261. 星と運命
龍での帰り道。ドルドレンはイーアンにいろいろと詰問した。イーアンはきちんと答えた。
中でもドルドレンを不安にさせたのは、質問の中でイーアンが正直にあっさり答えた、「おでこ」だった。
そんなことされてなぜ悲鳴を上げなかった、とドルドレンが裏声のような素っ頓狂の声を上げると、なぜか龍が怒った。
龍が怒ったので何度もぐるぐると宙返りされ、空の上だから助かったものの、しゃーしゃー白い煙を吐くので、イーアンが懸命に宥め、ドルドレンがとりあえず『自分が悪かった』と謝った。ドルドレンが謝った途端に龍は静かになった。
まるでお前のせいだとばかりの態度の変わりように、ドルドレンも戸惑ったが、イーアンはもっと困っていた。イーアンは『彼じゃないのよ、私がいけないの』と首を撫でながら説明したが、龍は知らん振りだった。
龍の前でまた何か逆鱗に触れてもいけないと判断し、ドルドレンは部屋に戻ってからにしようと考えた。
支部に着いて、最初の出迎えがダビだった。たまたま自分の倉庫から空の光を見つけたとかで出てきた。
疲労で白髪の心配をするドルドレンを他所に、ダビはイーアンに笑顔で『どうでした、剣』と訊ねる(※総長無視)。剣にしか関心がないのは大変良いことだが、龍を戻した後、ダビは龍の荷物を自分が・・・と、積極的に運び工房へ入った。
工房に入ってすぐにイーアンが火を熾し、茶のための水を汲もうとすると、窓際に来たダビはその鍋を受け取って、表の水道から水を汲んでイーアンに渡す。
その連係プレーを見て、ドルドレンは無口絶好調。ベッドに腰掛けてぼんやり二人を見ることにした。なぜ龍に怒られたのかも、ちょっと考えながら。ドルドレンは毛皮のベッドに座る(←定位置)。
ダビはイーアンの話を聞きながら、土産に(ダビのではない)剣を持たされた包みをちらちら見ていた。イーアンはそれに気がついて、机の上に包みを置いて広げる。
「すごい!!イーアン、やったじゃないですかっ」
人間に無関心で自分のことしか動かない男が、子供のような喜び方をするので、総長はびっくりした。イーアンも少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になって『ダビのおかげですよ』と剣を渡した。
二人の会話はこの時、大して人間離れしていなくて、ちゃんとドルドレンが分かる内容の形容詞が沢山あった。ダビも人並みに喜べる。それと分かる貴重な体験だった。
ダビは大興奮。
とにかく剣の何が凄いかを必死になって説明していた。イーアンは笑顔でそれに、ただただ頷く。
まるで50年、その半生を連れ添った夫婦のように。老年の夫の子供臭さに、微笑ましげに頷くお婆ちゃんのようだった。この安定した関係を、一体どうやって他人に伝えられるだろう、とドルドレンは悩んだ。
「あのね、これを作って下さったタンクラッドというのだけど。その方が、あなたに会いたいそうです。ダビも今度行きましょう」
「もちろんです。そのつもりでした。いつが良いですか?明日?」
――気が早すぎる。早すぎるんだ、部下よ。お前はそんなにノリノリ男だったか。いや、違う。お前は他人の言葉なんて一切耳に入らない、冷たさの意味が宇宙レベルに本気の男だった。
それがなんだ。春が来た中年みたいに喜んじゃって。剣はそんなに魅力か。いっそ鞍替えしたほうが良いような。しかし騎士が減るとそれも困る。うぬ。ダビめ。読めない男だ――
「そうね。本当はそうしたいけれど。でも来週の後半です。タンクラッドに用があるのでしょう。とはいえ、もし外からでも工房見学したいなら、煩わせないわけですから・・・明日でも大丈夫かな」
何その優しい提案は。ドルドレンの目がかっと開く。明日行こうか、と誘っているようなものだ。イーアン、そんなこと言って大丈夫なの・・・・・
わっ。ダビが人相違う。煌いているっ。うわ気持ち悪っ。こんな顔するのかこの人。ドルドレンはただ黙って、目の前に繰り広げられる光景を見ているしか出来なかった。
「良いのかな。でも行きたいですねっ!外からでも良いから、見たいですよ。龍でどのくらいですか?明日からは居残り組は通常業務ですけど、午前中に帰れるなら演習も大丈夫じゃないかな。ね、総長」
自分に決断を迫られて、ドルドレンは慌てながらつい頷く。ダビは大喜び。イーアンも大喜び(何で?)二人でハイタッチ(何で??)。
『良かったねー』『良かったですよー』『外ももろ、剣の工房って感じですよ』『えーほんとー?!』
・・・・・って会話が、きゃっきゃっ、きゃっきゃっ続く。 ――何だそれ。何がどうなるとそんなハイなの。外からしか見ないんだよ。ただの家だって。素っ気無いおっさんの家。ダビはそんな追っかけみたいなことするの?
