2606. ピニサマーニヤの祝宴 ~②忠告
ということで、祝宴の挨拶完了。
煩さが一層増した、煙草の煙と賑わう声の渦の中、皆は食事を始めて酒を飲んで、周囲の盛り上がりを違う世界のように眺める。
イーアンは女性がくっついているので、ロゼールやシャンガマックに悪影響がないよう気遣い、食卓を一つ隣に用意して離れた(※イーアン独占される状態)。
煙草の灰白に煙る空気は臭いも強いが、ティヤーの料理も酒も、それに負けない。酒場にはいろんな臭いが入り混じる。匂いも味も、強く甘く辛い、料理と酒。クフムはこの酒を、一口飲んで止まった。
ドルドレン、タンクラッド、ミレイオは酒に強い。オーリンもそこそこ。
シャンガマックは支部の慰労会では酒もあったが、ここ最近は酒抜き生活。強い酒なのもあって遠慮がち、ロゼールも『料理の味が分からなくなるから』と酒を控えた。
そうじゃなくても・・・『目を合わせる・うっかりそちらを見た』だけで、そこらにいる女性が笑みを向けてくるので、酒なんか入ったら近寄ってきそうな気がして、飲む気になれなかった。
―――女性付き。娼婦が悪いのではなく、『女性をあてがって夜も楽しませる』つもりと分かった時点で、旅の一行は、何となく気分が悪かった。
命を削って戦い続け、世界の大役に貫いてきた、一途な忠実。その自覚を持たない訳がない自分たちとの、温度差。自覚は誇りであり、誇りを汲もうともしない相手と、何を祝うのか。
挨拶に入った一言『最速で片づける』も、他意はないのだろうが、どれほど大変なことか分かっていないように感じた。
『くつろげよ、気楽に女でも抱いてけよ』と、欲を満たせばもてなしになると、頭から決めつけられ、甚だしくさえ思う―――
騎士二人とクフムは、背後は柵だし、両隣に職人が座ってくれているので、安全席ではある。シャンガマックの横にミレイオ、タンクラッド。反対側のクフムの横にはオーリンで、オーリンの横にドルドレン、局長。
タンクラッドと局長の間に、職員が二人加わっていたが、職員と馴染の女性も同席したがるため、タンクラッドが少し離れた。すると、女性はタンクラッドの服を掴んで『隣に』と誘う。タンクラッド、無視。
「これまでの祝いの席と違う分、落ち着かんな。俺は戻る」
ミレイオが振り返ると、タンクラッドは『じゃあな』と即決(※独断)。びっくりしたドルドレンも立ち上がって止め、局長は目を眇めて、背中を向けた剣職人にぼやいた。
「祝宴早々、落ち着かないから帰るだと?祝っているんだぞ」
「頼んだ覚えもない。俺の人生に有意義じゃない時間は不要だ」
頼んでない、有意義じゃない、不要、と並べ立てる親方に、不満の視線を投げる局長と彼の部下。横の女性が場を和らげようと、『なんでそんな堅苦しいの』とタンクラッドの手に触れた途端、タンクラッドは手を振り払った。
「飲んで食って、も構わんが。精霊の声を届けに来たのに、これじゃ話も出来ん。ただ食い散らかして飲み潰れるだけなら、勝手にやってくれ」
がっつり個人行動の親方に、げーっと驚くシャンガマックたちだが、ロゼールは『カッコいいなぁ』と斜めに痺れる。
タンクラッドの声は、騒がしい中に響き、周囲の客たちも振り返り、椅子にふんぞり返って酒片手、局長の顰めた顔と彼を交互に見た。
イーアンも、親方に一票。
ちょっと賑やか過ぎてしまうし、本題に触れられない感じを、どうしたものかと思ってはいたが・・・タンクラッドが機会を作ったかなと、腰を上げる。
片腕にくっついていた女性が、あ、と見上げた顔に、イーアンは微笑み、浮いた彼女の手をポンポンと叩いた。
「私が助けたのではありません。精霊が、小さなあなたを守りたかったのです。ね」
「でも。ウィハニに」
「ウィハニの女が間に合わないと知っていて、精霊があなたを助けました。さて、タンクラッド」
小さい頃の思い出は大切に・・・イーアンは微笑んだまま、女性から親方に呼びかけ、振り向いた彼に笑顔。タンクラッドも笑みを浮かべ、左手を伸ばした。『はい』と返事をして席を出たイーアンは、右手で彼の手と繋ぐ。
ドルドレン、唖然。ミレイオも口が開いたまま。ホントに出る気?と驚くオーリン。凝視する局長他。イーアンは首を傾け、親方に訊く。
「逃がしますか?」
「そうしてくれ。今、精霊が俺を見たら、がっかりされる」
「ハハハ!それじゃ困りますね」
