロゼールもだけど)優しい態度で接してもらった女の子は、『有難う。また明日ね』とごにょごにょ言いながら照れて家へ入った。
「明日は来ないんだけどな」
離れてから、ロゼールがちょっと笑って呟き、ロゼールも『そうですね』と濡れる顔を拭う。
「さっきの一面。やっぱり貴族だなと思いますね」
「そうですか?普通です。子供が汚れているのに、放っておきません」
他の子たちはそこまで泥が撥ねていなかったが、最後の最後で一緒に来てくれた子は、膝まで泥だらけで酷い有様だった。
「私たちは、ティヤーでも革靴ですから、このくらいなら水が染みる不快さだけで済みますが」
「ハハハ、靴どころか全身ずぶ濡れも良いところじゃないですか!でも、ルオロフみたいに、鷹揚な貴族ばかりだったら良いのに!」
そんなと、褒められたルオロフは笑顔で首を横に振る。びしょ濡れの二人は、雨脚強くなる一方の土の道を『人がいない所でお皿ちゃんに乗ろう』と家が少なくなるまで歩いたのだが―――
ごうッと吹き抜けた風の、乾いた臭いに、ロゼールはハッとして顔を上げる。
「ルオロフ、魔物が」
「なるほど」
側に広い川、反対側は鬱蒼とした森、土砂降りの雨打つ、水のにおいしかないはずのここに、ロゼールはテイワグナの乾いた臭いを思い出す。ルオロフは、アイエラダハッドの荒野の道を。
ぐっと顔を拭った赤毛の二人は、川上から響き始めた、土と川を揺らす振動を睨んだ。
「あなたは、武器なくても大丈夫そうだけど」
早口で『これ使って』と、ロゼールは濡れて重くなった鞄から、派手なひし形を急いで取り出す。それは?と長い睫毛に渡る雫を拭いて、よく見ようとしたルオロフの腕を取り、『盾だ』とロゼールは教える。
「俺は剣を使わないから、ミレイオに盾を作ってもらいました。両腕に着けて、防御も殴るのも出来る」
「でも、ロゼールの武器でしょう?」
「俺には、ドゥージさんの弓」
雨で聞こえなくなる声を張り上げ、ロゼールは腕を差し出す貴族に、二枚の盾を装着してあげた。
「合わせると一枚になる。でもこうして、それぞれ前腕に着けるだけで、動きを邪魔しない武器に変わります」
「ミレイオが・・・素晴らしく美しいですね。頑張ります」
「鋭角の部分を突き刺しに使っても大丈夫。頑丈なんです」
説明しながら、ロゼールは折りたたんだ弓を、鞄から取り出す。
背中に矢筒を掛け、ドゥージの弓の弦を掛けると、数本の矢を装填した。木製の、不思議な形状をした弓。ドゥージの愛用した弓が、ロゼールの魔物製の手袋に握られる。
「ドゥージの・・・ 」 「はい。俺と一緒に戦ってくれます」
唇を引き結ぶロゼールの横顔に、ルオロフは頷く。その時、二人の準備完了を知ったように、川上の風景がぐにゃっと歪んだ。
目を見開く二人は、まだ村を出ていない。村の端に係留所があり、二人は走り出す。ルオロフの方が、文句なしの瞬発力であっという間に消えるが、ロゼールも数秒後について行く。
飛ぶように駆ける二人は、係留所が視界に入った瞬間、眼前の変化に目を疑った。
「砂漠だ」
川と両岸が歪んだ、土砂降りの煙る白い向こう。ゴオオオオオ・・・と不吉な地響きを立て、砂の世界が現れる。
空中に丸窓でも付いたかのような、嘘みたいな風景が―――
お読み頂き有難うございます。
三日連続で同じことを書きますので、読まれていない方はどうぞ一読頂けたらと思います。
今週は、大雨の話が続きます。偶然にも、先週末の休み前に書いたストックは、現実の大雨被害と『大雨』の部分が重なってしまいました。
現実に各地で大雨の被害が出た週末の後、この内容がお気に障る方もいらっしゃるかもしれません。
現実の雨の前に書いたとはいえ、気になるようでしたら、どうぞ無理をせず読まずに飛ばして下さい。
私は意識が持つ間に書き溜めているので、このストックの分を改めて書き直せず、このまま投稿しますのでご了承下さい。
いつもいらして下さる皆さんに心から感謝しています。
Ichen.