総長が苦い顔をして見つめる。それに気がついたイーアンはちょっとドルドレンに微笑んで、片目をぱちっと閉じる。ハートを射抜かれた旦那(※未婚)はベッドに倒れた。
旦那を倒した奥さん(※未婚)は、仕事仲間・ダビに本題を振る。
「あのね。最初の剣工房の親父さん、いるでしょう?あの人がダビの意見を重視して、最初に取り掛かってくれたのです。タンクラッドはその後、角の特性を見つけて改良したのですが。
親父さんが加工したのは、いわゆる生状態の角です。私たちが普段扱う最初の部分。その加工の際の、剣職人の視線から見た魔物の角の話を、ダビにも一緒に聞いてもらいたいと思います」
どーお?とイーアンが訊くと、ダビはぶんぶん頭を縦に振って大賛成の意思を示す。『絶対必要ですよ。だって職人が手がけた時の、職人の工房での加工談でしょ。それ今後参考になりますって』とか何とか言って、明日ダビとイーアンお出かけ決定。
旦那が射抜かれたハートに悶えている間に、奥さんは仕事仲間と明朝から出かける予定を、まんまと組んだ。
惨敗した旦那の意識が戻る頃には、出発時間も決定して『じゃ明日!』と意気揚々消えた、ダビの声が木霊する状態の部屋だった。
「ドルドレン。午前中だけ行ってきます。善は急げですね。ボジェナが喜ぶと良いけれど」
ダビもボジェナを気に入ったらいいなーとイーアンは夢見がちに、ほわほわ笑顔でいた。
ドルドレンはしてやられた気分。でも目的はそこ(ボジェナ)だったかと思うと、さすがイーアン。軍師だと感心するしか出来なかった。
扱いにくい人間無関心男を丸め込み、自発的に率先して出かけさせ、止めに入る旦那を射抜く。さすがだ、俺の奥さん。もう旦那さん、負けちゃったよ。ドルドレンはベッドに倒れて、息切れするだけしか出来なかった。
そんな旦那さんに寄り添ってイーアンはぴたっとくっ付く。『いつも有難う』囁く声でお礼を言われたら、もう止めることも出来やしない。完敗決定。ドルドレンは苦しげに愛する奥さんを撫でた。
「どこかでこうして、運命って繋がっていくのでしょうね」
ダビが親父さんの工房に行かなかったら。ボジェナがあの時いなかったら。こうならないですものね・・・とイーアンはドルドレンに寄り添ってうっとりする。
「私たちもですけれど。運命が、まるで夜空の星座のように繋がって、気がつけば全てが運命的に紡がれていて、一つの意味を持つのね」
ロマン溢れる奥さんを両腕に抱いたドルドレンは、夢見心地のイーアンにそっとキスをする。良い具合にベッドに倒れたままだが、このままいちゃつくには。扉の鍵がしまっていない・・・・・
ドルドレンは立ち上がって工房の鍵を閉め、窓にも毛皮をかけた。
「イーアン」
ベッドに座って、イーアンを抱き寄せるドルドレン。黒い螺旋の髪にすうっと指を滑らせて、彼女の頭に手を添えながら引き寄せて口付けする。ゆっくり、優しく甘いキスを、時々唇をつるっと舐めて、舌を絡ませた。
少しずつ服を脱がせるドルドレン。イーアンもドルドレンの衣服を少しずつ、緩める。まだ明るいけど、イケル・・・・・っっ!!!ドルドレンは息が荒くなりそうなのを必死で押さえながら、丁寧に愛妻の服を脱がしつつ、柔らかな腕、背中、小さな大好きな胸に手を這わせる。明るいから興奮具合が全然違う。
毎日、新鮮な新しい扉を開けるドルドレンは、今日は初の『昼下がり・愛の営み劇場』だとドキドキしてしまう。
こん。こん。
・・・・・聞こえない。何も聞こえなかった。イーアンはちょっと止まる。まずい。
こん。こん。こん。
イーアンの唇が離れる。ニコッと笑って、服をすごい勢い(所要時間3秒)で正された。ドルドレンの服もちょびっとラフに正され。
「はい。どなた」
愛妻が自然体で、立ち上がって行ってしまった扉前。ドルドレンはやる気満々だった股間を隠すために、ベッドのフットボードに掛けたクロークをバサッと股の上に置いた。仏頂面がいつもより険しい。
開けて入ってきたのはシャンガマック。
総長の睨みつけが半端ないので、シャンガマックは少々驚いているようだった。明らかに怒っている総長を気にしつつ、シャンガマックはイーアンに、紙筒を手渡した。
「これは今年一年の星の流れだ」
イーアンが見上げると、シャンガマックは微笑んで、紙を広げるように言う。作業机の上に広げられた紙は、一面に不思議な絵が描かれていた。紙の四方縁には、小さな文字と図形のような記号が並ぶ。
「見てくれ。これを今持って来たのに理由がある」
シャンガマックの指差した場所は、大きな星を示す丸い印。その横にも同じような大きさの丸い印。その周囲には更に、少し小さめの違う色の印が付き、それらは点線で繋がって、上下の枠線に描かれた記号と文字を当て嵌めたような単語が添えられていた。