笑った女龍は、片腕を白い龍の腕に変え、タンクラッドの胴体に腕を回した。わっと周囲から驚愕の声が上がる。続いて女龍は翼を二枚出し、親方を片腕に抱えたまま浮くと、天井を見上げた。
「タンクラッドなら。私と一緒に通過できるか」
物質置換で、と呟いた女龍に、タンクラッドは笑って『失敗すると傷だらけだな』と・・・そんな二人の世界を、唖然と見ていたドルドレンが我に返り、慌てて『待て』と止めた。
「待ちなさい、イーアン!タンクラッド、お前の言い分も分かるが」
「俺は精霊の託した願いを守る。ドルドレン、後はお前が頑張ってくれ」
「タンクラッド、待つのだ!イーアン、君まで」 「さっきから!精霊のなんだって?!」
ドルドレンに被せたのは、立ち上がったハクラマン・タニーラニ。開始早々、30分足らずで帰ろうとする客にイラついた上、ウィハニの女まで遠慮ない態度は、さすがに癪に障る。
と思ったら、その理由『精霊』と度々挟まる・・・これは、と局長は彼らに怒鳴った。
鳶色の瞳の二人が局長を見て、イーアンは親方に『私が話してもいいですか』と尋ねる。親方は首肯して了承。片腕に親方付きで浮いたまま、二階の局長と女龍は向かい合う。
「こちらに来る前に、精霊の島から託された想いがあります。ティヤーの民に伝える役目を、彼が受け取りました」
「精霊の島ぁ?どこの話を」
「あなたは、挨拶の言葉に『陸のゴミ』と言いました。精霊たちは、その『陸のゴミ』に悲しんだと思いますが、私たちが神殿の組織を壊したからと言って、終わりではない話でしょう。
未来のティヤーが精霊と在る姿を願い、精霊は」
「海の連中も間違えてると、言いに来たのか」
「いいえ。今も昔も変わらず、大きな存在を慕うあなた方だから、精霊の声を真っ先に届けたいと、この彼は、タンクラッドは思っています。でも、話が出来る状況ではないし」
「ちっ。いいだろう。座れ」
ハクラマン・タニーラニは太い腕を組んで面白くなさそうだが、精霊がどうと言われて蔑ろは出来ない。指を下に向け、『残れ』と示す。
この態度に・・・イーアンは親方を下ろさず、『私に命令をしてはいけない』とはっきり告げた。ハッとした局長と他を見渡し、もう一度、女龍は声高らかに告げる。
「私に命令をする人間は、龍を従えると誤解されます。それは世界の罪であり、消されるに等しい行いです。龍は、人間に従いません」
「あ。悪かった。寛容だから、つい、癖が」
一瞬でケリがついた。強引まっしぐらの男は、すぐさま謝った。
イーアンは我慢していたわけではないが、この状況で必要と判断した。
北のタニーガヌウィーイは、強引さはあったが尊重を忘れなかった。こちらの局長は、強引さに歯止めがなく、親切や歓待も押し付ける。それは・・・立場上・性格上、の話かもしれないが、『龍や精霊に対して』適した態度ではない。
多分、こういうことなんだろう、とイーアンは肌で感じ取った。
精霊に近しいのは良いことであっても・・・近すぎたのだ。なれなれしいと切り捨てては気の毒だが、存在の違いを理解しなくなった人間は、友達感覚=相手が人間同等、と見做す。嫌だけれど、亡霊の態度が重なる。
少しくらいなら、性格や癖だろうと思えることも、当然のように振舞われてはいけない。それを、女龍である自分が赦してもいけない。イーアンには、龍族の頂点たる責任がある。
この場を『精霊の想いを伝えるには向かない』と離れかけた、タンクラッドの毅然とした態度は正しい――
一秒前まで、敵なしのようだった局長が、瞬間で後ろに下がったその態度。
意外そうに見上げるロゼールやシャンガマック、クフム。ミレイオとオーリンもじっと彼を見た。ふっと笑ったタンクラッドがイーアンの角を撫で、『お前は優しい』と呟く。
ドルドレンは複雑だが(※二人の世界続行だし)、イーアンが止めたのはとても大事だと同意する。
彼女の『区別』は、精霊の求めている状態を彷彿とさせ、これがティヤーの民に必要だと、言われなくても理解する。イーアンは、すっと息を吸い込み、もう一言付け加えた。
「私はすぐ怒ったり、反抗などをしません。注意もしません。あなた方の親しみを、理解しようと努めるからです。ですが、私が龍であることを忘れないで下さい」
「謝罪だ。心から詫びる。許してくれ、ウィハニ」
「はい」
「座って、で・・・精霊の話を、聞く」