「これはイーアンだ。こっちが総長。これは俺で、こっちがフォラヴだ。もう一つ、ここに少し違う大きさと意味の星がある。これは新しい誰かだ」
「新しい誰か。これまで私が会っていない人という意味でしょうか」
頷くシャンガマックは、ベルトに挟んでいたもう一枚の紙を広げて、1枚目の紙の上に広げる。同じような箇所を指差し、二枚の紙の違いを見せた。
「これは昨年の星の動きだ。一年前、俺はここの部分に、新しい星が加わることを知って驚いた。これは遅い時期だろうと思っていたが、実際にそうだった。イーアン。イーアンが来る少し前から、星の配列が変わり始めた。
今年の星の動きにも、イーアンがいる。そして、昨年なかった星が入ったということは、これは出会いだ。まだ何人かと出会うだろうが、一番近いのが、ここにある星だ。これはもう、時期としてはすぐだ。この位置に現れた星の人物は、おそらくイーアンを支える。イーアンの意志を支えるのだ」
「シャンガマック。星の場所で人物の特性が現れているのか」
股間の落ち着いた総長が立ち上がって、星図を覗き込む。シャンガマックは指を動かしながら、上下左右の欄に書かれた文字の意味を簡単に教え、交わる場所の星の意味を伝える。そこに時期や動きを示す『箱』があり、その意味も含めて一つの星を考えるという。
「俺とフォラヴは同じような立ち位置にいる。イーアンを守り、イーアンと精霊の繋ぎ役になる。総長はイーアンと一緒だ。役割は違うが、使命は同じ。
そして、ここにある星は、今年になってから出会う人物で、この人物は先見の明を持って、イーアンの意志を支える。この人物も恐らく、ヨライデへ一緒に行く。その存在があれば、イーアンは迷わないだろう」
この誰かとの出会いはすぐだ、とシャンガマックは強調し、だから見落とさないようにと思って、知らせに来たと話した。
ドルドレンはそれが誰だか見当がついていた。イーアンも少し過ぎったらしい顔をした。二人の目を見てシャンガマックは小さく頷く。
「もう出会ったんだな」
ドルドレンは溜め息をついた。やっぱそうかー・・・と。何だかあの人、そうじゃないかと思ったんだよな、とぼやく。黒い艶やかな、白い線の入った髪をかき上げて、総長がシャンガマックを見た。
「お前も驚く。多分」
総長の顔がげんなりしているので、シャンガマックは眉を寄せた。『厄介な相手、という意味ですか』小声で尋ねる部下に、総長は目を瞑って首を振る。
「ある意味そうだ。だがどうにもならん」
そしてイーアンに腕を伸ばす。イーアンも苦笑いしながら長剣を握らせた。
「何です。この剣は。こんな剣、初めて見た。もしかして総長の・・・・・ 新しい剣ですか?」
「そうだ。これを作った男だ。お前の見つけた、その新しい出会いの人物は」
職人?シャンガマックはイーアンを見る。イーアンも頷いて『昨日会いました。今日も』と答えた。
シャンガマックは目を見開く。目の前の剣は、漆黒の両刃に曇無い銀色の輝きの胴体を持つ、長剣。
軽くイーアンの背と同じくらいの長さを持つ剣身。妙に光を吸い込む黒い滑りのある刃は、あまりにも艶やかで、うっかり触れてしまいそうになる。
「イーアンが企画して、イオライセオダの親父がダビと相談して一度形にした。しかしそれは完璧ではなかった。親父の友人の職人がそれを知り、剣を引き取った翌日・・・つまり今日だ。イーアンがその職人の工房へ行くと、彼はこれを仕上げていた。完全な剣として」
「すごい。こんな剣があるなんて。魔物だと分かるのに、もう魔性がない。聖なる存在に変わっている」
「そんなこと分かるの?聖なる存在に?」
驚いたイーアンがシャンガマックを見ると、黒い瞳でイーアンを見つめ、『イーアンが作るものは何でも。形になった時点で魔性が消えている』この剣もそうだ、と言った。
「これを作ったのは親父とその職人だ。イーアンは今回、絵に描いただけなのだ。それでもか」
「分かりません。でもその職人もまた、使命を与えられて存在するなら、もしかしたらその職人にも魔性を消して聖なる存在に変える・・・よほど純粋誠実な心で挑むのでないと、出来ない業でしょうが」
シャンガマックの『純粋』の言葉に、イーアンは納得する。間違いない。タンクラッドだろうと思った。
イーアンとドルドレンは顔を見合わせる。ドルドレンが非常にがっかりした顔で、はぁぁぁぁぁと溜め息をついた。イーアンは下を向いて、少し笑っているが困っているようにも見える。
総長の項垂れ方がいつもと違うので、シャンガマックは、その職人は総長をとことん悩ませる相手だと理解した。
思うにイーアンが。その職人と絡むのか。それを思えばシャンガマックも、今からちょっと溜め息をついた。
お読み頂き有難うございます。
 