あっさりと折れた姿は、180度の変化にも思う。どうします?とイーアンが親方に振り、親方は肩をちょっと竦めて『話が出来る状況なら』と受け入れた。
だが、水を差された具合で、祝宴の空気は重く、悪い。
イーアンは気にしないし、タンクラッドも、もちろんドルドレンも『話をするに、大事な前準備だった』と、展開の重要を思ったが、思わぬ『注意・忠告』を受けた局長は、立場もない。
そして、客や彼の部下らも、『呼んでやったのに』と、恥をかかされた感じが否めず、不穏に包まれる。
場所を変えようかと、局長は後ろを見た。そちらに三階へ上がる階段。
まぁ、そうなるでしょうねと、呟いたミレイオが席を立った。オーリンもシャンガマックたちも続けて椅子から腰を浮かす。
ミレイオたちも趣旨が違うのもあり、温度差広がるばかりの場は、離れたかった。
『局長』と誰かが、ハクラマン・タニーラニを呼び、振り向かない局長が『なんだ』と答えると、『帰っても良いんじゃないですか』と他の誰かが言った。それは、遠回しな嫌味。
客人が帰れば?と聞こえる言い方に、声の方を見たオーリンは、疎ましそうな視線を投げる男と目が合った。喧嘩っ早い海賊だし、無理ない反応か・・・と思いきや。
「もう一度、言ってみろ。お前は海に沈める」
局長はこれを制し、周りは騒めいたが、それ以上は言わなかった。
立場がないのも受け入れる局長に、イーアンはちょっと感心。すごい強気な人だけど、悪いと思ったら謝れる。彼は素直なのだ。周囲は自分の部下ばかりで、恥をかいた状態でも、一度謝ったことを覆しはしない。
こういうところは好感持てるかなと感じながら、局長の薄茶の目と目が合った。
「ウィハニ・・・イーアン。上で、話そう。俺の呼んだ連中は、悪気はないんだ」
「分かっています。あなたも、悪気なんてないです。咎めていません」
「有難う」
元気が失せた彼は、『料理と酒は運ばせるから』と、席をそのままにしてついてくるよう言い、階段へ歩き出す。皆も後ろをついて行くが、その後を、先ほどまで側にいた他の者たちは辿らなかった。
じっと見ている他の客は、前を通り過ぎるイーアンたちに、無遠慮な敵意の視線を向ける。ミレイオもオーリンも、この状況に少なからず、午前の亡霊を思い出す。
いざこざなんて、どこでもあることで、別に珍しい反応でもないが、ティヤーに於いては改善しないとならない部分・・・ 精霊の求めを知ったばかりのミレイオたちに、祝いの場を白けさせた時間は、目的に比べて小さく映る。
軋む階段を上がり、三階の床を踏む。通り側の壁は、一部がベランダ席で屋根があり、戸は開いていた。ここにも客はいたが、階下のひと悶着を見た後で、客人が来るなり、人は入れ替わり去って行った。
「居心地悪いかも知れないが」
「いや。嫌われることに対して抵抗がない」
局長が円卓の椅子を引いた一言に、ドルドレンがすぐに応じ、自分を見た強面の男に微笑む。
「勇者は嫌われ者だ。過去は最低だったからだが(※こんな時でも罪悪感)、現在の勇者は仲間のために嫌われることを、どうとも思わない。仲間の心は真実で、俺はそれを守る立場にいる」
「勇者。精霊はお前が好きだろうな。海の・・・俺たちをどう思うか、気になるよ」
全員が座り直し、仕切り直し。ガヤガヤしているざわめきは最初に比べ、半分ほど。白けた場に気分を害し、店を出て行く者たちもいるが、局長はそれを無視した。
料理がまた運ばれるが、給仕の人間の態度が悪く、局長は『来なくていい』と追い払う。その彼を給仕は睨むので、見ているイーアンたちは、彼の分け隔てない接し方が、こういう時、良いか悪いか分からなくなる。
「精霊の声を届けよう。単刀直入だ。敬い方を間違えた、民の心を悲しんでいる」
二人を横目に見ていた親方は、給仕の男にも聞こえるよう、唐突に切り出す。
さっと見た局長と、下がろうとして足を止めた給仕の男。給仕の男の攻撃的な目つきに、タンクラッドが反応するより早く、イーアンが彼に向いた。
「なぜ睨みますか。龍を睨んでいるのと同じです」
「・・・別に」
「イーアン。許してやってくれ。俺が謝る」
局長が止め、給仕は顔を背けて舌打ちする。イーアンは男に寄り、『犠牲になる覚悟があります?』と静かに囁いた。
ぐわっと目を見開いた男が『ああ?』と声を上げた瞬間、ハクラマン・タニーラニが彼を殴りつけようとし、イーアンの手から白い龍気が走った。




